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2015年 11月 08日

10月歌会報告

■平成二十七年十月かばん関西オンライン歌会

〈参加者一覧〉あかみ(ゲスト)雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、伊庭日出樹(購読(仮))、岩井曜、岩崎陸(購読)、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、ガク(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来、レ・パピエシアン・Ⅱ)、雀來豆(ゲスト)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、十谷あとり(日月)、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直弘、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)兵站戦線(購読/塔)(計二十二名)

※所属表記なしは「かばん」正会員。
※伊庭さんの(仮)は購読会員に復帰予定のため。ご本人の希望表記。

 今回は塩谷風月さんの出題で「扉」および自由詠。特選歌一首、通常の選を四首、それぞれ決めねばならない。参加者二十二名の盛会となった。どうなることか、まずは御一読を。

◇兼題「扉」

 閉めないで閉じ込めないで窒息する! 寝汗を掻いた午前二時半  伊庭日出樹
 蟷螂と追憶、きみは待つてゐる黄泉への扉あける時間を  新井蜜
 やわらかな風のあえぎの 影のみがおそらく飛田の暖簾くぐりぬ  とみいえひろこ

 一首目。悪夢を見たという点では皆の意見が一致したが、辛い評価が目立った。下句が説明になっているのか物足りなさが残る、寝苦しそうな状況は分かるが何かもう一捻り欲しい、日記のようで読む側が想像を広げる余地がない、下句ももっとハジけてもいいのでは、等。一方、「窒息する!」の一言があるおかげで一首が見事に輝いたように感じた、夢のなかで部屋に閉じ込められる/夢そのものの中に閉じ込められる二重の風景が見えてきそう、「窒息する」という表現からは部屋の扉というより棺桶のようなもっと狭い場所の蓋を想起させるという意見も。二首目。黄泉への扉をあける覚悟が出来ている様で気持ちがしっかりして落ち着く、絶望的な結果を招きそうな計画が動き出す時刻だったりするのかもしれない、上の句は過去を振り返りながらも未来を切り開きながら進んでいくという事だろうか、一読して気に入ってしまったがなんとなく「死への憧れ」を感じさせる危険な感じがする歌、等の高評価も目立った。一方、蟷螂以外がすべて抽象的な言葉で示され各語のもつイメージが軽くなってしまう気がする、蟷螂が死神のカマのイメージならば黄泉につき過ぎな気がする、等の批判的な意見もあった。三首目。スペースや四句八音のリズム、結句の「ぬ」のどれも入念な選択をしている、という好意的な意見があった。一方、遊郭として有名な飛田を扱いながら曖昧な表現に終始して魅力を引き出せていない、一字空けの意図が解からない、イメージが掴めそうで掴みきれない、等の批判もあった。

 忘れてたこの砂の下埋められているんだったね 夏はまた来る  岩崎陸
 戸を開けよおのづからなる魂の名残の月に青深みゆく  兵站戦線
 第四の扉を開ければ風すさぶ雪景色なり「見てしまったね」  雨宮司
 ドアノブの辺りに浮かぶ年輪は生きただろうか花降る森を  雀來豆

