かばん関西歌会

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2016年 01月 05日

12月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一五年十二月

【参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、泳二(ゲスト)、小野田光、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(ゲスト)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、東こころ(かばん/未来)、兵站戦線(購読)、福島直広、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)(計十八名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

今回の進行担当・新井蜜さんから出された兼題は「み」から始まり「つ」で終わる歌。前回の「あ」で始まり「る」で終わるに続いての出題ではあるものの、参加者からは今回のほうがずっとむずかしい、特に「つ」が難物、といった感想があいついだ。

身内めく舟につく人送るひと爆竹鳴らせ神酒ふくみつつ  兵站戦線
澪つくし君を思へどわだつみの流るる霧に影は消えつつ  ガク
まずは「つつ」で終わる歌をふたつ挙げる。一首目。長崎の精霊流しを詠んだ歌との指摘多数。「身内めく」について「人を送るという儀式の意味を如実に表している」(小野田)との指摘をふまえれば、なるほど精霊流しの情景にぴったりの表現だとわかる。「神酒ふくみつつ爆竹鳴らせ」を倒置させることで兼題に合わせているが、「下句の倒置によるせわしなさが、歌の雰囲気に合ってもいる」(とみいえ)。二首目。寂しさを端正に詠いこんだ巧みさが推される一方、はかなさの中に「太い芯のようなもの」(雀來豆)が欲しかったとの意見も。また、言いさしになっているゆえの弱さも指摘され、このあたりに今回の兼題のむずかしさが出ている。澪つくしは船の通路を示すための杭で「身をつくし」と掛けているのだろうが、「大阪市のマークの基としても有名ですね」(雨宮)との指摘が出たのはいかにもかばん関西という感じ。

「三毛猫と再婚しました」「ですってね。お幸せにね」「(微笑)」「新居は?」「こたつ」  土井礼一郎
この長い歌も「(微笑)」を一種の休符と考え、音として読まなければ短歌の定型にほぼ収まる。しかし、わざわざ微笑と書かなくとも微笑していることは読者が補完できるのではないか、あるいはそもそもこのような手法は短歌としてありなのかといった意見があいつぐ。また、「三題噺のようなほのぼのとした雰囲気」(ガク)という一方で、「こたつ」と無理にオチをつけることで歌の雰囲気を壊してしまっているという指摘も多い。
ここまでの三首を見ればわかるように、「つ」で終わるという課題に対応するために歌の末尾を操作することで思わぬ効果が生まれたり、あるいはその歌にとっては瑕になってしまう場合がある。当然「み」で始まると規定された冒頭部分に関しても同じことが言えるだろう。

水底を這ういきものの謙虚さで定時に退社していくあいつ  岩井曜
水際【みぎわ】から数えて今日は何番目 深いお鍋でシチューぐつぐつ  ふらみふらり
水面【みなも】割り海辺に次々現れて陸へと消える昏い隊列  雨宮司
「み」で始まるとの指定から水を連想させた詠者も多かったが、「水底」「水際」「水面」とアプローチの仕方に個性があるのは興味深い。一首目は今回の最高得点歌。ふつうは「地を這う」などと表現するのかもしれないが、兼題により「水底を這う生き物」とされたことで「深海魚ってブサ可愛くて大好きなのですが、確かに謙虚というか卑屈というか(略)開き直り感がある」(杉田)、「個人的にはオオグソクムシがいい」(雨宮)など、一気にイメージが広がった。「あいつ」に対する羨望や憎らしさなどがないまぜになった感情をひとことで言いあてた比喩を評価する者がとても多い。今回の歌会の中で、この上の句の人気は圧倒的だった。二首目については、上の句が読み切れない、あるいは上の句と下の句の呼応が不明、との感想があがる一方で、「水際」についてある種の生活の危機を指すものととらえる評者も多かった。「シチューを煮込みながら悶々と抱え込んだうっぷんが蓄積されていく」(黒路)、また、夫婦の危機を暗示するような上の句があるからこそ下の句の「かわいい表現に凄みを感じ」(泳二)るといった意見など。三首目。上陸する何者かについて、ペンギンやウミガメ、カニの上陸、あるいは「外国の軍隊が密かに上陸している様子」(新井)といった具体的な読みの可能性が指摘されつつも、「不気味と異様と恐怖と違和が活写されてゐる。それが何かはわからないといふことがこの歌の眼目」(佐藤)というように敢えてこれがなんなのか考えず、その不穏さを味わおうとする評者も多い。

