かばん関西歌会

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2013年 03月 06日

2月歌会報告

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[かばん関西2013年2月歌会報告]

☆参加者[あまねそう、雨宮司、有田里絵、伊井平助(詠草のみ)、ガク(ゲスト)、川村有史(詠草のみ)、紀水章生(中部短歌会/塔)、久真八志、黒路よしひろ(ゲスト)、十谷あとり(日月)、蔦きうい(玲瓏)、冨家弘子(ゲスト)、福島直広、船坂真桜、ブルー(購読・選歌のみ)、文屋亮(玲瓏)、兵站戦線、三澤達世]

今月も盛会でした。ひとつひとつの詠草に寄せられるコメントの読みごたえもかなりのものになりました。兼題は「火・炎」。兼題か自由詠で点数の高かった歌を基本に、それぞれ紹介します。

[兼題「火・炎」の部]

窯のなか一六〇〇度の火が奔【はし】る釉よ灰よ舞えよ暴れよ  雨宮司

釉の読みは「ゆう」。焼物の原料のうち、鉄分が融解するか否かのギリギリの温度が約一六〇〇度なのだそうです。この温度を一定時間保つのが職人技。「火が奔る」という表現や後半の畳み掛けに力強さが感じられるという意見がある反面、キャッチコピー的で物足りない、「暴れよ」という割にはおとなしい印象があるという意見もありました。

燃えるのはいっときのこと君はどう梅もそろそろ咲いてきたよね  有田里絵

歌の核心は「君はどう」という問いかけにあります。はぐらかしの材料に梅を使い、いっときの恋の炎が燃え尽きてしまったことを暗示しているのかもしれません。冷めてしまえばそれで終わり、という刹那的な人間の生き方と、咲いて枯れてを繰り返す自然との対比の妙があります。「君はどう」の意味を一読して捉えられるかどうかで評価が分かれました。

さわさわと燃ゆる綺麗な木片が内なる黒を見よとばかりに  川村有史

炎のなかで燃える木片。その内側へ意識を向けた作者の感性と、「内なる黒」という表現が魅力的で印象的な歌。炭になりやがて黒く艶を増す木片のような、静かな迫力と哀しさに包まれています。「綺麗な」という主観的な形容はない方がいい、「さわさわと」には違和感を感じる、という意見や、下句は擬人化しているのに抽象的で弱く感じられるという意見もありました。

山の端【は】に沈む夕日と思いきや田崎くん家【ち】が燃えていました  黒路よしひろ

上句に対する下句の不謹慎な取合せの意外性、シャレにならない状況におけるユーモアの中には、おちゃらけないとやっていられないという気分の重さが実は潜んでいる、衝撃的で個性的な歌。「燃えていました」は夕日が燃えていたのではないかという意見に胸をなでおろしました。何より消防車も呼ばずに見物して一首つくってしまった作者の大胆さが感じられ、印象的でした。

ズク啼ける夜半の遠火事その閨できみが漢とイッポン橋こうちょこちょ  蔦きうい

春画や艶本のような雰囲気やせつなさに溢れる淫猥歌。読み返すほどに、様々な言葉遊びの仕掛けがあることに気付かされます。語感のこだわり、漢字、ひらがな、カタカナのバランス、露骨なほどの色気をまとった比喩は、桑田佳祐の歌にも登場しそうです。閨から漏れてくる声を頼りにひたすら想像し続けるという夜の孤独感が歌われているという意見、リズムや解読の難しさに対する否定的な意見もみられました。

ちびた下駄つっかけて冷えた手をかざしいこりはじめる炭を見ていた  福島直広

方言や話し言葉が生き生きと感じられ、どこかノスタルジックな雰囲気が魅力的な歌。「見ていた」という締め方は賛否両論でした。「炭を見ていた」時間とは何かを、または誰かを待つ時間でもあり、ほんとうは「見ていない」ようにも感じさせます。または炭そのものではなく、ふっと心に燃え上がったものの正体を見極めようとしているのかもしれません。リズムの乱れが気になったという意見もありました。

篝火の増えすぎた街歩むためひとりを選ぶ鍵回すまで  船坂真桜

鍵を回し扉を開けたその先は、家族や恋人が待つ部屋なのか、車のライトやネオンにあふれた街の光景なのか。いずれにしても、常に照らされている現代社会への疲弊を持て余し、ひとりを選ぶことでバランスをとっている主体の心の情景が垣間見えます。「篝火」という古風な表現に主体の性格まで滲み出るような味わいがある反面、少し歌が複雑になり、歌意が伝わりづらくなってしまった面もありました。

