かばん関西歌会

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2011年 07月 06日

6月歌会報告

かばん関西六月歌会記

<参加者>雨宮司、有田里絵、黒路よしひろ(ゲスト)、こまつかおり、
十谷あとり(日月/玲瓏)、蔦きうい(玲瓏)、野間亜太子、三澤達世

今回の兼題は「木」。自由詠と合わせて8名の方から合計33首の作品をお寄せいただきました。
初夏の太陽を目指して勢いよく延びてゆく木の枝のような、それぞれに個性ある歌をご紹介してみたいと思います。
まずは兼題の部から。

ユーカリを燃やすダイナモほらこんな…きみの踝ぬくめてあげる  蔦きうい

エロティックでありながら不潔な感じがしないところがよい、などの全体的に高評価を得た一首。
反面、途中の言いさしがあまり効果的に機能していないなどという指摘もあった。
ユーカリを燃やすダイナモについては、発電機であるダイナモを暖炉と勘違いしているのではとの指摘と、これはユーカリを燃やして発電する架空のダイナモなのだという読みをする参加者の間で評価が分かれ、ひとりの読みだけでは気付けない歌の本質を皆で読み解いてゆく歌会の重要性をあらためて認識させられた。

歌詞のなきうたばかり吹くおとうとの後ろ姿も夏の柳だ  十谷あとり

おとうとの後ろ姿もまた夏の柳なのだと捉えた感性が美しい一首。
意外な喩だがそこがいい。実の姉から見てもつかみどころがない弟って面白い。など、おとうとという対象が歌のイメージとマッチして読み手のこころに爽やかな印象を持って受け入れられたのではないだろうか。
スレンダーでしなやかなスイング。口笛、あるいは楽器を吹いているから歌詞がないのか、インストゥルメンタルなのか。ともあれ、歌詞の意味性に邪魔されず流れる音楽は夏の柳のようであり、それはまたおとうとの後ろ姿の生命力にも通じていくのだ、などの評価もあり高得点につながった。

ものすべてくっきりとした夕方の窓を彩るセコイアの影  三澤達世

季節とその日の天気で、夕日がスポットライトのように周りを照らし出す時があり、自分もその時間帯がとても好きだ。よんでいて、その感覚がリアルに思い出されたなどの評があり、セコイアがやはりいい。勢いのある輪郭線。今日みたいな暑い日に読むと特に、ぐんぐん近づいてくる夏を感じる、などの女性陣を中心に共感を得た高得点歌。
反面、完成度は高いが驚きが足りない気がする。一首全体として見たときに広がりが感じられず、小さくまとまってしまった感じがするのは残念なところだ、との男性陣の指摘もあり、男女の感性の微妙な違いのようなものも感じられて面白かった。

台風で倒れちまった棕櫚【しゅろ】の木を三人がかりでも運べない  雨宮司

台風の威力に対する素直な詠嘆の一首。
「棕櫚【しゅろ】の木」というアイテムや「倒れちまった」の少し乱暴な口語調の表現に作者の工夫の跡が見えて共感出来るのだが、共感と同時に作為的な醒めた感覚をも感じてしまう、といった指摘や、このままじゃ海の家がオープンできないわ、とでも言われれば面白いのですがなど、事実のみになってしまっていることを指摘する意見があった。
また三句目の助詞が「を」では伝わらない。ここにどんな助詞を使うかで、全体が変わってくるとの意見も。
その反面、下の句は句またがりでそのまま読んでしまうと単調な報告文にすぎないのだが、定型に句切って読むと独特の「調べ(リズム)」が生まれてきて短歌という形式の持つ力にあらためて気付かされる、との作者の定型の力を信じた歌なのだとする意見も出た。

他に兼題「木」にお寄せいただいた歌もまとめてご紹介しておきます。

夜毎けずる楡の十字架おとうとを括って縛ってこのぽけっとに  蔦きうい

知らずうち濃くなり行く緑の下で我が影は淡くぼやけて  こまつかおり

銀の木は群青色の紙に映え『一握の砂』につきたる栞  有田里絵

校庭の隅っこの木に刻まれたあいあい傘のとおるとえみこ  黒路よしひろ

以上、兼題「木」についてでした。つづいて自由詠の部のご紹介です。


銭湯の古ガラス越し傾いた陽は柔らかく産毛を透かす  三澤達世

今回の最高得点歌。
古ガラスというアイテムが銭湯という絶滅寸前の営業施設らしい雰囲気をよく表していて素敵な一首だ。
無駄のない描写に色っぽさを感じます。とにかく情景が美しい。「産毛」を持ってきたところが要です、などの意見や、あのせつない陽は、古い銭湯でこそなのだ、など視覚的なイメージを喚起させられた参加者も多かったようだ。
また、順当に読めば人であるのでしょうが猫かもしれないし、何の産毛なのかがものすごく気になって仕方ありません。との猫好きの方の意見もあり、なかなかに読みの広がりも見せた。

