かばん関西歌会

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2010年 09月 03日

8月歌会報告

かばん関西八月歌会記

参加者:安部暢哉、あまねそう、雨宮司、有田里絵、岩本久美(ゲスト)、十谷あとり(日月/玲瓏)、杉野裕子、月下桜、福田貢一(北摂短歌を楽しむ会)、三澤達世

かばん関西オンライン歌会、八月のお題は「見えないもの」。それぞれの参加者の見えないものへのアプローチを捉えながら、詠草を読んでみたい。

●戸籍のみの老い人の声さやぎたつ日本列島猛暑に喘ぐ 杉野裕子

見えないもの=「戸籍のみの老い人」。観測史上最高となった猛暑と戸籍上だけ存在していた老人の話題がこの夏の2つの大きな時事ネタであったが、この2つが「声」「喘ぐ」という言葉の選択によって見事に融合されている。

●四四四円のお釣りをもらい受け今日の不運を確定とせり  岩本久美

見えないもの=「運」。見えない不運を、四四四円から捉えた作者。漢数字のカクカクが効果的で、もらい受けの「受け」が運命を受け入れるイメージを増している。

●昨日までおなかにいた子吾の腕に眠りておりぬやっと会えたね 有田里絵

見えないもの=「子」。お腹にいるときは、超音波で間接的にしか見えない子。でもその温度感や存在感を感じているからこそ、結句の「やっと会えたね」に重みが出てくるのだろう。

●花束と酒が置かれた交差点もう留まらなくていいんだよ 月下 桜

見えないもの=「霊」。事故の当事者が詠んでいるのかどうかに関わらず、下の句の呼びかけのやさしさが読み手にしっかりと伝わってくる秀歌といえるだろう。

●亡き人のbotばかりが昼下がり歌をつぶやくタイムラインだ 三澤達世

見えないもの=「亡き人」。いや、ネットを介してつながっているはずの「実在の人」か。いやいや、ネットを介してつながっている「あの世」かもしれない。ネットは基本的に視覚によって情報を得ることが多いが、見えているものの裏に見えていないものがはるかに広がっている。作者の視点の広がりがおもしろい。

●触れてくるたびに放電する奴を「エレキン」と呼び十五年経つ あまねそう

見えないもの=「時間」。「十五年である必然性があるのか」という指摘があった。本来見えない時間がどのようなものから感じられるのか、その表現に課題の残る一首だろう。

●秋空に雲ひとすぢを曳くために目には見えざる航路図はあり 十谷あとり

見えないもの=「航路図」。飛行機の航路図はたしかにあるが、空の上に描かれているものはひこうき雲だけ。視点が鮮やかな上に言葉に隙がなく、強度のある一首である。

●憎しみは憎しみを生み果てしない 愛情の壊れやすさにも似ず 雨宮司

見えないもの=「憎しみ」「愛情」。目には見えない「憎しみ」の連鎖は、いろいろなところで目に見える形の悲劇を生む。いつまでも見えないままでいることが幸せなことなのかもしれない。


最後に自由詠の詠草から何首か紹介する。

●昨日より小さくなって風船は願いをかなえようとしている 有田里絵

今月の最高得点歌。風船を何かの代償としてしぼんでゆくものと捉えた視点に独自性を感じる。風船には小さい子のイメージが重なるので、せつなさも感じられる一首だ。

●人生の真理は実に単純で諸行無常の白骨の章 福田貢一

「白骨の章」とは浄土真宗の中でも特に重視される御誓文とのこと。無常は日本人の心性を解くキーワードであろうとの指摘があった。

(あまねそう 記)
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by kaban-west | 2010-09-03 09:39 | 歌会報告


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