手に余る炎だつたよ燃え殻も危険なんだよ飛び散つてゐるよ  文屋亮

ここで歌われている「炎」とは、終わった恋のことでしょうか。手を焼いた女性のことかもしれません。それとも原発のことを歌った社会詠かもしれません。深読みも浅読みもできてしまう歌で、様々な読みが展開されました。動きのあるスリリングな場面のはずなのに、緊迫感でなく回想的な感じに包まれていく点が魅力的である、恋歌の連作に入っていたらおもしろそう、などの意見がありました。

淡々と大つごもりは暮れゆきて炎にめくられていくカレンダー  三澤達世

大晦日の実景。庭先で燃やされ、炎で一枚ずつめくれて行くカレンダーの様子を捉えた観察眼の鋭さや、読後の心地良さが評価されました。「淡々と」という表現には毎日人々が生活していることの実感が、「炎にめくられてゆく」という表現にはあふれ出し暮れゆく感情がこめられています。破調による調べの乱れが気になるという意見もありました。最近のかばん関西の歌会では、字余りや破調が目立ち過ぎるのではという指摘も。



[自由詠の部]

朝の陽に照らされ我は無残なり自らの影踏みて歩けば  あまねそう

作者の心情の表白としてストレートに伝わってくる暗さ、挫折感が印象的です。白々とした朝陽を背に仕事場に向かっているのでしょうか。酔っぱらった次の日の朝帰りの光景を想像した読み手もいました。自らと向き合うために、朝は適切で影を踏むのは正しい行為だという意見や、「我」「無残なり」はなくてもよかったのでは、下句で歌が萎んでしまったような印象があるとの意見も。

出てこないああ出てこない一文字もそれでいいのよそれがいいのよ  伊井平助

出てこないことまで楽しんで歌にするとは、自虐もここまで来ると堂に入っているという意見と、心情は分かるけれど苦し紛れで歌として面白くないという意見に分かれました。「いいのよ」は男性が話者であることがなんとなく伝わってきて、文体に長新太や桑田佳祐のような味わいがあります。

うつむいて歩いているのは北風が嫌いだからと言い訳しつつ  ガク

意地っ張りで少しキザな青年の呟きでしょうか。うつむいて歩いている本当の理由があることを読み手に意識させ、一緒に歩く相手がどう受け止めたかなど、想像がふくらんでいき余情のある歌。「北風が嫌い」というのでは当たり前すぎて情緒や驚異に欠ける、結句の言いさしが気になるという意見もありました。

もぎとつた冷たい果実ふところにをさめて空へ息を吐きだす  紀水章生

誰にも見られないように果実を奪い取り息を吐いている光景、鳥が果実をもいでいる光景、果実を女性に見立てた略奪愛の場面など、様々な読みが展開されました。「ふところにをさめて空へ」という言葉の斡旋にしびれた、「もぎとる」「おさめる」「吐き出す」、というぎゅっとつめこまれた動作を読んでいくことで歌の世界へ入り込める、という意見などがありました。

雨合羽の下に闇ある人ばかり訪れた日の家のしめりけ  久真八志

雨の匂いと「闇ある人」の息遣いの満ちた家。「闇」という一文字が効いています。「しめりけ」への着地が見事で、陰鬱な世界感を浮かび上がらせました。法事などの情景を連想した読み手も多かったです。訪問客によってなんとなく鬱陶しい雨の空気が入ってきた感覚をていねいに拾い上げたという意見、「下に」は「中に」や「うちに」に置き換えてもよかったのではという意見も。

豌豆の莢むくことの執拗に指はうれしむ罪深きまで  十谷あとり

食は喜び。そして食は原罪。どこか官能的な雰囲気をまとった繊細な歌です。莢という命の保護膜のようなものをむくことの残酷さを指は知っているのでしょう。背徳的なほど本能的な喜びに震える、自らの生命をしっかりと肯定する明るさと感情の制御が端正に詠まれています。漢字とひらがなのバランスも高く評価されました。「罪深きまで」が大げさに感じるという意見もありました。

きらきらと放物線のおしっこを見ている小さなちいさなきみの  冨家弘子

おしっこをじっと見ている「私」を歌うことによって、幼い我が子へのまなざしが感じられる歌。ほのぼのとした光景であり愛情が感じられる一方、対象を一個の不思議な生命として、驚きを持ちながら見つめている心の動きが面白いとの意見もありました。「放物線のおしっこ」はありきたりな表現ではという意見もありました。

お昼まで眠つてゐたのさうなのねそれでもいいか夜ふかしの訳  兵站戦線

「夜ふかしの訳」を語る会話が省略されているのか、はぐらかされているのか。生活時間の異なる恋人同士の会話でしょうか。夜更かしが昼まで眠った理由ではなくて、昼まで眠ったのが夜更かしの理由という、どこかずれた論点が可笑しく、魅力的な登場人物に思えます。もう少し背景を匂わせるとぐっと良くなりそうだという意見、解釈が難しいという意見などがありました。

(冨家弘子/記)
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by kaban-west | 2013-03-06 09:46 | 歌会報告


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