2013年 01月 31日

1月歌会報告

■かばん関西1月オンライン歌会[兼題「種」「実」一首および自由詠一首]

[参加者]あまねそう、雨宮司、有田里絵、ガク(ゲスト)、川村有史、紀水章生(塔/中部短歌)、久真八志、黒路よしひろ(ゲスト)、塩谷風月(レ・パピエ・シアンⅡ)、十谷あとり(日月)、蔦きうい(玲瓏)、冨家弘子(ゲスト)、福島直広、ふらみらり、ブルー(購読/選歌のみ)、文屋亮(玲瓏)、三澤達世

ちょうど正月ということで、始まりを意味する「種」、豊かな繁栄を意味する「実」と、どちらも募集することになった。結果、題詠十六首、自由詠十三首の盛会となった。さて、詳細は……。

[兼題「種」「実」の部]
 読みの音訓は問わず、具体的なものを詠みこんでもいいということで、多種多様な短歌が寄せられた。さて、その出来栄えは……。

さねかずら梶井の檸檬じゃないけれど炸裂しそうなフォルムをしてる  雨宮司

甘酸っぱい匂いの君の身体なら流れるブラッドオレンジジュース  あまねそう

言の葉は淡雪のごと降りたれどながれて歌の実にはならずも  ガク

 一首目。「さねかずら」と「炸裂」の妙に好感が集まる。しかし、梶井基次郎『檸檬』を援用したことが逆に災いした。さねかずらとの間にギャップがあると言う者、そちらを説明する分でもっとさねかずらの様子を描写できると言う者、「梶井」の種明かしはしない方がいいと主張する者など、批判の嵐だった。ちなみに、作者は子どもの頃、実際にサネカズラに接したことがあり、簡単には潰れない、弾力性のある果実と確認していたことを付記しておく。二首目。ブラッドオレンジに実際に接したことがあるか否かで意見が割れた。ブラッドオレンジでは付き過ぎで、バレンシアオレンジが流れていた方が逆に破壊力があったのではないか、甘酸っぱい香りからの連想としてはやや単純ではないか、等の辛口の意見があった。その一方で、充分に官能的、ジュースの名からは「君」の狂気もにおってくる様だ、との肯定的な意見もあった。三首目。「言の葉」と「歌の実」との関係に議論が集中した。作歌の際に多くの者が感じるであろう事象に言及した点は高評価だったが、すんなり流れてしまう、説明的・だめ押し的に感じる部分がある、など、技巧の面での指摘が相次いだ。

遠くまで流れた先で発芽するタイプの種子と告げられている  三澤達世

種撒いて土の布団ををかぶせたら優しい人になれた気になる  ふらみらり

種も仕掛けもありませんけどヒヤシンス冬の窓辺でひらきさうです  文屋亮

 一首目。椰子の実を連想する者、複数。そのうえで、大器晩成型の人間と重ね合わせているという指摘も多数見られた。未生以前の記憶を思い出したような感じもした、という意見もあった。二首目。「気になる」を「気がする」にした方がいいのではないかという指摘、複数。実はまだ優しくなれていないのでは、という意見も多い一方、既に優しい人になっているという意見も多く、見解が見事に割れた。三首目。「種も仕掛けもありませんけど」をどう受け止めるかが鍵となった。分かり切っていると思う者、分かり切っているはずだが改めて記されると面白いと思う者、実は種はあるのではないかと考える者など、議論は百出。下句に持ってきたらもう少し収まりが良くなったかもしれない、との意見が多数を占めるに至った。文語と口語の混交を指摘する声もあった。

