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かばん関西歌会

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2017年 05月 08日

2017年4月歌会記

かばん関西 四月オンライン歌会記
             


【参加者】あまねそう、雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、岩井曜(ゲスト)、戎居莉恵、ガク(購読)、黒路よしひろ(ゲスト)、河野瑶、漕戸もり、佐藤元紀、雀來豆(未來)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(かばん/玲瓏)、土井礼一郎、とみいえひろこ、福島直広、ふらみらり、本田葵
※所属表記なしは「かばん」正会員。

 桜や桃の花が心惑わす、かばん関西四月メーリングリスト歌会。歌会係の福島氏より提示されたお題は、エイプリルフールを念頭に置いた「嘘」。普段、滅多に嘘などつかない者や、嘘しか言わない者など、個性豊かなかばん関西メンバーが織りなす「嘘」の競演をお楽しみください。

イメージで今日はさんにん殺したわガストの窓にわらってみせる  足田久夢
 まずは足田氏による女性の強がりの「嘘」を詠った一首。「二つのカタカナ語、ひらかなへの開き方」の巧みさへの評価、「いたずらっぽい女の子が主人公の冒険物語のオープニングのようなわくわく感も読む者に抱かせる」など、好意的な評が集まった。「さんにん殺した」との表現には残忍さを感じ取るとの意見や、あくまでもイメージ、心象として楽しむ意見など評が分かれたが、街詠な感じがすごく合っている歌と言えるのではないだろうか。
 一方で、「初句で上句が作り物になってしまっている。下句のチープ感のリアリティを活かすにも初句はもっと鋭い嘘にしてほしい。」など、「イメージで」と言わなくても嘘だと十分に伝わる初句への問題を指摘する意見もあった。

高速の下は潮騒 鳩の糞飛び散る数の嘘を吐ききて  とみいえひろこ
 つづいて、とみいえ氏による嘘の数を飛び散る「鳩の糞」に喩えた感性が秀逸な一首。
 「上二句が夢のようなつまり嘘のような感触であり乍ら音を伴ううつくしいリアリティがあり引き込まれる」、「腰以降の対照的な卑近粗雑な描写と抒情が結びついて題を活かした見事な一首」、などの好意的な評を集めて、今回の兼題の部における最高得点歌二首のうちの一つとなった。
 一方で、上の句から下の句の激変ぶりの面白さを評価しながらも、描いている景のイメージの掴みにくさや、初句、二句のやや雑な感を指摘する意見も出て、様々な評が集まる歌会の魅力も感じさせられた。

吸殻と右の眉毛に気を付けてそういうトコで見破られてる  本田葵
 今回初参加の本田氏による、プロファイリング的な内容が魅力の一首。「あるいは浮気などの嘘かとも思われるが、吸殻はともかく右の眉毛という意外性のある組み合わせでこの歌もまた見事に成功しているように感じた」、「嘘をつくと右の眉毛(まぶた)がぴくぴくと動く癖のある人物なのだろうと解釈出来るが、その様を想像してみるのもまた楽しい歌のように思う」など、想像力を掻き立てられたとの好意的な評が集まった。
 一方で、面白い視点を評価しながらも、「嘘」の歌としてはストレート過ぎであるとの指摘や、「もっとフェティッシュな仕草でも面白そう」との意見もあった。

嘘をつこうどんな嘘をと思ううち四月一日の夜更けとなれる  雨宮司
 こちらは雨宮氏による、そのものエイプリルフールを詠った一首。雨宮氏のことを少なからず知る筆者としては、四月一日の毎年の雨宮氏がそのまま歌に表れていて微笑ましい。
 そんな「誰もが共感できるエイプリルフールの内容だからこそ、歌としては驚きの部分が欠けてしまっているように感じる」、「歌としては、やや平板、もうひとつ、要素が足りない」など、そのまますぎる部分への指摘もあった。一方で、「嘘が思いつかなかったというより、嘘をつく相手がいなかったんじゃないかなあ」との主体のさみしさを読み取った好意的な評もあり心に残った。
本当に嘘だつたのか「うそよ」つて言つたのがウソと思つてゐたが  新井蜜

