かばん関西歌会

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2015年 05月 10日

4月歌会報告

かばん関西 二〇一五年四月オンライン歌会記

[参加者]あまねそう、雨宮司、新井蜜(かばん、塔)、有岡真里(ゲスト)、有田里絵、岩井曜、岩崎陸(購読)、小野田光、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、蔦きうい(玲瓏)、とみいえひろこ、ぱん子(ゲスト)、福島直広、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)、兵站戦線(かばん、塔)

今月のお題は「雨」。
歌会係の塩谷氏の提案により、正選だけでなく、逆選をも取り入れたかばん関西初の今回の試み。
逆選を文字通りのマイナス票とした者。
正選とは別の魅力を感じた歌に投票した者。
歌詠みという名の気の弱き者たちに強いられた逆選という名の緊張感が、如何なる結果を世に生み落としたのか…
以下、かばん関西に降った四月の雨の記録をお楽しみください。

兼題の部「雨」より
■なめまわす春の雨かと午前五時をんなの為すがままに冷えゆく  兵站戦線

良くも悪くも「なめまわす」のインパクトが読み手を引きつけた一首。
ここは女が実際に男の身体をなめまわすエロスと取った解釈が多かったが、歌会を終えて冷静に読むならあるいは素直に春の雨の描写と読むべきであったのかも知れない。
また「なめまわす」は旧仮名なら「なめまはす」では、との指摘もあった。
正選の票のみでコメントのなかった十谷、岩井の女性二氏が、どのような意図でこの歌を評価したのかも個人的には興味のあるところだ。


■真っ白に濁りゆきたし春が雨をどんどんどんどん降らせ来る ついに  とみいえひろこ

清明な自分を否定してみたいとの思いの歌か。
あるいは世の中から隠れたい、自分を晒したくないとの意味では、と解釈をする者もいた。
また、右の歌との並びで配信されたこともあって性愛の歌ではないかとの読む者もおり、それぞれの解釈で好意的な票が集まった一首だ。
一方で、「真っ白」と「濁る」の相反する詩の言葉に上手く乗り切れないとの逆選もあり、歌意を曖昧にしたことによる掴み所のなさが好みを分けた一首ともなった。


■ふたりしてあの日あのとき来たやうに雨に潤んだ森へ帰らう  新井蜜

押しつけがましくない優しさと表記のバランスを評価する意見など、森という存在の包容力に惹かれる票が多く集まった一首。
アダムとイヴの物語を連想し、原始の世界に思いを馳せる者もいた。
一方で、「雨に潤んだ森」の詩的さを認めながらもそこに至までの高揚感の欠如を指摘する意見や、「あの日あのとき」の定番的すぎる表現に推敲の余地を感じる者も少なからずいた。


■車窓へとこぼれかかった雨水はふるふる蠕動【ぜんどう】しつつ流れる  雨宮司

走る車の車窓の雨粒に子供のころの記憶を蘇らせた者が何人か居た。
まさにあれは「ふるふる蠕動しつつ流れる」としか言いようがない、との手放しの正選があった一方、逆選としては、発見の歌でありながら発見の妙に至っているかを疑問視する意見も。
総評としては、鑑賞力を評価しながらもそこから何が立ち上がってくるのかが見えないとの疑問を感じた者が多かったようだ。


■パリに降る雨も変わらぬ音だろう目を閉じたまま今を忘れる  あまねそう

「変わらぬ雨」でなく「変わらぬ音」とした聴覚への集中を評価する票。
オシャンティ(若者言葉でおしゃれの意らしい)を感じさせてくれるなどの正選を多数得たあまね氏の作。
ただ、恋人がパリにいるのか?などの想像を膨らませる評があった一方で、実際にはパリに行ったことがないと感じさせる唐突さを指摘する逆選もあった。
個人的にはなぜこの歌の評の時だけ雨宮氏が甘えた言葉遣いになったのかが最大の謎として残った一首だ。


■積乱雲ぬけたあたりに縹渺と消えた邑あり嫁ヶ渕てふ  蔦きうい

「邑」は「ゆう」と読んだものが多かったが、これは「むら」で文字通り村のことらしい。
実景とも虚構とも取れる表現に惹かれる票が多く集まった。
物語を秘めているような地名。視点の変化と物語の始まりを感じさせてくれる高揚感など、ショートムービー的な魅力の一首だとの評も。
歌会後の自註によると、道路標識の「嫁ヶ渕」との地名から想像が広がり、嫁が次々に身投げして人がいなくなり集落が消えてしまったのだ、との作者の妄想が生んだ一首だったらしい。


