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2016年 07月 15日

5月歌会報告

かばん関西5月オンライン歌会記

参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、うなはら紅(購読)、泳二(ゲスト)、小野田光、ガク(購読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ぱん子(未来)、ふらみらり、ミカヅキカゲリ、村本希理子

進行役の塩谷風月さんが提示した兼題は「風」。今回は参加者それぞれが正選五首のほか逆選三首をえらぶという形式で進められ、いつもより辛口のコメントも多かった。

港から山の街電車たちにもキスをしてゆく風の唇  うらはら紅
はつなつの風を支ふる柱なれ中央分離帯の欅は  十谷あとり
さびしげな風景見せられ眼球に風受けて出る〈すまいる眼科〉  村本希理子

はじめに街の情景を詠みこむ三首。うらはら紅さんの歌では、まず海から港を通じ「山の街」へと風が吹き抜け、人の住む街中で「キス」をする。「港、山、風、といったら神戸を思います。阪急電車。でも阪急電車のシックな感じよりもっと爽やかな印象」(とみいえ)。「風の唇」といった率直な表現は高評価だったものの、結果としては案外逆選が多く、リズムの乱れ、特に句跨りの効果が不明だとする意見が多かった。二首目。街に吹き寄せた風は大通りに入り、「中央分離帯の欅」に支えられながらさらに進む。この把握の仕方は短歌ならではだろう。「立体としてとらえる発想、分けるものではなく支えるものとしてとらえる発想に新しさを感じた」(岩井)。三首目。街に吹く風はやがて人々の暮らしのそばを巡る、などと書きたいところだが、この歌の、眼球に吹き付けられるという風に対しては「眼圧検査ですね」(小野田)といった指摘が複数あり、なるほど納得。「さびしげな風景」は焦点距離の検査の際に見せられる映像のことだろうか。

春風に君のイヤホン抜け落ちて僕と目が合うはじまりの朝  岩井曜
正座せし汝のあしうらに風とまる五月闇 攫われてしまうの  とみいえひろこ

恋愛感情を描くのがこの二首。風のいたずらに恋の芽生える岩井さんの歌。コメントを見ると高校生の恋愛をイメージしたという方が複数おり、それは「春風」とした効果か。ただ「下の句はベタと言えばベタ」(黒路)、「漫画の一場面のようで『どきどき』に欠ける」(足田)といった意見も。一方のとみいえさんの歌では同じ恋を扱うにしても雰囲気ががらりと変わる。「汝のあしうらに風とまる」というとそれはもうきっと「風」ではなく風に託された視線か感情なのだろうか。四句目、五句目の句跨りを通じ一気に感情が高ぶらせていく。「激しい恋の予感」(足田)、「着物に慣れた女性を想像します」(有田)。

波の上【へ】を跳ぶ兎たち見るのだと髪なびかせて磯に立つきみ  新井蜜
西からの生ぬるい風髪に受け鬱々と浮かぶ妹が横顔  ガク
生ぬるい風にふかれて歩く日のあれは筑波の山だねきっと  橘さやか

一首目は弾け飛ぶ白波に兎のかたちを見出そうとしているのか。風の存在は波とともに「髪なびかせて」で示される。「〈自分にとってのかわいい者〉への目線のやさしさ、敬意を感じさせます」(とみいえ)。好奇心旺盛な年若い女の子の印象か。二首目も髪に風があたるのだが、「西からの生ぬるい風」だという。「妹」は「いも」と読ませ、妻を指しているのではとの指摘多数。一首目には「君」に対する羨望にも似た眼差しがあるが、二首目に見出すのは出口の見えない鬱屈した感情だ。「生ぬるい」は風の温度とともに、ふたりの将来に対する失望の象徴のように読める。偶然にも同じ「生ぬるい風」を詠んだのが橘さんで、しかしこちらは遠くの「筑波の山」を見やりながらのむしろさわやかなやり取りだ。「生ぬるい風の不快感、友達とのとりとめない話、ここではないどこか遠くに行きたい気持ち……そういうものが一体となったノスタルジーを感じます」(岩井)。

足早に歩める我を追い越して風がゆつくりなぶる夏草  泳二
草の原むせぶみどりのこくうすく心にぞしむ風のあけぼの  佐藤元紀
風薫る五月、あなたはこの風のなかにいますか。そのものですか。  杉田抱僕

一首目。「我」を追い越した風は、さらにその存在を裏付けるかのように夏草を揺らす。逆選のコメントは「足早」「追い越して」「ゆっくり」の整合性を問うものだが、「『足早』になっても追い越されてしまう、つよい『風』からの圧倒的な暴力の匂いが恐ろしくていい」(ぱん子)と、このズレを積極的にとらえるむきも。二首目は広い草原。「風の撫でる草の原をみどり色の色彩の変化で表現した」(黒路)。ただ「こくうすく」という色の濃淡が出るのは日中のはずで、「風のあけぼの」とした違和も指摘された。三首目。「『千の風になって』を思い出した」(岩井)というように、これも広々とした空間を吹き抜ける自由な風だが、具体的なモチーフは見あたらない。「短歌というより自由詩の雰囲気」と有田さんも言うとおり、杉田さんの「風」は短歌を心地よく裏切る。

油凪 風のひとつも吹いてくれぼやきながらも餌を取り替える  雨宮司
たまづさの君に恋文かきつばた甘樫池【あまかしのいけ】のそよ風に揺る  黒路よしひろ

一首目。釣りだろうか。「油凪」はあぶらを満たしたようにまったく波の立たない様子。「風のひとつもふいてくれ」との重複を指摘するむきがあるが、とぼけたおもしろさも感じられる。二首目。この歌には雨宮さんが「ずいぶん古典的なレトリックを用いているが、たまにはこういった短歌も必要」とおっしゃる。「たまづさの」は手紙を運ぶ使者であるところの「使」や「妹」、あるいはその届け先の「君」にかかる枕詞として知られる。さらには「恋文書きつ」「かきつばた」と掛けことばを採用。技巧的な上の句から池のほとりのカキツバタが風にそよぐ下の句へ至り、清涼感が強調される。

室内用鯉のぼりセット売られおり泳がなくても子がいればよい  有田里絵
向かい風 おのれの力量ためすごとのしのし歩き叫ぶおさなご  ふらみふらり
誘われて出かけなかった日の暮れに風呂場の猫を洗って遊ぶ  雀來豆

こちらの一首目も、泳がない「室内用鯉のぼり」=風の不在を巧みに用いる。「純粋に子供への愛情が感じられるこの歌は評価されていい」(黒路)。ただ歌の内容は至極真っ当な反面、ひねりがないという指摘も。この歌、鯉のぼりを泳がす庭がなくとも子どもがいる幸せをしみじみと感じているととる方が多かったが、例えば子が欲しいのになかなか授からない夫婦が主体とみれば、あえて正論のみの詠いようにも深みが感じられる。二首目。同様に子どもを詠むが、こちらは向かい風を正面から受け「のしのし歩き叫ぶ」という愚直ともいえる表現が子どもの生命力を強調している。最後の歌は必ずしも子どもが主体ととらえなくてもよいのだが、毎日がとてつもなくゆっくり過ぎていった子ども時代に引き戻されるような不思議な魅力がある。今回、正選はこの歌が最も多かった。「誘われて出かけなかった心残り、そう思いながら日が暮れてしまったさみしさ、後ろめたさ」(泳二)。「風呂場」に兼題の「風」を見出すが、村本さんの「家の中は無風で、出かけていたら会っていたはずの風はここにはない。心のわだかまりが外の風を作中主体にかすかにイメージさせている」との指摘にはなるほどと思う。

(土井礼一郎 記)
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by kaban-west | 2016-07-15 21:03 | 歌会報告
2016年 05月 07日

4月歌会報告

かばん関西四月オンライン歌会記

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年四月
【参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、伊庭日出樹(購読)、うなはら紅(購読)、泳二(ゲスト)、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、酒井真帆(未来)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(ゲスト)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏の會/購読)、とみいえひろこ、福島直広、ふらみらり、ミカヅキカゲリ(計十七名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

今月の歌会は、進行役の十谷あとりさんの提案で、「いちご摘み」という形式を取りました。「いちご摘み」とは、前の歌から任意の一語をもらって、歌を詠み繋げていくというもの。参加者の感想として、「一つの歌から、色々な異なる発想の歌が生まれていくという楽しさを味わうことができた」、「元歌の作者と魂のふれあいができた」という声があったように、連歌の愉しみが味わえる面白い歌会、スリリングな歌会となりました。

歌会参加者は、十七人。詠まれた短歌は、二百八首。この歌会記では、全ての詠草を掲載することはできませんので、次のような形で、一部を紹介することにします。
A.連想の部:「いちご摘み」の連続によって、次々と読み繋がれていった作品の事例
B.異想の部:一つの短歌を基に、異なる作者の異なる発想によって詠まれた作品の事例
C.その他、印象に残った作品

なお、「いちご摘み」の出発点になる最初の歌は、東直子さんの次の歌をお借りしました。
(出典:『かばん』二〇一六年三月号)

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに


以下、四月歌会の詠草を紹介します。

A.連想 (「いちご摘み」の連続によって、次々と読み繋がれていった作品)

A-1.最初に引用するのは、東直子さんの歌を基に詠み繋がれた五首。摘まれた言葉は、順に、「背」→「坂」→「イチモクサン」→「いない」→「桜」。摘まれながら言葉は生き続け、別の歌に詠まれてゆく。幸せな転生というべきか。では、摘まれなかった言葉はどこへ行くのだろう。こちらも、水面下で密かに同じように流れ続けていると考えるのは、ロマンチックに過ぎるだろうか。