三日後の保護者面談思いつつネクストバッターズサークルに立つ  泳二
三日目の意地の張り合い飽きたから買って帰ろう肉まん二つ  福島直広
三日月は今夜も泣いたきみのため浄化作用のひかりをはなつ  東こころ
ここでは「三日」で始まる歌を。ひとつめ。保護者面談を待つ主体をネクストバッターズサークルという別のものを待つ場に立たせた巧みさを評価する声が多い。主体に関し、部活動などで野球に取り組む子どもなのか、草野球をたしなむ親なのかで解釈が割れた。これについて歌会後の感想戦では「保護者って入っているから直感的に親ととってしまった」(土井)、「(まだ独身で子どももいないので)今の自分はどう頑張っても保護者視点には読めません」(杉田)など驚きの声が上がる。二首目は「飽きたから」に思わずクスリとさせられてしまう。「『飽きた』などとひねくれたことを言う人だから『意地の張り合い』をしてしまうのでしょう」(小野田)との意見には首肯せざるをえない。こちらも読む者のおかれた立場の差も影響してか、夫婦、同棲カップル、兄弟姉妹など解釈に幅があったようだ。三首目。一見して美しい歌だが、引っかかるところがなくさらりと読めてしまうとか、既視感があるという指摘があった。「浄化作用」の語にはこの歌に似つかわしくない固さがあり、和語にしてみればどうか、あるいは「『浄化作用』は言わずに読者にあずけたい」(とみいえ)といった意見も。

御堂筋こえたらあかんもうあかん失くしてしまったんは鍵ひとつ  とみいえひろこ
み吉野の激【たぎ】つ河内にビキニらが散らす水沫【みなわ】の花を眺めつ  黒路よしひろ
ミッキーも落ち込む日くらいあるだろう大将こっちに生中2つ  杉田抱僕
固有名詞を用いることで「『み』で始まる」に応じようとした三首。一首目。歌の意味をとらえにくいという意見も多かったが、失恋のあと御堂筋を超えたあたりで涙がこらえきれなくなりながらも、失ったのは恋人の家の鍵ひとつに過ぎないじゃないかと強がってみせている、とは黒路よしひろさんの解釈。「『あかん』の繰り返しがあたふたした様子を思わせます」(有田)とも。関西弁で韻を踏んでいきながら下の句の句跨りに突入する豊かなリズムが高く評価された。二首目。「み吉野」は現在の奈良県の地名・吉野の美称。換喩を巧みに用いた歌で、ビキニが水沫を散らすと言いつつも、作者の視点はビキニではなくビキニを身に着ける女性にあるのだろう。「古風な感じと現代チックな感じの交じり具合がいい塩梅」(福島)といった感想も。作者によれば、土地を称賛することによりその土地の神々の加護を得ようとする方法で万葉集に頻出する「土地ぼめ」に挑戦したとのこと。三首目。たしかにいつも明るいミッキーだって気が滅入ってしまうことくらいある。ミッキーと居酒屋という組み合わせの意外性を評価する声が多かった。作中主体については、落ち込んでいる自分をなぐさめるためにミッキーのことを思い浮かべている、ミッキーの着ぐるみの仕事(!)をしている人である、ミッキーと一緒に飲んでいる、といった解釈があがった。

