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2016年 05月 07日

第2回 現代川柳ヒストリア+川柳フリマに出店いたします

来る5月22日(日)、大阪・たかつガーデンで開催される「第2回 現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」に、かばん関西歌会が参加・出店いたします。川柳×短歌の小冊子、歌集、短歌豆本、短歌の巻物、短歌ガチャガチャ、フリーペーパー、歌誌「かばん」バックナンバーなど取りそろえてお待ちいたしております。たくさんの方々とお会い出来ることを楽しみにいたしております。

くわしくはこちらのサイトをご覧下さい。

http://senryu17.web.fc2.com/main-2016-01.html

川柳フリマ出店一覧
あざみエージェント かばん関西 葉ね文庫 私家本工房 川柳カード 川柳北田辺 川柳マガジン 昭和俳句なう ねじまき句会 SH(瀬戸夏子・平岡直子) 73(中山奈々) 俳句と超短篇(江口ちかる) 「現代川柳」(茉莉亜まり)
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# by kaban-west | 2016-05-07 13:27 | こんなところに出ました
2016年 05月 07日

4月歌会報告

かばん関西四月オンライン歌会記

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年四月
【参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、伊庭日出樹(購読)、うなはら紅(購読)、泳二(ゲスト)、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、酒井真帆(未来)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(ゲスト)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏の會/購読)、とみいえひろこ、福島直広、ふらみらり、ミカヅキカゲリ(計十七名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

今月の歌会は、進行役の十谷あとりさんの提案で、「いちご摘み」という形式を取りました。「いちご摘み」とは、前の歌から任意の一語をもらって、歌を詠み繋げていくというもの。参加者の感想として、「一つの歌から、色々な異なる発想の歌が生まれていくという楽しさを味わうことができた」、「元歌の作者と魂のふれあいができた」という声があったように、連歌の愉しみが味わえる面白い歌会、スリリングな歌会となりました。

歌会参加者は、十七人。詠まれた短歌は、二百八首。この歌会記では、全ての詠草を掲載することはできませんので、次のような形で、一部を紹介することにします。
A.連想の部:「いちご摘み」の連続によって、次々と読み繋がれていった作品の事例
B.異想の部:一つの短歌を基に、異なる作者の異なる発想によって詠まれた作品の事例
C.その他、印象に残った作品

なお、「いちご摘み」の出発点になる最初の歌は、東直子さんの次の歌をお借りしました。
(出典:『かばん』二〇一六年三月号)

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに


以下、四月歌会の詠草を紹介します。

A.連想 (「いちご摘み」の連続によって、次々と読み繋がれていった作品)

A-1.最初に引用するのは、東直子さんの歌を基に詠み繋がれた五首。摘まれた言葉は、順に、「背」→「坂」→「イチモクサン」→「いない」→「桜」。摘まれながら言葉は生き続け、別の歌に詠まれてゆく。幸せな転生というべきか。では、摘まれなかった言葉はどこへ行くのだろう。こちらも、水面下で密かに同じように流れ続けていると考えるのは、ロマンチックに過ぎるだろうか。

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに  東直子
→ 父の背に触れた記憶を探してる桜咲き初む坂をくだりて  塩谷風月
→ いちもくさん黄泉平坂【よもつひらさか】駆け上り桃へと到る伊弉諾尊【いざなぎのみこと】  雨宮司
→ 覚えてる? イチモクサンがここにいたことを今はいないことを  杉田抱僕
→ いないいない風に散る桜にまかれ いないいないあなたの前から  泳二
→ 決断のときかもしれぬひよどりが桜のはなを食べながら鳴く  新井蜜

A-2.同じく、東直子さん→塩谷風月さんの歌の流れから詠み繋がれた十二首。
先の五首(A-1)と対照するとき、おなじ源流の匂いがするか、それとも遠く離れた支流になっているだろうか。どちらにしても、連歌の愉しさが流れの中によく表れていると思う。