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに  東直子
→ 父の背に触れた記憶を探してる桜咲き初む坂をくだりて  塩谷風月
→ いちもくさん黄泉平坂【よもつひらさか】駆け上り桃へと到る伊弉諾尊【いざなぎのみこと】  雨宮司
→ 覚えてる? イチモクサンがここにいたことを今はいないことを  杉田抱僕
→ いないいない風に散る桜にまかれ いないいないあなたの前から  泳二
→ 決断のときかもしれぬひよどりが桜のはなを食べながら鳴く  新井蜜

A-2.同じく、東直子さん→塩谷風月さんの歌の流れから詠み繋がれた十二首。
先の五首(A-1)と対照するとき、おなじ源流の匂いがするか、それとも遠く離れた支流になっているだろうか。どちらにしても、連歌の愉しさが流れの中によく表れていると思う。

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに  東直子
→ 父の背に触れた記憶を探してる桜咲き初む坂をくだりて  塩谷風月
→ B4の鉛筆走るメモ帖に残る記憶があなたのすべて  うなはら紅
→ 電脳の記憶の蜜の味しめてのちのこころは虫のごとしも  足田久夢
→ 気に掛かることば引っ提げ湿り気を与ふる朝に粗き脈動  うなはら紅
→ 命脈を保つ為には血族の中からひとり人質を出せ  雨宮司
→ 紅のわが地の果ての涯に立ち血族守るに独り吼ゆべく  うなはら紅
→ 沈黙の果てにコトリと音をたて君は小さき茶碗を置きぬ  泳二
→ コトリとう女店主のミャオロンズ黄砂に古き歌の混じりて とみいえひろこ
→ 砂糖楓【メイプル】シロップ舐めつつ空を見あげれば黄砂のなかに浮かぶsaucer  新井蜜
→ 「ホットケーキにメイプルシロップ」詞を書いた穂村弘の黒ぶち眼鏡  雨宮司
→  この夜のすべての澱を呑みこんだように大きな黒犬がいる   雀來豆
→ 黒犬は朝の匂いにわだかまる瞳の中に誰を呼ぶのか  うなはら紅


B.異想 (一つの短歌を基に、異なる作者の異なる発想によって詠まれた作品)

B-1.福島直広さんの作品を基に詠まれた四首。「あるでんて」という言葉の響きを受けた杉田さん、ふらみらりさん、「窓」のイメージをふくらませた新井さん、泳二さん。それぞれ、あっというまに違う世界へ連れて行ってくれる。短歌の世界というのは、いったい幾つあるのだろうかなどと思う。

四階の窓をのび太が飛んでゆく茹であがりつつあるあるでんて  福島直広
→ あるでんての冷製ぱすたすすりつつ録画のたもりにこたえる真夏び  杉田抱僕
教室の窓から見える大平【おおひら】の中腹に咲く山桜花  新井蜜
飛び降りを防止するため本校の全ての窓は嵌め殺しです  泳二
くたくたもアルデンテだと言いきれるあなただから明日は晴れね   ふらみらり

B-2.泳二さんの作品を基にした四首。四人の作者の視点の違いが面白い。こちらも、いま同じ場所に立っていた短歌が、瞬時に遠くの世界まで飛んでいけることを見せてくれる。

沈黙の果てにコトリと音をたて君は小さき茶碗を置きぬ  泳二
→あけぼのの夢の出口に歌を置く夢の歌集は未完なれども  新井蜜
新しいお茶碗買って豆ごはん炊いて小さな春の贅沢  杉田抱僕
コトリとう女店主のミャオロンズ黄砂に古き歌の混じりて とみいえひろこ
沈黙の果てに文明交差点小さな口は白い糸吐く  うなはら紅


C.その他、印象に残った歌

戀人の睫毛ふれあふ春の日の昼の緊急地震速報  新井蜜
→携帯の地震速報くらくらと俺の裸体に目眩がするぜ  黒路よしひろ
※戀人の睫毛→地震速報→俺の裸体と、二首にまたがるイメージが見事に一周してきっちりと着地してしまうという、不思議な連関が面白い。

そうやってまた空豆をポケットにルーズな星に憧れている  福島直広
→空豆を口に含んでテレビ見る君の親指爪が伸びてる  ガク
※空豆と星、空豆とテレビと親指の爪、いずれも独特で且つ絶妙の組み合わせだと思う。

山崎が奏でるギターにかき消され淡い想いは霧に紛れる   いばひでき
→撃ち抜いた犯人【ほし】の太腿踏み躙る映画に似合う霧つて感じ  足田久夢
※突如登場するギター、霧、銃撃、映像感覚のあふれるこの二首。異彩を放っていました。
(でも寂しい)ひかりの梯子登りきり見下ろすきみの生まれた街を  酒井真帆
→この街に呼びかけてみる春の午後ふあーっと桜ひかりの梯子  うなはら紅
※「ひかりの梯子」という美しい言葉で繋がった二首。しかし、酒井さんの作品、()の中に入った「でも寂しい」という初句の力に、思わず震えそうになりました。

深々とかなしい胸を思うとき桜の在り処をめぐる蛾のおと  とみいえひろこ
※とみいえさんのこのとてつもなくかなしい歌には、実は、十谷あとりさんと、ミカヅキカゲリさんの、とてつもなく美しい歌が連なっています。十谷さん、ミカヅキさんの作品は、作者の意向で今回の歌会記には不掲載となりましたが、いつか改めて公開されるのを待ちたいと思います。

(雀來豆、記)
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by kaban-west | 2016-05-07 13:11 | 歌会報告
2016年 04月 07日

3月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年三月

【参加者】雨宮司・新井蜜(かばん/塔)・有田里絵・岩崎陸(ゲスト)・うなはら紅(兵站戦線改め・購読)・小野田光・ガク(購読)・黒路よしひろ(ゲスト)・ 佐藤元紀・雀來豆(ゲスト)・十谷あとり(日月)・杉田抱僕(ゲスト)・足田久夢(購読/玲瓏)・土井礼一郎・浜田えみな(購読)・東こころ(かばん/未来)・福島直広・ふらみらり・文屋亮(玲瓏)・ミカヅキカゲリ・村本希理子 (以上出詠者21名)、※選歌のみ: 塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

題詠の二十首(進行役の雨宮さんから出された兼題は「山」)から十二首、自由詠の十八首から九首を取り上げました。

【題詠から】

この先はもう行けないとバス停でするりと逃げた木霊の気配  浜田えみな

バス停が木霊の棲息する山と人間界の境界になっているということなのだろう。バス停という言葉により山の霊的な雰囲気が却って際立つように思える。

春霞卒業式の音がする校歌に出てた山なんだっけ  有田里絵

地域の山や川をよみこむのが校歌の定番だが、地元を離れたり時間が経ったりすると忘れてしまうということなのだろう。「卒業式の音」はこなれていない表現に思えるが、プラスに働いているという評もあった。

はじめつから無かつたみたい あをぞらが隠してしまふ春の恵那山  村本希理子

「あおぞらが隠してしまふ」には複数の人から「分からない」という反応があった。恵那山の青い色が青空にとけ込んで見えなくなってしまうと解すべきなのだろう。「あをぞらが」なのだから春霞と読むのは無理があるだろう。「はじめつから」については賛否両論があった。

せせらぎにとけてゆく雪ちゅるちゅると峠の茶屋で饂飩をすする  福島直広

「ちゅるちゅる」のオノマトペが好評。上句は「ちゅるちゅる」を介して饂飩を導くための序詞的にも働いているが、上句・下句ともにこの歌の情景で、それを「ちゅるちゅる」が繋いでいるのだろう。雪解けの春ののどかな様子がよく表現されている。

心電の波形【はけい】にそそり立つ山に木々を描いてゆく春の指  土井礼一郎

心電図の波形に山を見るという発想が良いと好評な歌。「春の指」については、子供の指、医師の指などの読みが出されたが、実景ではなく、春という季節の指と読むほうが詩情があるのではないか。

わけもなく自転車でゆく山沿いの少女の家を越えて海まで  雀來豆

海や少女から寺山修司や永田和宏の青春の歌が連想される。「わけもなく」の読みがポイントとなる歌であろう。わけもなく海へ行きたいという気持ちの中に、作中主体には明確に意識されていない淡い恋心が隠されているのではないだろうか。

われはあるそらとくもとにうみがよるほしをみているあさがひろがる  岩崎陸

歌意は読み取りにくいが「る」「る」と続くリズムが良い、という意見が多数。一般に「われ=作者」と解釈されるが、この歌の場合、兼題の「山」を考え合わせると「われ=山」であり、山の立場から自然の情景が詠まれた歌なのではないだろうか。

「ただいま!」と叫べば山は「おかえり」と笑う ここには夏だけがある  杉田抱僕

夏に帰省したということだろう。故郷の山に夏だけを純粋に感じているのだ。「ここには夏だけがある」という把握がユニーク。若者らしい爽やかさを感じる。

全山が風に笑っているばかリ芽吹き間近を陽に撫でられて  雨宮司

「全山」という表現に注意が集まった。「すべての山」とも「山全体」とも取れる。春の雰囲気が伝わってくる歌。

厳かに声を響かす役として賢治童話に岩手山はあり  文屋亮

宮澤賢治の童話の中で厳かに裁定を言い渡す役として岩手山が描かれている、ということだろう。現実の岩手山も作者に、あるいは、人々にそのような山として受け止められているのだろう。結句の「は」はない方がいいという意見も出されたが、作者は岩手山が主題であることを示すため承知の上で八音の表現を選んだのだと思う。

きぬぎぬの黒髪山をくしけづる陽に山菅の花粉の粘り  足田久夢

「きぬぎぬの黒髪山」は「後朝の女性の黒髪のような黒髪山」ということか。「黒髪山」の色っぽさと「花粉の粘り」の独特な表現が好評。

神奈備の山は霞に隠れつつ里吹く風にゆれるなの花  ガク

上句と下句の対比がいいと好評。「なの花」の表記にも注意が集まった。

【自由詠から】

太陽に負けてしまった北風が口笛を吹くときの唇  ふらみらり

「太陽に」から「吹くときの」までの「唇」以外全部の表現が唇を描写する比喩表現になっている。好評な歌。出典がイソップ寓話のせいか唇の持ち主は少女かあるいは子どもかという読みが出されたが、いずれにしても純真な存在のように思える。

