かばん関西歌会

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2016年 12月 11日

秋だ!鶴見緑地吟行歌会記

かばん関西 秋だ!鶴見緑地吟行歌会記

【日時】平成二十八年十月二日(日曜日)午後一時から五時まで
【会場】大阪市立鶴見区民センター 集会室三
【参加者】(敬称略、五十音順、表記なしは「かばん」所属) 雨宮司 泳二(ゲスト) 黒路よしひろ(ゲスト) 福島直広 ふらみらり

十月二日の日曜日に大阪市の鶴見緑地で秋の吟行歌会を開催しました。当日の天気が心配だったんですが、誰かの行いが良かったのかどうにか晴れとなり、蒸し暑いながらもまずまずの吟行日和となりました。
午前中は集合時間等は決めずに、各自が自由に吟行する形でゆるゆるっとスタートする感じでした。
自由参加のオプションツアーとして十一時に咲くやこの花館(植物園)前に集合して館内を吟行という企画もあり雨宮さん、黒路さん、福島の3人が参加しました。これもまた集まったという感じでもなく皆好き勝手に入場料を払って館内を散策していました。
一人二首ずつ提出という事で、皆の詠草を紹介します。

餌【え】を漁【あさ】る鶴見緑地の駅前に秋を装ふデニムの少女 黒路よしひろ

松林檎パインアップルのことだよパインは食べる松は食べない 福島直広

いつもとは違う一人の公園でもういちど聴く SEKAI NO OWARI 泳二

高山の花の女王は青いケシ秋の晴れ間の空の青さだ 雨宮司

すれちがうひとたちみんな和田さんに見えるけれどもどこかちがう ふらみらり

捨てられぬビールの缶を持ったまま鶴見緑地公園を後にする 泳二

瑞士【スイス】から臨む鶴見の大池の水面が割れてパイルダーオン 福島直広

咲くやこの花の館に咲く花の我は見惚れり花より少女 黒路よしひろ

この中に高橋さんはいませんかフリマで表札売っている声 ふらみらり

湿布薬の匂いの花をつけるというモクキリンにはあいにく会えず 雨宮司

歌会終了後は雑談タイムとなりました。
咲くやこの花館内で、ガイドをしていたお姉さんにずっとついて行ってモクキリンの話を聞いていた雨宮さん、鶴見緑地に来る途中で体調不良となり駅のトイレに半時間程こもっていた黒路さん、酒気帯び吟行疑惑を持たれつつ飲んではないと繰り返し弁明していた泳二さん、今回唯一の女性で会場に華を添えてくれたふらみさんの「和田さん」の歌では結句の字足らずで議論が白熱しました。
今回は少人数でしたが、その分全員がそれぞれの歌にコメントをして、濃い内容の歌会となりました、そして「恒例の?」短歌の質問コーナーでは所属の話とか歌集出版の話等を聞くことができました。
終了後、区民センターで雨宮さんとふらみさんとはお別れして、泳二さん、黒路さん、福島の三人で近くのBIGBOYでハンバーグを食べてお開きとなりました。
黒路さん体調悪いて言ってたのによく食べてたなあ。
                         記:福島直広
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# by kaban-west | 2016-12-11 11:09 | 歌会報告
2016年 10月 15日

9月歌会報告

かばん関西二〇一六年九月オンライン歌会

【参加者】(敬称略、五十音順、表記なしは「かばん」所属) 雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、岩井曜、岩崎陸(ゲスト)、うにがわえりも(選のみ参加)、泳二(ゲスト)、戎居莉恵、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来/レ・パピエシアンⅡ)、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、とみいえひろこ、福島直広、ふらみらり、ミカヅキカゲリ