 嘘、うそ、ウソ、の使い分けと旧仮名がたのしい雰囲気の新井氏の歌。発言そのものが嘘なのか、それを否定する「うそよ」こそが嘘なのか、正確に判断できないエイプリルフールの思わぬ落とし穴。そんなおそらく深刻な状況でありながらどこかユーモラスを感じさせる作風を楽しむ評が集まった。
 反面、面白い措辞を評価しながらも、「しかし、ひとつ要素が足りない。或いは、具体的なイメージを伴う言葉をひとつ補って欲かった」との意見もあった。

世を避ける言葉はうまくなったけど空気に少し朱色がまざった  河野瑤
 自罰がこころに血を流すのか、次々と死んでいく真理の妖精たちが大気に滲んでいくのか…そんな青にまじわる朱色の無残な様を詠った河野氏の一首。「下句が微妙な感覚を表している。真つ赤な嘘とまではいかないヴァーミリオンが上句と照応して共感を生む」など、下句の個性ある表現を中心に好意的な票を多く集めた。
 一方で、上句の「世を避ける言葉」のわかり難さを指摘する意見もあり、歌の中の表現における個性と違和感のバランスについても考えさせられた。

盛り過ぎと嘘の境目空き箱がダウトを叫ぶまで止められぬ  有田里絵
 盛り過ぎと嘘の境目を詠った有田氏による愉しい一首。就職活動の面接をイメージした歌だろうか。他にも、「盛り過ぎ」という表現には化粧も想起するとの意見や、「空き箱がダウトを叫ぶまで止められぬ」という措辞に魅せられたとの、好意的な評を得た。「空き箱」を選択したことに対する疑問は多かったが、ただ、そんなチープな感じも好きだとする参加者もいて、読み手の心に残る歌となったようだ。

鳥籠に幕を被せて嘘の夜【よ】に目蓋を見せる青い小鳥は  漕戸もり
 つづいて漕戸氏による、幕を被せた鳥籠の嘘の夜と鳥の目蓋に焦点を当てて詠んだ発想が魅力の一首。
「青い鳥は世の嘘に眠らされているだけかもしれない」との想像を広げる者や、「青い小鳥の姿が、句が倒置されていることにより、読者の眼にくっきり浮かんでくる」などの評価を得た。他方、「題材はすごくいいのだけれど理屈っぽくなってしまっている」とする指摘や、「どこにも逃げられない青い小鳥が苦しそうで辛い」との共感を示す者もいて、その不思議な魅力に読みが広がった。

真意など問わず迎える新上司愛想笑いで十八時半  福島直広
 福島氏による、異動の時期のタイムリーな歌。かばん関西には、あまり働き者がいないのか、今回この種の歌が少なかったように思うのは気のせいだろうか。サラリーマン短歌のコミカルな雰囲気を楽しみながら、愛想笑いをしている主体への同情の評が集まった。
 一方で、「問わず、迎える、愛想笑いするの主語が新上司なのか主体なのか」をこの歌だけからでは読み取れないことに対する指摘や、「全体に、説明口調になっていて、そこで終わってるのが惜しい」、「もうすこし、歌のひろがりが欲しかった」、などの意見も出た。

僕たちは常に正しく生きるけどカラオケ店で偽名を記す  戎居莉恵
 下句は個人情報保護の理由からか、自分もたまにやるとの共感が多く出た戎居氏の一首。 歌人の筆名にも同じ効力を託しているとの意見も多く、あるいは、われわれの多くが筆名(偽名)で短歌を詠んでいるということへのアイロニーと考えてもいいのかも知れない。
 「一見、真実のように詠われている上句こそが嘘であり、下句こそが真実である」、との読みもあり、一首を掘り下げて読み解いて行く楽しさを感じさせてくれた歌でもある。また、「内容がそのままに近いために全体的に幼い印象を受けてしまう」、との指摘もあった。

「信じる」の裏の「疑う」程度には種が出てくる種なし葡萄  あまねそう
 「信じる」という言葉の裏には「疑う」気持ちがわずかに込められているのだとの気づきを、種なし葡萄の種に喩えた表現が魅力の、あまね氏による一首。
大きな裏切りではないのだけれど、「あ、そうなの」という程度の残念な空気に陥ることは日常生活の中で結構ある、などの共感の票を集めた。また、「下句のリアリティが上句の説明調を救っている」との意見もあり、一方では、どちらかというならこの歌の場合は、「種なし葡萄」のほうを喩えにするほうが活きたように思う、との意見もあった。