 一首目。「扉」と情景との関連性に争点が集中する。死んで埋めた動物に思いを馳せながらも「扉」との関連性に首をかしげる者、「夏への扉」が埋められているのではと推測する者、「死」という扉だろうかと考える者、地下に遺跡が埋まっているのかと想像する者がいた。一方で、詠み方に作為を感じて抵抗を覚える者、夏への期待なら明るい強さに、悲しい記憶が根底にあるのなら結句は切なくなり、どちらにも取れるのが弱点と指摘する者もいた。二首目。「おのづからなる」が大仰で歌にユーモアを与えている、「魂の名残の月」「青深みゆく」という言葉が冴え冴えとしてかっこいい、という肯定的な意見があった。一方で、「戸を開けよ」は大げさ、「深みゆく」に少し違和感がある、順序立てた筋道の立った詠い方に単純さを感じる現代歌人の苦悩はよくわかるが、意図的な曖昧さを生み出す表現が常にその解決策になるとは限らない、との批判もあった。三首目。『見るなの座敷』に触発された短歌。雪景色と「見てしまったね」の言葉だけで人の気配がないところがより寂しさを感じさせる、との肯定的な意見があった。その一方、少々月並み、日本の昔話に扉は不似合い、四つ目の扉を選んで開けたのか順に開けていったのかが不明確、等の批判もあった。四首目。ドアの木がどんな場所に生きていたのか分かるはずもないにも関わらず「花降る」と詠われることで花の降るなかに立っていたと確信を持って想像される、ドアノブが古木だった頃の情景が花吹雪とともに浮かぶ、「花降る森」とはこの世界が花降る森のようだという感慨だろうか、リアルな情景から結句ひとつだけで幻想的な情景に強引にジャンプするには「花降る森」ぐらい過剰気味の方が活きるのかも知れない、童話の世界のよう、との高評価が目立った。一方、発想がいいが結句が少し甘く感じる、「年輪は生きただろうか」という表現は「そりゃそうでしょ」と思ってしまう、等の意見もあった。

 あをによし寧楽【なら】の京【みやこ】の朱雀門潜れば涼しいにしへの風  黒路よしひろ
 できるだけ優しく扉をノックして 連れ出さないで 横に座って  杉田抱僕
 五万回開けたとなれば碑であろう薄茶色したわが家の扉  有田里絵

 一首目。夏の盛りに奈良に遊びに行った時の一陣の風が鮮やかに蘇ってきた、本歌取りの部分と作者独自の部分が無理なく融合されてじっくり味わえる、歴史への謙虚さが読みとれる、等の評価が相次ぐ。一方、門は扉になるのだろうか、きれいだがサラッとしすぎているように感じた、キャッチフレーズみたいでスキッと格好いい、独特な漢字の使い方による風情のみで活かされている歌かもしれない、等の意見もあった。二首目。「優しく」「連れ出さないで」は反語で本当は荒々しく暴力的に攫って行って欲しいのではなかろうか、甘えすぎでわがままなところが面白くて良い、なんてことのない言葉の羅列がその奥の感情の震えを豊かに伝えている、ポップスやワルツの様なリズムがあって工夫されている、結句がいい、等の肯定的な評価があった。一方で、一字空けとひらがな表記のせいかポイントがつかめない、甘いようで制約が多い、どんなに強い人間の心の中にもじつは弱さが隠されているものではないか、「弱っているときにどうしてほしいか」がとても率直に詠われていてグッとくる、等の意見もあった。三首目。日常の無意識とも言える動作と年月の持つ特別な作用への気づきが秀逸、この扉は碑の様に作中主体の家族の歴史を見続けた存在なのだろう、大げさな表現に古くなったわが家への愛着が感じられる、五万回開けたら碑だという勝手な解釈がなんとも面白い一首、「薄茶色」のもとの色はもう少し明るい色だったのだろう、等の肯定的な意見があった。一方、「碑であろう」というのはどういうことだろうか、碑は記念物であって実用性を失くしているから「扉」とはそぐわない気がする、「であろう」がよくわからない、昔ながらの日本家屋みたいに扉が独立してついている家だったら扉を碑に例える気持ちになるのかもしれない、等の批判的な見解もあった。

 自動ドア開き背後の街並みが割れた中へとしずしず入る  ふらみらり
 合羽着た門衛さんに守られる鉄扉の相合傘の落書  福島直広
 転がった携帯電話がドアに見え跪き乞う「連れていって」と  浜田えみな

 一首目。「割れた」の解釈に幅が出た。自動ドアが開き空間が割れたという解釈、「街並みが割れる」という表現がリアルで歌に力を持たせているという解釈、街並みなどなくなってしまえという世界への悪意を感じる解釈。オノマトペ「しずしず」については、効果に疑問を感じる意見が多かった。二首目。雨、門衛、鉄扉という陰鬱な雰囲気と相合傘の落書きとの落差にユーモアやヒューマニズムを感じる意見が多かった。「落書」は「落書き」のほうが落ち着く気がする、「の落書」はなくても通じる、ちょっと説明的な感じもする、という批判もあった。三首目。携帯電話とヒトの結びつきが強固な現代ならではの歌、という肯定的な意見もあったが、辛口の意見も目立った。特に、「携帯電話がドアに見え」がどういう状況なのかついて行けない者が多く、結果として下句の謎も充分に解けずじまいとなった。