残暑厳しい九月初め、今回の進行役の塩谷さんから出された兼題は「駅」。以下正選・逆選の集まった歌についてまとめてみたい。
「じゃあね」したホーム歩けばひりひりと飛び散りそうになる日々を越え  戎居莉恵
初句「じゃあね」のニュアンスについて解釈が大いに割れた原因は、結句の「越え」という言い差しに求められるだろう。
「ひりひりする日々」を既に越えてきた、と回想に取れば、冒頭の「じゃあね」は、胸に痛みを残しながらも、ある程度の距離感・客観性をもって振り返るニュアンスにとれるが、多くの評では「越えていきたい」「越えていくのか、どうか」という未然の願望ととらえた方が多く、その場合「じゃあね」は、表向きのそっけない口ぶりとは裏腹に切実さ、深刻さのニュアンスが含まれる。今まさに「ひりひりと」した「危険な関係を、とりあえずホームに見送ることで一段落させたのだが・・・」(佐藤)というこの「焦燥感」(雀來)。
もちろん「越え」が言い切られていない限りどちらの解釈も可能なのだが、より切迫した「現在進行形」の読みに多くを引き寄せたのは、ある程度「リズムを損ねる」(雀來)ことを犠牲にしてでも初句助詞抜き・下句句跨りにしたことで、逆に「心身のリズムも乱されている」「こころがアンバランスに揺れている」感じとそぐわしい、と感じた評者が多かったためであろう。
駅までの何もできなかったことをおもう道のりポケットは森  とみいえひろこ
文の成分として「駅までの」と「なにもできなかったことをおもう」が並列で、ともに「道のり」にかかる連体修飾句、という、ふつうの文章では「読みづらい」の一語で朱を入れられてしまうような、この不思議な語順の魅力に、最初は気づかなかった。なんだ「駅までの道のりにまた後悔の森森とたつ外套のなか」とか、なんとかするっと書けばいいのに。と思って看過してしまった。
評には多く「ポケットは森」という比喩の良し悪しについて言葉が尽くされていた。「人の手の加えられたものを林、加えられていない自然のままを森、というらしい。作中主体の、ポケットに手を突っ込んで歩く駅までの時間は、まさに人の進入を許さない森だった」(黒路)というハードボイルドな解釈に一読しびれてしまったし、「森という言葉に、後悔の念が伝わってくる」(ふらみ)という感性豊かな評も心に残る。たしかに「森」の鬱蒼とした感じ、うっかり踏み入れられない領域、という感じは、こころの襞の鬱屈に相関し合うと思う。
ただ、森=心の「鬱屈」「後悔」「不可侵」を思わせる何よりの装置は、四句目までの、ドイツ哲学の文体を思わせる修飾関係の意図的な「読みづらさ」にあったようにも思う。「なにもできなかったことをおもう」と韻律の枠をおおきくはみだしても終わらない修飾句の長さが、決して終わることのない作中主体の懊悩・逡巡・停滞等とまさしく対応している、とやっと読めてきた。「文語(で短歌を書くこと)は軽く、口語は重い、ということもある」とかつて語った土岐正浩の言葉※などを思い出しながら。
駅前のだんご屋「武平作」バスの窓から見てた(好きだったきみ)  新井蜜
窓から見えていたのは「きみ」なのか或いは「きみ」を回想させる「だんご屋」が窓外に過ぎていったのか好きだったのは武平作のだんごか武平作の店員だった「きみ」なのか・・・あえて状況・主体・「きみ」との関係などの情報量を絞って、読解のあいまいさそのものを味わって欲しい趣向、という評が多かった。「だんご屋武平作(ぶへいさく:実在の栃木駅前の店舗)」を手柄と読むか(黒路)、説明過多と取るか(泳二)、音の無骨さが作中主体を思わせる(塩谷)と踏み込むか、句跨りも含めて強い印象が残る一首。
駅。私が生まれた家 廃線の跡にわたしと弟の部屋  雀來豆
自由詠の 私は窓がひとつ欲しい 廃線を横切る鹿ときみを見るため と合わせて、極めて自由な作風で好悪合わせて評が集中した二首である。因みに「上句自由律型」の歌(下句で韻律にまとめていくスタイル)は最近はよくみられるようだ。
