2013年 12月 07日

11月歌会報告

かばん関西二〇一三年十一月歌会記

[参加者]あまねそう、雨宮司、有田里絵、ガク(ゲスト)、紀水章生(中部短歌会/塔)、黒路よしひろ(ゲスト)、サカイミチカ、佐藤元紀、鈴木牛後、蔦きうい(玲瓏)、冨家弘子、福島直広、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)、兵站戦線

今回の兼題は、蔦さんのご提案で「“はっ”と思ったこと」。それぞれの「はっ」を踏まえながら読み進めていきたい。

朝ぼらけ鏡のなかに我と似たごま塩頭の老人が見ゆ ガク

老いてゆく自分に対する「はっ」。鏡を見て「はっ」とすることは多くの方にあるのではないだろうか。皺だったり肌荒れだったり、ほうれい線であったり。共感する意見が複数ある中、既視感があり歌としてはもうひとひねり欲しいという意見もあった

あまつそらそらみつやまとの国いちめんあなぬばたまの花鳥風月 佐藤元紀

古語のならびに「はっ」、花鳥風月を愛でる余裕もなくなっている今に対する「はっ」。コメントを寄せた参加者がそれぞれの角度で「はっ」とさせられた一首。定型をややはずしているにも関わらずリズミカルで、ひらがなのやわらかさも好印象だった。枕詞が二つあり、その意味を問う声もあった。

ああそんなところにあなたベランダの花をしづかに照らす三日月 紀水章生

「あなた」イコール「三日月」ととるのか、二句切れと読むのかで解釈に違いがあった。前者であれば弱々しいであろう月の光に「はっ」としたのだろう。後者で読んだ参加者からは「なんちゅうエロス」との意見もあり、概ね肯定的な意見であった。どちらにせよ甘美な一首である。

短冊におかわり自由の朱い文字琥珀に光る甘酢見つめる 福島直広

料理店の一場面に好感を持った参加者が多く、「甘酢の深い琥珀色から、食堂の辿ってきた歴史のようなものも感じられ」るという好意的な意見がある一方で、何に「はっ」としたのかについては見解が分かれた。「朱」と「琥珀」の取り合わせなのか、「甘酢」が「おかわり自由」だと思ってしまったのか、「甘酢」があったことそのものなのか。

月が今どこにあるのかすぐ当てるきみの前世はかぐや姫かも 有田里絵

「月」の在り処をすぐに当ててしまう相手と「かぐや姫」が一致したときに「はっ」としたのだろう。ほほえましさや視点のおもしろさを感じる参加者が多かった一方で、展開がベタではないかという意見もあった。男性が女性に対して詠んだ歌とも読めたが、作者名が分かると親が娘を詠っているとも読める。

ぼんやりと児に乳ふくませてゐるうちに雪は里にも降りてしまひき 文屋亮

今回の兼題の部で最も得票した一首。「降り積もる時間の流れが、雪のしずかな風情と呼応してとてもいい歌だと思います。気付いたら真っ白になっていた、という雪の特徴が、気付いたら大きくなっていた、と思わされる赤ちゃんをも表しているようです」との評がこの一首を的確につかんでいる。気付きとははまさに「はっ」である。

同列の短詩同列の人格嵌めたきこころ鋳型の違ひ 兵站戦線

「同列の短詩」は、歌会に並ぶ短歌を指すのか、短歌と俳句の違いを指すのか、読み手によって解釈が分かれた。自分の心を表すための「鋳型」に違いがあることに「はっ」としたのだろう。より広く見れば、短詩だけではなく、音楽、絵画、散文、心の表現方法は様々。なぜ短歌を選んでいるのかがそれぞれに問われているように思う。

