かばん関西歌会

kabanwest.exblog.jp
ブログトップ
2017年 02月 03日

1月歌会報告

かばん関西二〇一七年一月オンライン歌会記

【参加者】
雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、泳二(ゲスト)、戎居莉恵、ガク(購読)、河野瑤、黒路よしひろ(ゲスト)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、東湖悠(ゲスト)、とみいえひろこ、ふらみらり、ミカヅキカゲリ
*表記なしはかばん正会員。複数所属の場合は()内に斜線で区切って記載した。

蝋梅の花香る新春最初のかばん関西オンライン歌会。
歌会係の雀來豆氏によって提示されたお題は「調味料」。
普段料理をする者、そうでない者、そんなかばん関西の歌詠みたちが厳選した調味料によって調理された短歌の一品を、ぜひご賞味あれ。

■ 骨付きの鶏もも肉にローズマリー一枝添えてオーブンへ入れる  雨宮司
まずは、雨宮氏による調理の過程そのままを詠んだ、あっさりした味付けの一首。
「淡々と結句まで読み切ることの、言わば正しいエネルギーを感じさせてくれる」、「この歌のあとにもう一首続くような雰囲気もあって、その一首を読んでみたい」などの好意的な評があった一方で、「何か一点おかしみやかなしみのようなスパイスが欲しかった」との意見も寄せられた。
全体としてはそのまますぎる印象への物足りなさを指摘する意見が多かったように思うが、「殆どの句を贅沢に使って描写された料理の様子がなんだか仕合せ色な感じ」との評が当てはまる一首と言えるのではないだろうか。

■ ゆずすこを所詮酢入りってだけの柚子胡椒だと嗤われつつ買う  ミカヅキカゲリ
「ゆずすこ」は今話題の新感覚ゆずこしょうソースのことらしい。
ほとんどの参加者がこの歌によってその存在をはじめて知ったようだが、説明がなくともこの歌自体がその解説になっていて、それでいながら説明っぽさを感じさせない作風への好意的な評が集まった。
また、この歌を読んで実際に「早速通販で購入し、摩訶不思議な風味の虜になっている」との参加者も。
一方で、「嗤」という漢字を使ったことに対しては、「強烈な悪意のインパクトを読者に与えることを意図しているのだとしたら、嫌味が過ぎる」との評も。
他にも「嗤」の文字への戸惑いの意見は多かったものの、「じわっと効いてくるおかしさ、二句から三句のつながり、結句のおさめ方、など歌のつくりが巧み」な作品であるように思う。

■ どこまでもさざなみ団地の光あるおおつごもりに醤油たらしぬ  とみいえひろこ
団地という巨大な建造物群からそのなかの非常に小さな部屋の、食事という非常に卑近な行為に視点がズームインしていく、とみいえ氏による魅力の一首。
二句目は「さざなみ」で切れるのか、あるいは「さざなみ団地」との団地の名なのか判断に迷う意見が多かったが、「同じ形の建物が並んでいる様子をさざなみと表現している」、「窓から漏れる光がさざなみのように見える」などの解釈が正解に近いか。
「おおつごもり(大晦日)と醤油の関係性が見えない」ことへの指摘も少なからずあったが、「今年も無事終わった、としみじみ思いながら食卓に向かう光景が目に浮かぶ」などの好意的な票が多く集まった一首だ。

■ 手に余る箱いっぱいの調味料君が残した醤油は重い  東湖 悠
「料理好きだった恋人と別れてしまって、彼(彼女)が買ってきた調味料だけが家に残っている」との状況だろうか。
「昔の自分の失恋を思い出した」などの共感の評が多かった一方で、「手に余る」と「箱いっぱい」など、意味の言い換えになっているところをすっきりさせたほうがもっと存在感の強い歌になるとの指摘も。
「重み」でなく「重い」とした表現の切迫感、「リアルすぎるほどリアルで、重すぎるほど」の結句に、もしこれが「醤油」ではなく「胎児」とか「罪」とかだったら……との想像を広げる参加者もいて、言葉が持つ力の重みをあらためて感じさせてくれる一首のようにも感じた。

