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かばん関西歌会

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2014年 03月 31日

3月歌会報告

かばん関西二〇一四年三月歌会記

参加者
あまねそう、雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有岡真里(購読/飛聲)有田里絵、ガク(ゲスト)、紀水章生(中部短歌会/塔)、黒路よしひろ(ゲスト)、サカイミチカ、佐藤元紀、塩谷風月(シアンの会)、せがわあき(ゲスト)、辻愛由菜(ゲスト)、蔦きうい(玲瓏)、とみいえひろこ、福島直広、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)、兵站戦線(かばん/塔)、山下りん(ゲスト)

今月の兼題は「音」です。ほーら耳を澄ませてごらん、春の足音はすぐそこに…いやいやメンバー増えたのでこんなところに文字数割いている場合ではないのです。ほんじゃあトップはこの方~。

雪融けにさばしる滝の轟きを啼鳥のほか聞くものはなし  雨宮司
詠み継がれてきたクラシックな表現ながら「さばしる」の響きが美しい、日本画を見ているような清らかな調べが高評価を得た。まるで深山に静かに訪れる春の足音が聞こえてくるようだ。

鳴る神の音のとよめる虫出しの風にも著き佐保姫の歌  兵站戦線
「虫出しの春雷が響くなか、春の女神とされる佐保姫の歌が風にのって聴こえてくる」と言う解釈だろうか、理屈抜きに全体の雰囲気が好み、と絶賛された反面、知識は見事だし技巧もあるがそこで止まってはいないか、との意見もあった。春に向かう躍動感ある動きがよく出ている。

傘をうつ雨音だつたふたりして最後に聞いた二月の音は  新井蜜
別れの歌のようで、二月の最後というだけの意味にもとれる。そこに「情景と時間に広がりがあって良い」とか「二人の状況が分からない」等と、意見が分かれた。ふたりしてという表現はさらっとふたりでとした方が好み、との意見もあった。

縦笛の音で還ろう音楽と国語があればよかった頃に  サカイミチカ
縦笛の音がどことなく時間をさかのぼる魔法のようでしみじみとした郷愁がある。手がかりもないのに「国語」はここで必要だっただろうか、結句の「頃」はひらがなにした方がころころと音楽がながれていたでしょう、と言う意見もあった。

カリンバの音【ね】に流さるる冬の鳥 異国の風に身をそがれゆく  紀水章生
カリンバと冬の鳥の組み合わせの意外性が魅力のある一首だ。どこか物悲しいカリンバの音が異国の風のように響いている、その風に誘われながらも、渡り鳥は旅を続けるのだ。

声が聞きたい着信だけが許されたあの日の欠片震わせてみる  山下りん
「あの日の欠片」がせつない、ちょっと気障かなという意見もあった。「初句の衝動に突き動かされる感じがいい、私ももっと若いころに短歌に出逢っていればこんな歌を詠んだだろうか、あのまま突っ走ってもよかったのにな。作者さまはどうぞ突っ走ってください」…誰のコメントかは秘密だ。

秒針が眠れぬ焦りを加速する夜明けが迫る復ただメーデー!  有岡真里
秒針の刻む音で眠れぬ夜のヒリヒリとした焦燥感を表した感性が素敵な一首だ。結句の「復ただメーデー!」の解釈に苦慮する参加者も多かった。「復た」とわざわざ難しい表記にする必要があったのか、やメーデーは遭難信号なのか、労働者の祭典なのか、と言うように意見が分かれた。

ビビンバドンビビンバドンビビンバドンカンカンカン貨物列車だ  福島直広
さあこいつをどう処理するか、自分が歌会記係の時にこんな歌詠むんじゃなかった、と後悔の念に苛まれつつ。破調もここまで徹底するといっそすがすがしい、これはもうオノマトペの勝利、だとか「カン」は四回にした方がおさまりが良かった、やけくそみたいな作り方、目が疲れる、面白いけどわからない。等と評価は二分した。ちなみに五票中、女性陣からは無票だった。

