かばん関西歌会

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2017年 02月 04日

新春弁天町歌会記

◆◇ かばん関西新春弁天町歌会記 ◇◆

とき:二〇一七年一月二十二日 午後一時から五時まで
ところ:弁天町ORC200生涯学習センター 第三会議室

年の初めの歌会は、大阪市港区弁天町にあるORC200(ORCは大阪リゾートシティの頭文字で、200は建物の高さだそうです)にて行いました。大寒の二日後ということもあり、外はみぞれ混じりの雨が降る寒さでしたが、室内は古めの設備と途切れのない意見交換のため暑いほどでした。

【出席者】
雨宮司、有田里絵、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、十谷あとり(日月)
杉田抱僕(ゲスト)、蔦きうい(玲瓏 選歌のみ)、東湖悠(ゲスト)、福島直広
【詠草・選歌のみ】
新井蜜(かばん/塔)、黒路よしひろ(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、ふらみらり
*表記なしはかばん正会員。複数所属の場合は()内に斜線で区切って記載した。

司会進行の十谷あとりさんから出題された兼題は「砂」です。詠草一覧順に紹介します。

◆兼題「砂」
★鵜のように頭を砂にうずめても眠れぬほどの冬晴れの夜      雀來豆

川鵜は砂に頭を埋めて眠る性質があるの?眠れない鵜を自己のネガティブな投影では?
と当然の疑問が沸きます。冬晴れと夜は釣り合うのかどうか、この砂は実は明るい光の性質を持つものではないか、結局のところ何をしても眠れないのだろう等、詳細な意見もありました。
作者は今回の兼題を見て、鵜が砂に頭を埋めて眠ると聞いたことがあるのをふと思い出したそうです。曖昧さの残る記憶だったものの、あえて真偽を調べずに歌にしてみようと詠んだ歌です、とのこと。

★父親にピストル向けるモノクロな家族写真のここは鳥取     東湖 悠

父親にピストルを向ける子どもはそれだけでインパクトがある。
ピストルを向ける事象は、写真の中で起きているのか外なのかで意見が分かれた。いま実際に鳥取にいるかどうか、ピストルはおもちゃなのか拳銃なのか、もしくは手で真似をしているのか。歌の中の語句はそれぞれ理解できますが、不確定要素もそれぞれ持っており、不確定なままに読むことを良しとする人とはっきりしたい人とでは読みが分かれる歌でしょう。
今回初めてお会いできた東湖さん、「意味はともかく」と前置きし、イメージや雰囲気を大事にする歌への共感について話しておられました。

★やわらかな波に崩されゆく前に壊してやろうか置いて去ろうか  塩谷風月

砂の文字を使っていなくても一読して砂の構造物を詠んだ歌だとわかります。そのことが参加者全員に伝わっていました。上から下までひっかからずにすーっと音読できるリズムの良さがあり、多くの票を得ました。
下の句は両方マイナスの行為ですが、そもそも砂はいつか崩れてしまう存在です。主体は既に孤独な状態に置かれていて、これからさらに孤独感が強まるのかもしれません。とはいえ、砂は崩れても人と人との間柄は崩れないと思いたいです。

★太陽を砂粒に例え愛情の広さ深さを語る教員           雨宮司

上句の比喩は「太陽の大きさを砂粒の大きさだと仮定すると」という意味になる。しかし「大きさ」は「広さ」「深さ」とは対にならず、ねじれが生じているという意見があった。
先生ではなく教員という語をわざわざ使っている点からこの先生が嫌いなんだろうかと想像したり、「実際こんなこと言われても全然わからない」という声があったり。大きなもの、普遍的なものを詠むのは難しいと改めて感じました。

★壊滅は回避されたね白砂がひかりのように夜空からふる     橘さやか
前半は「壊」と「回」で韻を踏みつつ硬めの漢語を用い、後半はひらがなを使って柔らかな印象を持たせている。フィクションの世界を詠んだのならアニメでラスボスをなんとか倒した後の光景で、リアルなら例えば中東のようだという意見があった。
作中の物語が最終的にハッピーエンドになるかどうかについては意見が分かれた。
「壊滅はしなかったけれども結局は白砂に埋まって死ぬ」とか、「壊滅を避けるために必要な犠牲として、例えば爆発が起きて、白砂が降っている」とか、想像力を発揮した読みがあった。