 ジム・モリソン突き抜けし闇に閂をかけて余生は納戸に染まる  佐藤元紀
 そこからはお前のとびら 入学式の校門前でそっと手を放す  塩谷風月
 くちびるを尖らせきみはいつだって20の扉を残らずひらく  あかみ

 一首目。ジム・モリソンはドアーズのメンバーで、27歳の若さで亡くなったらしい。硬軟のバランスが巧み、という意見もあったが、多数の意見は「納戸に染まる」がどんな状況を指すのかに集中した。大半は、よく解からないという見解に帰結した様だ。二首目。親心だ、どちらかというと親自身の為に心の中で唱えて手を放したのだろう、こんなことを何回も経て子も親も成長していくのか、という共感が多かった。一方では、「お前のとびら」が「そこからは」とうまく合っていないような感じを受ける、三句目以降の破調は出来ればもう少し定型に近づけてほしかった、等の技巧に関する意見もあった。三首目。作中主体にはできないことをしてしまう強引な「きみ」に憧れている気持ちがあるように思える、二十歳の肉体の扉を残らずひらくことで性行為を詠んでいるととった、「くちびるを尖らせ」や「残らずひらく」など「きみ」のキャラクターが可愛くて好き、等の好評価があった。一方、「20」が何を指すかについては意見が割れた。「20の扉」というヒントゲームもある様だが。

 出戻れば天高き秋亡き母の衣装箪笥を整理しようか  岩井曜
 幾千の扉がならぶ書架に射すひかりオレンジ市立図書館  泳二
 もう二度と開かぬドアが閉じるとき通園バスは光に埋もれ  土井礼一郎

 一首目。亡き母の衣装箪笥だけで秋だと感じる、人生の辛苦を味わったからこそ母の内面が分かる、亡き母の衣装箪笥を整理するのは母との思い出に触れたいとの願いもあったのかも知れない、亡き母と対話するように衣類を広げたりたたみ直したりしながら気持ちに区切りをつけていくのか等、作中主体の内面に言及した評が多かった。その一方、「出戻る」のだとすると「天高き秋」とか「整理しようか」とかアッケラカンとしているような感じがする、「天高き秋」の慣用的な言い回しや「亡き母」の説明的なところが玉に瑕、等の批判もあった。二首目。今回の最高得点歌。漢字やかながおとなしく並ぶ列に突然入り込んでくる「オレンジ」という言葉が不思議でなぜか魅せられた、光がオレンジ色でほっとする空間だ、オレンジは市に係るのか上のひかりに係るのか、「扉」を本の扉と捉えたところが新鮮、沢山の本が並ぶ書架にオレンジの光が射している光景は近未来の人類滅亡後の図書館の光景のように感じられる、上句からヨーロッパの古い図書館の光景を思い浮かべた、作家ボルヘスが好きだから「オレンジ市立図書館」を推す、架空の感じがいい、「オレンジ市立図書館」という固有名詞だと思ったらファンタジー系の児童文学、落ち着いて見返してみれば夕方の図書館の幻影的な風景、等の肯定的な意見が相次いだ。一方で、たいがいの図書館の蔵書は幾千よりもっとある、上の句が説明的で退屈な印象があるのがもったいない、じつは図書館には行ったことがないので書架に扉があるという情景があまり具体的にはイメージできない(!)等の指摘や意見もあった。三首目。通園バスが現役なのか引退する瞬間なのかで話が一八〇度変わってくる、との指摘の通り、読みようによってはホラーじみてくる。二度と開かぬ通園バスのドアは後戻りできない過去の象徴なのか、上句の言い回しは不吉、上句は何か喪失感を感じる、卒園や事故で落命したことが背景にあるのか、上句はこう読んでほしいという意図が見えすぎ、上句の印象が減殺されるのは結句「光に埋もれ」が浄福の効果をもたらしているため、現実に起きた事故や事件を連想してしまうとなかなか選びにくい、「二度と開かぬドア」が象徴するものとこれから扉を開けていくであろう園児の乗ったバスの対比は何を表しているのだろうか、等、各人の意見も割れた。