広辞苑並みの厚切りカステラをぺろりと食べてしまってひとり  有田里絵

こちらも高得点歌。
家族がいれば、普通、こんな食べ方はしないという男性意見に対して、食べるわよぉ普通に、との女性のたくましい意見も見られてなかなかに面白いコメントが寄せられた一首。
広辞苑を配置したことで、カステラの具体的な質量が迫ってくる、など広辞苑を譬えに出した感性を評価する意見も見られた。
結句の表現に関しては「咳をしてひとり」を連想した方や、「ぺろり」、「ひとり」、という音の響きが、歌に流れる明るさを肯定している、とした意見。
おなじく「ひとり」が効いているとの意見があった反面、逆に結句を甘い、としとした評もあった。どちらにしても、現代の女性らしい開き直ったようなたくましさを感じさせてくれる魅力的な一首といえるだろう。

漫然と繰り返される励ましは社交辞令と何が違うの?  こまつかおり

震災後の「がんばれ東北」「がんばれ日本」へのアンチ、もしくは被災地の人々への「がんばれ」という励ましが時間を経るごとに形骸化し心を伴わなくなって来ているのではないかとの疑問の一首。
上句で実際のやりとりを記す手もある、といった技法面での指摘や、社交辞令だと思うが、もっと言いたいのに周りに合わせて同じ励ましをしてしまう人もいるかもしれない、という安易な励ましにも理解を示す意見もあった。
この歌、一見、無責任に励ます人々への反感の歌のようにも取れるが、作者自身の自問の言葉のようにも思われて、おそらくは表面から受ける印象以上に深い一首なのではないだろうか?

純白のチラリと見えたあれなんて言うんだっけなスカートの中  黒路よしひろ

純白のチラリと見えたもの…それは一反もめんですよ。などのとぼけた回答や、考えてしまうぐらいなのだからパンツではなく、ペチコートとか、ドロワーズやではないか?など真剣に考えた予想外の回答もあり、最終的にはパンチラについて熱く語る自称パンチラ博士まで召喚してしまった怪しげな一首。あと半歩ずれたらやらしいオッサンっぽくなる危うさを感じた、などのごもっともな指摘も頂いた。
いや、詠んだ本人はただ真面目なかばん関西のみなさま方に、「パンツ」だの「パンティー」だのと言わせてみたかっただけなのです。
申し訳ない…(笑)

響よき陸前高田に降る雪は冬蛍ぞへ我も哀しゑ  野間亜太子

被災地、陸前高田に降る雪を冬蛍に譬えた震災の鎮魂歌。確かに陸前高田は響きがいい、初句がいい、などの意見とともに、当然祈りはこめられているのだろうが、もっと前面に持ち出す必要があるとの指摘も。また、方言である「ぞへ」がわからなかったことを残念とする意見もあったが、その反面、意見が分かれるだろうとしながらも「へ」と「ゑ」のおなじ音の繰り返しを評価する意見も見られた。
もともと儚いイメージのある雪を冬蛍に譬えることの必然性が感じられず、結句の「哀し」も字面ほどの緊迫性を伝えてくれていないように思う、とする厳しい意見も見られたが、被災地を思う作者のこころはしっかりと伝わってくる一首ではないだろうか。

他に自由詠にお寄せいただいた歌もまとめてご紹介しておきます。

間違えて図書館級の知恵を書くとても寡黙なフクロウが飛ぶ  雨宮司

我さえも冬蛍故死後の墓問ふ人もなし誰かおらぬか  野間亜太子

木には木の空には空のかなしみのあり時として鳥はよりそふ  十谷あとり


以上、六月歌会についてのご報告でした。

今回は、初参加のこまつかおりさまに素敵な歌とコメントをお寄せいただきました。かばん関西では、関西在住の方に限らず、広く短歌を愛する方の参加を心待ちにしております。歌歴や経験などは一切問いませんので、興味のある方はぜひお気軽にご参加ください。

(黒路よしひろ 記)
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by kaban-west | 2011-07-06 10:04 | 歌会報告


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