枝先に枯れながらゐる古き葉を切り落とす音響く日溜まり  せがわあき
上句がやや冗長かという意見もあったが、しずかな冬の休日の光景が目に浮かぶ。ぽっかりとした思考の空白、それがしあわせなのだ。枝先に枯れながらも残った葉に視点を持ってきた感性が素敵な一首だ。

午後10時喋り続けた子が夫の帰宅の音にやうやく眠りぬ  文屋亮
「夫」は「つま」と読むのだろうか、女性陣から多くの共感を得た一方で男性陣からは「パパの話はつまんないから、寝るにかぎるわっ」等のちょっと切ないコメントが多かった、日常の平凡なひとコマが上手く切り取られている。時刻を漢数字にして「続けし」にしたらもっとすっきりとしたかも知れない。「夫が帰ってきた、と思うなりいつも眠くなるのはわたしです。」(とみいえ)

八時前確かめてから歩き出す身重の妻の鍵かける音  有田里絵
歩き出すのは主体なのか妻なのか、状況が分かりづらい部分もあるが鍵の音を背中で聞きながら会社へと向かう夫の、身重の妻を気遣う気持ちが素直に表現されている。優しい気持ちになれる歌だ。

ほんとうの愛とは何ぞ今晩のいびきは父のそれに同じで  辻愛由菜
誰のいびきなんだ!という点に様々な意見が交わされた。親子なのか夫婦なのか、もしくは複雑な夫婦間なのか。そして導きだされた結論は「新婚時代はいびきさえ可愛く思えていたのに、年を経るごとに単なる騒音でしかなくなる、愛はすべてに勝るのです。(でも長く続かない)」(ガク)ということだった。

耳鳴りはほこりとほこりがぶつかって騒ぐ音だと教えてくれた  ふらみらり
「誰が?」「そうなのか!」「それで?」「本当か!?」等読み手が思わず反応してしまう楽しい歌だ。単純な歌なようで、教えてくれたのはどんな人なんだろう、と景色の奥を見ると広がっていくようだ。「真っ黒黒すけが耳の中で騒いでいる光景が浮かんできた。(それはそれで困るけれど)」とは再びガク氏。

鈴をつけた靴を履いてる女だろう夜半の小路を遠ざかりゆく  塩谷風月
上句が不思議な世界を醸しだしていて、音だけで外の気配を感じ取ってる状況がうまく表されている。これは好きな女のことを思ってる時に通った猫なんだ、という意見もあった。下句にもうひといき深い描写があればよかったか。

聞ききやと己に逼る衣更着の川風つよきおまへの空音  佐藤元紀
「おまへ」は鳥なのか、妄想の中の異性なのか。「己」と「おまへ」、世界が限定されているのに、歌が読み手のなかで広がっていくのが不思議だ。「聞ききやと」がオノマトペにもとれると言う読みもあった。調べが美しく余韻があるが、少し流れが堅かったか。

ね、春の雨音があるぬばたまのわたしはひとり海鳴りを聴く  とみいえひろこ
「ね、」と誰かに呼びかけるような始まりに皆が魅きこまれた。わたしの中の深い闇の部分に海鳴りが響いていて、孤独感の海中に浮遊しているようだ。それが隠されている魅力なのかも知れない。枕詞であるぬばたまが何にかかっているのかが分からないとの意見もあった。

LED照らす棚ではタラの芽がラップ透かして春を奏でる  ガク
タラの芽の芽吹きを春の音として捉えた感性が素敵だ。リズミカルで躍動感のある表現に
春の訪れの喜びが感じられる。結句の「春を奏でる」がやや月並みだったか。

一呼吸おいて鳴り出すオルガンのように歩めり京島の春  あまねそう
「一呼吸おいて」の比喩がとても良い、や四句目までの表現にしびれた等、高評価が集まった。かばん関西は多くは関西在住なので京島にあまりピンとこない参加者も多いなか、兼題の部最高得票歌となった。

自由詠の部も一部紹介したかったのですが、今月も大盛況のため割愛します。完全ノーカット版で読みたい方は是非メーリングリストへ。

福島直広:記

by kaban-west | 2014-03-31 23:58 | 歌会報告


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