2012年 11月 03日

10月歌会報告

■かばん関西10月歌会■

[参加者]雨宮司、有田里絵、ガク(ゲスト)、川村有史、紀水章生(塔・中部短歌)、黒路よしひろ(ゲスト)、十谷あとり(日月)、月下桜(コスモス)、蔦きうい(玲瓏)、冨家弘子(ゲスト)、内記、福島直広、三澤達世、ゆるら(ゲスト)

お題は「色・色に関するもの」

見えない色、音のある色、色のコントラスト…。その人ならではの、こだわりの色が散りばめられた歌会となりました。

秋風を色なき風と呼ぶのなら春・夏・冬の風は何色  雨宮司

秋の季語「色なき風」を軸に、他の季節の色、かつて秋風を色なき風と詠んだ俳人の感性などに想いを馳せています。季節への讃歌という意味合いもあったようですが、下句が理屈っぽくなってしまった向きがありました。秋風は「色なき風」なんかじゃないんだという反骨や、自分だけの風の色を表現して欲しいという意見が目立ちました。秋の色はクリソプレーズ、と主張した読み手も。

ガラスごしあの時見えてゐた虹を見てゐるやうなあなたの声だ  紀水章生

「ガラスごし」「あの時」「あなたの声」…。提示されているすべてがはかなく、読者の手に届かないところにあるようです。いつか一緒に虹を見ていたのか、あなただけが、もしくはわたしだけが虹を見ていたのか、そもそも虹はほんとうにあったのか。「見えてゐた」虹を「見てゐる」、とあえて時間をなぞり直すような表現も意図的です。視覚、聴覚、時間の混乱によって意味や心象がねじ曲がり、歌そのものが虹であるかのような、雰囲気の力で読ませる一首となりました。

浅葱【あさつき】の黄緑緑深緑 椀に落とせばぱっと散るなり  月下桜

まさに椀に散るように歌の真ん中に置かれた「黄緑緑深緑」の迫力。その直接的な表現から、色彩と香り、湯気も立ちのぼるようなイメージが即座に浮かび、結句で一気に情景がはじけました。日常の中の一瞬が歌になるのだというお手本のような一首。歌としてもう少し工夫があれば、という意見や、浅葱の色の表現や表記の仕方が気になるという意見もありました。

壁に寄り添ふやう道を歩く子の足跡の音足音の色  川村有史

詠まれているのは「足音の色」。下句で「音」と「色」を入れ替えるという工夫が目を惹きます。その工夫に関して、深い異化効果を発揮している、漢字の連なりがごちゃごちゃしている、上句の観察が丁寧なので工夫せずに詠んでも成り立つ歌なのでは、などの意見が出ました。歌全体のリズムのたどたどしさが、子の足どりを表しているのだという意見もありました。

網棚に帽子載せつつ各停は無花果色の夕闇に消ゆ  十谷あとり

無花果色の夕闇。その詩情あふれる時間を、確かに皆が共有したようです。無花果色とはどんな色の夕闇より、もう戻ってこられないような哀しさをたたえた色だという印象を抱いた人も。場面設定が読者の心にすんなりと届き、ひっそりと消えてゆく世界にうっとりとなりました。「各停」ではなく「各駅停車」や「列車」という表現の方が歌に合うのではないか、結句がはまり過ぎでは、また無花果色という言葉の持つ豊富なニュアンスに対して普通になってしまったという意見がありました。

出ていったあとの毛布に墨色がのびてひとつの朝が残った  冨家弘子

今月のエロス短歌です。ひとつの朝が残り、相手の不在の部分が墨色にそまって、冷たい。後朝の別れを思わせる歌でした。しかし描写がぼんやりして意味が伝わりにくく、寝具の片付けの場面としてとらえた人も。「墨色がのびて」という表現が混乱の元となったのでしょうか。不在の象徴となった墨色を見ている主体の心情を読みとった人、歌の持つ物語性を評価した人などがいました。リズムや言い回しに工夫が欲しいとの意見もありました。

黒色のアスファルトを背景に真白の秋桜宙【そら】に咲きたり  ガク

「宙【そら】」(=コスモ)は「秋桜」の読みであるコスモスからの発想でしょうか。核になる歌想があるので、整理することでぐっとよくなるのではという意見、アスファルトをまるで宇宙空間のようにとらえた作者の感動がよく伝わってくるという意見がありました。アスファルトは黒色ではなく、濃紺もしくは茄子紺である、という緻密で繊細な意見も。「黒色」「背景に」が説明的で、情緒を壊しているのかもしれません。

菓子折をほどいて見れば「強運」の個別包装色とりどりに  内記

妙に存在感があって印象に残る、いかにも銘菓という感じが漂う「強運」は本人作だそうです。そのインパクトの強さに、実在するお菓子だと想像した人が続出しました。念がこもっているようで食べるには勇気がいるような…という気もしつつ、ほどいた菓子折を目にした主体の心の高揚が伝わってくる歌でした。どんな色があるのか詠みこめれば更に良かった、「色とりどり」という常套句や言いさしが気になる、という意見もありました。