ゆく川のひとひもろとも流れむとおまへを待つてゐる淀屋橋  佐藤元紀

心中の相手を待っている歌かとの読みが出されたが、「ひとひもろとも流れむ」は、一日を一緒に川の流れのように当てもなく過ごそう、ということではないだろうか。「ゆく川」や「淀屋橋」からしっとりとした情趣が感じられる。

此処に在りて大和は何処【いづく】未通女【をとめ】らが二上山【ふたかみやま】のやうな乳房  黒路よしひろ

二上山はとても良い形の山で、「二上山のやうな乳房」にはリアルな感触が感じられる。不明なのは「此処」とはどこか、「未通女ら」と複数になっているのは何故か等、この歌の背景だ。なお、音数から考えると「乳房」は「ちちふさ」と読ませたいのだろう。

「そんな予感こんな悪寒どんな時間あんな蜜柑」って云ふ呪文。  ミカヅキカゲリ

リズム感と無意味さが良い。楽しく面白い歌だと肯定的に受け容れる読者と疑問を感じる読者とに分かれるようだ。

かなしみは球根としてここにありここにあるからかなしいのです  小野田光

「かなしみは球根としてここにあり」がとても良い。その良さに惹かれた人が多く高得点を集めた。下句は少し弱いという評もあった。

「おもしろい音を拾っておいたのよ」とびはねながら告げるともだち  東こころ

普通に考えると、何らかの音を録音した、と考えられるが、音そのものを手で拾ったような不思議な感覚が生じる。「とびはねながら告げる」という表現からは、このともだちが妖精であるような感じさえ受ける。この歌も好評だった。

ナリユキノジジツカタレバイイジャナイ?マダハイランシモウモイラヘン  うなはら紅

すべてカタカナ表記されているところが面白い。一首として散文的なまとまった意味を捉えようとしなくても良いのではないか。「言葉が浮かんだり消えたりしながら一つの意味へとたどり着くまでの快楽」という評の通り楽しんだらいいのではないだろうか。

窓辺なるホワイト・ゴーストお手上げのかたちに育つ幾年を経て  十谷あとり

「お手上げのかたちに育つ」が好評。「ホワイト・ゴースト」という名前もいい。「結句がややあっさり」との評も。

たこ焼きを食べながらそとをぼんやりと見てゐるうちにみぞれとなりぬ  新井蜜

「そのままを詠っただけの歌」を評価する人と評価しない人とに分かれた。
                    (新井蜜/記)
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by kaban-west | 2016-04-07 13:14 | 歌会報告
2016年 03月 06日

如月阿波座歌会報告

かばん関西 如月阿波座歌会

二〇一六年二月二十八日(日) 於 大阪府立江之子島文化芸術総合センター
             
【参加者】雨宮司、有田里絵、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ、選歌のみ)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直広、ふらみらり
[詠草のみ参加]新井蜜(かばん/塔)、ガク(購読)、ミカヅキカゲリ

 十谷あとりさんを司会進行役とし、事前に募集した詠草を元に歌会を行いました。当日不参加の方からも詠草を募集し、ひそかに選歌をしていただき、当日参加者の選歌に加える方法を取りました。
かばん関西のオフ会にかかる経費は、企画者が室料やレジュメ代を立て替えてから、当日の参加人数で頭割りして集金し、企画者に精算するという方法でまかなっています。今回はおひとりさま三百五十円でした。毎回どなたかがお菓子を差し入れてくださって、おやつも楽しい歌会です。今回は、チョコクッキー・もみじ饅頭・こんぺいとう・チョコレートでした。
 
 今回の兼題は「茶」。十谷さんの出題です。出題前に「茶」または「菜」のどちらがいいかとのご質問をいただいて有田が即「茶」を選んだのは、きれいな歌もそうでない歌も集まりそうだと考えたからです。歌会案内から締切までは二週間。十三首の作品が集まりました。

いやなひと 紅茶カップのふちの熱冷めずにきょうの夕暮れとなる  とみいえひろこ
「いやなひと」と作中主体との関係がいくつか想像でき、男女の歌とも女性同士であるとも読める。男女であれば「もう、嫌な人ね」というだけで実際は好きなのではないかという意見や、赤の他人で本当に嫌な人という読みもあった。また「熱」について、目の前の紅茶カップではなく一緒にいたときの熱が残っているという読みに惹かれた。歌の中を流れる時間と現実にある物のもつ時間との間にズレを感じるが作者も意図していたかもしれない。

ぶり返す発作みたいな悔しさの今日のスイッチ紅茶だったよ  ふらみらり
「みたいな」はどうしても舌足らずな印象で甘さが出てしまうが、共感を誘った歌。心の内に抱えている地雷のようなもののスイッチが今日はどれなのか、後からわかるという怖さ、切なさ。それでも日々がいとおしくなる。様々な歌をご自身の日々にぐいぐい引きつけてビターに読み解くふらみさんは、まちがいなくかばん関西の目玉です。

愛はわれをさいなみしのみ 茶の薫りゆびに残して絣脱ぐひと  新井蜜
一時空けの後で大きく飛躍していて参加者を大いに悩ませた歌。お茶の香りが指に残るためには直接手で触れなければならないだろうという理由から、茶摘の女性が仕事着の絣を脱ぐという意見に半数が賛成した。しかし茶摘の女性と知り合える人は少ないだろう。新井さんは歌集や短歌誌で出会った歌や手法を取り入れることもあるそうで、この歌も何かほかの歌が背景にあるのかもしれない。

異国からはじめ薬と伝わったお茶を想えばとおい心地す  ミカヅキカゲリ
高得点歌。ゆったりした豊かな気持ちでお茶を飲まなければこうは詠めないという意見が複数あった(気が遠くなるという意見には笑いが起こった)。いつでも自販機やコンビニで買えるお茶が、高価な薬だった時代もあったのですね。

訪ねても話すことなどないだけど彼女の煎れるお茶が飲みたい  浜田えみな
この歌も人間関係が何通りか推測される歌。別れた男女であるとか、近所のママ友であるとか。煎茶の「煎」だから日本茶なのだろう。「などないだけど」の部分からもどかしさが伝わる。作者によると、こちらから連絡するほどの接点はないけれど、お茶のおいしさだけは強く印象に残っている女性だという。おそらく彼女は今日も誰かのためにお茶を入れている。

来む春もわれは忘れず「喫茶去」の文字やはらかく書きくれしひと  十谷あとり
手書き文字を思い出して心が和む経験を詠んだ高得点歌。結句は「書いてくれた人」という意味だとわかるが、旧かなで「書きくれる」という動詞が正しいのかどうかが疑問点として挙げられた。五段活用をしてみるとこんがらがってくる。こんなときは、まあ、とにかく、お茶を飲みなさい。

あをによし奈良の町屋の抹茶ぱふえひとり食【は】みをり君待ちかねて  黒路よしひろ
待ちぼうけになりかかっている人が抹茶パフェを一人で食べている様子がありありと浮かんで楽しい。男性が女性を待っていると考えても、その逆でも成り立つが、一人でパフェを注文できる男性の方がおもしろいという声があった。「町家」「抹茶」「待ちかね」の音もリズミカル。そういえば待兼山も思い出される。大阪大学豊中キャンパスは待兼山町にありますね。

赤茶けた水をたたえて長靴はあなたを待っている 夏色の夢  泳二
結句に辿りつくためには読み手が想像力を働かせる必要があるという意見がある一方で、語句それぞれはわかりやすいから全体のイメージを素直に受け止めれば良いのではないかという意見もあった。子どもの長靴だったり、赤錆を伴う仕事をする大人の作業靴だったり。

冷や飯で作った茶漬けは生ぬるくレンジも黙る深夜のキッチン  杉田抱僕
ひとり暮らしの食事風景。黙るのは電子レンジでもあり、作中主体でもある。「生ぬるく」という接続を表す助詞を使うより断定にしたほうがすっきりするのではないかという意見があった。それにしても「お茶漬けっておいしいですよね」と頷き合う参加者のみなさんの表情はあたたかでした。

作り手の今なれば知る吾の骨は茶色いお弁当のたまもの    有田里絵
茶色いお弁当にいやな思い出があったのだろうか、「骨」は心身の真ん中にあるその人の芯を象徴しているという意見があった。前半と後半を比べると語感のバランスのぎこちなさが目立つため、前半をやわらかくするほうがいいという声もあった。

茶の髪ももうすぐ黒く染まる頃春一番が吹き抜けてゆく  ガク
新学期あるいは就職を前に黒髪に戻す学生さんを想像する人が多数。「春一番」で始まりの季節を示すのと同時に、とてもさやわかな気持ちにさせてくれる。離れて暮らす子供へのエールの歌とも読める。「茶の髪も」の「も」は書かれていない何かとの並列を意味していて、それぞれが想像するに任されている。

茶柱がたてば茶パジャマ脱がなくちゃチャンス一番茶番じゃないぞ  福島直広
よくこれだけ「茶」を入れてきたよねえと賞賛された歌。リズムと擬音の名手福島さんの真骨頂でしょう。「ジャ」「ちゃ」「チャ」の韻と「番」の繰り返しも使われており、込み入っているのに短歌として全体の意味が無理なく通っている。「赤パジャマ青パジャマ黄パジャマ」の早口言葉の代わりになりそう。

鼠またネズミの群が地平より尽きることなく近づいてくる  雨宮司
お題に対してたぶん茶色いネズミであろうというところから読みが始まった。漢字とカタカナと両方で表記した意味が不明である、この光景を俯瞰しているならその立ち位置で地平は見えるのだろうかという疑問の声もあった。もっとナンセンスに徹してしまったほうがいいという意見も聞かれた。

