かばん関西歌会

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2016年 07月 15日

5月歌会報告

かばん関西5月オンライン歌会記

参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、うなはら紅(購読)、泳二(ゲスト)、小野田光、ガク(購読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ぱん子(未来)、ふらみらり、ミカヅキカゲリ、村本希理子

進行役の塩谷風月さんが提示した兼題は「風」。今回は参加者それぞれが正選五首のほか逆選三首をえらぶという形式で進められ、いつもより辛口のコメントも多かった。

港から山の街電車たちにもキスをしてゆく風の唇  うらはら紅
はつなつの風を支ふる柱なれ中央分離帯の欅は  十谷あとり
さびしげな風景見せられ眼球に風受けて出る〈すまいる眼科〉  村本希理子

はじめに街の情景を詠みこむ三首。うらはら紅さんの歌では、まず海から港を通じ「山の街」へと風が吹き抜け、人の住む街中で「キス」をする。「港、山、風、といったら神戸を思います。阪急電車。でも阪急電車のシックな感じよりもっと爽やかな印象」(とみいえ)。「風の唇」といった率直な表現は高評価だったものの、結果としては案外逆選が多く、リズムの乱れ、特に句跨りの効果が不明だとする意見が多かった。二首目。街に吹き寄せた風は大通りに入り、「中央分離帯の欅」に支えられながらさらに進む。この把握の仕方は短歌ならではだろう。「立体としてとらえる発想、分けるものではなく支えるものとしてとらえる発想に新しさを感じた」(岩井)。三首目。街に吹く風はやがて人々の暮らしのそばを巡る、などと書きたいところだが、この歌の、眼球に吹き付けられるという風に対しては「眼圧検査ですね」(小野田)といった指摘が複数あり、なるほど納得。「さびしげな風景」は焦点距離の検査の際に見せられる映像のことだろうか。

春風に君のイヤホン抜け落ちて僕と目が合うはじまりの朝  岩井曜
正座せし汝のあしうらに風とまる五月闇 攫われてしまうの  とみいえひろこ

恋愛感情を描くのがこの二首。風のいたずらに恋の芽生える岩井さんの歌。コメントを見ると高校生の恋愛をイメージしたという方が複数おり、それは「春風」とした効果か。ただ「下の句はベタと言えばベタ」(黒路)、「漫画の一場面のようで『どきどき』に欠ける」(足田)といった意見も。一方のとみいえさんの歌では同じ恋を扱うにしても雰囲気ががらりと変わる。「汝のあしうらに風とまる」というとそれはもうきっと「風」ではなく風に託された視線か感情なのだろうか。四句目、五句目の句跨りを通じ一気に感情が高ぶらせていく。「激しい恋の予感」(足田)、「着物に慣れた女性を想像します」(有田)。

波の上【へ】を跳ぶ兎たち見るのだと髪なびかせて磯に立つきみ  新井蜜
西からの生ぬるい風髪に受け鬱々と浮かぶ妹が横顔  ガク
生ぬるい風にふかれて歩く日のあれは筑波の山だねきっと  橘さやか

一首目は弾け飛ぶ白波に兎のかたちを見出そうとしているのか。風の存在は波とともに「髪なびかせて」で示される。「〈自分にとってのかわいい者〉への目線のやさしさ、敬意を感じさせます」(とみいえ)。好奇心旺盛な年若い女の子の印象か。二首目も髪に風があたるのだが、「西からの生ぬるい風」だという。「妹」は「いも」と読ませ、妻を指しているのではとの指摘多数。一首目には「君」に対する羨望にも似た眼差しがあるが、二首目に見出すのは出口の見えない鬱屈した感情だ。「生ぬるい」は風の温度とともに、ふたりの将来に対する失望の象徴のように読める。偶然にも同じ「生ぬるい風」を詠んだのが橘さんで、しかしこちらは遠くの「筑波の山」を見やりながらのむしろさわやかなやり取りだ。「生ぬるい風の不快感、友達とのとりとめない話、ここではないどこか遠くに行きたい気持ち……そういうものが一体となったノスタルジーを感じます」(岩井)。