★真夜中にみづ飲みにいくのはきらひ風が黄砂を運んでくるから   新井蜜

詩的な表現、全体的なきれいさを評価する意見が多かった。
後半は水を飲みに行くのが嫌な理由が書かれているが、この理由については、「明らかに嘘だとわかる理由を述べて、本当の気持ちを察してほしいと願っている」「こんな理由を言ってくれる女性がいたらうれしい」など、活発な声が続いた。
屋外に水を飲みに行くのかもしれない、屋内だが水場にある窓から黄砂が見えるのかもしれないという冷静な読みもおもしろかった。
それにしても、主体が女性だとすると面倒な女だと私は思いますが、みなさんいかがでしょう。

★夕暮れに青い飴玉砂まみれ逆上がりする僕と妹        福島直広

「青い飴」と「僕と妹」にはどちらも存在感があるモチーフで、作者がどちらをより重点的に捉えようとしているのかわからないという意見が最初に挙げられた。
「飴」「僕と妹」「並列」の三種類に分けて挙手をしてもらったところ、「飴」と「並列」が同数で「僕と妹」は少数だった。
読んで意味のわからないところはなく、現実にも十分起こりうる設定で無理がない。用言が少ない上に体言止めの歌なので、視覚的にも音読しても詰まった印象を受けるという指摘があった。

★おし照るや難波の小江に葦蟹が飛鳥へ行くと続く砂跡    黒路よしひろ

オンライン歌会でも登場している葦蟹。万葉集の中の葦蟹を取り入れて柔らかく歌っている。
「蟹は本当にカニなの?難波から飛鳥までカニが歩いて行けるわけないでしょう。」「いや、短歌だから、本当のカニでもいいんじゃない?」などなど、素直に楽しんで読ませてもらいました。この歌一首だけでも成立できそうですが、参加者は自然に続編を待つモードに入っていました。

★冬かげは浅川に差す水底の砂を踏みゆく鷺の背にさす     十谷あとり

静かな冬景色の歌。修飾語の構造が読み取りにくいという意見が最初に出た。
最終的に二句以降が鷺にかかっていくのはわかるが、「冬かげ」は浅川と鷺との両方にかかるのか、鷺だけにかかるのかがわかりにくい。また「差す」と「さす」は用法・意味共にほぼ同じだと受け取れるが、表記を変えてあるのはどんな意図があるのだろうかという疑問が出た。対象が違うので表記を変えた、柔らかさや視覚的効果を考えた等の声があった。
修飾語の構造を読み解こうとするとき、私は、国語の授業でしていたように線や矢印を書き込みます。懐かしい気持ちになると同時に、短歌に関わっている小さな喜びを感じます。

★水を張りほうれん草の根をすすぐ砂を噛むような日も過ぎゆく  有田里絵

上の句は具象的で、下の句は抽象的。「砂を噛むような」は慣用句であり、そのまま使って主体の心情を表してしまうのはもったいないという意見と、上の句で誰にでもわかる細かい具象を提示しているから、その対比としての抽象であり気にならないという意見があった。ほうれん草の根っこの砂を噛むのは嫌いじゃないという声もあった。
ほうれん草は料理中に浮かんだ素材で、「砂を噛む」という動詞化ではなく「砂を噛むような」という形容詞の形にして使うのが主であると知って、句またがりを気にしつつもそのとおり使ってみたのでした。

★ぎゅぎゅぎゅっと砂利がつまってなめらかで足裏たのし月夜を歩く ふらみらり

上から下まで順接になっていてすらすら読める、擬音がとてもリズミカルでおもしろいと評価された歌です。私(人間)がではなく「足裏」が楽しんでいるという点もこの歌にとって効果的。ただ、「砂利」と「なめらか」は相反するものではないかという意見が出た。実景は砂利だったかもしれませんが、ここはお題に沿って「砂」としても確かに文字数は合いますね。
スニーカーの裏の溝に砂が詰まったとか、ウォーキングなどのために車道とは別に舗装された道なのでは等、参加者の中で想像が広がっていた。
夜に歩くのっていいですね。この歌のように、例えば夜桜吟行など、してみたいです。

★アルタ前をフタコブラクダが闊歩する東京砂漠に出る蜃気楼   杉田抱僕

まず、アルタ前という限定された地名に効果を感じるという意見があった。
正午から放送されていた某人気番組に直結する場所なので、遠からず凋落していく何かや絶滅危惧種へとイメージをふくらませた読みもあったが、あの有名歌謡曲に引きずられすぎて歌に入り込みにくい人もいたようだ。
ラクダ、砂漠、蜃気楼と三つの素材が揃いすぎているという指摘や、東京を省いて単に「砂漠」とすればよいのではという声(それなら歌謡曲を離れられる)もあった。
ちなみに作者は新宿に行った経験はなく、歌謡曲についても検索するまでほとんど知らなかったそうです。