■わたくしの一言がをさなごを曇らせてたちまちに雨ざあざあの家  文屋亮

雨が屋根に降るのではなく家の中で土砂降りになっている構成のおもしろさを評価する者。
「雨ざあざあ」でありながらむしろそこに楽しさを感じたとする者など、それぞれの解釈の評が集まった。
二句目の字余りについてはおさなごを曇らせた「一言」の強調として活きているとの意見があった一方で、下の句のリズムがよいためにかえって上の句の破調が気になるとの意見も。
「曇らせてたちまちに雨ざあざあ」の過剰な比喩表現への指摘もあり、一人の感性ではたどり着けない読みの世界を見せてくれる歌会の魅力をあらためて感じさせてくれる一首でもあった。


■ふたりきりステンドグラスの折々の花と日照雨【そばえ】の祝福を受く  有岡真里

ステンドグラスと日照雨(狐の嫁入り)、祝福などの言葉から、教会でのふたりきりの結婚式を想像した正票の集まった一首。
一方で穏やかな老夫婦の日常を連想する者もいて、意図的に曖昧にした表現ゆえの歌の広がりを感じさせてもくれた。
この手の曖昧な表現の歌は独りよがりに終わってしまうことも多いが、この歌ではおおむね成功しているとの好意的な評価を得たようだ。


■ひとつかみの春雨を湯へ 箸先に透きとほれかしわが恚【ふつく】みも  十谷あとり

「恚み」という言葉にであえたことの喜びを感じたなど、日常から詩が生まれる瞬間を評価する意見が多く、正票の高得点を獲得した一首。
透明できれいな春雨を食べれば我が身も浄化されるだろうとの願望。
「箸先に」という表現に何か祈りも込められているように感じた者もいて、作者の思いはほぼ読み手に正確に伝わったようだ。
一方で「恚み」という言葉についてはそこだけ浮いてしまってもったいないと感じた者もいて、「恚【いか】り」のほうがよかったのではとの指摘も。


■傘をさす君を初めて見られそう雨予報さえ喜ぶ娘  有田里絵

「君」=「娘」との解釈で親のあたたかな視点を評価する意見が集まった一首。
傘デビューのわくわく感が可愛らしいなど、その素直な喜びが胸に響いてくるとの共感も多かった。
しかし作者のほんとうの歌意は、「君」=「彼」で幼い子供の淡い恋心を詠ったものだったようだ。
実際に幼い子を持つ母親や、かばん関西最年少の杉田氏にはにそんな正確な歌の意味を読み取れていたようで、今時の子供(若者)と遙か遠き日に子供だった者たちの間のジェネレーションギャップを感じさせてくれた一首だ。


■久しぶり傘を持って出かけたなもう雨には濡れたくないんだ  ふらみらり

二句目の字足らずに作者の心の内が表れているとの共感があった一方で、字足らずが印象をぼかしてしまっているとの評も。
どちらの意見でも「雨」が実際の雨だけでなく主体の心情や世相を象徴しているのでは、との読みでは共通していた。
また直前の黒門市場吟行で詠まれた塩谷氏の「濡れながら歩くのは誰のせいでもなくて傘が嫌いなだけ本当に」を連想する者もいて、先入観が歌の読みに与える影響についても考えさせられた。


■ぐしよぬれの影さらしつつ雨音の白の向かふへあくがれてゆく  佐藤元紀

雨音を色で白と表現した感性を評価する正票の集まった一首。
一方で白は雨に煙る町の表現と取る解釈もあり、観念的な内容ゆえの読みの広がりも見せた。
牧水の「けふもまたこころの鉦をうち鳴らし鳴らしつつあくがれて行く」を連想するものもいて、希望をもとめてさすらう主体の姿に共感する参加者が多かったようだ。
また「向かふ」は名詞であるなら旧かなは「向かう」では、との指摘もあり、逆選としては「雨音の白の向こう」という表現の解りにくさを指摘する意見もあった。


■束の間を知らず咲き零れる花を冷たく照らす四月の雨は  福島直広

「束の間を知らず」の回りくどい表現に戸惑う者の多かった歌だが、一方で、花が束の間を知っていたならもっと控え目に咲くのだろうか、との共感もあり読み手の心の中に強い何かを残す一首となったようだ。
「知らず咲き零・れる花を」の句またがりのリズムの心地よさへの評価。
動詞の多さとその方向性の違いが視点をぼやけさせてしまっている、との指摘などもあり、それぞれの感性での評が分かれた一首だ。