■ みづうみも豚と短歌もいぎたなし胡椒をたんと闇鍋に振れ  足田久夢
全体的にポップでコミカルな印象で、それを楽しむ歌と言えるだろうか。
「なんとなく感覚が先に伝わってくる、強いねばりのある歌」との好意的な評があった反面、「みづうみと豚と短歌の関連性がわからない。異物衝突の面白さという感じでもない。」との意見も。
「いぎたない」は、みっともない寝相や、だらだらと寝て起きないという寝る行為へのネガティブな表現だが、「そういう怠惰なものを打ち破るために胡椒を振ってすべてを目覚めさせるのだろうか」との考察などもあった。
そんな「みずうみ」、「豚」、「短歌」、のセレクトの意味が参加者を悩ませた一首だが、みづうみを闇鍋のことと解釈するなら、「まさに、世界には、いぎたない事象が一杯に詰め込まれているのである」との評にも共感できる。

■ まよなかの海に墓石を棄ててゆくようにふたりで刺身をつまむ  土井礼一郎
こちらの歌もまた意表を突く喩えで参加者を迷わせた一首だが、「調味料」のお題で詠まれた歌であるなら「真夜中の海が醤油、墓石が刺身(マグロ)」との解釈が正解か。
「食事の風景をこんなふうに詠めるなんて!」との驚きや、「ことばの選択の仕方によってこれだけのつましさが出せるところに巧さを感じた」との好意的な評が多く集まった。
また、「語られすぎていないところ、刺身の生々しさが余韻を醸す」との意見もあり、選外とした者たちにもおおむね好評な歌だったように思う。
そんな、比喩の難解さによってさまざまの解釈の生まれた歌だが、それぞれの意見を集めることで一人の「読み」ではたどり着けなかった正解へと近づいていける歌会の醍醐味を感じさせられた一首でもあった。

■ 醤油瓶ながしの下で冷えてゆき新月の音聞き分けている  ふらみらり
「新月の音」という本来聞こえるはずのないものを詠って読み手を惹きつけた、ふらみ氏の高得点歌。
「しんとした静寂を詠んでいながら、そこに音という単語を持ってくるのが逆説的でいい」、「醤油瓶の気持ちになって見ることのできない月を音で感じ取ることができるなら、孤独ではない」などの好意的な評が集まった。
「ながし」の平仮名表記については「流し」でもよいとの意見や、平仮名にすることでわたしたちが知っている「流し」とは別物のようなひやりとしたこわさがある、との見解もあり意見が分かれた。
また、上の句については「冷えてゆき」と時間を流すのではなく冷えた今を切り取った方が歌が冴えると思う」との指摘もあった。

■ 蝶と名のる少女と逢ひぬ夕映えの熱塩駅の駅舎の跡で  新井蜜
熱塩(あつしお)駅は、旧国鉄日中線の駅で、廃線後は改修されて記念館として保存されているそうだ。
そんな駅舎の跡での少女との邂逅を詠った一首だが、日本映画のような独特の世界観の静かな魅力でこの歌もまた多くの票を集めた。
「物語のプロローグのような内容に、本篇を読みたくなるが、無い方がいいのかも」との感想や、「いかにも物語が始まっていきそうな思わせぶりさが好き」など、ここから始まって行く展開への想像が読み手を惹きつけたようだ。
一方で、少女が「蝶」と名乗るなどの明らかに作られた物語性への抵抗を感じる意見もあった。

■ きっとみなバルサミコ酢が家にある女子の履いてるヒールの高さ  岩井曜
「女子あるある」的な視点で、男女問わず参加者の共感を得た岩井氏の高得点歌。
「バルサミコ酢という具体的だけれど少し的外れな感じ(現実的に無いだろ、という気持ちと、そもそもバルサミコ酢は少し古くないのか? という気持ち)にリアルさを感じる」など、「バルサ
ミコ酢」のチョイスの秀逸さを評価する意見が多かった。
一方で、「履いて(い)る」の「い」の省略が、口語に寄りすぎて気になるとの指摘もあり、手放しで褒めるだけでない、かばん関西の歌会の魅力もそこに感じた。