兼題は以上です。

続いて自由詠の詠草を記載します。

★自由詠
酒を飲み酔ってばかりの侍がズボラズボラと悪党を斬る       雨宮司

薔薇の花あなたと食べた三月のような海だね気まぐれな鮫     橘さやか

温かくやわらかなキスが欲しくってあなたを鍋でくつくつ煮込む  塩谷風月

えもの待ち乾いた砂によこたはる寝たりはしないこころたかぶり   新井蜜

聞こえます地下室でいま婆ちゃんの酸素の器械がシュウという音   雀來豆

聴診器をあてて眠る暗闇に猫の毛も降る深夜3時に        東湖 悠

大君に召されて行きし葦蟹の誰ぞ知らぬかその後の行方  黒路よしひろ

破魔矢持つ男子神籤の話するその笑顔もて凶退けよ       有田里絵

外国人観光客の討論で聞き取れたのは「スシ」と「スキヤキ」   ふらみらり

窓のない地下書庫はいつもいつまでも昼で天国みたいなひかり    杉田抱僕

パイプ椅子リングに叩きつけながらサムアップ鶴岡現れる     福島直広

パラソルハンガー影ゆるゆると廻りゐる屋上にゐる北風とゐる   十谷あとり

自由詠は以上です。

ご覧のとおり、毎回半数以上がかばん会員以外であるというかばん関西は、今年もバリエーション豊かに活動してまいります。
不定期ながら、お会いして短歌の話をする貴重な機会を作り続けていきたいと思います。
(有田里絵/記)
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by kaban-west | 2017-02-04 20:05 | 歌会報告
2017年 02月 03日

1月歌会報告

かばん関西二〇一七年一月オンライン歌会記

【参加者】
雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、泳二(ゲスト)、戎居莉恵、ガク(購読)、河野瑤、黒路よしひろ(ゲスト)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、東湖悠(ゲスト)、とみいえひろこ、ふらみらり、ミカヅキカゲリ
*表記なしはかばん正会員。複数所属の場合は()内に斜線で区切って記載した。

蝋梅の花香る新春最初のかばん関西オンライン歌会。
歌会係の雀來豆氏によって提示されたお題は「調味料」。
普段料理をする者、そうでない者、そんなかばん関西の歌詠みたちが厳選した調味料によって調理された短歌の一品を、ぜひご賞味あれ。

■ 骨付きの鶏もも肉にローズマリー一枝添えてオーブンへ入れる  雨宮司
まずは、雨宮氏による調理の過程そのままを詠んだ、あっさりした味付けの一首。
「淡々と結句まで読み切ることの、言わば正しいエネルギーを感じさせてくれる」、「この歌のあとにもう一首続くような雰囲気もあって、その一首を読んでみたい」などの好意的な評があった一方で、「何か一点おかしみやかなしみのようなスパイスが欲しかった」との意見も寄せられた。
全体としてはそのまますぎる印象への物足りなさを指摘する意見が多かったように思うが、「殆どの句を贅沢に使って描写された料理の様子がなんだか仕合せ色な感じ」との評が当てはまる一首と言えるのではないだろうか。

■ ゆずすこを所詮酢入りってだけの柚子胡椒だと嗤われつつ買う  ミカヅキカゲリ
「ゆずすこ」は今話題の新感覚ゆずこしょうソースのことらしい。
ほとんどの参加者がこの歌によってその存在をはじめて知ったようだが、説明がなくともこの歌自体がその解説になっていて、それでいながら説明っぽさを感じさせない作風への好意的な評が集まった。
また、この歌を読んで実際に「早速通販で購入し、摩訶不思議な風味の虜になっている」との参加者も。
一方で、「嗤」という漢字を使ったことに対しては、「強烈な悪意のインパクトを読者に与えることを意図しているのだとしたら、嫌味が過ぎる」との評も。
他にも「嗤」の文字への戸惑いの意見は多かったものの、「じわっと効いてくるおかしさ、二句から三句のつながり、結句のおさめ方、など歌のつくりが巧み」な作品であるように思う。

