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2010年 06月 16日

短歌新聞[新人立論]×山田航

[新人立論]664 「「凡人力」の凄まじさ」 山田航
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平成22年6月10日付 短歌新聞掲載
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by kaban-west | 2010-06-16 22:05 | こんなところに出ました
2010年 06月 16日

短歌新聞[新人立論]×十谷あとり

[新人立論]645 「曙覧の歌」  十谷あとり

初めて読んだ橘曙覧の歌は、新聞に引用されていた「独楽吟」のうちの一首だった。

・たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

(何と率直でわかりやすい歌だろう)と思った。江戸時代に詠まれたということがちょっと信じられなかった。歌会の詠草にこの歌が入っていたとしたら、迷わず選歌するだろう。新鮮な驚きだった。二〇〇三年のことである。
 歌を書き始めて三年が過ぎていた。それまでは己が喜怒哀楽を殴り書きすれば歌になると思っていたものが、ふと手をとめて(歌って何だろう)と考え始めた頃だった。歌集を出した後に本質的な問いに突き当たるとは本末転倒もいいところだが、手を動かしてからでないと頭が回らない愚か者なのだから仕方がない。
 和歌――短歌は千年以上の歴史と伝統を持つ文学の一ジャンルである。ならば(歌とは何か)に対する答えは、「古典を学ぶ」ことの中にあるに違いない。おぼろげにそう思ってはいたものの、膨大な遺産のどこから取りついていいのか判らなかった。本棚のない家に育ち、文学の素養も蓄積もない身には荷が重すぎた。
 そこに現れた橘曙覧は、歌の世界から差してきた一筋の光のようだった。こんなに親しみを感じられる和歌なら読んでみたい、と、勇気が出てきた。この歌人の人物像を知りたい。この人の歌から学びたい。岩波文庫の『橘曙覧全歌集』を読む日々が始まった。
 近世和歌をどこまで理解できるのかは、自分でも心許ない。しかし、愚かなら愚かなりに、牛の歩みのようにゆっくりと、一人の作家を読み続けてゆこうと思う。
曙覧の歌に基点を置くとすれば、和歌ははるかに古今集・万葉集にまで遡ることができ、くだれば子規をはじめとする近代短歌の世界が広がっている。曙覧は、自分の歌が和歌の伝統に真直ぐにつらなるものであると明確に意識していた。
その人となりや態度、作品そのもの、また彼の生きた幕末という時代のいずれについても興味はつきない。  〈日月〉

(短歌新聞2008年11月号に掲載。画像がありませんので、テキストで代用いたします。)
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by kaban-west | 2010-06-16 21:58 | こんなところに出ました
2010年 06月 10日

6月オフライン歌会 心斎橋筋商店街吟行 報告

かばん関西6月オフライン歌会 心斎橋筋商店街吟行 報告

[参加者]雨宮司、有田里絵、瀬波麻人(購読)、月下桜(ゲスト)、十谷あとり(日月/玲瓏)

六月六日(日)午後、東急ハンズ心斎橋店前に集合、雑踏に混じって心斎橋筋商店街を北上、散策しながらの吟行となりました。その後、淡路町のボタン店事務所にて互選・意見交換を行いました。
吟行詠草は五人それぞれが六首ずつ、合計三十首出詠しました。作品の一部をご紹介します。

夏帯の涼しき糸に風通る結城紬はラベルが五枚 月下桜

地球儀の珈琲ミルでひきましょう巡り巡ってここで逢えたの 月下桜

日本一甘いトマトをダミ声でつぶやくように売っている街 瀬波麻人

「少しだけそっとしといてくれますか傷んだ道路をなおしています」 瀬波麻人

紙風船叩きすぎたら割れるからせっかくだけど今日は買わない 雨宮司

鉄線と朝顔すだれに咲き乱るそろいもそろって青紫に 雨宮司

ハングルのたばこハンズの前に落ついつかわたしも置き去りにする 有田里絵

ニコイチの子らは商店街をゆく分身のごと別れるならむ 有田里絵

ホールケーキの嵩にナイフは入れられてやはらかきものの切り口ぞ鋭き 十谷あとり

軽きものうつくしきかな風船を一個より売る硝子戸の店 十谷あとり

梅雨入り間近ですが、参加者のみなさんの日頃の行いよろしく、よいお天気に恵まれました。仕事や生活であわただしい中、半日なりとも短歌に集中でき、歌について語り合えたことをうれしく思います。昔から、六月六日に芸事を習い始めると上達するといいます。わたしたちも初心にかえって、純粋に、まず何よりも歌を詠むことを楽しんでいきたいです。
次回は九月開催を予定しております。どなたさまもウェルカムですので、お近くの方はぜひどうぞご参加下さい。(十谷あとり 記)
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by kaban-west | 2010-06-10 08:53 | 歌会報告
2010年 06月 04日

