2014年 06月 05日

5月歌会報告

かばん関西定例、ML歌会の報告記。
今回のお題は「魚」です。
ノリノリの鰹節から仏足石の双魚まで、かばん関西らしいさまざまな「魚」の歌をお楽しみください。

参加者は下記のとおりです。〈参加者〉17名
雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有岡真里(飛聲/購読)、有田里絵、ガク(ゲスト)、紀水章生(中部短歌会/塔)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、十谷あとり(日月)、せがわあき(ゲスト・詠草のみ)、蔦きうい(玲瓏)、とみいえひろこ、福島直広、ふらみらり、兵站戦線(かばん/塔)、茉莉(ゲスト)、三澤達世
※所属記載の無い方は「かばん」正会員。


■ おはなはんノリノリの熱いステージ弾けるソース舞う鰹節 福島直広
「おはなはん」は関西風の簡単お好み焼セットのこと。
熱い鉄板を熱気に満ちたステージに見立てた点が上手い、具材を擬音に掛けたりロック調に擬人化した詠い口が面白いなどの好評価があった反面、リズムの乱れへの指摘や助詞などを一音分補って読みたいとの意見も。
NHKのテレビ小説の主人公おはなはんをも連想させてくれて、そのギャップも面白い一首に仕上がっているように思う。


■ 漁港のある町のさみしい一章を読み終え席に着けば五月雨 とみいえひろこ
小説の一章を読み終えてのちの喫茶店での静かな時間が読み手の想像を広げてくれる一首。
「さみしい一章」がそのまま読み手の中で主体の心象と重なり、五月雨の寂しげな雰囲気とも相まって高評価に繋がったようだ。
いっぽうで情報量の多さが歌を複雑にしてしまっているとの指摘や、読み終えたのちに席に着くという動作の解釈に迷う意見も少なからずあり、雰囲気で押し切るのみならず細部を詰めることの大切さが課題として残ったように感じた。


■ 悩みなど無き顔【かんばせ】よ虎河豚の顎は割合しっかりしており 茉莉
虎河豚の顎という目のつけどころが秀逸で、あのふてぶてしく見える表情が眼前に浮かんでくる様な一首だ。
かんばせ、という読みには新鮮さを感じるとする意見があった一方、他の言葉の日常的感覚から目立って浮いている、ものものしすぎる、などの意見もあり評価が分かれた。
また、虎河豚の顎は割合どころか不用意に指を持っていくと噛み切られてしまうとの意見も多く、感覚と経験による知識の差異が歌の世界に与える影響についても考えさせられた。


■ 子のいない僕の頭上に鯉のぼり泳げよ向かい風の世界で 黒路よしひろ
向かい風の世界に送り出して手元を離れてしまった子を思っているとの読みや、鯉幟のお腹の空洞をこどもにも何にもしばられない自由の風が吹き抜けてゆくと読む者など、読み手の立場や性別の違いなどによって様々な解釈が広がり結果的には高評価につながる歌となった。
反面、世間の逆風のような一般的概念と重ねあわせることの喩としての安易さを指摘する意見もあり、その意味で詠んだ作者としてはまだまだ精進が必要なようだ。


■ 五本目のモンラシェを抜く夏空をゆたにたゆたにゆく鯨雲 佐藤元紀
「モンラシェ」はフランス産の白ワインの銘柄の一つ。
真昼に五本も栓を抜くとはただ事ではないが、単なる昼酒礼賛ではなく豊かな時間、のんびりした気持ちが感じられるとの評価で多くの得票につながった。
「ゆたにたゆたに」のオノマトペは鯨雲とワインに酔った感覚の両方を示していて上手いとする意見やリズムと音ののびやかさを評価する意見が多かったが、いっぽうでわかりにくさや読みにくさへの指摘も。また、鯨は魚でないとのもっともな指摘もあった。