入念に百合の花粉は除かれて白いドレスを汚さぬように  三澤達世

コメント集によって読みが掘り下げられ、あらためてその白の純粋さにはっとした一首。純白のドレスに包まれた花嫁に、〈純潔〉の花言葉を持つ百合。対象にフォーカスされた情景の美しさの影には、入念に取り除かれる花粉がありました。花粉は雄しべが繁殖のために出すもので、愛する男性のもとげ嫁ぎゆく花嫁にとって、決してつけてはならない汚れとされるのでしょう。そこに未生の命を摘んでしまうような怖さを感じる人、作者が花嫁とブーケのうちにこんなエロティックさを発見していたという事実に驚異を感じる人などがいました。

秋雨にうつむきがちな街中で君のピンクの傘を見つけた  有田里絵

上句の陰鬱な気分からぱっと一転する気持ちの華やぎが素直に、巧みに詠まれた一首。「君の」とすぐに特定できる点から、主体と「君」の関わりの深さが読み取れます。男性が想い人の傘を見つけたときの心情ととれますが、「君」が男性だったらおもしろい、と妄想を働かせる人が三名も。かばんらしさを感じます。「街中」は「街なか」とした方が読み方の誤解がない、「うつむきがち」は挨拶文のように感じる、という意見もありました。

黄色ほどキャラ立っているわけでなくましてピンクなわけなく緑  福島直広

戦隊もののヒーローに自分を当てはめたら何色かというテーマだという読みが大半を占めました。戦隊ものを連想させながらも表面上は色のみを詠っています。そこが歌として非常に面白いという意見、色に真正面から向き合った歌、はたして自分は何色だろうかと考え込んだ人もいました。黄色は「キャラ立っている」のだろうか、ピンクの特徴も書いて欲しい、無難な緑ではなくて、紫くらい渋い色を持ってきてもよかった、など、歌の持つ軽みにひっぱられて、さまざまな意見が出ました。

みづいろの深さを知らぬ手は探すあなたが投げた小石の行方  ゆるら

心象と受け取るか具象と受け取るかに違いによって、さまざまな読み方が展開されました。みづいろの正体は明確にされていないものの、それを探す手のイメージが強く訴えてくる一首。歌の叙情性が高く評価され、恋の始まりの歌、気持ちのすれ違いの歌、親子で石を使って遊んでいる歌、哲学的な歌、という読み方がありました。「小石」は暗に「恋し」を表しているのではという深い読みや、具体的なイメージがもう少し明らかになればよかったという意見がありました。

みどりなす瑞穂の海に風ながれ地球の声を聞いた気がした  黒路よしひろ

壮大で、風とともにながれて地球の声に包まれゆくような味わいがあります。さわやかな風景の心地よい一首。叙情性にもリズムにも長けており、非常に完成度の高い作品と評した人も。立体的なみどりが立ちのぼりました。下句の表現がありがちなので独自の表現が欲しい、前半と後半の表現方法の違いが気になる、という意見が出ました。きれいな歌だけれど、それだけで通り過ぎてしまう、という読み方もありました。

たましいの片割れいずこ耳朶でいらだつインカローズの雁  蔦きうい

独特の色彩を放ち、理屈でなく感覚にうったえる一首。「いらだつ」はピアスかイヤリングの小さな揺れからの発想でしょうか。「雁」の読み方は「かりがね」とのこと。時に自分と別ものであるかのような身体感覚をもつ耳たぶを主役にした点、インカローズの優しさや雁の烈しさといった、この固有名詞でないと語れないものが、作者にはあったのでしょう。色気や愛を感じるという意見、また感覚的すぎて歌に近付けないという意見も。雁は「比翼の鳥」への連想も誘います。

次に自由詠から、高得点歌を紹介します。

豚の貯金箱そつくりなよこがほで荒神さんの蟻の巣を見る  十谷あとり

八百屋にてすだちをもとめ魚屋で秋刀魚もとむる秋の夕暮れ  月下桜

《あつ!かぜが》部屋の外へとにげてゆくつばさの生えた紙たちを追ふ  紀水章生

頃合いが好みをはずれているからと日課のバナナ諦めた君  内記

兼題で詠みたりなかった、色に焦点を当てた歌や、兼題と表裏一体になっているのではと指摘された歌なども寄せられました。

歌会が終わってからも、自作自註やコメントを読んでの質問、回答などが自由に寄せられました。読みが深まり、歌が育っていく感覚を味わえる歌会へ、ぜひ参加してみてください。(冨家弘子記)
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by kaban-west | 2012-11-03 23:46 | 歌会報告


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