うつくしい灰色の背よ百年をうたいつづけて透けるとびらに  東直子
→ 父の背に触れた記憶を探してる桜咲き初む坂をくだりて  塩谷風月
→ B4の鉛筆走るメモ帖に残る記憶があなたのすべて  うなはら紅
→ 電脳の記憶の蜜の味しめてのちのこころは虫のごとしも  足田久夢
→ 気に掛かることば引っ提げ湿り気を与ふる朝に粗き脈動  うなはら紅
→ 命脈を保つ為には血族の中からひとり人質を出せ  雨宮司
→ 紅のわが地の果ての涯に立ち血族守るに独り吼ゆべく  うなはら紅
→ 沈黙の果てにコトリと音をたて君は小さき茶碗を置きぬ  泳二
→ コトリとう女店主のミャオロンズ黄砂に古き歌の混じりて とみいえひろこ
→ 砂糖楓【メイプル】シロップ舐めつつ空を見あげれば黄砂のなかに浮かぶsaucer  新井蜜
→ 「ホットケーキにメイプルシロップ」詞を書いた穂村弘の黒ぶち眼鏡  雨宮司
→  この夜のすべての澱を呑みこんだように大きな黒犬がいる   雀來豆
→ 黒犬は朝の匂いにわだかまる瞳の中に誰を呼ぶのか  うなはら紅


B.異想 (一つの短歌を基に、異なる作者の異なる発想によって詠まれた作品)

B-1.福島直広さんの作品を基に詠まれた四首。「あるでんて」という言葉の響きを受けた杉田さん、ふらみらりさん、「窓」のイメージをふくらませた新井さん、泳二さん。それぞれ、あっというまに違う世界へ連れて行ってくれる。短歌の世界というのは、いったい幾つあるのだろうかなどと思う。

四階の窓をのび太が飛んでゆく茹であがりつつあるあるでんて  福島直広
→ あるでんての冷製ぱすたすすりつつ録画のたもりにこたえる真夏び  杉田抱僕
教室の窓から見える大平【おおひら】の中腹に咲く山桜花  新井蜜
飛び降りを防止するため本校の全ての窓は嵌め殺しです  泳二
くたくたもアルデンテだと言いきれるあなただから明日は晴れね   ふらみらり

B-2.泳二さんの作品を基にした四首。四人の作者の視点の違いが面白い。こちらも、いま同じ場所に立っていた短歌が、瞬時に遠くの世界まで飛んでいけることを見せてくれる。

沈黙の果てにコトリと音をたて君は小さき茶碗を置きぬ  泳二
→あけぼのの夢の出口に歌を置く夢の歌集は未完なれども  新井蜜
新しいお茶碗買って豆ごはん炊いて小さな春の贅沢  杉田抱僕
コトリとう女店主のミャオロンズ黄砂に古き歌の混じりて とみいえひろこ
沈黙の果てに文明交差点小さな口は白い糸吐く  うなはら紅


C.その他、印象に残った歌

戀人の睫毛ふれあふ春の日の昼の緊急地震速報  新井蜜
→携帯の地震速報くらくらと俺の裸体に目眩がするぜ  黒路よしひろ
※戀人の睫毛→地震速報→俺の裸体と、二首にまたがるイメージが見事に一周してきっちりと着地してしまうという、不思議な連関が面白い。

そうやってまた空豆をポケットにルーズな星に憧れている  福島直広
→空豆を口に含んでテレビ見る君の親指爪が伸びてる  ガク
※空豆と星、空豆とテレビと親指の爪、いずれも独特で且つ絶妙の組み合わせだと思う。

山崎が奏でるギターにかき消され淡い想いは霧に紛れる   いばひでき
→撃ち抜いた犯人【ほし】の太腿踏み躙る映画に似合う霧つて感じ  足田久夢
※突如登場するギター、霧、銃撃、映像感覚のあふれるこの二首。異彩を放っていました。
(でも寂しい)ひかりの梯子登りきり見下ろすきみの生まれた街を  酒井真帆
→この街に呼びかけてみる春の午後ふあーっと桜ひかりの梯子  うなはら紅
※「ひかりの梯子」という美しい言葉で繋がった二首。しかし、酒井さんの作品、()の中に入った「でも寂しい」という初句の力に、思わず震えそうになりました。

深々とかなしい胸を思うとき桜の在り処をめぐる蛾のおと  とみいえひろこ
※とみいえさんのこのとてつもなくかなしい歌には、実は、十谷あとりさんと、ミカヅキカゲリさんの、とてつもなく美しい歌が連なっています。十谷さん、ミカヅキさんの作品は、作者の意向で今回の歌会記には不掲載となりましたが、いつか改めて公開されるのを待ちたいと思います。

(雀來豆、記)
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# by kaban-west | 2016-05-07 13:11 | 歌会報告
2016年 04月 07日