■ どこまでもさざなみ団地の光あるおおつごもりに醤油たらしぬ  とみいえひろこ
団地という巨大な建造物群からそのなかの非常に小さな部屋の、食事という非常に卑近な行為に視点がズームインしていく、とみいえ氏による魅力の一首。
二句目は「さざなみ」で切れるのか、あるいは「さざなみ団地」との団地の名なのか判断に迷う意見が多かったが、「同じ形の建物が並んでいる様子をさざなみと表現している」、「窓から漏れる光がさざなみのように見える」などの解釈が正解に近いか。
「おおつごもり(大晦日)と醤油の関係性が見えない」ことへの指摘も少なからずあったが、「今年も無事終わった、としみじみ思いながら食卓に向かう光景が目に浮かぶ」などの好意的な票が多く集まった一首だ。

■ 手に余る箱いっぱいの調味料君が残した醤油は重い  東湖 悠
「料理好きだった恋人と別れてしまって、彼(彼女)が買ってきた調味料だけが家に残っている」との状況だろうか。
「昔の自分の失恋を思い出した」などの共感の評が多かった一方で、「手に余る」と「箱いっぱい」など、意味の言い換えになっているところをすっきりさせたほうがもっと存在感の強い歌になるとの指摘も。
「重み」でなく「重い」とした表現の切迫感、「リアルすぎるほどリアルで、重すぎるほど」の結句に、もしこれが「醤油」ではなく「胎児」とか「罪」とかだったら……との想像を広げる参加者もいて、言葉が持つ力の重みをあらためて感じさせてくれる一首のようにも感じた。

■ みづうみも豚と短歌もいぎたなし胡椒をたんと闇鍋に振れ  足田久夢
全体的にポップでコミカルな印象で、それを楽しむ歌と言えるだろうか。
「なんとなく感覚が先に伝わってくる、強いねばりのある歌」との好意的な評があった反面、「みづうみと豚と短歌の関連性がわからない。異物衝突の面白さという感じでもない。」との意見も。
「いぎたない」は、みっともない寝相や、だらだらと寝て起きないという寝る行為へのネガティブな表現だが、「そういう怠惰なものを打ち破るために胡椒を振ってすべてを目覚めさせるのだろうか」との考察などもあった。
そんな「みずうみ」、「豚」、「短歌」、のセレクトの意味が参加者を悩ませた一首だが、みづうみを闇鍋のことと解釈するなら、「まさに、世界には、いぎたない事象が一杯に詰め込まれているのである」との評にも共感できる。

■ まよなかの海に墓石を棄ててゆくようにふたりで刺身をつまむ  土井礼一郎
こちらの歌もまた意表を突く喩えで参加者を迷わせた一首だが、「調味料」のお題で詠まれた歌であるなら「真夜中の海が醤油、墓石が刺身(マグロ)」との解釈が正解か。
「食事の風景をこんなふうに詠めるなんて!」との驚きや、「ことばの選択の仕方によってこれだけのつましさが出せるところに巧さを感じた」との好意的な評が多く集まった。
また、「語られすぎていないところ、刺身の生々しさが余韻を醸す」との意見もあり、選外とした者たちにもおおむね好評な歌だったように思う。
そんな、比喩の難解さによってさまざまの解釈の生まれた歌だが、それぞれの意見を集めることで一人の「読み」ではたどり着けなかった正解へと近づいていける歌会の醍醐味を感じさせられた一首でもあった。

■ 醤油瓶ながしの下で冷えてゆき新月の音聞き分けている  ふらみらり
「新月の音」という本来聞こえるはずのないものを詠って読み手を惹きつけた、ふらみ氏の高得点歌。
「しんとした静寂を詠んでいながら、そこに音という単語を持ってくるのが逆説的でいい」、「醤油瓶の気持ちになって見ることのできない月を音で感じ取ることができるなら、孤独ではない」などの好意的な評が集まった。
「ながし」の平仮名表記については「流し」でもよいとの意見や、平仮名にすることでわたしたちが知っている「流し」とは別物のようなひやりとしたこわさがある、との見解もあり意見が分かれた。
また、上の句については「冷えてゆき」と時間を流すのではなく冷えた今を切り取った方が歌が冴えると思う」との指摘もあった。