5月歌会報告

かばん関西五月歌会記

[参加者] 雨宮司、有田里絵、岩本久美(ゲスト)、十谷あとり(日月/玲瓏)、三澤達世

今回は、コンパクトな参加人数でしたが、参加された皆様から気持ちのこもったコメントをいただき、熱い歌会となりました。

さて、今回の兼題は「建物の記憶」です。ひとは建物に包まれ、建物の気を受けながら生きている、と十谷さんよりお題をいただきました。建物を観察された方、自身の記憶を遡られた方に二分されました。

賃貸に暮らし続けて三十年かたつむりにも住まいのあるを 有田里絵

きれいにまとまっていて、素直な共感をよびました。独立した住まいへの憧れです。かたつむりのユーモラスさがいい。三十年の賃貸暮らしの思い出のあれこれを、歌で見てみたいような気がします。

築百年の洋館に入り患者なることを忘れてスリッパをはく 岩本久美

存在感がありすぎて気圧されるような、魅入られてしまうような建物が病院である、というおかしみ。作中の人はスリッパにはきかえながら、「ははぁ~」って天井や壁を見回していそうです。立派さについて具象があるとリアリティが違ってきたのでは、という意見も。

初めての部屋はピンクの傘の下園児ら集いしゃがみこむ午後 有田里絵

雨の日に、傘の下にしゃがみこむ子供たち。幸福な記憶です。子供にとっての初めての部屋、自分だけの空間は、たしかに傘の下かもしれません。ピンクが効果的。

銭湯のお化け煙突また一本街の隠れ家ごと消えてゆく 雨宮司

昔ながらの光景が、消えてゆくのはさびしいですね。「街の隠れ家」に議論が集まりました。煙突を引き立てるために、隠れ家を出さず、銭湯だけに焦点をしぼったほうが良くなるのでは。どこかよそごとっぽい、という意見もありましたが、「自身のことを詠みにくいのと同じく、住み家というのは半ば自分の分身のようで詠みにくい」と作者より。

妣の家は紫陽花の家笹のいへ猫がこつそり仔猫産む家 十谷あとり

歌うようなリズムのよさ。紫陽花、笹、仔猫、ときに静謐でときに楽しげで、満ち足りた庭に人生をかさねているようにも感じられます。豊かな暗がりに猫がこっそり仔猫を産んでいく家。実際に住まれたことのある家だそうです。高得点歌でした。

朝練に駆け出していく子を送り校舎の冷えた空気をおもう 三澤達世

思わず深呼吸したくなる歌。教室にかばんを置いたら、ダッシュで校庭へ。生徒がまばらな早朝の学校のひんやりした空気。結びの「おもう」より、お母さんの歌でしょうか。

続いて、自由詠です。

さまざまな欲や祈りが込められた子らの名前をエクセルに打つ 三澤達世

「欲」というのがえげつない、我が子の名前に欲を込める親はいない、という意見がありました。一方、心のきれいな子に育ってほしい等という「願い」も、客観的には「親の欲」かもしれない、とも。具体的な名前の文字がいくつか、歌の中に出て来ると、なおリアルなのでは。

「惚れました」と言いつつ天から落ちてくる生ぐさ仙人いらっしゃいませ 雨宮司

やけに味わいのある歌、ユカイである、どんな仙人?等々、各人楽しく読んだ歌でした。唐突な久米仙人の登場は、建物→久米寺→仙人という連想?という推理も。

フラミンゴの背中に影を落としつつ春の雲みな東【ひんがし】へゆく 十谷あとり

高得点歌です。動物園でしょうか。飛べないフラミンゴの頭上を流れ続ける雲。カラフルながらちょっとしんみりした風景です。一読、ふわーっとした気持ちになります。広い空、ゆっくりながれる雲、大気の動きを目で見るようで、壮大。

かばん関西歌会は、関西限定ではありません。たくさんのご参加をお待ちしております。(三澤達世@関東在住 記)
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by kaban-west | 2010-06-04 09:58 | 歌会報告