はしなくも「白黒の絵本」(ふらみ)と喝破されたように、この一首(二首)には淡い、うすぐらいファンタシー(ディストピア)の趣がある。現実的に読もうとすれば???が孑孑のように湧くだけだろう。
遺棄された街の廃駅に住み込んだ一家の成長の物語。それを後年訪れた「私」が、「わたしと弟」の部屋から回想をはじめる。「廃駅の駅舎で一家が暮らし始めて二年目のことだった。その頃「子供部屋」には窓がなかった。」そんな、分厚い書物の出だしが自分には自然に浮かんでくる。SFを溺愛する自分には「待ちかねた一首」。勿論、描かれているままに「4枚の写真が壁に貼られている」(塩谷)ととっても極めて詩的喚起力が高い作品だ。
「出発できない葛藤」(佐藤)「もう生まれた家にも帰れない」等「廃線」の象徴性に読解のヒントを求めたひとも多かった。自由詠「廃線」も正選票を集めた一首だったが、選びながら解釈に思い悩む評も多く、その「解らないけれど惹かれる」感が素晴らしい。
木漏れ日の無人駅は夏の底コーラの缶を捨てたら行こう  杉田抱僕
「夏の底」という比喩に参ってしまった評者が多い。缶コーラの赤と木漏れ日の緑、「無人駅」→思えば遠くに来たものだ、ここが夏の「底」だろう、という青春の高揚感。二句目の字足らずでさえ味方につけて若さ溢れる一首となった。一気に「底」まで飲み尽くす炭酸の、喉を灼く感じが夏日の峻烈さとも呼応しているし、コーラの甘味が木陰のやさしさに、甘やかな孤独感とも呼応するのだろう。CM的な構図の「まとまり過ぎ」も、たしかに感じはするが・・・それも含めての「若さ」の表現かもしれない。因みに日本コカコーラCMの初期コンセプトが、あらたな「青春」群像の提案だった。
鴻池放出鴫野住道読めない人と結婚したい  泳二
いくつかの質問に答えていくと「あなたの理想のお相手は」と相性診断の結果が示される、そんなアプリにあふれた昨今を穿つ皮肉の効いた歌だと思った。みな「俺全部読めたから結婚できないね」「ひとつしか読めなかったけど・・・「読めない人」を求める作中主体はかなり性格悪そうだから、深く考えないことにする」等それぞれに読解を楽しんでいる。しかし「恋したい、ではなく結婚したい。今の自分の生活に閉塞感を持っている」(塩谷)という指摘も、意外に正鵠を射抜いているかもしれない。
秋の日に小菊抱えて各停でガタンゴトンと揺れる両膝  ミカヅキカゲリ
「小菊」「秋の日」からお彼岸で故郷の墓参に帰る途中、という情景であろう、つつましやかにうつむき加減で電車に揺られている作中主体の目線。それが膝から離れない、というより俯いたままでいることに亡くなったものとの距離も測れるだろう。その佇まいに「清廉」(とみいえ)と評したコメントも印象に強い。「ガタンゴトン」というオノマトペにも「ふつうのひと」感が表現されていると見た。オノマトペに凝るだけで「普通じゃない」感満載で、歌人≒作中主体の個性が出てしまう。盆踊りに舞うひとの笠のように、死者への追悼には無個性が「顔のみえないこと」が相応しい。それが死者そのものとも重なって見えてくるのだ、と小泉八雲は綴っている 。
たしかに「駅」そのものは歌っていないが、ひと駅ひと駅各停の点呼を聞きながら、目的の駅が近づくにつれ生活圏の記憶の濃度も増していく、そのグラデーションが感じられる。歌に描かなくても「駅」の名は各々の心に、それぞれ親しい駅名で響いてくる。
「兼題の漢字そのものを読み込まなくていい」というかばん関西歌会のルールを十分に楽しんだ佳作、として記憶したい。
自由詠では上記「私は 窓が・・・」の他に
この町で生きていこうと決めた日の荒野のような部屋に飾る絵  岩井曜
ビル街を無地の服着てのろのろとわたしは道に迷った蟻だ  ふらみらり
いま君が開いたものがドアである証にここに花を置きます  泳二