■ 蝶と名のる少女と逢ひぬ夕映えの熱塩駅の駅舎の跡で  新井蜜
熱塩(あつしお)駅は、旧国鉄日中線の駅で、廃線後は改修されて記念館として保存されているそうだ。
そんな駅舎の跡での少女との邂逅を詠った一首だが、日本映画のような独特の世界観の静かな魅力でこの歌もまた多くの票を集めた。
「物語のプロローグのような内容に、本篇を読みたくなるが、無い方がいいのかも」との感想や、「いかにも物語が始まっていきそうな思わせぶりさが好き」など、ここから始まって行く展開への想像が読み手を惹きつけたようだ。
一方で、少女が「蝶」と名乗るなどの明らかに作られた物語性への抵抗を感じる意見もあった。

■ きっとみなバルサミコ酢が家にある女子の履いてるヒールの高さ  岩井曜
「女子あるある」的な視点で、男女問わず参加者の共感を得た岩井氏の高得点歌。
「バルサミコ酢という具体的だけれど少し的外れな感じ(現実的に無いだろ、という気持ちと、そもそもバルサミコ酢は少し古くないのか? という気持ち)にリアルさを感じる」など、「バルサ
ミコ酢」のチョイスの秀逸さを評価する意見が多かった。
一方で、「履いて(い)る」の「い」の省略が、口語に寄りすぎて気になるとの指摘もあり、手放しで褒めるだけでない、かばん関西の歌会の魅力もそこに感じた。

■ 永遠をスプリンクラーが塩田に虹を撒くのを眺めつづける  雀來豆
「眺めつづける」対象が「塩田に虹を撒く」スプリンクラーと「永遠」。
そんな意図的な文脈の構成の乱暴さに評価の分かれた一首だが、そこも含めてスプリンクラーが作り出す虹に「永遠」を見つけた作者の感性を評価する意見が集まった。
この歌のなかではモノのほうが見る主体より意志の持ち方が強いように思う」、「製塩の現場では見慣れた光景なのかもしれないが、なんだかやたらと爽快だ」などの好意的な評に対して、選外とした意見はその屈折した表現に対するものであったのもこの歌の特徴をよく表しているだろう。

■ 雑踏の隙間に満ちる寂しさにソースの香り絡みつく夜  ガク
繁華街の夜の、都会の人がたくさんいる中での孤独感をソースを通して表した魅力の一首。
「日常の中での次善の幸福というか、ダメな中での救いというか、そういうものを感じた」など、「雑踏の隙間に満ちる寂しさ」という表現の的確さと着眼点の面白さを評価する意見があった一方、「ソースの香り」が夜に絡みつくと云う表現に少し常套句的なのを感じるとの意見も出た。
ソースを詠ったのは関西の歌会ゆえか、そのソースで孤独を詠む個性が読み手の印象に残った一首のように感じた。

■ 青さゆえ下手なきんぴら食べさせた今ならちゃんと味醂も足せる  戎居莉恵
かつての恋人との思い出を詠った一首だろうか。
味醂(みりん)でスピーディーにそこそこのうまみをそれとなく出せるという、すれた感覚が身に付いたことは、よいことなのか悪いことなのか…
そんな、拙いながらも一生懸命に料理した純情さと、料理が上達することによって失われてしまったかも知れない「何か」を、自身に置き換えて考えされられた参加者もいたようだ。
「下手なきんぴら」も「今ならちゃんと」もリアルで力がある、との好意的な評があった一方で、「青さゆえ」の表現の雑さ、上の句全体の説明っぽさを指摘する意見もあり、味醂の足りないきんぴらの純情さをどう評価するかで意見の分かれた一首だったように思う。

■ 独りだが心配するなと父親は力まかせに調味料ふる  河野瑤
今回初参加の河野氏による一首。
妻に先立たれて一人になってしまった父を心配する子供の図だろうか。
あるいは単身赴任なのかも知れないが、不器用ながらも子に頼らずに自分の力で生きていこう行こうとする父親のがんばりを、料理する姿を通して詠った自然体な詠み口で多くの共感を得た歌だ
一方で、「何の調味料か詠んでほしかった」との意見や、「力まかせに」という言葉だけに寄りかかってしまうのは惜しいとの指摘もあり、勢いだけでは美味しい料理にはならないように短歌にもまたひと捻りの個性を求める意見もあった。