足早に歩める我を追い越して風がゆつくりなぶる夏草  泳二
草の原むせぶみどりのこくうすく心にぞしむ風のあけぼの  佐藤元紀
風薫る五月、あなたはこの風のなかにいますか。そのものですか。  杉田抱僕

一首目。「我」を追い越した風は、さらにその存在を裏付けるかのように夏草を揺らす。逆選のコメントは「足早」「追い越して」「ゆっくり」の整合性を問うものだが、「『足早』になっても追い越されてしまう、つよい『風』からの圧倒的な暴力の匂いが恐ろしくていい」(ぱん子)と、このズレを積極的にとらえるむきも。二首目は広い草原。「風の撫でる草の原をみどり色の色彩の変化で表現した」(黒路)。ただ「こくうすく」という色の濃淡が出るのは日中のはずで、「風のあけぼの」とした違和も指摘された。三首目。「『千の風になって』を思い出した」(岩井)というように、これも広々とした空間を吹き抜ける自由な風だが、具体的なモチーフは見あたらない。「短歌というより自由詩の雰囲気」と有田さんも言うとおり、杉田さんの「風」は短歌を心地よく裏切る。

油凪 風のひとつも吹いてくれぼやきながらも餌を取り替える  雨宮司
たまづさの君に恋文かきつばた甘樫池【あまかしのいけ】のそよ風に揺る  黒路よしひろ

一首目。釣りだろうか。「油凪」はあぶらを満たしたようにまったく波の立たない様子。「風のひとつもふいてくれ」との重複を指摘するむきがあるが、とぼけたおもしろさも感じられる。二首目。この歌には雨宮さんが「ずいぶん古典的なレトリックを用いているが、たまにはこういった短歌も必要」とおっしゃる。「たまづさの」は手紙を運ぶ使者であるところの「使」や「妹」、あるいはその届け先の「君」にかかる枕詞として知られる。さらには「恋文書きつ」「かきつばた」と掛けことばを採用。技巧的な上の句から池のほとりのカキツバタが風にそよぐ下の句へ至り、清涼感が強調される。

室内用鯉のぼりセット売られおり泳がなくても子がいればよい  有田里絵
向かい風 おのれの力量ためすごとのしのし歩き叫ぶおさなご  ふらみふらり
誘われて出かけなかった日の暮れに風呂場の猫を洗って遊ぶ  雀來豆

こちらの一首目も、泳がない「室内用鯉のぼり」=風の不在を巧みに用いる。「純粋に子供への愛情が感じられるこの歌は評価されていい」(黒路)。ただ歌の内容は至極真っ当な反面、ひねりがないという指摘も。この歌、鯉のぼりを泳がす庭がなくとも子どもがいる幸せをしみじみと感じているととる方が多かったが、例えば子が欲しいのになかなか授からない夫婦が主体とみれば、あえて正論のみの詠いようにも深みが感じられる。二首目。同様に子どもを詠むが、こちらは向かい風を正面から受け「のしのし歩き叫ぶ」という愚直ともいえる表現が子どもの生命力を強調している。最後の歌は必ずしも子どもが主体ととらえなくてもよいのだが、毎日がとてつもなくゆっくり過ぎていった子ども時代に引き戻されるような不思議な魅力がある。今回、正選はこの歌が最も多かった。「誘われて出かけなかった心残り、そう思いながら日が暮れてしまったさみしさ、後ろめたさ」(泳二)。「風呂場」に兼題の「風」を見出すが、村本さんの「家の中は無風で、出かけていたら会っていたはずの風はここにはない。心のわだかまりが外の風を作中主体にかすかにイメージさせている」との指摘にはなるほどと思う。

(土井礼一郎 記)
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# by kaban-west | 2016-07-15 21:03 | 歌会報告
2016年 05月 07日

第2回 現代川柳ヒストリア+川柳フリマに出店いたします

来る5月22日(日)、大阪・たかつガーデンで開催される「第2回 現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」に、かばん関西歌会が参加・出店いたします。川柳×短歌の小冊子、歌集、短歌豆本、短歌の巻物、短歌ガチャガチャ、フリーペーパー、歌誌「かばん」バックナンバーなど取りそろえてお待ちいたしております。たくさんの方々とお会い出来ることを楽しみにいたしております。