■ 永遠をスプリンクラーが塩田に虹を撒くのを眺めつづける  雀來豆
「眺めつづける」対象が「塩田に虹を撒く」スプリンクラーと「永遠」。
そんな意図的な文脈の構成の乱暴さに評価の分かれた一首だが、そこも含めてスプリンクラーが作り出す虹に「永遠」を見つけた作者の感性を評価する意見が集まった。
この歌のなかではモノのほうが見る主体より意志の持ち方が強いように思う」、「製塩の現場では見慣れた光景なのかもしれないが、なんだかやたらと爽快だ」などの好意的な評に対して、選外とした意見はその屈折した表現に対するものであったのもこの歌の特徴をよく表しているだろう。

■ 雑踏の隙間に満ちる寂しさにソースの香り絡みつく夜  ガク
繁華街の夜の、都会の人がたくさんいる中での孤独感をソースを通して表した魅力の一首。
「日常の中での次善の幸福というか、ダメな中での救いというか、そういうものを感じた」など、「雑踏の隙間に満ちる寂しさ」という表現の的確さと着眼点の面白さを評価する意見があった一方、「ソースの香り」が夜に絡みつくと云う表現に少し常套句的なのを感じるとの意見も出た。
ソースを詠ったのは関西の歌会ゆえか、そのソースで孤独を詠む個性が読み手の印象に残った一首のように感じた。

■ 青さゆえ下手なきんぴら食べさせた今ならちゃんと味醂も足せる  戎居莉恵
かつての恋人との思い出を詠った一首だろうか。
味醂(みりん)でスピーディーにそこそこのうまみをそれとなく出せるという、すれた感覚が身に付いたことは、よいことなのか悪いことなのか…
そんな、拙いながらも一生懸命に料理した純情さと、料理が上達することによって失われてしまったかも知れない「何か」を、自身に置き換えて考えされられた参加者もいたようだ。
「下手なきんぴら」も「今ならちゃんと」もリアルで力がある、との好意的な評があった一方で、「青さゆえ」の表現の雑さ、上の句全体の説明っぽさを指摘する意見もあり、味醂の足りないきんぴらの純情さをどう評価するかで意見の分かれた一首だったように思う。

■ 独りだが心配するなと父親は力まかせに調味料ふる  河野瑤
今回初参加の河野氏による一首。
妻に先立たれて一人になってしまった父を心配する子供の図だろうか。
あるいは単身赴任なのかも知れないが、不器用ながらも子に頼らずに自分の力で生きていこう行こうとする父親のがんばりを、料理する姿を通して詠った自然体な詠み口で多くの共感を得た歌だ
一方で、「何の調味料か詠んでほしかった」との意見や、「力まかせに」という言葉だけに寄りかかってしまうのは惜しいとの指摘もあり、勢いだけでは美味しい料理にはならないように短歌にもまたひと捻りの個性を求める意見もあった。

■ 初垂【はつたり】の塩をも漆【ぬ】られ大君【おほきみ】の御食【みけ】となりたり葦蟹【あしがに】我は  黒路よしひろ
万葉集巻十六にある長歌「乞食者の詠」を元にした一首。
自由詠に提出した歌「葦蟹【あしがに】は召されて行きぬ大君【おほきみ】の明日【あした】の御食【みけ】になるとも知らず」と、さらにオフライン歌会の二首(別稿参照)を并て、計四首の一連だが、作者としては長歌「乞食者の詠」の反歌的な歌として詠んだ意図もあった。
ただ、一部の参加者には深い共感を得たものの、繰り返し差し出される葦蟹料理に食べ飽きてしまった参加者もいたかも知れず、その点は申し訳なかったように思う。

■ 砂糖菓子しずかに壊れ気がつけばあなたの町に夕暮れがくる  橘さやか
時間の経過を砂糖菓子に託して詠んだ幻想的な雰囲気が魅力の橘氏の一首。
「砂糖菓子には何とも言えないポエジーがある」、「壊れた砂糖菓子と夕暮れが不思議に照応している」との好意的な評が集まった一方で、逆に「砂糖菓子」のベタさを指摘する意見や、「気がつけば」などの表現の甘さ、わざとらしさが気になるとの意見も出た。
その上で、「さりげなくやがてとりかえしがつかなくなる予感を醸し出している表現の巧みさ」など、詩的な感性によって、選外とした参加者たちにとっても心に残る一首となったようだ。

