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2016年 07月 16日

6月歌会報告

二〇一六年六月かばん関西オンライン歌会記

【参加者】 雨宮 司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、うなはら紅(購読)、うにがわえりも、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(未來)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ぱん子(未來)、福島直広、ふらみらり、ミカヅキカゲリ、村本希理子(計十九名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

 新暦六月、とみいえさんから出された題は「梅」または「雨」。梅雨のころほひ、各人の出詠が楽しみを増した。
 偖、歌会の妙の一つは一首に正面から向き合つて提示される読みに、自分の読みや感覚、価値観などが揺さぶられるところにあると思ふ。歌集評などに時として見られる、大上段にふりかぶつた自分の見解を前面に出してそれに一首を遵はせるやうな弊はそこでは自然と淘汰される。今回は三首選といふ厳しい選歌ゆゑに、コメントに各自の選歌眼がより明示されたやうに見えた。
 以下、兼題の部の歌を取り上げる。


聞き取れぬ言葉ぽとぽと溜まりゆくまた弱くなるボサノバは雨
有田里絵
東京のすきますきまへ流れこむ雨水はさみしき群衆として
                         土井礼一郎
カーナビを無視し進みぬ霧雨につつまれひかる工場のあれば
           ぱん子
梅の実を母に見せんと摘みしのち午睡覚むればうつろな右手
岩井曜


 高評価の四首。一首目は結句に共感と高評価が集中した。その言ひ切りの見事さ、雨を「言葉」そのものと感じとり他の言葉との続け柄を賞賛した読み、ボサノバのリズムが既に雨だとする読みなどが提示され、ジョビン「三月の雨」や「ゲッツ/ジルべルト」の名前も挙がり、一首の深さを際立たせてゐた。二首目の「雨水」は「うすい」。こちらは「すきますきま」が読みの鑰となつた。東京の「すきますきま」に流れてゆく雨水と群衆との喩の関係に、切なさや使はれてゐる人々の姿と都市の人々の孤独を感じる評が並んだ。三首目の「工場」は「こうば」。主体の心象にも言及する「カーナビを無視し進みぬ」の読みが一首の価値を高めたもの。この上二句がなければ唯の工場ラヴに過ぎないのだが、指示された道を無視した理由をどう読むかがコメントの場を盛り上げる。まさしく目指す場所だつたから、否々、カーナビなしでは進めぬ未知の土地で腰以降の工場に出会つてしまつたからだ、目的地ではないがその工場が余りに魅力的だつたからだ、等々。この工場の美しさが心に浮かんでくる。四首目は上句を夢の中として下句にその感覚が残つてゐる読みが出された一方、実際に子供が梅の実を摘んで、目覚めたらその梅がなくなつてゐたといふ読みも少なくなかつた。前者では「うつろな」に夢との繋がりを読み、後者では結句に実際の痛みを感じとつてゐる。実の毒を心配して母がそつととつた、梅も母も夢から覚めて消えてしまつた、などと梅の印象が香を漂はせんばかりの一首となつた。


雨ふれば昼澄みゆきぬ夏もまた幼き夏に戻りてひかる
    雀來豆
雨あがり何か忘れていたような夕焼けうわーうわーと鴉
    泳二
梅サワージョッキをつかむ指先は今の僕より雄弁だろう  
ふらみらり
回数券二枚ちぎって右左のれんを揺らす梅の湯デート
   福島直広
黒人はゆっくり歩く。落ち梅のにおう時間をくぼませ夜を
  とみいえひろこ
梅干しを食べてもご飯は赤いまま そういうものに僕もなりたい
                  杉田抱僕


 「ああこういう歌が読みたかったのよ」とのコメントが出された一首目。「こういう」は素直に読み下して納得できる、やさしい気持ちになる歌。梅雨前の暑さを初夏でなく「幼き夏」とした作者への賞賛もあつた。結句も併せ下句への評価が寄せられてゐた。二首目では「何か忘れていたような」への共感とともに「うわーうわー」のオノマトペへの評価が分かれた。面白い、結句がじわーと効いてくる、軽すぎる、やはらかすぎる、それだけ論議されるといふことはこの歌に魅力があるといふことだらう。三首目、ここでやつと二度目の梅。題に合せて梅サワーを出したことへの意見もあつたが、逆にそこに中途半端さ、可愛らしさを読んだり、醒めたやうな考察のリアルさを感じとつたりしたコメントも出された。四首目、三度目の梅(くどい!)は銭湯。前述の「梅サワー」とともに「梅」以外でも成立してしまふといふ指摘が出されたが、回数券に逢引する二人の関係の安定を読んだり、微笑ましく感じたり、情景への好感が多く寄せられてゐた。五首目はまづ「黒人」の一語に目が行きがちでそこでの賛否やとまどひもみられたが、「黒人」「落ち梅」「夜」の取り合せの珍しさ、コントラストを指摘したり、言ひ切りの潔さは評価する意見もあつた。黒人がゆつくり足下からの梅の香の夜を歩いてゆく様がにほひたつ。六首目の下句は宮澤賢治を想起させるが、「そういうもの」にあたる上句が様々に解釈されつつ確定しきれないところに、梅干しとご飯の赤が印象づけられる観があつた。