くわしくはこちらのサイトをご覧下さい。

http://senryu17.web.fc2.com/main-2016-01.html

川柳フリマ出店一覧
あざみエージェント かばん関西 葉ね文庫 私家本工房 川柳カード 川柳北田辺 川柳マガジン 昭和俳句なう ねじまき句会 SH(瀬戸夏子・平岡直子) 73(中山奈々) 俳句と超短篇(江口ちかる) 「現代川柳」(茉莉亜まり)
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# by kaban-west | 2016-05-07 13:27 | こんなところに出ました
2016年 05月 07日

4月歌会報告

かばん関西四月オンライン歌会記

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年四月
【参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、伊庭日出樹(購読)、うなはら紅(購読)、泳二(ゲスト)、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、酒井真帆(未来)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(ゲスト)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏の會/購読)、とみいえひろこ、福島直広、ふらみらり、ミカヅキカゲリ(計十七名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

今月の歌会は、進行役の十谷あとりさんの提案で、「いちご摘み」という形式を取りました。「いちご摘み」とは、前の歌から任意の一語をもらって、歌を詠み繋げていくというもの。参加者の感想として、「一つの歌から、色々な異なる発想の歌が生まれていくという楽しさを味わうことができた」、「元歌の作者と魂のふれあいができた」という声があったように、連歌の愉しみが味わえる面白い歌会、スリリングな歌会となりました。

歌会参加者は、十七人。詠まれた短歌は、二百八首。この歌会記では、全ての詠草を掲載することはできませんので、次のような形で、一部を紹介することにします。
A.連想の部:「いちご摘み」の連続によって、次々と読み繋がれていった作品の事例
B.異想の部:一つの短歌を基に、異なる作者の異なる発想によって詠まれた作品の事例
C.その他、印象に残った作品

なお、「いちご摘み」の出発点になる最初の歌は、東直子さんの次の歌をお借りしました。
(出典:『かばん』二〇一六年三月号)

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに


以下、四月歌会の詠草を紹介します。

A.連想 (「いちご摘み」の連続によって、次々と読み繋がれていった作品)

A-1.最初に引用するのは、東直子さんの歌を基に詠み繋がれた五首。摘まれた言葉は、順に、「背」→「坂」→「イチモクサン」→「いない」→「桜」。摘まれながら言葉は生き続け、別の歌に詠まれてゆく。幸せな転生というべきか。では、摘まれなかった言葉はどこへ行くのだろう。こちらも、水面下で密かに同じように流れ続けていると考えるのは、ロマンチックに過ぎるだろうか。

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに  東直子
→ 父の背に触れた記憶を探してる桜咲き初む坂をくだりて  塩谷風月
→ いちもくさん黄泉平坂【よもつひらさか】駆け上り桃へと到る伊弉諾尊【いざなぎのみこと】  雨宮司
→ 覚えてる? イチモクサンがここにいたことを今はいないことを  杉田抱僕
→ いないいない風に散る桜にまかれ いないいないあなたの前から  泳二
→ 決断のときかもしれぬひよどりが桜のはなを食べながら鳴く  新井蜜

A-2.同じく、東直子さん→塩谷風月さんの歌の流れから詠み繋がれた十二首。
先の五首(A-1)と対照するとき、おなじ源流の匂いがするか、それとも遠く離れた支流になっているだろうか。どちらにしても、連歌の愉しさが流れの中によく表れていると思う。