 通常の歌会の後、質問コーナーを設けました。
★筆名について、使い始めたのはいつからか(なぜそのタイミングだったのか)、また由来を教えてください。本名の方はなぜ本名のままなのか教えてください。
★横書き主流の現代生活の中で、どうやって最終的に縦書きとなる短歌作品を作り上げているのですか?縦書きにしたときに違和感はありませんか?
★連作を作るためにしていることは何ですか?
 これらの質問について退出時間ぎりぎりまで意見交換ができました。最後に十谷さんから、今回の詠草それぞれに対する返歌集をいただき、閉会としました。すてきなおみやげを手にした参加者は、家路に着いたり、ハンバーガー屋さんに移動したり、それぞれにうるう日前日の夕方を味わいました。
 短歌のことを実際に誰かと話すのは、かばん関西が初めてという方も多いです。人と会うのが苦手な方もたぶん多いのですが、大丈夫です。みなさん笑顔で帰っていかれます。ことばが通じる人に会える歌会を、これからも続けていきたいと思います。  (記/有田里絵)
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by kaban-west | 2016-03-06 15:11 | 歌会報告
2016年 02月 06日

1月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年一月

【参加者】あまねそう、雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、岩崎陸(購読)、泳二(ゲスト)、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(ゲスト)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直広、ふらみらり、兵站戦線(購読)、ミカヅキカゲリ、村本希理子(計二十一名)

※所属表記なしは「かばん」正会員。

二〇一六年最初のオンライン歌会。進行のあまねそうさんから出された兼題は、「境界・さかい目」。様々な視点で「境界・さかい目」をとらえた歌が集まった。

月蝕の悲しき夜に妹は羊とともに国境を越ゆ 新井蜜

国境の町まで手をつないで行こうたとえ国境なんてなくても 泳二

信号の向こうがわから校区外 知らない人がたくさん住んでる ふらみらり

まずは国境をテーマにした二首。一首目。月蝕、夜、羊、国境という言葉の繋がりに、幻想的なイメージを感じた人が多数。二首目。国境を自分たちを制限するものとしてとらえ、それをものともしない若さが心地よい。一首目、二首目とも「国境」が本来持つ切実さが感じられないという指摘があり、日本で「国境」を詠むことの難しさを考えさせられる。三首目は国境に比べるとだいぶ身近な校区内/校区外の境界を詠った。「小学校の短歌作ってきなさいという宿題で『作ってきました』みたいな感じ」(福島)という素朴さの中に、世界の多重性への理解や未知のものへの恐れも読み取れる。

天と地の境界線が溶けるとき荘厳なる陽が面【おもて】を上げる 雨宮司

結界に降り立つ神の御名ぞこそ流るゝ沙の果てに住む者 兵站戦線

境界をダイナミックに詠った二首。一首目、初日の出を連想させる雄大な情景に圧倒される。「境界線が溶ける」「陽が面を上げる」という表現にも工夫があり、壮大な世界を支えている。二首目。神々しい、ファンタジーのようという意見が多数。抽象的で歌意が読み取りにくいという意見がある中で、神を暗喩としてとらえ「砂漠の中のオアシス(生きていられる範囲=結界の内側)で生活していて、そこにふらと訪れた生き物(トカゲとか)の命に神を想起する」(杉田)という読みも面白い。

うすらいのレシートを受けとり捨つ ひる ゆえなき僕のしごとの区切り とみいえひろこ

C勤の焼成工程北の窓月の光が稜線描く 福島直広

労働にまつわる境界二首。一首目、高得点歌。コンビニで昼食を買ってレシートを受け取るのが毎日の仕事の区切りになっている様子を詠ったものか。「会社・仕事の時間(あるいは社会の時間と言った方が正確なのか)に自分の生活が規定されていくつまらなさ」(土井)など、労働の合間の些細な違和感が、感情的にならずに淡々と描かれているのが好ましい。二首目、こちらも高得点歌。「C勤」「焼成工程」という言葉の馴染みのなさ、硬質な音の響きが仕事の緊張感を際立たせ、下の句との対比を鮮やかなものにしている。

なぜ夜と朝のあわいを縫うように現われるのか海の記憶が 雀來豆

静寂と喧騒の間に朝顔の蕾ぼそっと開かれてゆく あまねそう

ページから顔を上げればバイク音新聞は落ち明日が今日に 杉田抱僕

日はすでに逢魔が時に傾きて行く人揺らぐ六道の辻 ガク

去年【こぞ】今年ゆくすゑすべてぬばたまの夜すがらまはしてゐるシュレッダー 佐藤元紀

時間の境界五首。一首目。倒置法を効果的に用い、夜と朝の境界に現れる「海の記憶」に読み手を導く。「夜と朝のあわいを縫う」という表現もユニーク。二首目。肝である「ぼそっと」というオノマトペは賛否が分かれたが、ひそやかな感じに魅力を感じた人も多数。「『ぼそっ』かなあ、う~ん、と思って翌日読み返してみたら『ぼそっ』が合ってるような気もしてきた。」(福島)三首目。夜通し読書や仕事に没頭していた人が、新聞配達の音で我に返り、日付が変わったことに気づく。新聞が「落ちる」ところにリアリティを感じる、下の句はやや詰め込み過ぎ、といった意見が見られた。四首目。こちらは昼から夜への境界を詠った一首だが、夕日を受けて揺らぐ人影を六道に迷い込む姿のようにとらえ、この世とあの世の境界にも重ねているのが魅力的。五首目。年越しにシュレッダーをまわすシュールさが好評。「ぬばたまの夜」と「シュレッダー(で裁断された紙)」の黒白の対比も面白い。

「彼氏から借りたみたいなサイズ感」ジェンダーレスなセーター売れる  有田里絵

男女の境界一首。男性の草食化など、実際に男女の境界が曖昧になっていることの表れという読み方がひとつ。一方で、「彼氏から借りた」ことを自慢したい感性はむしろジェンダーを強く意識しているという読み方もあった。

皮膚と皮膚ふれあう場所を国境とみなして僕の血は引き返す 土井礼一郎

名も知らぬ隣人の歯を磨く音で眠りにつける冬の真夜中 岩井曜

ここからは我のエリアと引かれたる姉妹喧嘩の紐が揺れをり 黒路よしひろ

剃刀をかほに圧し当てわたくしのりんかく ちよつとしつかりしなさい 村本希理子

自己と他者との境界四首。一首目。境界を「超える」のではなく「引き返す」ところに意外性、物足りなさを感じた人が多数。しかしそれゆえ、人と人が理解し合う難しさは切実なものとして迫ってくる。二首目。日頃無関心な隣人を身近に感じる、境界が曖昧になる瞬間を詠ったものだが、 防音を心配する声が多かった。三首目、小さな姉妹の微笑ましい情景だが、所有意識や自我の目覚めとも取れるだろう。結句の「紐が揺れをり」がもたらす余韻も心に残る。四首目、高得点歌。剃刀を顔に圧し当てるという日常的な行為を、自分という不確かなものの存在を確かめる行為としてとらえた視点が見事。


ここまでという線までを全力で先のないことしてみたかった 浜田えみな

最後に若さを感じる一首。歌意の読み取りづらさはあるものの、「フロンティア精神に満ちた短歌」(雨宮)、「『全力』でなにかに打ち込むという経験は年を取るほど減ってくるように思えて、たとえ歌の中であってでもそんな感性を持てるこの作者が少し羨ましくもある。」(黒路)という評もあり、新しいことを始めようという年初にふさわしい一首のように思う。

新しいことを始めたいという方は、ぜひかばん関西へ。年齢・性別・職業・居住地不問の自由な集まりです。興味を持たれた方はお気軽にメールでお問い合わせください。

(岩井曜/記)
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by kaban-west | 2016-02-06 22:59 | 歌会報告
2016年 01月 05日

12月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一五年十二月

【参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、泳二(ゲスト)、小野田光、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(ゲスト)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、東こころ(かばん/未来)、兵站戦線(購読)、福島直広、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)(計十八名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

今回の進行担当・新井蜜さんから出された兼題は「み」から始まり「つ」で終わる歌。前回の「あ」で始まり「る」で終わるに続いての出題ではあるものの、参加者からは今回のほうがずっとむずかしい、特に「つ」が難物、といった感想があいついだ。

身内めく舟につく人送るひと爆竹鳴らせ神酒ふくみつつ  兵站戦線
澪つくし君を思へどわだつみの流るる霧に影は消えつつ  ガク
まずは「つつ」で終わる歌をふたつ挙げる。一首目。長崎の精霊流しを詠んだ歌との指摘多数。「身内めく」について「人を送るという儀式の意味を如実に表している」(小野田)との指摘をふまえれば、なるほど精霊流しの情景にぴったりの表現だとわかる。「神酒ふくみつつ爆竹鳴らせ」を倒置させることで兼題に合わせているが、「下句の倒置によるせわしなさが、歌の雰囲気に合ってもいる」(とみいえ)。二首目。寂しさを端正に詠いこんだ巧みさが推される一方、はかなさの中に「太い芯のようなもの」(雀來豆)が欲しかったとの意見も。また、言いさしになっているゆえの弱さも指摘され、このあたりに今回の兼題のむずかしさが出ている。澪つくしは船の通路を示すための杭で「身をつくし」と掛けているのだろうが、「大阪市のマークの基としても有名ですね」(雨宮)との指摘が出たのはいかにもかばん関西という感じ。

「三毛猫と再婚しました」「ですってね。お幸せにね」「(微笑)」「新居は?」「こたつ」  土井礼一郎
この長い歌も「(微笑)」を一種の休符と考え、音として読まなければ短歌の定型にほぼ収まる。しかし、わざわざ微笑と書かなくとも微笑していることは読者が補完できるのではないか、あるいはそもそもこのような手法は短歌としてありなのかといった意見があいつぐ。また、「三題噺のようなほのぼのとした雰囲気」(ガク)という一方で、「こたつ」と無理にオチをつけることで歌の雰囲気を壊してしまっているという指摘も多い。
ここまでの三首を見ればわかるように、「つ」で終わるという課題に対応するために歌の末尾を操作することで思わぬ効果が生まれたり、あるいはその歌にとっては瑕になってしまう場合がある。当然「み」で始まると規定された冒頭部分に関しても同じことが言えるだろう。