■ 初垂【はつたり】の塩をも漆【ぬ】られ大君【おほきみ】の御食【みけ】となりたり葦蟹【あしがに】我は  黒路よしひろ
万葉集巻十六にある長歌「乞食者の詠」を元にした一首。
自由詠に提出した歌「葦蟹【あしがに】は召されて行きぬ大君【おほきみ】の明日【あした】の御食【みけ】になるとも知らず」と、さらにオフライン歌会の二首(別稿参照)を并て、計四首の一連だが、作者としては長歌「乞食者の詠」の反歌的な歌として詠んだ意図もあった。
ただ、一部の参加者には深い共感を得たものの、繰り返し差し出される葦蟹料理に食べ飽きてしまった参加者もいたかも知れず、その点は申し訳なかったように思う。

■ 砂糖菓子しずかに壊れ気がつけばあなたの町に夕暮れがくる  橘さやか
時間の経過を砂糖菓子に託して詠んだ幻想的な雰囲気が魅力の橘氏の一首。
「砂糖菓子には何とも言えないポエジーがある」、「壊れた砂糖菓子と夕暮れが不思議に照応している」との好意的な評が集まった一方で、逆に「砂糖菓子」のベタさを指摘する意見や、「気がつけば」などの表現の甘さ、わざとらしさが気になるとの意見も出た。
その上で、「さりげなくやがてとりかえしがつかなくなる予感を醸し出している表現の巧みさ」など、詩的な感性によって、選外とした参加者たちにとっても心に残る一首となったようだ。

■ 焼き鮭を何もかけずに食べてみる知らない海に触れてきた皮  有田里絵
「知らない海に触れてきた皮」の発見の秀逸さが群を抜いている有田氏による兼題の最高得点歌。
「素直に食物連鎖の上にいるものから下にいるものへの尊敬、感謝を実感する」、「自分も焼き鮭の皮は食べる派だがそんなことを考えもしなかった」など、着眼点と発想の見事さを評価する意見が相次いだ。
他方では、「上句から下句への想像の飛躍が、ちょっと遠すぎる」との意見や、「上の句の順序立てて詠む表現方法は拙い説明っぽさを感じさせる」との指摘もあったものの、「食べてみる」という行為の神聖で切実な感じがよく出ていて多くの参加者の共感を得たようだ。

■ 入れすぎた砂糖を塩でごまかしたオムレツよりもおいしい笑顔  泳二
四句までをすべて比喩につかわせる「おいしい笑顔」が魅力の一首。
「まっとうにオムレツを作っていたら、笑顔とどちらが美味しかったのだろう」、「料理で砂糖を塩で誤魔化すのは経験上、無理なように思う」との感想もあって、話題が広がった。
また、この「おいしい笑顔」は、オムレツを食べているひとなのか、オムレツを出したひとなのか。あるいは誰にとってのおいしい笑顔なのかと様々な疑問や解釈が出て、読み手を楽しませてくれた一首でもある。
一方で、「おいしい笑顔」にすべてを集約させてぶちっと切るのはちょっと強引すぎるような気分になる、との指摘もあり、もう少し主想をはっきりさせる表現の推敲が必要な歌のようにも感じられた。

■ ぷちぷちと蟻の代わりに味の素つぶせば真昼の悪夢は白い  杉田抱僕
蟻の代わりに味の素をつぶすとの少し狂気じみた背徳感が魅惑の、杉田氏の一首。
味の素をつぶすというふつうに短歌を詠んでいたならありえないくらい細かな視野がおもしろい」、「蟻の代わりに味の素をつぶすなんて考えたことない」との驚きで、参加者の興味を誘った。
「悪夢」については、「味の素をつぶす行為そのものが悪夢」であるとの解釈と、「味の素をつぶす自分の心への恐怖が悪夢」であるとの解釈に分かれたが、そんな解答の見えそうで見えないまぶしいばかりの「何か」の余韻が、なぞなぞのように読む者の心に響く歌となった。

■ ハイミーと味の素を舐めくらべてた昭和四十五年の子供は  塩谷風月
杉田氏の歌と同じく、こちらも味の素を詠ってまたべつの魅力を示した塩谷氏の一首だ。
参加者の中には「ハイミー」を知らない平成生まれもいたが、説明がなくとも味の素に似た製品があったのだろうと解る詠い口も丁寧なように思う。
その上で、「ハイミー」が何であるかを知って読むとシンプルな「昭和四十五年の子供」が俄然生きてくる、との意見もあり、作者の意図とは別に懐かしさと若い世代にとっての目新しさを同時に感じさせてくれる歌ともなったようだ。