3月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年三月

【参加者】雨宮司・新井蜜(かばん/塔)・有田里絵・岩崎陸(ゲスト)・うなはら紅(兵站戦線改め・購読)・小野田光・ガク(購読)・黒路よしひろ(ゲスト)・ 佐藤元紀・雀來豆(ゲスト)・十谷あとり(日月)・杉田抱僕(ゲスト)・足田久夢(購読/玲瓏)・土井礼一郎・浜田えみな(購読)・東こころ(かばん/未来)・福島直広・ふらみらり・文屋亮(玲瓏)・ミカヅキカゲリ・村本希理子 (以上出詠者21名)、※選歌のみ: 塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

題詠の二十首(進行役の雨宮さんから出された兼題は「山」)から十二首、自由詠の十八首から九首を取り上げました。

【題詠から】

この先はもう行けないとバス停でするりと逃げた木霊の気配  浜田えみな

バス停が木霊の棲息する山と人間界の境界になっているということなのだろう。バス停という言葉により山の霊的な雰囲気が却って際立つように思える。

春霞卒業式の音がする校歌に出てた山なんだっけ  有田里絵

地域の山や川をよみこむのが校歌の定番だが、地元を離れたり時間が経ったりすると忘れてしまうということなのだろう。「卒業式の音」はこなれていない表現に思えるが、プラスに働いているという評もあった。

はじめつから無かつたみたい あをぞらが隠してしまふ春の恵那山  村本希理子

「あおぞらが隠してしまふ」には複数の人から「分からない」という反応があった。恵那山の青い色が青空にとけ込んで見えなくなってしまうと解すべきなのだろう。「あをぞらが」なのだから春霞と読むのは無理があるだろう。「はじめつから」については賛否両論があった。

せせらぎにとけてゆく雪ちゅるちゅると峠の茶屋で饂飩をすする  福島直広

「ちゅるちゅる」のオノマトペが好評。上句は「ちゅるちゅる」を介して饂飩を導くための序詞的にも働いているが、上句・下句ともにこの歌の情景で、それを「ちゅるちゅる」が繋いでいるのだろう。雪解けの春ののどかな様子がよく表現されている。

心電の波形【はけい】にそそり立つ山に木々を描いてゆく春の指  土井礼一郎

心電図の波形に山を見るという発想が良いと好評な歌。「春の指」については、子供の指、医師の指などの読みが出されたが、実景ではなく、春という季節の指と読むほうが詩情があるのではないか。

わけもなく自転車でゆく山沿いの少女の家を越えて海まで  雀來豆

海や少女から寺山修司や永田和宏の青春の歌が連想される。「わけもなく」の読みがポイントとなる歌であろう。わけもなく海へ行きたいという気持ちの中に、作中主体には明確に意識されていない淡い恋心が隠されているのではないだろうか。

われはあるそらとくもとにうみがよるほしをみているあさがひろがる  岩崎陸

歌意は読み取りにくいが「る」「る」と続くリズムが良い、という意見が多数。一般に「われ=作者」と解釈されるが、この歌の場合、兼題の「山」を考え合わせると「われ=山」であり、山の立場から自然の情景が詠まれた歌なのではないだろうか。

「ただいま!」と叫べば山は「おかえり」と笑う ここには夏だけがある  杉田抱僕

夏に帰省したということだろう。故郷の山に夏だけを純粋に感じているのだ。「ここには夏だけがある」という把握がユニーク。若者らしい爽やかさを感じる。

全山が風に笑っているばかリ芽吹き間近を陽に撫でられて  雨宮司

「全山」という表現に注意が集まった。「すべての山」とも「山全体」とも取れる。春の雰囲気が伝わってくる歌。

厳かに声を響かす役として賢治童話に岩手山はあり  文屋亮

宮澤賢治の童話の中で厳かに裁定を言い渡す役として岩手山が描かれている、ということだろう。現実の岩手山も作者に、あるいは、人々にそのような山として受け止められているのだろう。結句の「は」はない方がいいという意見も出されたが、作者は岩手山が主題であることを示すため承知の上で八音の表現を選んだのだと思う。