朝靄のなかを歩ける我もまた他者から見れば朧ろなる人 雨宮司

「朝靄の中の朧ろなる人々を見て、他者の視点から眺めた自分自身もまた同じく朧なる存在なのだろうと感じた感性が素敵だ」との評の通り、他者を通して自分を振り返る時に「はっ」とさせられる場面には多くの方が共感できるだろう。「現代の人間関係の希薄さ」を指摘した評もあった。

ああそうか彼が怒った事の由 時間の層の向こう側見て ふらみらり

その時には気づかなかった「彼が怒った」理由。時間がたって、「はっ」と気づいたのだろう。時間の経過を「時間の層」と喩えた点に惹かれた参加者が多かった。初句の「ああそうか」に対して、お題に対してストレート過ぎるという意見と、腑に落ちた感じがあり題意にそぐわないという違う角度からの指摘があった。

亡き父と同じ一癖あると知り月も地球もかすかな楕円 鈴木牛後

自分では気づかない癖。自分の癖に気づいただけでも「はっ」とするのに、ましてや父と同じ。「月」と「地球」を自分と亡父に重ねている点に評価がある一方、上の句と下の句のつながりや、「癖」を「楕円」のゆがみに喩えている部分について分かりにくいとの指摘もあった。三句切れにしてはどうかとの意見も。

死のうかとおもったでしょうかこうやって幼いわたしに添寝して母も、昔 冨家弘子

幼子に添い寝をしつつ、自らが子であったときの母子関係をふりかえり「はっ」としている。それが「死のうかとおもったでしょうか」というやや恐怖感を伴う気づきであったため、より「はっ」としたのだろう。結句の字余りについては、より「はっ」とさせられるという好意的な意見と、効果が分からず整理したほうがよいとの意見に分かれた。

蛍とは棲み家を変えるものらしい水の淵から冬の街へと サカイミチカ

イルミネーションを見て蛍のようだと気づき「はっ」とした作者。一首から喚起される映像の美しさを評価した参加者がいる一方で、蛍は雪のたとえともとれる点や、冬と蛍が結びつきにくいとの意見もあった。「水の淵」と「冬の街」が文字上でも韻の面でも見事な対比になっているのは技ありである

なぜ横に座ってくるの見も知らぬおじさんとぼくペアルック 黒路よしひろ

同じ服を着ているおじさんを見て「はっ」。ましてや隣に座る「はぁ……」。これは確かに嫌だという共感を持った参加者が多かった。結句の字足らずについては「いい意味での間抜けさを感じられてほほえましい」との意見と、「結句の字足らずの投げやり感がちょっとひっかかりました」との意見に分かれた。字余り字足らずについて、参加者が共通して効果的との評をすることが少なく、やはり難しい試みであると思う。

日本史のノートに記す名はどれも覚えなければならぬ死人【ルビ:しにびと】 あまねそう

暗記すべき人名がすべて亡くなった人であることに気づいて「はっ」。視点のおもしろさはあるものの、「そういえばそうだ」というところで止まってしまうところも課題であろう。「死人の名を憶えなければならないという圧迫感」や「覚えたくなくなる」との感想もあった。

眼のなかのなまえ舐めたら甘苦いあなただったの 秋を駆けだす 蔦きうい

スウィートでありかつビターでもある恋に気づいて「はっ」としたのだろうか。スウィートなだけではない恋をしてしまうことについての「はっ」かもしれない。解釈が難しいという評が多くあった。「甘酸っぱい夏の恋ではなく、甘苦い大人の恋のはじまりですね。すてき」との好意的な意見もあった。

今回はお題が難しく詠草提出がギリギリになってしまったとの声も複数聞かれた。歌会記をまとめるにあたり参加者のコメントを読み返してみたが、歌を詠む際にはお題と向き合っているものの、読みになると「何にはっとしたのか」という部分の読みが少ないことに気づいた。題意に沿った読み方をするかあくまで一首独立したものとして読むか。題詠の難しさを様々な面で感じた十一月歌会であった。(あまねそう記)

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by kaban-west | 2013-12-07 17:43 | 歌会報告


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