かばん関西歌会

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2016年 03月 09日

うた新聞[卯月作品集]×十谷あとり

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  水影               十谷あとり (日月)

こころ凪ぐひと日を来たり大阪の小さき店に善哉を待つ
北庭に木多くして枝の間にさむざむしきは川の水影
川を見る子の淋しさをまたひとつ呑みて膨るるラバー・ダックは 
この橋を渡り育つたこどもらの数だけ投げよ折り紙の舟
おほさかをうたてみやことよびたがる みやこはいづれほろびむものを

(平成27年4月 卯月作品集掲載)
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# by kaban-west | 2016-03-09 18:12 | こんなところに出ました
2016年 03月 06日

如月阿波座歌会報告

かばん関西 如月阿波座歌会

二〇一六年二月二十八日(日) 於 大阪府立江之子島文化芸術総合センター
             
【参加者】雨宮司、有田里絵、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ、選歌のみ)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直広、ふらみらり
[詠草のみ参加]新井蜜(かばん/塔)、ガク(購読)、ミカヅキカゲリ

 十谷あとりさんを司会進行役とし、事前に募集した詠草を元に歌会を行いました。当日不参加の方からも詠草を募集し、ひそかに選歌をしていただき、当日参加者の選歌に加える方法を取りました。
かばん関西のオフ会にかかる経費は、企画者が室料やレジュメ代を立て替えてから、当日の参加人数で頭割りして集金し、企画者に精算するという方法でまかなっています。今回はおひとりさま三百五十円でした。毎回どなたかがお菓子を差し入れてくださって、おやつも楽しい歌会です。今回は、チョコクッキー・もみじ饅頭・こんぺいとう・チョコレートでした。
 
 今回の兼題は「茶」。十谷さんの出題です。出題前に「茶」または「菜」のどちらがいいかとのご質問をいただいて有田が即「茶」を選んだのは、きれいな歌もそうでない歌も集まりそうだと考えたからです。歌会案内から締切までは二週間。十三首の作品が集まりました。

いやなひと 紅茶カップのふちの熱冷めずにきょうの夕暮れとなる  とみいえひろこ
「いやなひと」と作中主体との関係がいくつか想像でき、男女の歌とも女性同士であるとも読める。男女であれば「もう、嫌な人ね」というだけで実際は好きなのではないかという意見や、赤の他人で本当に嫌な人という読みもあった。また「熱」について、目の前の紅茶カップではなく一緒にいたときの熱が残っているという読みに惹かれた。歌の中を流れる時間と現実にある物のもつ時間との間にズレを感じるが作者も意図していたかもしれない。

ぶり返す発作みたいな悔しさの今日のスイッチ紅茶だったよ  ふらみらり
「みたいな」はどうしても舌足らずな印象で甘さが出てしまうが、共感を誘った歌。心の内に抱えている地雷のようなもののスイッチが今日はどれなのか、後からわかるという怖さ、切なさ。それでも日々がいとおしくなる。様々な歌をご自身の日々にぐいぐい引きつけてビターに読み解くふらみさんは、まちがいなくかばん関西の目玉です。

愛はわれをさいなみしのみ 茶の薫りゆびに残して絣脱ぐひと  新井蜜
一時空けの後で大きく飛躍していて参加者を大いに悩ませた歌。お茶の香りが指に残るためには直接手で触れなければならないだろうという理由から、茶摘の女性が仕事着の絣を脱ぐという意見に半数が賛成した。しかし茶摘の女性と知り合える人は少ないだろう。新井さんは歌集や短歌誌で出会った歌や手法を取り入れることもあるそうで、この歌も何かほかの歌が背景にあるのかもしれない。

異国からはじめ薬と伝わったお茶を想えばとおい心地す  ミカヅキカゲリ
高得点歌。ゆったりした豊かな気持ちでお茶を飲まなければこうは詠めないという意見が複数あった(気が遠くなるという意見には笑いが起こった)。いつでも自販機やコンビニで買えるお茶が、高価な薬だった時代もあったのですね。