字が滲むナンバーを書くすぐ後に写経地獄か雨の業務は
  雨宮 司
嫉妬する聖母のやうに降る雨の、なぐさめなんかききたくないわ
    新井蜜
雨の降る前に伐らなくちや増殖するものに囲まれくるしいくるほしい
                       村本希理子
皺む空無数無念の色を吐く青野に走る雨の感情
  うなはら紅
雨漏りの音ききながら膝枕にて耳そうじ おやすみなさい
                うにがわえりも
飲みさしの濃茶の底に立つ浪のあやめもわかで俺の梅華皮
                           佐藤元紀


 今回久々に歌会に参加したのだが、これまでに取り上げた歌も含め、どの歌にも目を留める表現があることを強く実感した。勿論さういふものがなくてもいい歌もあるし、目が留まることが読みを止めてしまふ場合もあらうが、読み手が目に留まつた表現からその歌に入らうとすることはごく自然なことである。一首目の「雨の業務」の独特な雰囲気、二首目の「嫉妬する聖母」とスピード感たつぷりの下句、三首目の腰「伐らなくちや」と下句への種々の反応、四首目の「皺む空」「雨の感情」、五首目の「耳そうじ」からの想像の広がりなど、コメントせずにはゐられない歌が揃つたところに、今月の関西オンライン歌会の充実を視たやうにおもふ。最後の一首の「梅華皮」は「かいらぎ」。「こんな機会でもないと持ち出せない物」との言葉をいただいた。

 紙幅の関係で自由詠については高得点の歌を何首か掲出しておく。
今後もこの歌会が盛会となるやう、各人の健詠と多くの方の参加を祈り願ひつつ、筆を擱くこととする。

どうしても他人【ひと】をゆるせぬ夜のあり耳の後ろを泡立てこする
  ぱん子
ざわめいたまま終礼は始まらずいつしか森に変わる教室
  泳二
南北日本軍事境界線を越え下校の兵士が吹くリコーダー
    土井礼一郎

(佐藤 元紀 記)
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by kaban-west | 2016-07-16 21:09 | 歌会報告
2016年 07月 15日

5月歌会報告

かばん関西5月オンライン歌会記

参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、うなはら紅(購読)、泳二(ゲスト)、小野田光、ガク(購読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ぱん子(未来)、ふらみらり、ミカヅキカゲリ、村本希理子

進行役の塩谷風月さんが提示した兼題は「風」。今回は参加者それぞれが正選五首のほか逆選三首をえらぶという形式で進められ、いつもより辛口のコメントも多かった。

港から山の街電車たちにもキスをしてゆく風の唇  うらはら紅
はつなつの風を支ふる柱なれ中央分離帯の欅は  十谷あとり
さびしげな風景見せられ眼球に風受けて出る〈すまいる眼科〉  村本希理子

はじめに街の情景を詠みこむ三首。うらはら紅さんの歌では、まず海から港を通じ「山の街」へと風が吹き抜け、人の住む街中で「キス」をする。「港、山、風、といったら神戸を思います。阪急電車。でも阪急電車のシックな感じよりもっと爽やかな印象」(とみいえ)。「風の唇」といった率直な表現は高評価だったものの、結果としては案外逆選が多く、リズムの乱れ、特に句跨りの効果が不明だとする意見が多かった。二首目。街に吹き寄せた風は大通りに入り、「中央分離帯の欅」に支えられながらさらに進む。この把握の仕方は短歌ならではだろう。「立体としてとらえる発想、分けるものではなく支えるものとしてとらえる発想に新しさを感じた」(岩井)。三首目。街に吹く風はやがて人々の暮らしのそばを巡る、などと書きたいところだが、この歌の、眼球に吹き付けられるという風に対しては「眼圧検査ですね」(小野田)といった指摘が複数あり、なるほど納得。「さびしげな風景」は焦点距離の検査の際に見せられる映像のことだろうか。

春風に君のイヤホン抜け落ちて僕と目が合うはじまりの朝  岩井曜
正座せし汝のあしうらに風とまる五月闇 攫われてしまうの  とみいえひろこ

恋愛感情を描くのがこの二首。風のいたずらに恋の芽生える岩井さんの歌。コメントを見ると高校生の恋愛をイメージしたという方が複数おり、それは「春風」とした効果か。ただ「下の句はベタと言えばベタ」(黒路)、「漫画の一場面のようで『どきどき』に欠ける」(足田)といった意見も。一方のとみいえさんの歌では同じ恋を扱うにしても雰囲気ががらりと変わる。「汝のあしうらに風とまる」というとそれはもうきっと「風」ではなく風に託された視線か感情なのだろうか。四句目、五句目の句跨りを通じ一気に感情が高ぶらせていく。「激しい恋の予感」(足田)、「着物に慣れた女性を想像します」(有田)。