見晴るかす冬の荒野に唯一つ黄色く華やぐ煙突が待つ  小野田光
見るべきほどの(濁世の涯の裂け目より風に忤ふ我が)ことは見つ  佐藤元紀
診られゆく乳房ソファーに並びおりだいたいふたつときどきひとつ  有田里絵
一首目。「黄色く華やぐ煙突」を独創的と評価する声が多い。「黄色」から酸化ウラン(軽水炉の燃料)を指すのでは、とか、「煙突が待つ」というからには主体は今からそこへ行こうとしているはずで、ならば銭湯だろう、など評者がそれぞれに空想を膨らませた歌だった。この「待つ」については、力強い歌なのに最後が受動的に終わるのが残念とする声のあがる一方で、煙突が立つ荒野へと主体が足を踏み入れようとする希望に満ちた歌との解釈も。二首目。濁世は「じょくせ」、忤ふは「さからふ」。カッコでくくられた部分を取り除いた「見るべきほどのことは見つ」は平家物語の平知盛の最期のことばとの指摘が複数あり。しかし「あのきっぱりとした台詞に対抗できる内容はよほどのものでないと」(雨宮)といった意見のほか、カッコでくくって「濁世の涯~」を挿入させる効果・意義を問う声があった。三首目。予防を目的とした乳がんの検査、あるいは「ときどきひとつ」というからには術後の検診を詠っているのではないかと、各々の読みに微妙なずれがあった。深刻な題材を感傷的にならずに敢えて即物的に詠むおもしろさがある一方、特に詠み手が乳がんの当事者などでないかぎりは、意図せず読む人を傷つけてしまう場合があるのではないかとの指摘も多かった。

導きの星の役の子伏せ気味の顔は金色に塗られたり幕は上がりつ  文屋亮
嬰児の夢に囚われ少女らは互いの息で恐怖を分かつ  雀來豆
子どもを主題とした対照的な歌二首を挙げる。前者は学芸会の一場面だろうか。歌会が開かれたのがちょうどクリスマスシーズンで、クリスマスの風景として読みとった者も多かったようだ。「導きの星というのがこのクリスマスの季節にもぴったり」(東)、「上句は、もうこれで、一篇の短篇小説の導入部になりそう」(雀來豆)。ただ、下の句の字余りが歌の魅力を損ねているとする声が多数上がったほか、「塗られたり幕は上がりつ」の時系列の混乱も指摘された。二首目。嬰児は「みどりご」と読む。少女らが将来自分たちも子どもを産むという可能性に気づきおののく、あるいは、すやすやと眠る嬰児を「『何だこの小さな命は』と息を呑んで見守っている」(福島)、また、この少女らは嬰児殺しをしたのではないか、など解釈が分かれたが、いずれにしても全体を通して恐怖、孤独、残虐さといった雰囲気をうまく作り上げているとの評価の声が多い。

密会と裏切りの糧【かて】、我が庭に流るることのなき乳と蜜  新井蜜
最後に出題者・新井蜜さんの歌。「み」で始まり「つ」で終わるという兼題は新井さんのお名前からではないかと黒路さんが勘繰っておられたが、本人は「密」で始まり「蜜」で終わる歌を詠出。「乳と蜜」を密会すなわち不倫や情事の象徴として読み取ろうとするむきが多く、また、旧約聖書ヨシュア記に「乳と蜜の流れる地」と表現されている約束の地カナンを踏まえているのではないかとの指摘も。

かばん関西オンライン歌会は、年齢も境遇もさまざまな詠み手が集う刺激的な歌会。かばん正会員に限らず、購読会員、またいずれにも当てはまらないゲストの方も多く参加され、交流を広げる大切な場にもなっています。関西出身・在住者にかぎらずどなたでもご参加いただけます。ご興味をお持ちの方は、本誌「掲示板」のページにある、かばん関西のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。

(記/土井礼一郎)
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by kaban-west | 2016-01-05 19:59 | 歌会報告