訪ねても話すことなどないだけど彼女の煎れるお茶が飲みたい  浜田えみな
この歌も人間関係が何通りか推測される歌。別れた男女であるとか、近所のママ友であるとか。煎茶の「煎」だから日本茶なのだろう。「などないだけど」の部分からもどかしさが伝わる。作者によると、こちらから連絡するほどの接点はないけれど、お茶のおいしさだけは強く印象に残っている女性だという。おそらく彼女は今日も誰かのためにお茶を入れている。

来む春もわれは忘れず「喫茶去」の文字やはらかく書きくれしひと  十谷あとり
手書き文字を思い出して心が和む経験を詠んだ高得点歌。結句は「書いてくれた人」という意味だとわかるが、旧かなで「書きくれる」という動詞が正しいのかどうかが疑問点として挙げられた。五段活用をしてみるとこんがらがってくる。こんなときは、まあ、とにかく、お茶を飲みなさい。

あをによし奈良の町屋の抹茶ぱふえひとり食【は】みをり君待ちかねて  黒路よしひろ
待ちぼうけになりかかっている人が抹茶パフェを一人で食べている様子がありありと浮かんで楽しい。男性が女性を待っていると考えても、その逆でも成り立つが、一人でパフェを注文できる男性の方がおもしろいという声があった。「町家」「抹茶」「待ちかね」の音もリズミカル。そういえば待兼山も思い出される。大阪大学豊中キャンパスは待兼山町にありますね。

赤茶けた水をたたえて長靴はあなたを待っている 夏色の夢  泳二
結句に辿りつくためには読み手が想像力を働かせる必要があるという意見がある一方で、語句それぞれはわかりやすいから全体のイメージを素直に受け止めれば良いのではないかという意見もあった。子どもの長靴だったり、赤錆を伴う仕事をする大人の作業靴だったり。

冷や飯で作った茶漬けは生ぬるくレンジも黙る深夜のキッチン  杉田抱僕
ひとり暮らしの食事風景。黙るのは電子レンジでもあり、作中主体でもある。「生ぬるく」という接続を表す助詞を使うより断定にしたほうがすっきりするのではないかという意見があった。それにしても「お茶漬けっておいしいですよね」と頷き合う参加者のみなさんの表情はあたたかでした。

作り手の今なれば知る吾の骨は茶色いお弁当のたまもの    有田里絵
茶色いお弁当にいやな思い出があったのだろうか、「骨」は心身の真ん中にあるその人の芯を象徴しているという意見があった。前半と後半を比べると語感のバランスのぎこちなさが目立つため、前半をやわらかくするほうがいいという声もあった。

茶の髪ももうすぐ黒く染まる頃春一番が吹き抜けてゆく  ガク
新学期あるいは就職を前に黒髪に戻す学生さんを想像する人が多数。「春一番」で始まりの季節を示すのと同時に、とてもさやわかな気持ちにさせてくれる。離れて暮らす子供へのエールの歌とも読める。「茶の髪も」の「も」は書かれていない何かとの並列を意味していて、それぞれが想像するに任されている。

茶柱がたてば茶パジャマ脱がなくちゃチャンス一番茶番じゃないぞ  福島直広
よくこれだけ「茶」を入れてきたよねえと賞賛された歌。リズムと擬音の名手福島さんの真骨頂でしょう。「ジャ」「ちゃ」「チャ」の韻と「番」の繰り返しも使われており、込み入っているのに短歌として全体の意味が無理なく通っている。「赤パジャマ青パジャマ黄パジャマ」の早口言葉の代わりになりそう。

鼠またネズミの群が地平より尽きることなく近づいてくる  雨宮司
お題に対してたぶん茶色いネズミであろうというところから読みが始まった。漢字とカタカナと両方で表記した意味が不明である、この光景を俯瞰しているならその立ち位置で地平は見えるのだろうかという疑問の声もあった。もっとナンセンスに徹してしまったほうがいいという意見も聞かれた。