■ 焼き鮭を何もかけずに食べてみる知らない海に触れてきた皮  有田里絵
「知らない海に触れてきた皮」の発見の秀逸さが群を抜いている有田氏による兼題の最高得点歌。
「素直に食物連鎖の上にいるものから下にいるものへの尊敬、感謝を実感する」、「自分も焼き鮭の皮は食べる派だがそんなことを考えもしなかった」など、着眼点と発想の見事さを評価する意見が相次いだ。
他方では、「上句から下句への想像の飛躍が、ちょっと遠すぎる」との意見や、「上の句の順序立てて詠む表現方法は拙い説明っぽさを感じさせる」との指摘もあったものの、「食べてみる」という行為の神聖で切実な感じがよく出ていて多くの参加者の共感を得たようだ。

■ 入れすぎた砂糖を塩でごまかしたオムレツよりもおいしい笑顔  泳二
四句までをすべて比喩につかわせる「おいしい笑顔」が魅力の一首。
「まっとうにオムレツを作っていたら、笑顔とどちらが美味しかったのだろう」、「料理で砂糖を塩で誤魔化すのは経験上、無理なように思う」との感想もあって、話題が広がった。
また、この「おいしい笑顔」は、オムレツを食べているひとなのか、オムレツを出したひとなのか。あるいは誰にとってのおいしい笑顔なのかと様々な疑問や解釈が出て、読み手を楽しませてくれた一首でもある。
一方で、「おいしい笑顔」にすべてを集約させてぶちっと切るのはちょっと強引すぎるような気分になる、との指摘もあり、もう少し主想をはっきりさせる表現の推敲が必要な歌のようにも感じられた。

■ ぷちぷちと蟻の代わりに味の素つぶせば真昼の悪夢は白い  杉田抱僕
蟻の代わりに味の素をつぶすとの少し狂気じみた背徳感が魅惑の、杉田氏の一首。
味の素をつぶすというふつうに短歌を詠んでいたならありえないくらい細かな視野がおもしろい」、「蟻の代わりに味の素をつぶすなんて考えたことない」との驚きで、参加者の興味を誘った。
「悪夢」については、「味の素をつぶす行為そのものが悪夢」であるとの解釈と、「味の素をつぶす自分の心への恐怖が悪夢」であるとの解釈に分かれたが、そんな解答の見えそうで見えないまぶしいばかりの「何か」の余韻が、なぞなぞのように読む者の心に響く歌となった。

■ ハイミーと味の素を舐めくらべてた昭和四十五年の子供は  塩谷風月
杉田氏の歌と同じく、こちらも味の素を詠ってまたべつの魅力を示した塩谷氏の一首だ。
参加者の中には「ハイミー」を知らない平成生まれもいたが、説明がなくとも味の素に似た製品があったのだろうと解る詠い口も丁寧なように思う。
その上で、「ハイミー」が何であるかを知って読むとシンプルな「昭和四十五年の子供」が俄然生きてくる、との意見もあり、作者の意図とは別に懐かしさと若い世代にとっての目新しさを同時に感じさせてくれる歌ともなったようだ。

ここまで「調味料」のお題で詠まれた十九首の歌の紹介でした。
以下に自由詠の高得点歌も紹介しておきます。

■ 大変な戦争でした中庭にあらゆる歌が埋められました  泳二

■ ひと様にさしだせるようこなごなに砕けちれよと固いわたくし  ふらみらり

■ うんてるでんりんでん雪が降り積もりうんてる舞姫りんでん踊る  杉田抱僕

■ みんな幸せとわかれば年賀状はればれとして翌日捨てる  岩井曜

■ 野良猫が秘密のように舐めている食卓塩の真っ赤なキャップ  雀來豆

以上、二〇一七年一月のかばん関西オンライン歌会記でした。
かばん関西では関西在住者に係わらず広く短歌仲間を募集しています。
興味のある方はぜひML係までご連絡ください。

(黒路よしひろ:記)
[PR]

by kaban-west | 2017-02-03 20:06 | 歌会報告


<< 新春弁天町歌会記      12月歌会記 >>