■ 宿縁の白き鯨よ聖域の「時」に喰はれて縦【よ】しと為【す】るのか 兵站戦線
この歌もまた魚でなく鯨を詠ったものだが、あるいは魚偏をお題の魚と解釈してのものか。
ハーマン・メルヴィルの長編小説「白鯨」を連想した者が多かったが、日本の調査捕鯨の禁止などの時事に結びつけて読む意見のほか、決着をつけることのできない鯨と人間双方に寿命という時の捕食者が迫っている様子が詠われているのでは、との読みもあった。
下の句に関しては漢字に凝った割に効果が出ていないなど、表現に乗り切れないとの意見も。


■ わたつみの底つ岩根にへばりつく鮟鱇のごと闇と語りぬ ガク
孤独の暗闇の中で闇と語り合う自身の姿を、海底の鮟鱇(あんこう)にたとえた比喩の暗さが魅力的な一首。
「へばりつく」という言葉の的確さへの評価、時間の流れや奥行きがしみてくるとの感想もあり、闇と語り合う鮟鱇に読み手も自身の姿をも重ね合わせるなどおおむね好評な比喩となったようだ。いっぽうで、直喩を暗喩に替えるとより深みが出るのではとの意見や、真の闇に日常でであうことはまずないとの体験談から結句に馴染めないとする意見もあった。


■ 太陽の温みを残す仏足石の双魚と足の裏を合わせる 三澤達世
この歌の仏足石は蕨市の三学院のものらしいが、日本では他にも一部のお寺で仏足石に足を合わせると健康や交通安全にご利益があるらしい。
「太陽の温みを残す」という表現が読み手の足の裏にもあたたかい感触を与えてくれて、リアリティや臨場感を伝えてくれる歌に仕上がっている。
いわゆる中七の歌だが歯切れのよい音のために調べが大きく崩れずに済んでいるとの意見があった一方で、後半のリズムがすんなり流れていないと惜しむ声も。


■ 逃げ水を音も立てずに跳ねていく魚の鱗を失くしてしまう 雨宮司
「逃げ水」は蜃気楼のこと。何か大切なものを失った心象風景だろうか。
蜃気楼の中を跳ねていく魚とは不思議な光景だが、おそらくは魚も鱗もみな幻なのだろう。
その幻想的な表現とアイテムの取り合わせの美しさで高得票に繋がった一首だ。
いっぽうで「音も立てずに」の「も」が無理に劇性を喚起させようとしているような気がするとの指摘や、感覚に惹かれながらも実感がいまひとつついてこないとの意見もあった。


■ にじいろのうろこで君を釣れるなら次は魚に生まれてもいい 有田里絵
童話「にじいろのさかな」をモチーフにした一首だろうか。
南洋の色鮮やかな魚を連想させてくれる美しいイメージの歌に仕上がっているが、この鱗は実際の魚の鱗でなくあるいは「にじいろのうろこ」を人としての魅力に譬えた意味との解釈も。
魚が人を釣る(特定の場所に呼び寄せる)という逆転の発想を評価する意見があった一方で、その矛盾にどうしても引っかかってしまうとの意見も多かった。
また、君を釣るには「にじいろのうろこ」が必要だと信じている主体に、ありのままの自分をさらけだして「横にいる」感覚のほうが大切だとのアドバイスもあった。


■ うを あくた ふね まなかひにたどりつつ川はいつでも仰向いてゐる 十谷あとり
ひらがな書きや、間隔の空けかたなど前衛的な上の句と、川を擬人化した下の句との取り合わせが効果的に働いて高得票を得た一首。
川の主=神の視点で詠まれたスケールの大きな歌との読みがあった一方で、主体を男性、「川」を女性ととった性愛の歌との読みも少なからずあった。
また、川辺に棲む身にはこの歌は直に響いてくるとの感想もあり、川という存在が人間の内面をも映し出す鏡の役割を果たしていることをあらためて感じさせてくれる一首となった。