 通常の歌会の後、質問コーナーを設けました。
★筆名について、使い始めたのはいつからか(なぜそのタイミングだったのか)、また由来を教えてください。本名の方はなぜ本名のままなのか教えてください。
★横書き主流の現代生活の中で、どうやって最終的に縦書きとなる短歌作品を作り上げているのですか?縦書きにしたときに違和感はありませんか?
★連作を作るためにしていることは何ですか?
 これらの質問について退出時間ぎりぎりまで意見交換ができました。最後に十谷さんから、今回の詠草それぞれに対する返歌集をいただき、閉会としました。すてきなおみやげを手にした参加者は、家路に着いたり、ハンバーガー屋さんに移動したり、それぞれにうるう日前日の夕方を味わいました。
 短歌のことを実際に誰かと話すのは、かばん関西が初めてという方も多いです。人と会うのが苦手な方もたぶん多いのですが、大丈夫です。みなさん笑顔で帰っていかれます。ことばが通じる人に会える歌会を、これからも続けていきたいと思います。  (記/有田里絵)
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# by kaban-west | 2016-03-06 15:11 | 歌会報告
2016年 02月 06日

1月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一六年一月

【参加者】あまねそう、雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、岩崎陸(購読)、泳二(ゲスト)、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(ゲスト)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直広、ふらみらり、兵站戦線(購読)、ミカヅキカゲリ、村本希理子(計二十一名)

※所属表記なしは「かばん」正会員。

二〇一六年最初のオンライン歌会。進行のあまねそうさんから出された兼題は、「境界・さかい目」。様々な視点で「境界・さかい目」をとらえた歌が集まった。

月蝕の悲しき夜に妹は羊とともに国境を越ゆ 新井蜜

国境の町まで手をつないで行こうたとえ国境なんてなくても 泳二

信号の向こうがわから校区外 知らない人がたくさん住んでる ふらみらり

まずは国境をテーマにした二首。一首目。月蝕、夜、羊、国境という言葉の繋がりに、幻想的なイメージを感じた人が多数。二首目。国境を自分たちを制限するものとしてとらえ、それをものともしない若さが心地よい。一首目、二首目とも「国境」が本来持つ切実さが感じられないという指摘があり、日本で「国境」を詠むことの難しさを考えさせられる。三首目は国境に比べるとだいぶ身近な校区内/校区外の境界を詠った。「小学校の短歌作ってきなさいという宿題で『作ってきました』みたいな感じ」(福島)という素朴さの中に、世界の多重性への理解や未知のものへの恐れも読み取れる。

天と地の境界線が溶けるとき荘厳なる陽が面【おもて】を上げる 雨宮司

結界に降り立つ神の御名ぞこそ流るゝ沙の果てに住む者 兵站戦線

境界をダイナミックに詠った二首。一首目、初日の出を連想させる雄大な情景に圧倒される。「境界線が溶ける」「陽が面を上げる」という表現にも工夫があり、壮大な世界を支えている。二首目。神々しい、ファンタジーのようという意見が多数。抽象的で歌意が読み取りにくいという意見がある中で、神を暗喩としてとらえ「砂漠の中のオアシス(生きていられる範囲=結界の内側)で生活していて、そこにふらと訪れた生き物(トカゲとか)の命に神を想起する」(杉田)という読みも面白い。

うすらいのレシートを受けとり捨つ ひる ゆえなき僕のしごとの区切り とみいえひろこ

C勤の焼成工程北の窓月の光が稜線描く 福島直広

労働にまつわる境界二首。一首目、高得点歌。コンビニで昼食を買ってレシートを受け取るのが毎日の仕事の区切りになっている様子を詠ったものか。「会社・仕事の時間(あるいは社会の時間と言った方が正確なのか)に自分の生活が規定されていくつまらなさ」(土井)など、労働の合間の些細な違和感が、感情的にならずに淡々と描かれているのが好ましい。二首目、こちらも高得点歌。「C勤」「焼成工程」という言葉の馴染みのなさ、硬質な音の響きが仕事の緊張感を際立たせ、下の句との対比を鮮やかなものにしている。