ここまで「調味料」のお題で詠まれた十九首の歌の紹介でした。
以下に自由詠の高得点歌も紹介しておきます。

■ 大変な戦争でした中庭にあらゆる歌が埋められました  泳二

■ ひと様にさしだせるようこなごなに砕けちれよと固いわたくし  ふらみらり

■ うんてるでんりんでん雪が降り積もりうんてる舞姫りんでん踊る  杉田抱僕

■ みんな幸せとわかれば年賀状はればれとして翌日捨てる  岩井曜

■ 野良猫が秘密のように舐めている食卓塩の真っ赤なキャップ  雀來豆

以上、二〇一七年一月のかばん関西オンライン歌会記でした。
かばん関西では関西在住者に係わらず広く短歌仲間を募集しています。
興味のある方はぜひML係までご連絡ください。

(黒路よしひろ:記)
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by kaban-west | 2017-02-03 20:06 | 歌会報告
2017年 02月 02日

12月歌会記

かばん関西 2016年12月歌会 報告

【参加者】雨宮司・新井蜜(かばん/塔)・有田里絵・岩崎陸(ゲスト)・うにがわえりも(選歌のみ)・泳二(ゲスト)・戎居莉恵・ガク・黒路よしひろ(ゲスト)・佐藤元紀(詠草のみ)・塩谷風月(未來/レ・パピエ・シアンⅡ)・雀來豆(未來)・杉田抱僕(ゲスト)・橘さやか・足田久夢(玲瓏/講読)・東湖悠(ゲスト)・とみいえひろこ(選歌・コメントのみ)・東こころ(かばん/未來)・ふらみらり・ミカヅキカゲリ(計二十名)


※所属表記なしは「かばん」正会員。

新暦十二月、雨宮司さんから出された題は「走」で読み込み指定。最初から定義が明確なこの文字をいかに用ゐるかが難しいなか、出詠一覧は題をモティフとして活用し、独自の世界を展開させる歌が並んだ観があつた。

以下、兼題の部の歌を取り上げる。

駅前の横断歩道を小走りにわたる頭に銀杏を乗せて         泳二

走っても走ってもまだ遥か先わたしの虹のうまれるところ    橘さやか

波寄せるテトラポットをぞみぞみと走る鉄【くろがね】色の軍勢  雨宮司

走ることやめてしまった星たちがしずかにひかりはじめる深夜  東こころ

冷え切った甘いコーヒー飲み干して咳払いして助走終了    ふらみらり

走馬灯編集委員がカットした時間は全部君がもらって      杉田抱僕

矢印の迷走してゐるからだから夜會のなかへ放ちやる鳩     足田久夢

物語が踏み固められてきた道にうずくまる少女よ 走れ、走れ   雀來豆

一首目は「小走り」「銀杏」の組合せとそれを頭に乗せてといふ状況に、可愛らしさ、軽快感、ほほゑましさ、と高評価が集まつた。銀杏は葉なのか実なのか、主体は人か動物か、といつたところにそれぞれの読みが広がつてゐたがそれがどうあらうとこの高評価は的を射てゐるだらう。二首目は下句の鑑賞が眼目となりやはり高評価の一首。甘さやひつかかりが指摘されつつも、虹の根つこを追ふといふよくあるモティフを上二句と結句で詠ひあげたところが成功してゐる。虹に未来を憧憬する読みも出された。三首目は「ぞみぞみ」のオノマトペが見事。下句をフナムシと捉へた読みが多かつた。上句と下句の照応が印象的な四首目は星の擬人化への感嘆と一首の美しさが話題になつた。結句の「助走終了」への評価が分かれた五首目は、仕事に向けての朝の助走で色々考へて時間が経過したのか、何かの告白までの長い時間なのか、意味を詰め込みすぎたり立ち止まる印象を与へたりしてゐないか、珈琲への各自の思ひ入れも込めながら歌会ならではの様々な読みが披露される。「走馬燈編集委員」の表現の面白さが指摘された六首目には、その表現で戸惑ふ意見や、結句に愛や甘やかさを見る一方で言ひさしの弱さも指摘された。七首目、イメージの強い言葉の多用や旧漢字の使用から生まれる世界をどう読むか、魂の解放かいや自由とは限らないのか、言葉が印象深い分各自の読みが錯綜してゐた。結句、兼題の繰り返しが直球で読み手に訴へてくる八首目は、上句の閉塞感や陋習から自由になれ、といふ読みと、見え透いたところに「走れ」は言へない、少女は蹲る役割だから「走れ」と言はれても困るのでは、という読みに分かれた。