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに  東直子
→ 父の背に触れた記憶を探してる桜咲き初む坂をくだりて  塩谷風月
→ B4の鉛筆走るメモ帖に残る記憶があなたのすべて  うなはら紅
→ 電脳の記憶の蜜の味しめてのちのこころは虫のごとしも  足田久夢
→ 気に掛かることば引っ提げ湿り気を与ふる朝に粗き脈動  うなはら紅
→ 命脈を保つ為には血族の中からひとり人質を出せ  雨宮司
→ 紅のわが地の果ての涯に立ち血族守るに独り吼ゆべく  うなはら紅
→ 沈黙の果てにコトリと音をたて君は小さき茶碗を置きぬ  泳二
→ コトリとう女店主のミャオロンズ黄砂に古き歌の混じりて とみいえひろこ
→ 砂糖楓【メイプル】シロップ舐めつつ空を見あげれば黄砂のなかに浮かぶsaucer  新井蜜
→ 「ホットケーキにメイプルシロップ」詞を書いた穂村弘の黒ぶち眼鏡  雨宮司
→  この夜のすべての澱を呑みこんだように大きな黒犬がいる   雀來豆
→ 黒犬は朝の匂いにわだかまる瞳の中に誰を呼ぶのか  うなはら紅


B.異想 (一つの短歌を基に、異なる作者の異なる発想によって詠まれた作品)

B-1.福島直広さんの作品を基に詠まれた四首。「あるでんて」という言葉の響きを受けた杉田さん、ふらみらりさん、「窓」のイメージをふくらませた新井さん、泳二さん。それぞれ、あっというまに違う世界へ連れて行ってくれる。短歌の世界というのは、いったい幾つあるのだろうかなどと思う。

四階の窓をのび太が飛んでゆく茹であがりつつあるあるでんて  福島直広
→ あるでんての冷製ぱすたすすりつつ録画のたもりにこたえる真夏び  杉田抱僕
教室の窓から見える大平【おおひら】の中腹に咲く山桜花  新井蜜
飛び降りを防止するため本校の全ての窓は嵌め殺しです  泳二
くたくたもアルデンテだと言いきれるあなただから明日は晴れね   ふらみらり

B-2.泳二さんの作品を基にした四首。四人の作者の視点の違いが面白い。こちらも、いま同じ場所に立っていた短歌が、瞬時に遠くの世界まで飛んでいけることを見せてくれる。

沈黙の果てにコトリと音をたて君は小さき茶碗を置きぬ  泳二
→あけぼのの夢の出口に歌を置く夢の歌集は未完なれども  新井蜜
新しいお茶碗買って豆ごはん炊いて小さな春の贅沢  杉田抱僕
コトリとう女店主のミャオロンズ黄砂に古き歌の混じりて とみいえひろこ
沈黙の果てに文明交差点小さな口は白い糸吐く  うなはら紅


C.その他、印象に残った歌

戀人の睫毛ふれあふ春の日の昼の緊急地震速報  新井蜜
→携帯の地震速報くらくらと俺の裸体に目眩がするぜ  黒路よしひろ
※戀人の睫毛→地震速報→俺の裸体と、二首にまたがるイメージが見事に一周してきっちりと着地してしまうという、不思議な連関が面白い。

そうやってまた空豆をポケットにルーズな星に憧れている  福島直広
→空豆を口に含んでテレビ見る君の親指爪が伸びてる  ガク
※空豆と星、空豆とテレビと親指の爪、いずれも独特で且つ絶妙の組み合わせだと思う。

山崎が奏でるギターにかき消され淡い想いは霧に紛れる   いばひでき
→撃ち抜いた犯人【ほし】の太腿踏み躙る映画に似合う霧つて感じ  足田久夢
※突如登場するギター、霧、銃撃、映像感覚のあふれるこの二首。異彩を放っていました。
(でも寂しい)ひかりの梯子登りきり見下ろすきみの生まれた街を  酒井真帆
→この街に呼びかけてみる春の午後ふあーっと桜ひかりの梯子  うなはら紅
※「ひかりの梯子」という美しい言葉で繋がった二首。しかし、酒井さんの作品、()の中に入った「でも寂しい」という初句の力に、思わず震えそうになりました。

深々とかなしい胸を思うとき桜の在り処をめぐる蛾のおと  とみいえひろこ
※とみいえさんのこのとてつもなくかなしい歌には、実は、十谷あとりさんと、ミカヅキカゲリさんの、とてつもなく美しい歌が連なっています。十谷さん、ミカヅキさんの作品は、作者の意向で今回の歌会記には不掲載となりましたが、いつか改めて公開されるのを待ちたいと思います。