なぜ夜と朝のあわいを縫うように現われるのか海の記憶が 雀來豆

静寂と喧騒の間に朝顔の蕾ぼそっと開かれてゆく あまねそう

ページから顔を上げればバイク音新聞は落ち明日が今日に 杉田抱僕

日はすでに逢魔が時に傾きて行く人揺らぐ六道の辻 ガク

去年【こぞ】今年ゆくすゑすべてぬばたまの夜すがらまはしてゐるシュレッダー 佐藤元紀

時間の境界五首。一首目。倒置法を効果的に用い、夜と朝の境界に現れる「海の記憶」に読み手を導く。「夜と朝のあわいを縫う」という表現もユニーク。二首目。肝である「ぼそっと」というオノマトペは賛否が分かれたが、ひそやかな感じに魅力を感じた人も多数。「『ぼそっ』かなあ、う~ん、と思って翌日読み返してみたら『ぼそっ』が合ってるような気もしてきた。」(福島)三首目。夜通し読書や仕事に没頭していた人が、新聞配達の音で我に返り、日付が変わったことに気づく。新聞が「落ちる」ところにリアリティを感じる、下の句はやや詰め込み過ぎ、といった意見が見られた。四首目。こちらは昼から夜への境界を詠った一首だが、夕日を受けて揺らぐ人影を六道に迷い込む姿のようにとらえ、この世とあの世の境界にも重ねているのが魅力的。五首目。年越しにシュレッダーをまわすシュールさが好評。「ぬばたまの夜」と「シュレッダー(で裁断された紙)」の黒白の対比も面白い。

「彼氏から借りたみたいなサイズ感」ジェンダーレスなセーター売れる  有田里絵

男女の境界一首。男性の草食化など、実際に男女の境界が曖昧になっていることの表れという読み方がひとつ。一方で、「彼氏から借りた」ことを自慢したい感性はむしろジェンダーを強く意識しているという読み方もあった。

皮膚と皮膚ふれあう場所を国境とみなして僕の血は引き返す 土井礼一郎

名も知らぬ隣人の歯を磨く音で眠りにつける冬の真夜中 岩井曜

ここからは我のエリアと引かれたる姉妹喧嘩の紐が揺れをり 黒路よしひろ

剃刀をかほに圧し当てわたくしのりんかく ちよつとしつかりしなさい 村本希理子

自己と他者との境界四首。一首目。境界を「超える」のではなく「引き返す」ところに意外性、物足りなさを感じた人が多数。しかしそれゆえ、人と人が理解し合う難しさは切実なものとして迫ってくる。二首目。日頃無関心な隣人を身近に感じる、境界が曖昧になる瞬間を詠ったものだが、 防音を心配する声が多かった。三首目、小さな姉妹の微笑ましい情景だが、所有意識や自我の目覚めとも取れるだろう。結句の「紐が揺れをり」がもたらす余韻も心に残る。四首目、高得点歌。剃刀を顔に圧し当てるという日常的な行為を、自分という不確かなものの存在を確かめる行為としてとらえた視点が見事。


ここまでという線までを全力で先のないことしてみたかった 浜田えみな

最後に若さを感じる一首。歌意の読み取りづらさはあるものの、「フロンティア精神に満ちた短歌」(雨宮)、「『全力』でなにかに打ち込むという経験は年を取るほど減ってくるように思えて、たとえ歌の中であってでもそんな感性を持てるこの作者が少し羨ましくもある。」(黒路)という評もあり、新しいことを始めようという年初にふさわしい一首のように思う。

新しいことを始めたいという方は、ぜひかばん関西へ。年齢・性別・職業・居住地不問の自由な集まりです。興味を持たれた方はお気軽にメールでお問い合わせください。

(岩井曜/記)
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# by kaban-west | 2016-02-06 22:59 | 歌会報告
2016年 01月 05日

12月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一五年十二月

【参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、泳二(ゲスト)、小野田光、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(ゲスト)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、東こころ(かばん/未来)、兵站戦線(購読)、福島直広、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)(計十八名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

今回の進行担当・新井蜜さんから出された兼題は「み」から始まり「つ」で終わる歌。前回の「あ」で始まり「る」で終わるに続いての出題ではあるものの、参加者からは今回のほうがずっとむずかしい、特に「つ」が難物、といった感想があいついだ。