■ お覚悟を今宵紅さし攻め入ります麦酒と鱧のおとしをもちて 有岡真里
読み手に壇蜜や藤あや子を連想させた積極性が魅力の艶歌。
「鱧のおとし」とは湯引きのことらしい。
粋でいなせな女性の大胆な行動や一語一語の緊迫感を評価する意見が多かった一方で、「お覚悟を」「入ります」が濃厚すぎて歌としては逆に格を落としてしまったかも知れないとの意見も。全体としては初句からの楽しげな雰囲気を好意的に受け入れた票が多く集まった一首だ。


■ 白魚のあなたのゆびがからみつく生まれるまへのわたしの首に 新井蜜
魚としての前世を想像しての一首だろうか。
前世からの二人の結びつきを感じるとの読みがあった一方で、くびにゆびがからみつくという表現から殺められそうな恐ろしさを感じる参加者も多く、安珍清姫を連想する者もいた。
また、白魚を精子、わたしを卵子として読み、卵管で出逢ったふたりがやがてほんとうのわたしになるときのせつない思い出を歌にして残したのだとの想像を広げる者もいて、固定したイメージを与えないからこその歌の広がりを見せてくれる一首となった。


■ 鮮血の噴き出す傷口手でおさえここも私の一部であったと ふらみらり
一見、お題がないようにも思えるが、おそらくは魚をさばいているときに自身の指を切ってしまったとの場面であろうか。
その上で、「鮮」に「魚」が入っているというのも狙ってのことか。
いっぽうで自傷(リストカット)の意味ととらえる参加者も多く、怪我をすることで身体の一部に対する認識がクローズアップされる感覚を主題としているとの読みもあり、さまざまな解釈が出来る歌を前にしたときに読み手の中の隠された心理が表面化する面白さも感じさせてくれた。


■ 沈黙にとらへられたる魚はいま冷えたからだを重ねて沈む 紀水章生
漁獲直後に氷水に入れられた魚だろうか。仮死状態を「沈黙にとらへられたる」とした表現が秀逸で安定感のある表現力を評価する者も多かった。
反面、「沈」の重なりが瑕疵になっている、ひとつひとつの言葉のイメージが着きすぎているとの意見も。
また、この魚は身体を重ね合う男女の比喩であり作者自身を魚に譬えているのでは、との読みもいくつかあり、性愛と殺して食べることへの相反する気持ちが詠われていると読む参加者もいた。


■ みずいろのまぶたの義姉がこのむのは性交のあと鮃煮る朝 蔦きうい
今月のエロス歌担当、蔦氏の力作。
三十一文字だけの世界に無制限に物語りが出来てしまう短歌の魅力を再発見させてくれる一首となった。
。暮らしの中のエロス、エロスの中の暮らし。そんな直接的な表現で読み手を楽しませてくれるお手並みが見事だ。
いっぽうで「性交のあと鮃煮る」などのあからさまな作為への指摘もあったが、まあ、この歌はすべてが作意と知りつつ楽しむ類のものなのだろう。


引き続き、自由詠からも一首紹介しておきます。
[自由詠の部]

■ ちょっと待てやめとけなんて未来から私が来たことなど一度もない せがわあき
猫型ロボットの登場する某漫画を連想させてくれて、否定することで逆にありえない世界を想像させてくれる手法が面白い一首。
いっぽうでその時その時の自分を信じるだけという強い意思を読み取る者や、迷っている作者自身への応援歌としてのメッセージ性を強く感じた参加者もいた。
後悔そのものを吐露するのではなく、「未来の私」を援用した一歩引いたぼやきが楽しいとの意見もあり、作者の表現したかった思いはしっかりと読み手に伝わったのではないだろうか。


以上、かばん関西ML五月歌会記でした。
かばん関西では関西在住者にかかわらず、広く参加者を募集しています。
短歌仲間との交流の場を求める方、自身の歌を世に問いたい方などいらっしゃいましたら、ML担当係までお気軽にご連絡ください。
いま、かばん関西があつい!

(黒路よしひろ:記)
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by kaban-west | 2014-06-05 23:35 | 歌会報告


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