(雀來豆、記)
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# by kaban-west | 2016-05-07 13:11 | 歌会報告
2016年 04月 07日

3月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年三月

【参加者】雨宮司・新井蜜(かばん/塔)・有田里絵・岩崎陸(ゲスト)・うなはら紅(兵站戦線改め・購読)・小野田光・ガク(購読)・黒路よしひろ(ゲスト)・ 佐藤元紀・雀來豆(ゲスト)・十谷あとり(日月)・杉田抱僕(ゲスト)・足田久夢(購読/玲瓏)・土井礼一郎・浜田えみな(購読)・東こころ(かばん/未来)・福島直広・ふらみらり・文屋亮(玲瓏)・ミカヅキカゲリ・村本希理子 (以上出詠者21名)、※選歌のみ: 塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

題詠の二十首(進行役の雨宮さんから出された兼題は「山」)から十二首、自由詠の十八首から九首を取り上げました。

【題詠から】

この先はもう行けないとバス停でするりと逃げた木霊の気配  浜田えみな

バス停が木霊の棲息する山と人間界の境界になっているということなのだろう。バス停という言葉により山の霊的な雰囲気が却って際立つように思える。

春霞卒業式の音がする校歌に出てた山なんだっけ  有田里絵

地域の山や川をよみこむのが校歌の定番だが、地元を離れたり時間が経ったりすると忘れてしまうということなのだろう。「卒業式の音」はこなれていない表現に思えるが、プラスに働いているという評もあった。

はじめつから無かつたみたい あをぞらが隠してしまふ春の恵那山  村本希理子

「あおぞらが隠してしまふ」には複数の人から「分からない」という反応があった。恵那山の青い色が青空にとけ込んで見えなくなってしまうと解すべきなのだろう。「あをぞらが」なのだから春霞と読むのは無理があるだろう。「はじめつから」については賛否両論があった。

せせらぎにとけてゆく雪ちゅるちゅると峠の茶屋で饂飩をすする  福島直広

「ちゅるちゅる」のオノマトペが好評。上句は「ちゅるちゅる」を介して饂飩を導くための序詞的にも働いているが、上句・下句ともにこの歌の情景で、それを「ちゅるちゅる」が繋いでいるのだろう。雪解けの春ののどかな様子がよく表現されている。

心電の波形【はけい】にそそり立つ山に木々を描いてゆく春の指  土井礼一郎

心電図の波形に山を見るという発想が良いと好評な歌。「春の指」については、子供の指、医師の指などの読みが出されたが、実景ではなく、春という季節の指と読むほうが詩情があるのではないか。

わけもなく自転車でゆく山沿いの少女の家を越えて海まで  雀來豆

海や少女から寺山修司や永田和宏の青春の歌が連想される。「わけもなく」の読みがポイントとなる歌であろう。わけもなく海へ行きたいという気持ちの中に、作中主体には明確に意識されていない淡い恋心が隠されているのではないだろうか。

われはあるそらとくもとにうみがよるほしをみているあさがひろがる  岩崎陸

歌意は読み取りにくいが「る」「る」と続くリズムが良い、という意見が多数。一般に「われ=作者」と解釈されるが、この歌の場合、兼題の「山」を考え合わせると「われ=山」であり、山の立場から自然の情景が詠まれた歌なのではないだろうか。

「ただいま!」と叫べば山は「おかえり」と笑う ここには夏だけがある  杉田抱僕

夏に帰省したということだろう。故郷の山に夏だけを純粋に感じているのだ。「ここには夏だけがある」という把握がユニーク。若者らしい爽やかさを感じる。

全山が風に笑っているばかリ芽吹き間近を陽に撫でられて  雨宮司

「全山」という表現に注意が集まった。「すべての山」とも「山全体」とも取れる。春の雰囲気が伝わってくる歌。

厳かに声を響かす役として賢治童話に岩手山はあり  文屋亮

宮澤賢治の童話の中で厳かに裁定を言い渡す役として岩手山が描かれている、ということだろう。現実の岩手山も作者に、あるいは、人々にそのような山として受け止められているのだろう。結句の「は」はない方がいいという意見も出されたが、作者は岩手山が主題であることを示すため承知の上で八音の表現を選んだのだと思う。