身内めく舟につく人送るひと爆竹鳴らせ神酒ふくみつつ  兵站戦線
澪つくし君を思へどわだつみの流るる霧に影は消えつつ  ガク
まずは「つつ」で終わる歌をふたつ挙げる。一首目。長崎の精霊流しを詠んだ歌との指摘多数。「身内めく」について「人を送るという儀式の意味を如実に表している」(小野田)との指摘をふまえれば、なるほど精霊流しの情景にぴったりの表現だとわかる。「神酒ふくみつつ爆竹鳴らせ」を倒置させることで兼題に合わせているが、「下句の倒置によるせわしなさが、歌の雰囲気に合ってもいる」(とみいえ)。二首目。寂しさを端正に詠いこんだ巧みさが推される一方、はかなさの中に「太い芯のようなもの」(雀來豆)が欲しかったとの意見も。また、言いさしになっているゆえの弱さも指摘され、このあたりに今回の兼題のむずかしさが出ている。澪つくしは船の通路を示すための杭で「身をつくし」と掛けているのだろうが、「大阪市のマークの基としても有名ですね」(雨宮)との指摘が出たのはいかにもかばん関西という感じ。

「三毛猫と再婚しました」「ですってね。お幸せにね」「(微笑)」「新居は?」「こたつ」  土井礼一郎
この長い歌も「(微笑)」を一種の休符と考え、音として読まなければ短歌の定型にほぼ収まる。しかし、わざわざ微笑と書かなくとも微笑していることは読者が補完できるのではないか、あるいはそもそもこのような手法は短歌としてありなのかといった意見があいつぐ。また、「三題噺のようなほのぼのとした雰囲気」(ガク)という一方で、「こたつ」と無理にオチをつけることで歌の雰囲気を壊してしまっているという指摘も多い。
ここまでの三首を見ればわかるように、「つ」で終わるという課題に対応するために歌の末尾を操作することで思わぬ効果が生まれたり、あるいはその歌にとっては瑕になってしまう場合がある。当然「み」で始まると規定された冒頭部分に関しても同じことが言えるだろう。

水底を這ういきものの謙虚さで定時に退社していくあいつ  岩井曜
水際【みぎわ】から数えて今日は何番目 深いお鍋でシチューぐつぐつ  ふらみふらり
水面【みなも】割り海辺に次々現れて陸へと消える昏い隊列  雨宮司
「み」で始まるとの指定から水を連想させた詠者も多かったが、「水底」「水際」「水面」とアプローチの仕方に個性があるのは興味深い。一首目は今回の最高得点歌。ふつうは「地を這う」などと表現するのかもしれないが、兼題により「水底を這う生き物」とされたことで「深海魚ってブサ可愛くて大好きなのですが、確かに謙虚というか卑屈というか(略)開き直り感がある」(杉田)、「個人的にはオオグソクムシがいい」(雨宮)など、一気にイメージが広がった。「あいつ」に対する羨望や憎らしさなどがないまぜになった感情をひとことで言いあてた比喩を評価する者がとても多い。今回の歌会の中で、この上の句の人気は圧倒的だった。二首目については、上の句が読み切れない、あるいは上の句と下の句の呼応が不明、との感想があがる一方で、「水際」についてある種の生活の危機を指すものととらえる評者も多かった。「シチューを煮込みながら悶々と抱え込んだうっぷんが蓄積されていく」(黒路)、また、夫婦の危機を暗示するような上の句があるからこそ下の句の「かわいい表現に凄みを感じ」(泳二)るといった意見など。三首目。上陸する何者かについて、ペンギンやウミガメ、カニの上陸、あるいは「外国の軍隊が密かに上陸している様子」(新井)といった具体的な読みの可能性が指摘されつつも、「不気味と異様と恐怖と違和が活写されてゐる。それが何かはわからないといふことがこの歌の眼目」(佐藤)というように敢えてこれがなんなのか考えず、その不穏さを味わおうとする評者も多い。