水底を這ういきものの謙虚さで定時に退社していくあいつ  岩井曜
水際【みぎわ】から数えて今日は何番目 深いお鍋でシチューぐつぐつ  ふらみふらり
水面【みなも】割り海辺に次々現れて陸へと消える昏い隊列  雨宮司
「み」で始まるとの指定から水を連想させた詠者も多かったが、「水底」「水際」「水面」とアプローチの仕方に個性があるのは興味深い。一首目は今回の最高得点歌。ふつうは「地を這う」などと表現するのかもしれないが、兼題により「水底を這う生き物」とされたことで「深海魚ってブサ可愛くて大好きなのですが、確かに謙虚というか卑屈というか(略)開き直り感がある」(杉田)、「個人的にはオオグソクムシがいい」(雨宮)など、一気にイメージが広がった。「あいつ」に対する羨望や憎らしさなどがないまぜになった感情をひとことで言いあてた比喩を評価する者がとても多い。今回の歌会の中で、この上の句の人気は圧倒的だった。二首目については、上の句が読み切れない、あるいは上の句と下の句の呼応が不明、との感想があがる一方で、「水際」についてある種の生活の危機を指すものととらえる評者も多かった。「シチューを煮込みながら悶々と抱え込んだうっぷんが蓄積されていく」(黒路)、また、夫婦の危機を暗示するような上の句があるからこそ下の句の「かわいい表現に凄みを感じ」(泳二)るといった意見など。三首目。上陸する何者かについて、ペンギンやウミガメ、カニの上陸、あるいは「外国の軍隊が密かに上陸している様子」(新井)といった具体的な読みの可能性が指摘されつつも、「不気味と異様と恐怖と違和が活写されてゐる。それが何かはわからないといふことがこの歌の眼目」(佐藤)というように敢えてこれがなんなのか考えず、その不穏さを味わおうとする評者も多い。

三日後の保護者面談思いつつネクストバッターズサークルに立つ  泳二
三日目の意地の張り合い飽きたから買って帰ろう肉まん二つ  福島直広
三日月は今夜も泣いたきみのため浄化作用のひかりをはなつ  東こころ
ここでは「三日」で始まる歌を。ひとつめ。保護者面談を待つ主体をネクストバッターズサークルという別のものを待つ場に立たせた巧みさを評価する声が多い。主体に関し、部活動などで野球に取り組む子どもなのか、草野球をたしなむ親なのかで解釈が割れた。これについて歌会後の感想戦では「保護者って入っているから直感的に親ととってしまった」(土井)、「(まだ独身で子どももいないので)今の自分はどう頑張っても保護者視点には読めません」(杉田)など驚きの声が上がる。二首目は「飽きたから」に思わずクスリとさせられてしまう。「『飽きた』などとひねくれたことを言う人だから『意地の張り合い』をしてしまうのでしょう」(小野田)との意見には首肯せざるをえない。こちらも読む者のおかれた立場の差も影響してか、夫婦、同棲カップル、兄弟姉妹など解釈に幅があったようだ。三首目。一見して美しい歌だが、引っかかるところがなくさらりと読めてしまうとか、既視感があるという指摘があった。「浄化作用」の語にはこの歌に似つかわしくない固さがあり、和語にしてみればどうか、あるいは「『浄化作用』は言わずに読者にあずけたい」(とみいえ)といった意見も。

御堂筋こえたらあかんもうあかん失くしてしまったんは鍵ひとつ  とみいえひろこ
み吉野の激【たぎ】つ河内にビキニらが散らす水沫【みなわ】の花を眺めつ  黒路よしひろ
ミッキーも落ち込む日くらいあるだろう大将こっちに生中2つ  杉田抱僕
固有名詞を用いることで「『み』で始まる」に応じようとした三首。一首目。歌の意味をとらえにくいという意見も多かったが、失恋のあと御堂筋を超えたあたりで涙がこらえきれなくなりながらも、失ったのは恋人の家の鍵ひとつに過ぎないじゃないかと強がってみせている、とは黒路よしひろさんの解釈。「『あかん』の繰り返しがあたふたした様子を思わせます」(有田)とも。関西弁で韻を踏んでいきながら下の句の句跨りに突入する豊かなリズムが高く評価された。二首目。「み吉野」は現在の奈良県の地名・吉野の美称。換喩を巧みに用いた歌で、ビキニが水沫を散らすと言いつつも、作者の視点はビキニではなくビキニを身に着ける女性にあるのだろう。「古風な感じと現代チックな感じの交じり具合がいい塩梅」(福島)といった感想も。作者によれば、土地を称賛することによりその土地の神々の加護を得ようとする方法で万葉集に頻出する「土地ぼめ」に挑戦したとのこと。三首目。たしかにいつも明るいミッキーだって気が滅入ってしまうことくらいある。ミッキーと居酒屋という組み合わせの意外性を評価する声が多かった。作中主体については、落ち込んでいる自分をなぐさめるためにミッキーのことを思い浮かべている、ミッキーの着ぐるみの仕事(!)をしている人である、ミッキーと一緒に飲んでいる、といった解釈があがった。

見晴るかす冬の荒野に唯一つ黄色く華やぐ煙突が待つ  小野田光
見るべきほどの(濁世の涯の裂け目より風に忤ふ我が)ことは見つ  佐藤元紀
診られゆく乳房ソファーに並びおりだいたいふたつときどきひとつ  有田里絵
一首目。「黄色く華やぐ煙突」を独創的と評価する声が多い。「黄色」から酸化ウラン(軽水炉の燃料)を指すのでは、とか、「煙突が待つ」というからには主体は今からそこへ行こうとしているはずで、ならば銭湯だろう、など評者がそれぞれに空想を膨らませた歌だった。この「待つ」については、力強い歌なのに最後が受動的に終わるのが残念とする声のあがる一方で、煙突が立つ荒野へと主体が足を踏み入れようとする希望に満ちた歌との解釈も。二首目。濁世は「じょくせ」、忤ふは「さからふ」。カッコでくくられた部分を取り除いた「見るべきほどのことは見つ」は平家物語の平知盛の最期のことばとの指摘が複数あり。しかし「あのきっぱりとした台詞に対抗できる内容はよほどのものでないと」(雨宮)といった意見のほか、カッコでくくって「濁世の涯~」を挿入させる効果・意義を問う声があった。三首目。予防を目的とした乳がんの検査、あるいは「ときどきひとつ」というからには術後の検診を詠っているのではないかと、各々の読みに微妙なずれがあった。深刻な題材を感傷的にならずに敢えて即物的に詠むおもしろさがある一方、特に詠み手が乳がんの当事者などでないかぎりは、意図せず読む人を傷つけてしまう場合があるのではないかとの指摘も多かった。

導きの星の役の子伏せ気味の顔は金色に塗られたり幕は上がりつ  文屋亮
嬰児の夢に囚われ少女らは互いの息で恐怖を分かつ  雀來豆
子どもを主題とした対照的な歌二首を挙げる。前者は学芸会の一場面だろうか。歌会が開かれたのがちょうどクリスマスシーズンで、クリスマスの風景として読みとった者も多かったようだ。「導きの星というのがこのクリスマスの季節にもぴったり」(東)、「上句は、もうこれで、一篇の短篇小説の導入部になりそう」(雀來豆)。ただ、下の句の字余りが歌の魅力を損ねているとする声が多数上がったほか、「塗られたり幕は上がりつ」の時系列の混乱も指摘された。二首目。嬰児は「みどりご」と読む。少女らが将来自分たちも子どもを産むという可能性に気づきおののく、あるいは、すやすやと眠る嬰児を「『何だこの小さな命は』と息を呑んで見守っている」(福島)、また、この少女らは嬰児殺しをしたのではないか、など解釈が分かれたが、いずれにしても全体を通して恐怖、孤独、残虐さといった雰囲気をうまく作り上げているとの評価の声が多い。

密会と裏切りの糧【かて】、我が庭に流るることのなき乳と蜜  新井蜜
最後に出題者・新井蜜さんの歌。「み」で始まり「つ」で終わるという兼題は新井さんのお名前からではないかと黒路さんが勘繰っておられたが、本人は「密」で始まり「蜜」で終わる歌を詠出。「乳と蜜」を密会すなわち不倫や情事の象徴として読み取ろうとするむきが多く、また、旧約聖書ヨシュア記に「乳と蜜の流れる地」と表現されている約束の地カナンを踏まえているのではないかとの指摘も。

かばん関西オンライン歌会は、年齢も境遇もさまざまな詠み手が集う刺激的な歌会。かばん正会員に限らず、購読会員、またいずれにも当てはまらないゲストの方も多く参加され、交流を広げる大切な場にもなっています。関西出身・在住者にかぎらずどなたでもご参加いただけます。ご興味をお持ちの方は、本誌「掲示板」のページにある、かばん関西のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。

(記/土井礼一郎)
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by kaban-west | 2016-01-05 19:59 | 歌会報告
2015年 12月 23日

かばん関西歌会 秋の吟行報告

かばん関西歌会 秋の吟行報告

[日時]平成二十七年十月十一日(日曜日)午後一時、大阪天満宮にて集合

[参加者]雨宮司、新井蜜(かばん・塔)、有岡真里(ゲスト)、有田里絵、黒路よしひろ(ゲスト)、十谷あとり(日月)、蔦きうい(玲瓏)、ふらみらり

十月十一日、大阪天満宮および天神橋筋商店街周辺にて、秋のお散歩吟行を行いました。
当日、本殿で行われていた結婚式や七五三詣での様子を垣間見たり、境内で開催されていた古本市をひやかしたり、商店街でおやつを買い食いしたり……と、思い思いに秋の休日を楽しみながら作歌に取り組みました。時間の都合上選歌はなしとし、ドーナツ屋にて意見交換を行いました。