■哀しみを潤すように雨は降りきみを見下ろす異教徒の像  黒路よしひろ

作者の立ち位置を曖昧にしたために読み解きの難しい歌になっているとの評価が多かった一首。
「異教徒の像」は異教徒の神の像、あるいは異教徒が作りし像の意味であったがやはり表現が性急すぎたようだ。
神に意志を作り出すのは人間の側であり、神そのものはただそこに存在しているだけであることを表現したかった作者としては、歌会の中でそれぞれの読み手がこの歌からどのような神の意志を作り出すのかを知りたかったのだ。


■細やかなみず落ちきたり飛び跳ねて潤ほつてゐるわたくしたちは  岩崎陸

全生命や非生命さえも内包するような「わたくしたち」という言葉のくくりの広さに惹かれる票が多く集まった一首。
「潤ほつてゐるわたくしたち」という捉え方、雨を肯定的に捉えている姿勢にも共感を呼んだようだ。
一方で「飛び跳ねて」が水の動作なのかわたくしたちの動作なのかが解らないと指摘する意見もあり、主語を曖昧にすることの是非が分かれた一首でもあった。
また、「みず」の旧仮名は「みづ」では、との指摘も。


■半端ない修羅場のシーンが用意されたのに五月雨 豪雨がこない  小野田光

修羅場に五月雨であることの物足りなさを詠ったユニークさを評価する者がいた一方、「半端ない」という言葉を短歌に使うことの抵抗を感じた者との間で評価の分かれた一首。
上の句の説明がまったく為されないことへの疑問を感じる者もいたが、それ故に時代劇の撮影や恋愛の修羅場などさまざまな想像が広がったこともたしかなようだ。
句またがりについても不自然さを感じる者がいた一方で、「たのに五月雨」の音感を評価する意見もあり、それぞれの感じ方に学ぶところも多かったのではないだろうか。


■戯れても抱きしめていても落ちていく雨を見送る風のさびしさ  塩谷風月

横に吹く風と縦に落ちる雨。そこに風と雨の交差を見、さびしさを見た作者の感性を評価する者。
自由に生きている人間が、下へしか落ちようとしない人間を見守るせつなさを詠った歌と読む者など、それぞれの解釈を持って多くの正票を獲得した一首。
一方で、雰囲気が可視化してしまっている感があるとの意見や、「さびしさ」という言葉を使わずに「さびしさ」を表現して欲しかったとの意見もあり、読み手の側の感性の多様性にも気づかされた一首だ。


■現在地わからないねと地図の前ささやく声がもれる雨傘  岩井曜

一瞬の決定的瞬間を切り取った写真のような見事なスケッチ描写。
ただ雨が降っている中を傘をさして地図を見ているだけの二人を詠ったものだが、その雰囲気がよいとの共感の票を多く集めた最高得点歌。
顔が見えず声だけが聞こえる雨の日の情景に着目した作者の感性を評価する意見も多かった。
一方で、場面そのままを詠っただけのように思えるなど、短歌としての淡泊さを指摘する意見もあり、手放しでほめるだけでは終わらない歌会の醍醐味を見た。


ここまで、兼題「雨」に集まった短歌の紹介でした。
以下に自由詠の高得点歌も一部紹介しておきます。
■わたげでもとんでったかな気懸りがあちこち雑草みたいに生える  小野田光
■しやべれないけどまう歌ふのね恒星も波長で歌ふといふ噂だし  文屋亮
■くちびるの皺をなぞればゆく春の空におまへがちりばめられて  佐藤元紀
■名を知らぬ黄色い鳥たち集い来てブルーベリーを食い尽くし去る  ふらみらり
■この場所で人を傷つけたのでしょう桜の幹が膨らんでるわ  岩井曜
■切ないほどお腹が空いてああ早くカツ丼と両想いになりたい  杉田抱僕
■海を見る眼差しはみな美しく祈りのように何かを許す  あまねそう

以上、かばん関西四月雨の歌会記でした。
かばん関西では関西在住者に限らず広く参加者を募集しています。
興味のある方は、ML係までお気軽にご連絡ください。

(記:黒路よしひろ)
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by kaban-west | 2015-05-10 23:58 | 歌会報告


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