が得票の多かった一首で
(血液も寂しそうだね)流れゆく群衆のなか立てば天啓  杉田抱僕
を「テロリストの心境」(岩井)と読解したコメントも印象に残る。

                    ※「神楽岡歌会 100回記念誌」99頁より
                               (担当 足田久夢)

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# by kaban-west | 2016-10-15 17:04 | 歌会報告
2016年 10月 07日

8月歌会報告

かばん関西二〇一六年八月オンライン歌会

【参加者】(敬称略、五十音順、表記なしは「かばん」所属)
雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、岩崎陸(ゲスト)、うにがわえりも、泳二(ゲスト)、小野田光、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ふらみらり、ミカヅキカゲリ

 日本全国が猛暑を覚悟していた八月初め、今回の進行役の岩崎陸さんから出された兼題 は「針」。歌会後、岩崎さんは「痛み、それもきらきらしたもの」を求めていた、と吐露されていた。針という言葉から私たちが感じたものは何だったのか。各コメントの後に、それぞれの針を明記してみた。
 レコードに刻み込まれたオーボエの息継ぎまでを針は拾いぬ  泳二
レコード針という細くするどいもので、聞き逃してしまうような微細なものを拾い上げる緊張感がいい。そして、そこまで集中して音楽に聴き入る作者の姿も、歌の通底音になっている。(レコード針)
 小径ゆくみたいにランウェイをあるく針の視線を刺した衣裳で  小野田光
 針のような視線さえ衣装にして、小径を歩くような軽い足取りで歩くモデルの強さを感じる。モデルの軽快さと息をつめたような見る側の鋭い視線の対比が面白い。(針の視線)
 嘘発見器の針のごと妻のゆびさき振れたのち枝豆をとり  土井礼一郎
 内容が面白くて物語性がある。指先、枝豆など、映像が目に浮かんではらはらさせる。最後を「とり」と連用形にすることで、物語の続きを連想させるという指摘もあ った。(嘘発見器の針)
 奥つもの名張壮士【なばりをとこ】の釣り針に餌もつけずに釣られし我は  黒路よしひろ
 〈わが背子は何処行くらむ奥つもの〉(萬葉)からの本歌取り(足田氏より)とのこと。餌などなくても恋に落ちてしまうこともある。黒路氏はときどき女になりきった歌を詠まれるが、どうしてわかるのー、とのけぞるぐらい女性の心情をすくい取るのが上手だと思う。恋する心に男女の区別はないってことか。(釣り針)
 ししゅう針ぷつりと刺せばあふれ出す音律のなか糸をくぐらす  ふらみらり
 針をさした穴から音律が溢れるというイメージに高評価を得た。くぐらせるものは糸でなくてもよいのでは、という意見もあった。(ししゅう針)
 病まずには生きてゆけな い注射器に血は赤黒くほとばしりつつ  佐藤元紀
 注射器の中の赤黒い血に自分の生命力を見いだしている。病をもっていることも、生命の原動力になっているのではという、一読すると負のイメージなのに読み込むと生命賛歌になるとは面白い。(注射器)
 待ちおれば古いミシンの針のごと慌たただだし行き交う人の  雀來豆
「慌たただだし」という表現でミシンの動き(雑踏の動き)を上手く表せているという意見と、技巧的に感じる、という見方もあった。人混みの行き交う足下の様子の中に、ミシンの騒々しい無機質で非情な感じを見いだす感性がすばらしい。(ミシン針)
 釣り針は祈りに似てるピノキオは鯨のなかでよく眠れたの?  杉田抱僕
 つり針そのものが祈る人の形に似 ているのだろうか。釣りをするときも祈りに似た状態になると思う。そういう釣り=祈りの中でピノキオが浮かんできたのかもしれない。釣り針、鯨、ピノキオの連想だろうか。ピノキオのインパクトが強すぎる感もある。(釣り針)
 つらぬける針やわらかに内奧【ないおう】を抉りくるゆえ知らんぷりする  ミカヅキカゲリ
 針でえぐった人物がいるのか、流れ弾のようにたまたま突き刺さり、えぐられたのかまでは表されていないが、前半の痛々しい内容から、「知らんぷり」という強がっているけどどこかかわいい表現への飛躍が魅力ある。(つらぬいてきた針)
 結婚を促すようにとんとんと眠る恋人に毫針【ごうしん】をうつ  うにがわえりも
 本当に鍼灸師が恋人に針を打ったのか、 何かの比喩だろうか。恋人が男なのか女なのか、また作者の性別次第で、読み手は怖いと感じたり、共感したりほのぼのしたりで、視点によって味わいがくるくる変わる。(毫針)
 それからはほんとうのことだけを言う胸に小さな針をしまって  とみいえひろこ
 針は何の比喩だろうか。本当のことを言うときにちくりとさすための針をしまっておくのか嘘をつくことで自分を守っていたもののことかという鋭い読みもあった。観念的な歌であるため、解釈の範囲が広い。(胸の裡の小さな針)
 針めどに糸を通してやることが子どもの役目だつたあの頃   新井蜜
 目が悪くなってきた肉親のために糸を通してあげるという、誰もが一度は経験のあるようななつかしさ。今は針を持つ人が減り、 また糸通し器のような便利なグッズも売られているので、よけいに戻ってこない過去を感じる。(縫い針)
 だますなら釣針を口に掛けるまで水の中から引き上げるまで  雨宮司
 塚本邦雄の〔馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ〕を連想された人が複数いて、作者も意識していたと後述されていた。最後までだましきったのなら、それは見事と言えるし、だまされた方も救いがある。(釣り針)
 行く君がアンダースローで投げ上げた針よ雨中にはればれと散れ   岩崎陸
 アンダースローという言葉に魅せられた人が多数。わたしは「はればれと散れ」という表現も気持ち良く感じた。別れの時のさびしさとすがすがしさが同居している感情が、動きのみで表されている 。雨の中で光る針が美しい。(別れ)
 いつも思うことだか、題詠は、一つの言葉から出てくるイメージが、各人全然違うことが楽しい。