 あめあがり天満宮吟行 詠草抄

笑おうや繁昌亭の幟立つこの界隈を抜けた辺りで  雨宮司

古本に宿れる神か神さぶる翁がときに見せる微笑み  黒路よしひろ

古本の背表紙なでる頭上では白無垢の親族従え渡る  ふらみらり

阿波鳴門鯛焼本舗阿波鳴門蛸焼本舗あめあがり  蔦きうい

天満宮に掛る大絵馬卯も寅も辰も梅花のくれなゐを翔ぶ  十谷あとり

渇いてるぼくは真昼の空白のページをめくりうたを探した  新井蜜

神様も救えぬことがあるらしいエンゼル書房閉店セール  有田里絵

おさんぽで鳴門たいやきかぶりつき火傷したきみ梅ジャムアイス  有岡真里

二〇一六年も、歌会や吟行、読書会など、実際に顔を合わせて歌を楽しむ集まりを企てていきたいと考えております。(十谷あとり 記)
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by kaban-west | 2015-12-23 11:30 | 歌会報告
2015年 12月 13日

11月歌会報告

■かばん関西2015年11月オンライン歌会

★参加者一覧(五十音順)>> 雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、岩崎陸(購読)、泳二(ゲスト)、小野田光、黒路よしひろ(ゲスト)、ガク(購読)、佐藤元紀、塩谷風月(未来、レ・パピエ・シアンⅡ)、橘さやか(ゲスト)、雀來豆(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ(選のみ)、東こころ(かばん/未来)、福島直弘、ふらみらり、兵站戦線(購読/塔)> (計19名)> ※所属表記なしは「かばん」正会員です。

 今回有田女史から出されたテーマは「あ」で始まって「る」で終わる歌。さて、かばん関西のメンバーは何を始まりとし、何で終結させたのだろうか。

アップリケ大きな膝にはずかしさ隠せないまま冬がはじまる  小野田光
 「大きな膝」ということは、大人の人なのだろう。ああ、またこのアップリケズボンの季節かとうなだれる大柄な男性。アップリケは人の手によって施されるものなので、膝の部分に針を通した人(母親?妻?)の存在も浮かび上がらせて、あたたかい気持ちになる。

アンタレスなくなったからきみはもう蠍じゃないよ初めての夜  有田里絵
 アンタレスがなくなって蠍じゃなくなった元蠍って?星座の話なのか、ゲームの世界なのか、初めてとは何が初めてなのか?たくさんの謎を内包しているが、かわいい人にささやいているような不思議な歌。

「あの人はどこへ行ったの」菜園で茄子を掴んだまま、固まる  岩井曜
 あの人とは誰か。そしてこの状況は置き去りにされて深刻なのか、それとも畑で立ちすくむ女性の滑稽さなのか、読んだ印象は人によって異なっていたけれども、奇妙さが味わい深い。読点の使い方で面白いバランスになっている。

あきらめたことひとつあり、白くまのうんちは白くないことを知る  土井礼一郎
 白くまの白いうんちが見たかった子どものかわいい願望と成長の歌という解 釈が多い中で、白いものから黒いものが生み出される不思議さと驚きの歌なのでは、という読み方も。

足音もなくだーれだと目を隠す遊びのようにさよならは来る  泳二
 どういう別れなのかいろんな想像が寄せられた。四句目までの説明のようなひとつながりの表現が、結句のさよならという一語に向かっている。「だーれだ」というあまい言葉遣いに着目(疑問、肯定とも)した読み手が、多数あった。

安静にしときなさいと先生に言われた夜に月はまんまる  福島直広
 具合が悪い日の満月。満月だから出かけたかったのだろうか、という読み方もあった。ただ安静にしていた日ではなく、「先生に言われた」という縛りが効果を上げている。

アフォリズム「 安保イズム」はかたすぎる「アホなリズム」ですっと覚える ふらみらり
 リズムは悪くないが歌意がよみとれない、前半の固さに比べて「アホなリズム」がくだけすぎ、俗っぽさが際だっているという意見が出た。「安保イズム」は唐突で浮いているという評も複数あった。

愛なれば八十路の坂も気遣ひて生きたればこそけふのゆるゆる  兵站戦線
 前半のきまじめさに比べて結句のくだけたかんじが面白くて、ふっと心がほぐれる。
他者なのか自分自身なのか、対象を思いやりながら、坂道を上がるように生きてきたから、見晴らしのよいところでゆっくり身体をのばせる「けふのゆるゆる」という意味だろうか。

ありし世のなごりばかりを山風にとざし檀の紅葉しぐる る  佐藤元紀
 百人一首に出てきそうな歌。檀【まゆみ】の木に何かを象徴させたかったのだろうか。
「ありし世のなごりばかり」とははかなげな息づかいを感じる。美しくて幻想的な歌。

あの夜の歌がきこえてしまうから12月だけスクロールする  東こころ
 やはり、クリスマスソングのことだろうか。いやな思い出があるのか、クリスマスソングそのものが嫌なのか。即座に思い浮かぶ条件反射のような連想を跳ね返すぐらいの異分子のような言葉が入れば、もっと面白い歌になると思う。

あてどなく空のまほらで鳥たちは終の棲家を探しつづける 雀來豆 
 飛ぶ鳥たちの姿が目に浮かぶ、情景的な歌。自由を謳ったのか、ゴールのない旅に絶望してい るのか。人生や難民を連想する読み手もいた。手に入らないものを手にいれようとする悲しさでは?という鋭い見方も。ただ、「まほら」とは「すぐれた良い場所」という意味なので、そういう場で終の棲家を探し続けるとは、違和感があるという意見もあった。

あめ玉を口と口とで口移し舐れば君のれもん味する  黒路よしひろ
 「口」という言葉が三回も繰り返されるのは意図的なのだろうか。「口移し」「舐れば」などの気持ち悪さと「れもん味」のさわやかさがあいまって何とも不思議な味わいの歌。

あなたには失望しました。幼児が母に言われて見るアルタイル  塩谷風月
 大人びた幼児だと思う。ただ叱られているのではなく、「失望しました」という言葉を母親 に投げつけられ、漠然と星空を見るのではなくアルタイルという一点の星を凝視している。ただ庇護されているのではなく、思考する幼児の心の裡を読み手に探らせる歌。

あいしてるそれだけでいいナンテコト砂漠のうえ泡のままでいる  岩崎陸
 自分が「あいしている」という事実だけでいいとうそぶく気持ちを、ナンテコトというカタカナでちゃかして、「砂漠の上の泡」のようにはかない自分の存在を客観視している。切ない歌だけれども、芯の強い女性像だと思う。

ありありとあなたの顔が星のない碧い夜空にはりついている  橘さやか
 シンプルで強い気持が伝わる。ただ、憎しみや恨みはないのか、夜空に見える顔はどういう表情かなど、作者と「顔」との関 係に手がかりがあれば、もっと深みが出たと思う。

あなたから離れたくない秋の夜の月の明かりがしんしんと降る  ガク
 「しんしんと」とは雪を連想させるので、雪のように灯りが降り注ぐ様子が浮かんで来る。並び歩く二人も何も喋らず、静寂が二人を包んでいる。

紅い花流されてゆくせせらぎをニーソックスが凝視してゐる  新井蜜
 「紅い花」「ニーソックス」という名詞によって歌の世界に入りやすく、ニーソックスに人物を象徴させて心情を語らせている。つげ義春の「紅い花」を連想する読み手も複数いた。

青空へアルマジロ投げあざとさにああもう嫌とあなたを殴る  雨宮司
 全句が「あ」で始まる不条理歌。もやもやとした言いよ うのない感情を「あ」で始まる言葉を選んでつなげて表現されている。

 わたしはいつもどんな兼題が出るのか、楽しみにしている。そして、テーマのとらえ方が人によって全く違うことに毎回驚いている。そんなかばん関西をこれからもご注目ください。

(ふらみらり 記)
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by kaban-west | 2015-12-13 15:32 | 歌会報告
2015年 11月 08日

10月歌会報告

■平成二十七年十月かばん関西オンライン歌会

〈参加者一覧〉あかみ(ゲスト)雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、伊庭日出樹(購読(仮))、岩井曜、岩崎陸(購読)、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、ガク(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来、レ・パピエシアン・Ⅱ)、雀來豆(ゲスト)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、十谷あとり(日月)、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直弘、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)兵站戦線(購読/塔)(計二十二名)

※所属表記なしは「かばん」正会員。
※伊庭さんの(仮)は購読会員に復帰予定のため。ご本人の希望表記。

 今回は塩谷風月さんの出題で「扉」および自由詠。特選歌一首、通常の選を四首、それぞれ決めねばならない。参加者二十二名の盛会となった。どうなることか、まずは御一読を。

◇兼題「扉」

 閉めないで閉じ込めないで窒息する! 寝汗を掻いた午前二時半  伊庭日出樹
 蟷螂と追憶、きみは待つてゐる黄泉への扉あける時間を  新井蜜
 やわらかな風のあえぎの 影のみがおそらく飛田の暖簾くぐりぬ  とみいえひろこ