三日後の保護者面談思いつつネクストバッターズサークルに立つ  泳二
三日目の意地の張り合い飽きたから買って帰ろう肉まん二つ  福島直広
三日月は今夜も泣いたきみのため浄化作用のひかりをはなつ  東こころ
ここでは「三日」で始まる歌を。ひとつめ。保護者面談を待つ主体をネクストバッターズサークルという別のものを待つ場に立たせた巧みさを評価する声が多い。主体に関し、部活動などで野球に取り組む子どもなのか、草野球をたしなむ親なのかで解釈が割れた。これについて歌会後の感想戦では「保護者って入っているから直感的に親ととってしまった」(土井)、「(まだ独身で子どももいないので)今の自分はどう頑張っても保護者視点には読めません」(杉田)など驚きの声が上がる。二首目は「飽きたから」に思わずクスリとさせられてしまう。「『飽きた』などとひねくれたことを言う人だから『意地の張り合い』をしてしまうのでしょう」(小野田)との意見には首肯せざるをえない。こちらも読む者のおかれた立場の差も影響してか、夫婦、同棲カップル、兄弟姉妹など解釈に幅があったようだ。三首目。一見して美しい歌だが、引っかかるところがなくさらりと読めてしまうとか、既視感があるという指摘があった。「浄化作用」の語にはこの歌に似つかわしくない固さがあり、和語にしてみればどうか、あるいは「『浄化作用』は言わずに読者にあずけたい」(とみいえ)といった意見も。

御堂筋こえたらあかんもうあかん失くしてしまったんは鍵ひとつ  とみいえひろこ
み吉野の激【たぎ】つ河内にビキニらが散らす水沫【みなわ】の花を眺めつ  黒路よしひろ
ミッキーも落ち込む日くらいあるだろう大将こっちに生中2つ  杉田抱僕
固有名詞を用いることで「『み』で始まる」に応じようとした三首。一首目。歌の意味をとらえにくいという意見も多かったが、失恋のあと御堂筋を超えたあたりで涙がこらえきれなくなりながらも、失ったのは恋人の家の鍵ひとつに過ぎないじゃないかと強がってみせている、とは黒路よしひろさんの解釈。「『あかん』の繰り返しがあたふたした様子を思わせます」(有田)とも。関西弁で韻を踏んでいきながら下の句の句跨りに突入する豊かなリズムが高く評価された。二首目。「み吉野」は現在の奈良県の地名・吉野の美称。換喩を巧みに用いた歌で、ビキニが水沫を散らすと言いつつも、作者の視点はビキニではなくビキニを身に着ける女性にあるのだろう。「古風な感じと現代チックな感じの交じり具合がいい塩梅」(福島)といった感想も。作者によれば、土地を称賛することによりその土地の神々の加護を得ようとする方法で万葉集に頻出する「土地ぼめ」に挑戦したとのこと。三首目。たしかにいつも明るいミッキーだって気が滅入ってしまうことくらいある。ミッキーと居酒屋という組み合わせの意外性を評価する声が多かった。作中主体については、落ち込んでいる自分をなぐさめるためにミッキーのことを思い浮かべている、ミッキーの着ぐるみの仕事(!)をしている人である、ミッキーと一緒に飲んでいる、といった解釈があがった。

見晴るかす冬の荒野に唯一つ黄色く華やぐ煙突が待つ  小野田光
見るべきほどの(濁世の涯の裂け目より風に忤ふ我が)ことは見つ  佐藤元紀
診られゆく乳房ソファーに並びおりだいたいふたつときどきひとつ  有田里絵
一首目。「黄色く華やぐ煙突」を独創的と評価する声が多い。「黄色」から酸化ウラン(軽水炉の燃料)を指すのでは、とか、「煙突が待つ」というからには主体は今からそこへ行こうとしているはずで、ならば銭湯だろう、など評者がそれぞれに空想を膨らませた歌だった。この「待つ」については、力強い歌なのに最後が受動的に終わるのが残念とする声のあがる一方で、煙突が立つ荒野へと主体が足を踏み入れようとする希望に満ちた歌との解釈も。二首目。濁世は「じょくせ」、忤ふは「さからふ」。カッコでくくられた部分を取り除いた「見るべきほどのことは見つ」は平家物語の平知盛の最期のことばとの指摘が複数あり。しかし「あのきっぱりとした台詞に対抗できる内容はよほどのものでないと」(雨宮)といった意見のほか、カッコでくくって「濁世の涯~」を挿入させる効果・意義を問う声があった。三首目。予防を目的とした乳がんの検査、あるいは「ときどきひとつ」というからには術後の検診を詠っているのではないかと、各々の読みに微妙なずれがあった。深刻な題材を感傷的にならずに敢えて即物的に詠むおもしろさがある一方、特に詠み手が乳がんの当事者などでないかぎりは、意図せず読む人を傷つけてしまう場合があるのではないかとの指摘も多かった。