波の上【へ】を跳ぶ兎たち見るのだと髪なびかせて磯に立つきみ  新井蜜
西からの生ぬるい風髪に受け鬱々と浮かぶ妹が横顔  ガク
生ぬるい風にふかれて歩く日のあれは筑波の山だねきっと  橘さやか

一首目は弾け飛ぶ白波に兎のかたちを見出そうとしているのか。風の存在は波とともに「髪なびかせて」で示される。「〈自分にとってのかわいい者〉への目線のやさしさ、敬意を感じさせます」(とみいえ)。好奇心旺盛な年若い女の子の印象か。二首目も髪に風があたるのだが、「西からの生ぬるい風」だという。「妹」は「いも」と読ませ、妻を指しているのではとの指摘多数。一首目には「君」に対する羨望にも似た眼差しがあるが、二首目に見出すのは出口の見えない鬱屈した感情だ。「生ぬるい」は風の温度とともに、ふたりの将来に対する失望の象徴のように読める。偶然にも同じ「生ぬるい風」を詠んだのが橘さんで、しかしこちらは遠くの「筑波の山」を見やりながらのむしろさわやかなやり取りだ。「生ぬるい風の不快感、友達とのとりとめない話、ここではないどこか遠くに行きたい気持ち……そういうものが一体となったノスタルジーを感じます」(岩井)。

足早に歩める我を追い越して風がゆつくりなぶる夏草  泳二
草の原むせぶみどりのこくうすく心にぞしむ風のあけぼの  佐藤元紀
風薫る五月、あなたはこの風のなかにいますか。そのものですか。  杉田抱僕

一首目。「我」を追い越した風は、さらにその存在を裏付けるかのように夏草を揺らす。逆選のコメントは「足早」「追い越して」「ゆっくり」の整合性を問うものだが、「『足早』になっても追い越されてしまう、つよい『風』からの圧倒的な暴力の匂いが恐ろしくていい」(ぱん子)と、このズレを積極的にとらえるむきも。二首目は広い草原。「風の撫でる草の原をみどり色の色彩の変化で表現した」(黒路)。ただ「こくうすく」という色の濃淡が出るのは日中のはずで、「風のあけぼの」とした違和も指摘された。三首目。「『千の風になって』を思い出した」(岩井)というように、これも広々とした空間を吹き抜ける自由な風だが、具体的なモチーフは見あたらない。「短歌というより自由詩の雰囲気」と有田さんも言うとおり、杉田さんの「風」は短歌を心地よく裏切る。

油凪 風のひとつも吹いてくれぼやきながらも餌を取り替える  雨宮司
たまづさの君に恋文かきつばた甘樫池【あまかしのいけ】のそよ風に揺る  黒路よしひろ

一首目。釣りだろうか。「油凪」はあぶらを満たしたようにまったく波の立たない様子。「風のひとつもふいてくれ」との重複を指摘するむきがあるが、とぼけたおもしろさも感じられる。二首目。この歌には雨宮さんが「ずいぶん古典的なレトリックを用いているが、たまにはこういった短歌も必要」とおっしゃる。「たまづさの」は手紙を運ぶ使者であるところの「使」や「妹」、あるいはその届け先の「君」にかかる枕詞として知られる。さらには「恋文書きつ」「かきつばた」と掛けことばを採用。技巧的な上の句から池のほとりのカキツバタが風にそよぐ下の句へ至り、清涼感が強調される。

室内用鯉のぼりセット売られおり泳がなくても子がいればよい  有田里絵
向かい風 おのれの力量ためすごとのしのし歩き叫ぶおさなご  ふらみふらり
誘われて出かけなかった日の暮れに風呂場の猫を洗って遊ぶ  雀來豆

こちらの一首目も、泳がない「室内用鯉のぼり」=風の不在を巧みに用いる。「純粋に子供への愛情が感じられるこの歌は評価されていい」(黒路)。ただ歌の内容は至極真っ当な反面、ひねりがないという指摘も。この歌、鯉のぼりを泳がす庭がなくとも子どもがいる幸せをしみじみと感じているととる方が多かったが、例えば子が欲しいのになかなか授からない夫婦が主体とみれば、あえて正論のみの詠いようにも深みが感じられる。二首目。同様に子どもを詠むが、こちらは向かい風を正面から受け「のしのし歩き叫ぶ」という愚直ともいえる表現が子どもの生命力を強調している。最後の歌は必ずしも子どもが主体ととらえなくてもよいのだが、毎日がとてつもなくゆっくり過ぎていった子ども時代に引き戻されるような不思議な魅力がある。今回、正選はこの歌が最も多かった。「誘われて出かけなかった心残り、そう思いながら日が暮れてしまったさみしさ、後ろめたさ」(泳二)。「風呂場」に兼題の「風」を見出すが、村本さんの「家の中は無風で、出かけていたら会っていたはずの風はここにはない。心のわだかまりが外の風を作中主体にかすかにイメージさせている」との指摘にはなるほどと思う。

(土井礼一郎 記)
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by kaban-west | 2016-07-15 21:03 | 歌会報告