最後に高得点だった自由詠を紹介する。

わたくしが生きるためには手助けが不可欠なゆえ火星を想う  ミカヅキカゲリ
猛暑日のおまへが欲しい百本の青唐辛子に穴あけてゐる  佐藤元紀
ひき際が綺麗でしたね花束はどこかで燃えて香りをはなつ  小野田光
                                (記/ふらみらり)

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# by kaban-west | 2016-10-07 09:22 | 歌会報告
2016年 10月 07日

7月高槻吟行報告

かばん関西七夕高槻歌会
二〇一六年七月三日(日曜日)
於 高槻市立芥川公民館
【参加者】(当日参加者)雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、黒路よしひろ、佐藤元紀、雀來豆(ゲスト)、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直広、ふらみらり、ぱん子(未來)
(詠草のみ参加者)泳二(ゲスト)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(購読、玲瓏)、ミカヅキカゲリ

 お題「願い」をもとに、歌会を行いました。歌会のあとは芥川までみんなで歩きました。
 当日の高得点歌はこちら。

アゲハチョウ早く孵れと願う子の静かに光る歯の矯正具  雀來豆
ひかるくしくらげおどりを見てみたい月の触手もぐねぐねとして  足田久夢
駅ビルの地下の三脚スツールと占いを待つ女が赤い  福島直広
何ねがふなくて見上ぐる夏至の空 朝、あたりまへのやうにあかるし  十谷あとり