導きの星の役の子伏せ気味の顔は金色に塗られたり幕は上がりつ  文屋亮
嬰児の夢に囚われ少女らは互いの息で恐怖を分かつ  雀來豆
子どもを主題とした対照的な歌二首を挙げる。前者は学芸会の一場面だろうか。歌会が開かれたのがちょうどクリスマスシーズンで、クリスマスの風景として読みとった者も多かったようだ。「導きの星というのがこのクリスマスの季節にもぴったり」(東)、「上句は、もうこれで、一篇の短篇小説の導入部になりそう」(雀來豆)。ただ、下の句の字余りが歌の魅力を損ねているとする声が多数上がったほか、「塗られたり幕は上がりつ」の時系列の混乱も指摘された。二首目。嬰児は「みどりご」と読む。少女らが将来自分たちも子どもを産むという可能性に気づきおののく、あるいは、すやすやと眠る嬰児を「『何だこの小さな命は』と息を呑んで見守っている」(福島)、また、この少女らは嬰児殺しをしたのではないか、など解釈が分かれたが、いずれにしても全体を通して恐怖、孤独、残虐さといった雰囲気をうまく作り上げているとの評価の声が多い。

密会と裏切りの糧【かて】、我が庭に流るることのなき乳と蜜  新井蜜
最後に出題者・新井蜜さんの歌。「み」で始まり「つ」で終わるという兼題は新井さんのお名前からではないかと黒路さんが勘繰っておられたが、本人は「密」で始まり「蜜」で終わる歌を詠出。「乳と蜜」を密会すなわち不倫や情事の象徴として読み取ろうとするむきが多く、また、旧約聖書ヨシュア記に「乳と蜜の流れる地」と表現されている約束の地カナンを踏まえているのではないかとの指摘も。

かばん関西オンライン歌会は、年齢も境遇もさまざまな詠み手が集う刺激的な歌会。かばん正会員に限らず、購読会員、またいずれにも当てはまらないゲストの方も多く参加され、交流を広げる大切な場にもなっています。関西出身・在住者にかぎらずどなたでもご参加いただけます。ご興味をお持ちの方は、本誌「掲示板」のページにある、かばん関西のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。

(記/土井礼一郎)
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# by kaban-west | 2016-01-05 19:59 | 歌会報告
2015年 12月 23日

かばん関西歌会 秋の吟行報告

かばん関西歌会 秋の吟行報告

[日時]平成二十七年十月十一日(日曜日)午後一時、大阪天満宮にて集合

[参加者]雨宮司、新井蜜(かばん・塔)、有岡真里(ゲスト)、有田里絵、黒路よしひろ(ゲスト)、十谷あとり(日月)、蔦きうい(玲瓏)、ふらみらり

十月十一日、大阪天満宮および天神橋筋商店街周辺にて、秋のお散歩吟行を行いました。
当日、本殿で行われていた結婚式や七五三詣での様子を垣間見たり、境内で開催されていた古本市をひやかしたり、商店街でおやつを買い食いしたり……と、思い思いに秋の休日を楽しみながら作歌に取り組みました。時間の都合上選歌はなしとし、ドーナツ屋にて意見交換を行いました。

 あめあがり天満宮吟行 詠草抄

笑おうや繁昌亭の幟立つこの界隈を抜けた辺りで  雨宮司

古本に宿れる神か神さぶる翁がときに見せる微笑み  黒路よしひろ

古本の背表紙なでる頭上では白無垢の親族従え渡る  ふらみらり

阿波鳴門鯛焼本舗阿波鳴門蛸焼本舗あめあがり  蔦きうい

天満宮に掛る大絵馬卯も寅も辰も梅花のくれなゐを翔ぶ  十谷あとり

渇いてるぼくは真昼の空白のページをめくりうたを探した  新井蜜

神様も救えぬことがあるらしいエンゼル書房閉店セール  有田里絵

おさんぽで鳴門たいやきかぶりつき火傷したきみ梅ジャムアイス  有岡真里

二〇一六年も、歌会や吟行、読書会など、実際に顔を合わせて歌を楽しむ集まりを企てていきたいと考えております。(十谷あとり 記)
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# by kaban-west | 2015-12-23 11:30 | 歌会報告