 一首目。悪夢を見たという点では皆の意見が一致したが、辛い評価が目立った。下句が説明になっているのか物足りなさが残る、寝苦しそうな状況は分かるが何かもう一捻り欲しい、日記のようで読む側が想像を広げる余地がない、下句ももっとハジけてもいいのでは、等。一方、「窒息する!」の一言があるおかげで一首が見事に輝いたように感じた、夢のなかで部屋に閉じ込められる/夢そのものの中に閉じ込められる二重の風景が見えてきそう、「窒息する」という表現からは部屋の扉というより棺桶のようなもっと狭い場所の蓋を想起させるという意見も。二首目。黄泉への扉をあける覚悟が出来ている様で気持ちがしっかりして落ち着く、絶望的な結果を招きそうな計画が動き出す時刻だったりするのかもしれない、上の句は過去を振り返りながらも未来を切り開きながら進んでいくという事だろうか、一読して気に入ってしまったがなんとなく「死への憧れ」を感じさせる危険な感じがする歌、等の高評価も目立った。一方、蟷螂以外がすべて抽象的な言葉で示され各語のもつイメージが軽くなってしまう気がする、蟷螂が死神のカマのイメージならば黄泉につき過ぎな気がする、等の批判的な意見もあった。三首目。スペースや四句八音のリズム、結句の「ぬ」のどれも入念な選択をしている、という好意的な意見があった。一方、遊郭として有名な飛田を扱いながら曖昧な表現に終始して魅力を引き出せていない、一字空けの意図が解からない、イメージが掴めそうで掴みきれない、等の批判もあった。

 忘れてたこの砂の下埋められているんだったね 夏はまた来る  岩崎陸
 戸を開けよおのづからなる魂の名残の月に青深みゆく  兵站戦線
 第四の扉を開ければ風すさぶ雪景色なり「見てしまったね」  雨宮司
 ドアノブの辺りに浮かぶ年輪は生きただろうか花降る森を  雀來豆

 一首目。「扉」と情景との関連性に争点が集中する。死んで埋めた動物に思いを馳せながらも「扉」との関連性に首をかしげる者、「夏への扉」が埋められているのではと推測する者、「死」という扉だろうかと考える者、地下に遺跡が埋まっているのかと想像する者がいた。一方で、詠み方に作為を感じて抵抗を覚える者、夏への期待なら明るい強さに、悲しい記憶が根底にあるのなら結句は切なくなり、どちらにも取れるのが弱点と指摘する者もいた。二首目。「おのづからなる」が大仰で歌にユーモアを与えている、「魂の名残の月」「青深みゆく」という言葉が冴え冴えとしてかっこいい、という肯定的な意見があった。一方で、「戸を開けよ」は大げさ、「深みゆく」に少し違和感がある、順序立てた筋道の立った詠い方に単純さを感じる現代歌人の苦悩はよくわかるが、意図的な曖昧さを生み出す表現が常にその解決策になるとは限らない、との批判もあった。三首目。『見るなの座敷』に触発された短歌。雪景色と「見てしまったね」の言葉だけで人の気配がないところがより寂しさを感じさせる、との肯定的な意見があった。その一方、少々月並み、日本の昔話に扉は不似合い、四つ目の扉を選んで開けたのか順に開けていったのかが不明確、等の批判もあった。四首目。ドアの木がどんな場所に生きていたのか分かるはずもないにも関わらず「花降る」と詠われることで花の降るなかに立っていたと確信を持って想像される、ドアノブが古木だった頃の情景が花吹雪とともに浮かぶ、「花降る森」とはこの世界が花降る森のようだという感慨だろうか、リアルな情景から結句ひとつだけで幻想的な情景に強引にジャンプするには「花降る森」ぐらい過剰気味の方が活きるのかも知れない、童話の世界のよう、との高評価が目立った。一方、発想がいいが結句が少し甘く感じる、「年輪は生きただろうか」という表現は「そりゃそうでしょ」と思ってしまう、等の意見もあった。

 あをによし寧楽【なら】の京【みやこ】の朱雀門潜れば涼しいにしへの風  黒路よしひろ
 できるだけ優しく扉をノックして 連れ出さないで 横に座って  杉田抱僕
 五万回開けたとなれば碑であろう薄茶色したわが家の扉  有田里絵

 一首目。夏の盛りに奈良に遊びに行った時の一陣の風が鮮やかに蘇ってきた、本歌取りの部分と作者独自の部分が無理なく融合されてじっくり味わえる、歴史への謙虚さが読みとれる、等の評価が相次ぐ。一方、門は扉になるのだろうか、きれいだがサラッとしすぎているように感じた、キャッチフレーズみたいでスキッと格好いい、独特な漢字の使い方による風情のみで活かされている歌かもしれない、等の意見もあった。二首目。「優しく」「連れ出さないで」は反語で本当は荒々しく暴力的に攫って行って欲しいのではなかろうか、甘えすぎでわがままなところが面白くて良い、なんてことのない言葉の羅列がその奥の感情の震えを豊かに伝えている、ポップスやワルツの様なリズムがあって工夫されている、結句がいい、等の肯定的な評価があった。一方で、一字空けとひらがな表記のせいかポイントがつかめない、甘いようで制約が多い、どんなに強い人間の心の中にもじつは弱さが隠されているものではないか、「弱っているときにどうしてほしいか」がとても率直に詠われていてグッとくる、等の意見もあった。三首目。日常の無意識とも言える動作と年月の持つ特別な作用への気づきが秀逸、この扉は碑の様に作中主体の家族の歴史を見続けた存在なのだろう、大げさな表現に古くなったわが家への愛着が感じられる、五万回開けたら碑だという勝手な解釈がなんとも面白い一首、「薄茶色」のもとの色はもう少し明るい色だったのだろう、等の肯定的な意見があった。一方、「碑であろう」というのはどういうことだろうか、碑は記念物であって実用性を失くしているから「扉」とはそぐわない気がする、「であろう」がよくわからない、昔ながらの日本家屋みたいに扉が独立してついている家だったら扉を碑に例える気持ちになるのかもしれない、等の批判的な見解もあった。

 自動ドア開き背後の街並みが割れた中へとしずしず入る  ふらみらり
 合羽着た門衛さんに守られる鉄扉の相合傘の落書  福島直広
 転がった携帯電話がドアに見え跪き乞う「連れていって」と  浜田えみな

 一首目。「割れた」の解釈に幅が出た。自動ドアが開き空間が割れたという解釈、「街並みが割れる」という表現がリアルで歌に力を持たせているという解釈、街並みなどなくなってしまえという世界への悪意を感じる解釈。オノマトペ「しずしず」については、効果に疑問を感じる意見が多かった。二首目。雨、門衛、鉄扉という陰鬱な雰囲気と相合傘の落書きとの落差にユーモアやヒューマニズムを感じる意見が多かった。「落書」は「落書き」のほうが落ち着く気がする、「の落書」はなくても通じる、ちょっと説明的な感じもする、という批判もあった。三首目。携帯電話とヒトの結びつきが強固な現代ならではの歌、という肯定的な意見もあったが、辛口の意見も目立った。特に、「携帯電話がドアに見え」がどういう状況なのかついて行けない者が多く、結果として下句の謎も充分に解けずじまいとなった。

 ジム・モリソン突き抜けし闇に閂をかけて余生は納戸に染まる  佐藤元紀
 そこからはお前のとびら 入学式の校門前でそっと手を放す  塩谷風月
 くちびるを尖らせきみはいつだって20の扉を残らずひらく  あかみ

 一首目。ジム・モリソンはドアーズのメンバーで、27歳の若さで亡くなったらしい。硬軟のバランスが巧み、という意見もあったが、多数の意見は「納戸に染まる」がどんな状況を指すのかに集中した。大半は、よく解からないという見解に帰結した様だ。二首目。親心だ、どちらかというと親自身の為に心の中で唱えて手を放したのだろう、こんなことを何回も経て子も親も成長していくのか、という共感が多かった。一方では、「お前のとびら」が「そこからは」とうまく合っていないような感じを受ける、三句目以降の破調は出来ればもう少し定型に近づけてほしかった、等の技巧に関する意見もあった。三首目。作中主体にはできないことをしてしまう強引な「きみ」に憧れている気持ちがあるように思える、二十歳の肉体の扉を残らずひらくことで性行為を詠んでいるととった、「くちびるを尖らせ」や「残らずひらく」など「きみ」のキャラクターが可愛くて好き、等の好評価があった。一方、「20」が何を指すかについては意見が割れた。「20の扉」というヒントゲームもある様だが。

 出戻れば天高き秋亡き母の衣装箪笥を整理しようか  岩井曜
 幾千の扉がならぶ書架に射すひかりオレンジ市立図書館  泳二
 もう二度と開かぬドアが閉じるとき通園バスは光に埋もれ  土井礼一郎

 一首目。亡き母の衣装箪笥だけで秋だと感じる、人生の辛苦を味わったからこそ母の内面が分かる、亡き母の衣装箪笥を整理するのは母との思い出に触れたいとの願いもあったのかも知れない、亡き母と対話するように衣類を広げたりたたみ直したりしながら気持ちに区切りをつけていくのか等、作中主体の内面に言及した評が多かった。その一方、「出戻る」のだとすると「天高き秋」とか「整理しようか」とかアッケラカンとしているような感じがする、「天高き秋」の慣用的な言い回しや「亡き母」の説明的なところが玉に瑕、等の批判もあった。二首目。今回の最高得点歌。漢字やかながおとなしく並ぶ列に突然入り込んでくる「オレンジ」という言葉が不思議でなぜか魅せられた、光がオレンジ色でほっとする空間だ、オレンジは市に係るのか上のひかりに係るのか、「扉」を本の扉と捉えたところが新鮮、沢山の本が並ぶ書架にオレンジの光が射している光景は近未来の人類滅亡後の図書館の光景のように感じられる、上句からヨーロッパの古い図書館の光景を思い浮かべた、作家ボルヘスが好きだから「オレンジ市立図書館」を推す、架空の感じがいい、「オレンジ市立図書館」という固有名詞だと思ったらファンタジー系の児童文学、落ち着いて見返してみれば夕方の図書館の幻影的な風景、等の肯定的な意見が相次いだ。一方で、たいがいの図書館の蔵書は幾千よりもっとある、上の句が説明的で退屈な印象があるのがもったいない、じつは図書館には行ったことがないので書架に扉があるという情景があまり具体的にはイメージできない(!)等の指摘や意見もあった。三首目。通園バスが現役なのか引退する瞬間なのかで話が一八〇度変わってくる、との指摘の通り、読みようによってはホラーじみてくる。二度と開かぬ通園バスのドアは後戻りできない過去の象徴なのか、上句の言い回しは不吉、上句は何か喪失感を感じる、卒園や事故で落命したことが背景にあるのか、上句はこう読んでほしいという意図が見えすぎ、上句の印象が減殺されるのは結句「光に埋もれ」が浄福の効果をもたらしているため、現実に起きた事故や事件を連想してしまうとなかなか選びにくい、「二度と開かぬドア」が象徴するものとこれから扉を開けていくであろう園児の乗ったバスの対比は何を表しているのだろうか、等、各人の意見も割れた。