 その他、今回は作者による自作の説明の時間、短歌あれこれについて話す時間などもとりました。

ささやかな願いはたったひとつだけ一冊だけでも本を出したい  雨宮司
蒼ざめる牝鹿の群れを打ち捨てて駆け落ちしたい目覚めよアリス  新井蜜
講堂のグランドピアノ開くとき青海を見る十五歳たれ  有田里絵
七夕の夜はむやみに雨雲を見上げぬようにお願いします  泳二
隙あらば自分語りを始め出す花鶏【あとり】よ今日も良き一日であれ  黒路よしひろ
梅雨空に葡萄しづかにみのりつつ怒りより瞑りそして明日あれ  佐藤元紀
幸福でありますようにここじゃない場所でも僕は気づけなくても  杉田抱僕
願いごと交換し合う夜の子らあなたのくるしみはあたたかい  とみいえひろこ
癒えてなお忘れたころに疼きだす古傷みたいな願いがひとつ  浜田えみな
炭酸の泡は消えゆくわる者が求めた愛や愛や愛のごと  ぱん子
願望が枯渇したときそれはもう死んでるんだよ ハラミほおばり  ふらみらり
 いなどもはや持てずに天の川ちいさき我を夜空に放つ  ミカヅキカゲリ

(記/とみいえひろこ)

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# by kaban-west | 2016-10-07 08:58 | 歌会報告
2016年 07月 16日

6月歌会報告

二〇一六年六月かばん関西オンライン歌会記

【参加者】 雨宮 司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、うなはら紅(購読)、うにがわえりも、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(未來)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ぱん子(未來)、福島直広、ふらみらり、ミカヅキカゲリ、村本希理子(計十九名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

 新暦六月、とみいえさんから出された題は「梅」または「雨」。梅雨のころほひ、各人の出詠が楽しみを増した。
 偖、歌会の妙の一つは一首に正面から向き合つて提示される読みに、自分の読みや感覚、価値観などが揺さぶられるところにあると思ふ。歌集評などに時として見られる、大上段にふりかぶつた自分の見解を前面に出してそれに一首を遵はせるやうな弊はそこでは自然と淘汰される。今回は三首選といふ厳しい選歌ゆゑに、コメントに各自の選歌眼がより明示されたやうに見えた。
 以下、兼題の部の歌を取り上げる。


聞き取れぬ言葉ぽとぽと溜まりゆくまた弱くなるボサノバは雨
有田里絵
東京のすきますきまへ流れこむ雨水はさみしき群衆として
                         土井礼一郎
カーナビを無視し進みぬ霧雨につつまれひかる工場のあれば
           ぱん子
梅の実を母に見せんと摘みしのち午睡覚むればうつろな右手
岩井曜


 高評価の四首。一首目は結句に共感と高評価が集中した。その言ひ切りの見事さ、雨を「言葉」そのものと感じとり他の言葉との続け柄を賞賛した読み、ボサノバのリズムが既に雨だとする読みなどが提示され、ジョビン「三月の雨」や「ゲッツ/ジルべルト」の名前も挙がり、一首の深さを際立たせてゐた。二首目の「雨水」は「うすい」。こちらは「すきますきま」が読みの鑰となつた。東京の「すきますきま」に流れてゆく雨水と群衆との喩の関係に、切なさや使はれてゐる人々の姿と都市の人々の孤独を感じる評が並んだ。三首目の「工場」は「こうば」。主体の心象にも言及する「カーナビを無視し進みぬ」の読みが一首の価値を高めたもの。この上二句がなければ唯の工場ラヴに過ぎないのだが、指示された道を無視した理由をどう読むかがコメントの場を盛り上げる。まさしく目指す場所だつたから、否々、カーナビなしでは進めぬ未知の土地で腰以降の工場に出会つてしまつたからだ、目的地ではないがその工場が余りに魅力的だつたからだ、等々。この工場の美しさが心に浮かんでくる。四首目は上句を夢の中として下句にその感覚が残つてゐる読みが出された一方、実際に子供が梅の実を摘んで、目覚めたらその梅がなくなつてゐたといふ読みも少なくなかつた。前者では「うつろな」に夢との繋がりを読み、後者では結句に実際の痛みを感じとつてゐる。実の毒を心配して母がそつととつた、梅も母も夢から覚めて消えてしまつた、などと梅の印象が香を漂はせんばかりの一首となつた。