きぬぎぬの黒髪山をくしけづる陽に山菅の花粉の粘り  足田久夢

「きぬぎぬの黒髪山」は「後朝の女性の黒髪のような黒髪山」ということか。「黒髪山」の色っぽさと「花粉の粘り」の独特な表現が好評。

神奈備の山は霞に隠れつつ里吹く風にゆれるなの花  ガク

上句と下句の対比がいいと好評。「なの花」の表記にも注意が集まった。

【自由詠から】

太陽に負けてしまった北風が口笛を吹くときの唇  ふらみらり

「太陽に」から「吹くときの」までの「唇」以外全部の表現が唇を描写する比喩表現になっている。好評な歌。出典がイソップ寓話のせいか唇の持ち主は少女かあるいは子どもかという読みが出されたが、いずれにしても純真な存在のように思える。

ゆく川のひとひもろとも流れむとおまへを待つてゐる淀屋橋  佐藤元紀

心中の相手を待っている歌かとの読みが出されたが、「ひとひもろとも流れむ」は、一日を一緒に川の流れのように当てもなく過ごそう、ということではないだろうか。「ゆく川」や「淀屋橋」からしっとりとした情趣が感じられる。

此処に在りて大和は何処【いづく】未通女【をとめ】らが二上山【ふたかみやま】のやうな乳房  黒路よしひろ

二上山はとても良い形の山で、「二上山のやうな乳房」にはリアルな感触が感じられる。不明なのは「此処」とはどこか、「未通女ら」と複数になっているのは何故か等、この歌の背景だ。なお、音数から考えると「乳房」は「ちちふさ」と読ませたいのだろう。

「そんな予感こんな悪寒どんな時間あんな蜜柑」って云ふ呪文。  ミカヅキカゲリ

リズム感と無意味さが良い。楽しく面白い歌だと肯定的に受け容れる読者と疑問を感じる読者とに分かれるようだ。

かなしみは球根としてここにありここにあるからかなしいのです  小野田光

「かなしみは球根としてここにあり」がとても良い。その良さに惹かれた人が多く高得点を集めた。下句は少し弱いという評もあった。

「おもしろい音を拾っておいたのよ」とびはねながら告げるともだち  東こころ

普通に考えると、何らかの音を録音した、と考えられるが、音そのものを手で拾ったような不思議な感覚が生じる。「とびはねながら告げる」という表現からは、このともだちが妖精であるような感じさえ受ける。この歌も好評だった。

ナリユキノジジツカタレバイイジャナイ?マダハイランシモウモイラヘン  うなはら紅

すべてカタカナ表記されているところが面白い。一首として散文的なまとまった意味を捉えようとしなくても良いのではないか。「言葉が浮かんだり消えたりしながら一つの意味へとたどり着くまでの快楽」という評の通り楽しんだらいいのではないだろうか。

窓辺なるホワイト・ゴーストお手上げのかたちに育つ幾年を経て  十谷あとり

「お手上げのかたちに育つ」が好評。「ホワイト・ゴースト」という名前もいい。「結句がややあっさり」との評も。

たこ焼きを食べながらそとをぼんやりと見てゐるうちにみぞれとなりぬ  新井蜜

「そのままを詠っただけの歌」を評価する人と評価しない人とに分かれた。
                    (新井蜜/記)
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# by kaban-west | 2016-04-07 13:14 | 歌会報告
2016年 03月 09日

うた新聞[弥生作品集]×三澤達世

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Birthday    三澤達世  (かばん)

新緑の匂いににじりよられてもかまわず薄く生きる日もある
いくつもの五月の果てにおとずれた五月たたずむ南改札
盛会となりますようにと書き置いて水の粒子にまみれて森へ
五月には五月のひかり記憶より少し冷たい空気は仕様
パーソナルデータを一行削除する季節の裏に生まれたひとの

(平成28年3月 弥生作品集掲載)
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# by kaban-west | 2016-03-09 18:17 | こんなところに出ました
2016年 03月 09日

うた新聞[卯月作品集]×十谷あとり

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  水影               十谷あとり (日月)

こころ凪ぐひと日を来たり大阪の小さき店に善哉を待つ
北庭に木多くして枝の間にさむざむしきは川の水影
川を見る子の淋しさをまたひとつ呑みて膨るるラバー・ダックは 
この橋を渡り育つたこどもらの数だけ投げよ折り紙の舟
おほさかをうたてみやことよびたがる みやこはいづれほろびむものを

(平成27年4月 卯月作品集掲載)
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# by kaban-west | 2016-03-09 18:12 | こんなところに出ました