 もうひとつの人生あらむか夕焼けに輝くドアをまた探しゐる  文屋亮
 シャッターの波に漂う赤提灯木戸を潜ればふるさとに出づ  ガク
 「鳴つてゐるのはわたしかもしれないね」鉄扉に触るる塩谷姉さん  十谷あとり

 一首目。中年の男が疲れや諦めとともに探しているような雰囲気に満ちている、後悔ではないものの過去の岐路で横のドアを開けていたら全然違う人生だったと思う時はある、瞬間毎に輝くドアを選択し開けて暮らして行くのが人生なのかも知れない、ものすごい夕映えを見ると蜃気楼のようにもう一人の自分が暮す町が映っているのではないかと目を凝らす、今まで歩んできた人生を肯定し財産としつつさらにその人生への新しい渇望がある人生に前向きな短歌もできるはずだ、こんな消極的な動機だと再就職先として見つかるものも見つからない、きれいなのだがきれいに流れてしまっている、裏を返せばもうひとつの人生なんて結局ないのだということかもしれない、輝くという表現は過剰な気がする、等の意見があった。二首目。扉は空間を超えるだけでなく時間を超えることもできる、郷里の哀愁とあたたかみが感じられる、「シャッターの波に漂う赤提灯」がすごく目に浮かぶ、等の肯定的な意見も散見される一方、「ふるさと」は木戸の内か外か、わかりやすいがそれゆえに平凡さも感じてしまった、上の句の表現を工夫してもう少し下の句を補足した方がいいのではないか、「シャッターの波」が閉まっている店ばかりの所謂シャッター商店街のことなら波に見えるのか疑問だ、等の批判も出された。三首目。出題者の塩谷さんと同姓の人物が出てくるため、通常以上に読みが白熱した。「鳴つてゐる」のは電話だろうが「わたし」が鳴っているようにも読める、「塩谷姉さん」とは塩谷さんの姉だろうか、「鳴っているのはわたしかもしれないね」とは誰かの携帯電話が鳴ったら日常的によく出るフレーズだがこれだけ取り出すと怖い、身体のパーツが鳴っていると読みたい、「塩谷姉さん」からは飯田有子の枝毛姉さんを思い出す、塩谷さんの「ゲイじゃない」発言を受けての変化球か、塩谷姉さんとは塩谷さんの彼女の事か、内輪ウケっぽいところは好まないが哀しみの情緒や不可解な感情があっていい、ぜひ作者の方の解説を頂きたい、等の意見があった。

◇自由詠

 誌面も尽きてきた。自由詠の高得点歌を挙げてコメントに代えておく。


 制服とクールミントガム十七の君は翳りを見せたがつてゐた  文屋亮  九点

 退屈の入り口として洗いおり三十六度七分のからだ  泳二  九点

 「りんごあめ舐めてるときに刺されたから」天界で舌が赤いままのひと  あかみ  十三点

 遠砧おまへを抱く地下室に水の香のあえかに流れつつ  佐藤元紀  九点

 秋風にホッと息つくマルタイの棒ラーメンに卵を落とす  福島直広  九点

 まだ暗い海に飛び立つ燕らにチャントを贈る玩具の笛で  雀來豆  十点


※以上、十月のオンライン歌会の要約をここに記しました。

 かばん関西は年齢・性別・職業・居住地不問の自由な集まりです。興味を持たれた方はお気軽にメールでお問い合わせください。

(雨宮司・記)
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by kaban-west | 2015-11-08 22:23 | 歌会報告
2015年 10月 08日

9月歌会報告

かばん関西2015年9月オンライン歌会記

★参加者一覧(五十音順)
あまねそう、雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、岩崎陸(購読)、小野田光、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、ぱん子(ゲスト)、東こころ(かばん/未来)、福島直弘、ふらみらり、兵站戦線(かばん/塔)、三澤達世、山下りん(ゲスト)

今月も前月に続き兼題一本勝負。初の本歌会進行となる岩崎陸さんから出された「石」の題は、かばん関西の面々の技巧を導き出すごとくオンライン上に見事に置かれた。その石を打ち鳴らす二十二首は次の通り。

青丹よし奈良の都に秋の雨賽の河原に石積むいのち 兵站戦線
河原に石を積むという内容が軽やかながら丁寧に表現された一首。言葉がきれいだが力点がわかりにくいという意見も。

目鼻立ちすでに朧ろな石地蔵背負って歩く次の守【も】り番 雨宮司
懐かしい情景が浮かぶ、物語がある一首。説明的な表現がないにもかかわらず、表現以上のものを語っている。

街があり流れゆくことなんだってつぶて言葉と血の合いの子の とみいえひろこ
どこで切れるのかを楽しむことができ、重層的な読み応えも評価された。一方で、意味が取れないという声も。

木津川の河原で拾つた真つ黒な石はわたしの親父ではない 新井蜜
高得点歌。不思議な味わいに魅力を感じたという意見多数。肉親に対する愛憎に思いを馳せる読みもあった。

深海に青いひかりがとどくときわたしは透明な石となる 橘さやか
「深海」に神秘的な魅力を感じる一首。きれいな表現への評価の声がある一方で、作中に決定打がないという意見も。

石ころといえば石ころなのでしょうきみにもらったひかりのかけら 東こころ
高得点歌。透き通ったまっすぐな気持ちが伝わってくる一首。他人にとっては石ころに見えるという冷静な視点も備える。

実家にはいつもの猫が石段に香箱作る帰ってきたよ 有田里絵
「香箱」は猫のうずくまるポーズ。実家に帰ってきた実感が伝わるという意見が多く、あたたかい気持ちになれる。

千六百万年前と五億年前の地層の間【あい】をゆく蟻 三澤達世
写生のお手本という評価もあり、上の句の巨大な年数と下の句のミクロの視点の対比が魅力の一首。

ぶつかって痛い痛いをくり返し残りしものよ君がてのひら 山下りん
しみじみと感じ入るという評価がある一方で、いまひとつ像が結びにくいという声も。

みどうすじウルフクリニック犬田医師、俺の腹から岩を取り出す 土井礼一郎
荒唐無稽の力強さなどからくる楽しさを評価する声が多く、石を「岩」と表現した点にもユーモアを感じる一首。

山道のお地蔵様のなだらかな頬に紫陽花影を落とせり 岩井曜
シンプルにきれいな描写が胸に響く美しい叙景歌。「お地蔵様」の頭、「頬」、「紫陽花」から丸い気持ちになれるという意見も。

熱々の石をまぶたに押し当てて「謎はすべて解けた」と言ってよ 岩崎陸
不思議に惹きつけられるという評価あり。「名探偵コナン」や結句から東直子の「電話口で~」を思い出すなどの意見も。

西よりの風に吹かれて笛が鳴る石焼き芋に夕暮れていく 福島直広
夕暮れの情景がとてもきれいな一首。素直な実景に評価が集まる一方、もう少し表現を整理できたのではという意見も。

台風の後から石売りやって来る今年の石を購いにゆく ふらみらり
つげ義春「無能の人」や寺山修司の虚構を思い出す意見やファンタジーとして評価する声など世界観がポイントの一首。

未通女【をとめ】らが腰掛けてゐし磐石【いはいし】を見ればふやけた顔に見えたり 黒路よしひろ
「ふやけた」に意見集中。固い石との対比に面白さを感じる意見の一方、乙女に失礼だ、スケベ親父の顔だという声も。

手にのせた剥がれて碧い結晶にあなたは地球だったねと訊く 浜田えみな
大きなスケールが手にのせられる発想が評価された一首。映画的な時間感覚だと評する声も挙がった。

家移りの荷に見つけたり曽て子が二上山に拾ひし石鏃【やじり】 十谷あとり
地味ではあるが、石の持つ時間的価値を表しているという評価も。歴史やロマンを想起させる一首。

文明はあるけどなくて限りなく野蛮でだから ”最初”はグー だよ 杉田抱僕
今月の最高得点歌。理知と感覚の巧みな融合で読み手をノックアウト。穂村弘の「驚異=ワンダー」を想起したという感想も。

敷石を一刷毛ほどに濃く染めて通り雨ゆく紅葉修善寺 あまねそう
通り雨が敷石を濡らしていく表現に関して評価の声が挙がった一首。繊細さが秋の修善寺と引き合う。

鉱石のごとおしだまり肩寄せてきみのジョバンニになりたいのです ぱん子
初句がばっちりはまっているロマンチックな一首。「銀河鉄道の夜」という外部作品を持ち込んだだけに、新たなイメージを創る難しさも。

霜降を焼いた河原で胸焼けていよいよ石の丸みに気づく 小野田光
ユーモアがあるのがいい、なんだか面白いという意見の一方で、下の句の意が取れないという声多数。

白砂に石と語りてぽつかりと胸のうつろの秋ぞ深まる 佐藤元紀
言葉の選択が巧みな一首。特に「ぽつかりと」と「うつろ」の響き合いに評価の声が。白砂に枯山水を連想する感想も。

今回も多様な歌が集ったかばん関西は、全世界から参加可能なオンライン歌会を毎月開催中。ぜひ、皆様も奮ってご参加ください。

(小野田光/記)
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by kaban-west | 2015-10-08 22:20 | 歌会報告