雨ふれば昼澄みゆきぬ夏もまた幼き夏に戻りてひかる
    雀來豆
雨あがり何か忘れていたような夕焼けうわーうわーと鴉
    泳二
梅サワージョッキをつかむ指先は今の僕より雄弁だろう  
ふらみらり
回数券二枚ちぎって右左のれんを揺らす梅の湯デート
   福島直広
黒人はゆっくり歩く。落ち梅のにおう時間をくぼませ夜を
  とみいえひろこ
梅干しを食べてもご飯は赤いまま そういうものに僕もなりたい
                  杉田抱僕


 「ああこういう歌が読みたかったのよ」とのコメントが出された一首目。「こういう」は素直に読み下して納得できる、やさしい気持ちになる歌。梅雨前の暑さを初夏でなく「幼き夏」とした作者への賞賛もあつた。結句も併せ下句への評価が寄せられてゐた。二首目では「何か忘れていたような」への共感とともに「うわーうわー」のオノマトペへの評価が分かれた。面白い、結句がじわーと効いてくる、軽すぎる、やはらかすぎる、それだけ論議されるといふことはこの歌に魅力があるといふことだらう。三首目、ここでやつと二度目の梅。題に合せて梅サワーを出したことへの意見もあつたが、逆にそこに中途半端さ、可愛らしさを読んだり、醒めたやうな考察のリアルさを感じとつたりしたコメントも出された。四首目、三度目の梅(くどい!)は銭湯。前述の「梅サワー」とともに「梅」以外でも成立してしまふといふ指摘が出されたが、回数券に逢引する二人の関係の安定を読んだり、微笑ましく感じたり、情景への好感が多く寄せられてゐた。五首目はまづ「黒人」の一語に目が行きがちでそこでの賛否やとまどひもみられたが、「黒人」「落ち梅」「夜」の取り合せの珍しさ、コントラストを指摘したり、言ひ切りの潔さは評価する意見もあつた。黒人がゆつくり足下からの梅の香の夜を歩いてゆく様がにほひたつ。六首目の下句は宮澤賢治を想起させるが、「そういうもの」にあたる上句が様々に解釈されつつ確定しきれないところに、梅干しとご飯の赤が印象づけられる観があつた。


字が滲むナンバーを書くすぐ後に写経地獄か雨の業務は
  雨宮 司
嫉妬する聖母のやうに降る雨の、なぐさめなんかききたくないわ
    新井蜜
雨の降る前に伐らなくちや増殖するものに囲まれくるしいくるほしい
                       村本希理子
皺む空無数無念の色を吐く青野に走る雨の感情
  うなはら紅
雨漏りの音ききながら膝枕にて耳そうじ おやすみなさい
                うにがわえりも
飲みさしの濃茶の底に立つ浪のあやめもわかで俺の梅華皮
                           佐藤元紀


 今回久々に歌会に参加したのだが、これまでに取り上げた歌も含め、どの歌にも目を留める表現があることを強く実感した。勿論さういふものがなくてもいい歌もあるし、目が留まることが読みを止めてしまふ場合もあらうが、読み手が目に留まつた表現からその歌に入らうとすることはごく自然なことである。一首目の「雨の業務」の独特な雰囲気、二首目の「嫉妬する聖母」とスピード感たつぷりの下句、三首目の腰「伐らなくちや」と下句への種々の反応、四首目の「皺む空」「雨の感情」、五首目の「耳そうじ」からの想像の広がりなど、コメントせずにはゐられない歌が揃つたところに、今月の関西オンライン歌会の充実を視たやうにおもふ。最後の一首の「梅華皮」は「かいらぎ」。「こんな機会でもないと持ち出せない物」との言葉をいただいた。

 紙幅の関係で自由詠については高得点の歌を何首か掲出しておく。
今後もこの歌会が盛会となるやう、各人の健詠と多くの方の参加を祈り願ひつつ、筆を擱くこととする。

どうしても他人【ひと】をゆるせぬ夜のあり耳の後ろを泡立てこする
  ぱん子
ざわめいたまま終礼は始まらずいつしか森に変わる教室
  泳二
南北日本軍事境界線を越え下校の兵士が吹くリコーダー
    土井礼一郎

(佐藤 元紀 記)
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# by kaban-west | 2016-07-16 21:09 | 歌会報告