 もうひとつの人生あらむか夕焼けに輝くドアをまた探しゐる  文屋亮
 シャッターの波に漂う赤提灯木戸を潜ればふるさとに出づ  ガク
 「鳴つてゐるのはわたしかもしれないね」鉄扉に触るる塩谷姉さん  十谷あとり

 一首目。中年の男が疲れや諦めとともに探しているような雰囲気に満ちている、後悔ではないものの過去の岐路で横のドアを開けていたら全然違う人生だったと思う時はある、瞬間毎に輝くドアを選択し開けて暮らして行くのが人生なのかも知れない、ものすごい夕映えを見ると蜃気楼のようにもう一人の自分が暮す町が映っているのではないかと目を凝らす、今まで歩んできた人生を肯定し財産としつつさらにその人生への新しい渇望がある人生に前向きな短歌もできるはずだ、こんな消極的な動機だと再就職先として見つかるものも見つからない、きれいなのだがきれいに流れてしまっている、裏を返せばもうひとつの人生なんて結局ないのだということかもしれない、輝くという表現は過剰な気がする、等の意見があった。二首目。扉は空間を超えるだけでなく時間を超えることもできる、郷里の哀愁とあたたかみが感じられる、「シャッターの波に漂う赤提灯」がすごく目に浮かぶ、等の肯定的な意見も散見される一方、「ふるさと」は木戸の内か外か、わかりやすいがそれゆえに平凡さも感じてしまった、上の句の表現を工夫してもう少し下の句を補足した方がいいのではないか、「シャッターの波」が閉まっている店ばかりの所謂シャッター商店街のことなら波に見えるのか疑問だ、等の批判も出された。三首目。出題者の塩谷さんと同姓の人物が出てくるため、通常以上に読みが白熱した。「鳴つてゐる」のは電話だろうが「わたし」が鳴っているようにも読める、「塩谷姉さん」とは塩谷さんの姉だろうか、「鳴っているのはわたしかもしれないね」とは誰かの携帯電話が鳴ったら日常的によく出るフレーズだがこれだけ取り出すと怖い、身体のパーツが鳴っていると読みたい、「塩谷姉さん」からは飯田有子の枝毛姉さんを思い出す、塩谷さんの「ゲイじゃない」発言を受けての変化球か、塩谷姉さんとは塩谷さんの彼女の事か、内輪ウケっぽいところは好まないが哀しみの情緒や不可解な感情があっていい、ぜひ作者の方の解説を頂きたい、等の意見があった。

◇自由詠

 誌面も尽きてきた。自由詠の高得点歌を挙げてコメントに代えておく。


 制服とクールミントガム十七の君は翳りを見せたがつてゐた  文屋亮  九点

 退屈の入り口として洗いおり三十六度七分のからだ  泳二  九点

 「りんごあめ舐めてるときに刺されたから」天界で舌が赤いままのひと  あかみ  十三点

 遠砧おまへを抱く地下室に水の香のあえかに流れつつ  佐藤元紀  九点

 秋風にホッと息つくマルタイの棒ラーメンに卵を落とす  福島直広  九点

 まだ暗い海に飛び立つ燕らにチャントを贈る玩具の笛で  雀來豆  十点


※以上、十月のオンライン歌会の要約をここに記しました。

 かばん関西は年齢・性別・職業・居住地不問の自由な集まりです。興味を持たれた方はお気軽にメールでお問い合わせください。

(雨宮司・記)
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by kaban-west | 2015-11-08 22:23 | 歌会報告