きぬぎぬの黒髪山をくしけづる陽に山菅の花粉の粘り  足田久夢

「きぬぎぬの黒髪山」は「後朝の女性の黒髪のような黒髪山」ということか。「黒髪山」の色っぽさと「花粉の粘り」の独特な表現が好評。

神奈備の山は霞に隠れつつ里吹く風にゆれるなの花  ガク

上句と下句の対比がいいと好評。「なの花」の表記にも注意が集まった。

【自由詠から】

太陽に負けてしまった北風が口笛を吹くときの唇  ふらみらり

「太陽に」から「吹くときの」までの「唇」以外全部の表現が唇を描写する比喩表現になっている。好評な歌。出典がイソップ寓話のせいか唇の持ち主は少女かあるいは子どもかという読みが出されたが、いずれにしても純真な存在のように思える。

ゆく川のひとひもろとも流れむとおまへを待つてゐる淀屋橋  佐藤元紀

心中の相手を待っている歌かとの読みが出されたが、「ひとひもろとも流れむ」は、一日を一緒に川の流れのように当てもなく過ごそう、ということではないだろうか。「ゆく川」や「淀屋橋」からしっとりとした情趣が感じられる。

此処に在りて大和は何処【いづく】未通女【をとめ】らが二上山【ふたかみやま】のやうな乳房  黒路よしひろ

二上山はとても良い形の山で、「二上山のやうな乳房」にはリアルな感触が感じられる。不明なのは「此処」とはどこか、「未通女ら」と複数になっているのは何故か等、この歌の背景だ。なお、音数から考えると「乳房」は「ちちふさ」と読ませたいのだろう。

「そんな予感こんな悪寒どんな時間あんな蜜柑」って云ふ呪文。  ミカヅキカゲリ

リズム感と無意味さが良い。楽しく面白い歌だと肯定的に受け容れる読者と疑問を感じる読者とに分かれるようだ。

かなしみは球根としてここにありここにあるからかなしいのです  小野田光

「かなしみは球根としてここにあり」がとても良い。その良さに惹かれた人が多く高得点を集めた。下句は少し弱いという評もあった。

「おもしろい音を拾っておいたのよ」とびはねながら告げるともだち  東こころ

普通に考えると、何らかの音を録音した、と考えられるが、音そのものを手で拾ったような不思議な感覚が生じる。「とびはねながら告げる」という表現からは、このともだちが妖精であるような感じさえ受ける。この歌も好評だった。

ナリユキノジジツカタレバイイジャナイ?マダハイランシモウモイラヘン  うなはら紅

すべてカタカナ表記されているところが面白い。一首として散文的なまとまった意味を捉えようとしなくても良いのではないか。「言葉が浮かんだり消えたりしながら一つの意味へとたどり着くまでの快楽」という評の通り楽しんだらいいのではないだろうか。

窓辺なるホワイト・ゴーストお手上げのかたちに育つ幾年を経て  十谷あとり

「お手上げのかたちに育つ」が好評。「ホワイト・ゴースト」という名前もいい。「結句がややあっさり」との評も。

たこ焼きを食べながらそとをぼんやりと見てゐるうちにみぞれとなりぬ  新井蜜

「そのままを詠っただけの歌」を評価する人と評価しない人とに分かれた。
                    (新井蜜/記)
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# by kaban-west | 2016-04-07 13:14 | 歌会報告
2016年 03月 09日

うた新聞[弥生作品集]×三澤達世

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Birthday    三澤達世  (かばん)

新緑の匂いににじりよられてもかまわず薄く生きる日もある
いくつもの五月の果てにおとずれた五月たたずむ南改札
盛会となりますようにと書き置いて水の粒子にまみれて森へ
五月には五月のひかり記憶より少し冷たい空気は仕様
パーソナルデータを一行削除する季節の裏に生まれたひとの

(平成28年3月 弥生作品集掲載)
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# by kaban-west | 2016-03-09 18:17 | こんなところに出ました