あさがおの種落ちている小寒のベランダにもう子らは遊ばず  有田里絵

種に始まり種に終われる顚末の荒らあらと蓮は雪に俯す  十谷あとり

ワタに絡めとられてしろく浮いている南瓜のたね南瓜のなか  冨家弘子

 一首目。夏の盛りと寒の盛りとが上手く対比されている点が、高く評価された。道具立てとしての「あさがおの種」が心憎い。ベランダで遊ばないのは単に寒いからではなく、親からの自立が始まっているからだという、興味深い意見もあった。二首目。枯れた後も立ち続け、雪をかぶって初めて倒れる蓮に凄絶なまでの生命の循環を見る者が多かった。一方では、どう読み解くべきか悩む声や、上句に理屈っぽさを感じる声も少なからずあった。三首目。「南瓜」は恐らく、「かぼちゃ」ではなく「なんきん」と関西訛りで詠むのだろう。読み方の不徹底による混乱が若干見受けられた。見慣れたはずのものを表現しようとすると、こんなに新鮮なものになるのかという、ただごと歌に寄せられる様な意見も少な
からずあった。

人皆が種と呼ばざるその赤を我如何にして種と見極む  川村有史

高空に撒かれた種が声発し雲のすきまで鳥に変はつた  紀水章生

種になりまた来年も咲くのだからやさしさだけで泣くもんじゃない  塩谷風月

 一首目。技巧はあるが何を表現したいのかが解からない、ほとんどの人が「赤」としか認識しなかった「種」とは何なのか、という点に議論が終始した。二首目。高得点歌。シュールな作品だと、一読して解かる強さがある。目に見えそうに鮮やかな表現に高評価を与える者が続出する一方で、上空に撒いたら鳥に変わるのはむしろ安易という鋭い指摘もあった。アンデスの伝承みたい、という見解も。三首目。幼児に生命の理を教えているのだろうか。幼児に限ったことではなく、高校・大学の受験のひとコマでも通用するのではないかという、かなり普遍性を重視した読みもあった。一方で、下句に類想がありそうなことを指摘する声も複数あった。「やさしさ」を「やましさ」と取り違え、罪悪感に言及する解釈も。

一びんの菜種油をむねに抱き高台に立つ かぜがはやいな  久真八志

理科助手にもらった種を舌裏にあわてて隠す好きでもないのに  蔦きうい

知らぬ間に育みて来し癌の実を摘まむと誓う不惑の友は  福島直広

種を残すための生殖行動に励めよはげめ僕のいもうと  黒路よしひろ

 一首目。高得点歌。「菜種油」の謎が謎を呼ぶ一方で、結句の鮮やかなずらしぶりが多数の好感を得た。ジブリのアニメを観ている様だという意見、連想の遊びができるという意見もあれば、一方では、漢字表記にした方がいいのではという意見、判断材料がなさすぎるという指摘もあった。映像が浮かんできそうだというのが共通認識か。二首目。結句「好きでもないのに」が何に掛かるのかが読解の分かれ目になった。多かったのは「理科助手」と「種」との両方に掛かるという見解。「舌裏」という隠し位置からエロスを感じ取る者も複数いた。個人的には、かみ合わない会話を活写したコメントが気に入っている。三首目。採り上げる内容が内容だけに、慎重な意見が目立った。不惑、つまり四十歳になると様々な話を聞く、という意見が多い。それは自治体の無料検診に因るところが大きいと思うのだが、まあ、早期に見つかるにこした事はない。事実を詠んだだけでどう個性を持たせるかという視点に欠けるのではないか、という辛口の意見もあった。四首目。なぜ「僕のいもうと」なのか、兄の妹に対する視線としてはどうも嫌らしいのではないか、聖書や富国強兵のスローガンを想起させる、自分の知らない「いもうと」になることを危惧する兄のエゴではないか、子供産めプレッシャーをかけられているのでは、など、「生殖行動」という語に強く反応する意見が目立った。

[自由詠の部]

 解説する紙面が残されていないようだ。高得点歌を何首か挙げておく。

冷蔵庫のとびらをぼむっと開くときジンジャーエールは光をはなつ  久真八志

何さこの人レッドチェリーの種なんか呑み込んじやえと見つつ真向かふ  十谷あとり

爪を切る一本ずつしか切れなくて仕方がなくて君に会いたい  あまねそう

 今年もつつがなく、一層の盛会が続くことを期待して、ひとまずのお開きとする。それでは。(雨宮司・記)
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by kaban-west | 2013-01-31 21:40 | 歌会報告


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