月光を背に受け走る犬とわれの行く手に青く光るみづうみ     新井蜜

逆立ちで走って逃げるアスファルト その手触りを忘れないでね  岩崎陸

我が父は変態なゆえ職場まで二時間をかけ走るアラ還   ミカヅキカゲリ

走れない私の脚への考察を140字で誰かお願い          東湖 悠

常套的、だから何だ、読者に何を届けたいのか、といふ印象の上で、それでも気になる一首として点が入つた一首目は「犬」がポイントとなつてゐた。結句の「みづうみ」に向かつてゆく流れも評価された。上句のシュールを受容できるか否かが焦点になつた二首目は、その滑稽さに留まるか、下句の願ひの切実を読み取るかで評価が分かれる。「変態」といふ断定の清しさと同時に「これが変態か」といふところが話題にされた三首目は、腰以降の行動をどう読むかなのだらう。阿羅漢、嵐寛寿郞なども飛び出して面白いコメントが並んだ。「140字」にツイッターを込めたところに評が集中した四首目は、「走れない私の脚」といふところとそのツイッターとの関連をどうとるかがポイントとなつた。猶、オンライン歌会の特性上詠草は横書きで記されるため、この評では「140字」を所謂「横中縦」のかたちで記してあることを書き添へておく。

太陽に向かってふたり走り出すラストはいつもどんでん返し     ガク

走為上。贈りし言葉を取り違え明るい朝に飛び降りた友     塩谷風月

ヘルニアの走る痛みに堪へ兼ねて妻呼ぶ鹿の鳴きし吾が声  黒路よしひろ

全力で走っているよトラックの外で声援送るカズヤも      有田里絵

この道をどこへ走って行くのだろう こんなとこまで来てしまったか

  戎居莉恵

肩口を走るおまへの唇に爆ぜやまぬ俺のなづき狐火       佐藤元紀

 結句が気になるといふ評が賛否共に集まつた一首目は、映画やテレビドラマの最終回やオチを想起させつつその結句をどう読み取るかで常套的かさうでないかが決まる。余談だかスペクトラムのノベルティーアルバムにある曲で「夕日に向かつて走り続けろ~」といふ曲がこれを書いてゐる頭の中に響いてゐる。兵法三十六計最後の計、例の「三十六計逃げるに如かず」を置いた初句が注目された二首目は、友の自殺の歌なのに漂ふ明るさに関心が集まつた。切実さや恐ろしさが「明るい朝」に見られるといふことも指摘された。三首目はとにかく痛い、痛い、しかし申し訳ないが笑つてしまふ。それをもたらしてゐるのが文法的に難点はあるものの読み手の想像力で読みを補へる下句である。ことに四句目の切実感が却つて痛みの孤独感を際立たせてゐるやうだ。四首目は過不足なく傷もない表現を買ふ評の一方で歌の景がぼんやりしてゐるとの評も出された。否定的な評では「カズヤ」が誰かといふ点もあり、「タッチ」までが引かれてくる一幕もあつた。五首目、上句と下句の照応をどう読むかで様々に評が展開された。繋がりが分からない、得てしてそんなもの、ひねりがほしい、さうして中也の「頑是ない歌」の一節、武田鉄矢も歌にした「思へば遠く来たもんだ」まで出されて賑やかなコメントの場となつた。

 歌会の面白さは、それぞれの読みが提示されることで、自分の知らなかつた世界に出会つたり、自作がおもひがけない読み方をされる場にでくはすところにある。更に、分からない読みには説明を求めたり、反論がある場合には根拠と共にそれを提示し、さういふ状況を作り乍ら読みを深め、歌への認識を新たにできる。かう書くと当り前のことだと言はれるかもしれないが、この原点を意識しておかないと、憖に会が進んでしまつたり一方的な賞賛や否定の場に成り下つたりしてしまふ。オンライン歌会は確かに議論を交すかたちにはなつてゐないが、それぞれの評が自分の読みを批評してくることで、自分の力がついてくる実感を得られるのが何よりもありがたい。そのやうな場にゐられることを感謝しつつ、更なる参加者を求めたくおもふ。

 最後に、自由詠での高得点歌を挙げておく。

吾輩はポケモンであるもう誰も訪ふことのなき公園にゐる   泳二

川と海、城跡そして飛行機の離陸する音、生まれた町の  橘さやか

名前とは現世に焼き付けられた印されど消えゆくどら焼きの印   東湖 悠

(佐藤元紀/記)

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by kaban-west | 2017-02-02 20:13 | 歌会報告