夕影が静かに侵す図書室の嘘の記憶にばかり惹かれる  雀來豆
 図書室は歌人に馴染みのある場所だからだろうか、短歌に詠みやすく、印象深い歌になること多いような気がする。
 そんな夕影が静かに侵す図書室を詠った雀來氏の一首。「嘘の記憶」については、「自分が実際に経験したことではないのに、経験したことのように思えることをいうのだろう」、「美しく見えるものは全て虚構ということでもあるようで、その図書室の光景すらも嘘、という雰囲気を感じた」など、様々な読みが広がり、好意的な票が集まった。その一方で、「浪漫化した物語に想像は広がるが、その拡散が難といえば難」との指摘などもあった。

 
ロキソニン錠剤飲みて目を落とす史書に今宵も欺かれをり  黒路よしひろ
 椎間板ヘルニアを患う黒路の一首。
 ロキソニンで自分の体調を騙しつつ歴史書に逃げこむ。そんな「歴史もまた、現世の都合に良いよう書かれたものであるけれど、それに欺かれるのは心地よいことだ」など、作者の深層心理を読み解く好意的な評を多く頂いた。反面、「三句が、ただの繋ぎになっているのが勿体ない気がする」との表現の甘さを指摘する意見も出て、自分自身でも気になっていた部分だけに今回もまた良い勉強となったように思う。

 
もう何が本当なのか嘘なのか饒舌なひと瞳まん丸  ふらみらり
 虚言癖のある人物を詠った一首だろうか。「瞳まん丸で饒舌ってすごく怖い」、「笑えないけど笑ってしまう」、など、ふらみ氏らしいそのユーモアな表現で参加者の印象に残った一首だ。他にも、「兼題の展開がストレート過ぎた感もあるが、これはそこが魅力だとも思う」との意見や、「瞳まん丸」がいかにも嘘くさい、などの評で読み手をとことん楽しませてくれた。一方、「四句目に共感がくるかどうか」を指摘する意見もあり、ユーモアと格調さのバランスの難しさについても考えさせられた。

我は衛門督の裔にてはつなつの空高々とくすむ緑よ  佐藤元紀
 衛門督は禁裏の警備・巡検を司る役職だったらしいが、その末裔を名乗るという一首そのもので嘘をついた佐藤氏による歌(なお、柏木の末裔との本人談)。
「その嘘の壮大さに惹かれた」、「嘘を堂々と歌にしたこの手法は見事」など、いかにもな胡散臭い嘘の内容に評価が集まった。た、下句についても「広々とした、静かな景色を感じる」との評価も。一方では「我は衛門督の裔にて」はあり得ないことではないので、これだけの表現で嘘だと判断させるのは無理なのでは、との指摘もあった。

嘘なんてついたことない顔をして紺碧の空見上げるあいつ  ガク
 「紺碧」は吸い込まれるような深い青色のこと。そんな紺碧の空見上げる友人、あるいは恋人か?を詠ったガク氏の一首。
 「実際に嘘などほとんどついたことのない相手だからこそ、主体にはそう感じるのだと思う」、「本当に嘘をついたことのない人なんじゃないかな、と思ってしまう」など、その青春ドラマのような爽やかさを評価する意見が集まった。
反面、そんな青春ドラマの定番の材料或は裏材料に対する物足りなさの指摘や、「紺碧」が作為的に感じられてしまった、との意見も出て、評の分かれる部分となった。

嘘をつくたび雪の降る街のあること幼な子に教える窓辺  土井礼一郎
 土井氏による、今回の兼題の部最高得点歌二首(もう一首はとみいえ氏の歌)のうちのひとつ。
 「嘘つきが多いと、雪かきするのが大変」、「春の今、この歌を読んだからか、とても響いた」など、少し癖のある題をきれいに読みこんだ作風、教訓から作られる物語とはちがう、物語のための物語が持つ美しさ、を評価する意見が多く集まった。一方で、歌としての魅力を認めながらも「句跨りの連続が、悩ましい。ここまでする意味は何か」との、表現への指摘もあって、ただ誉めるだけでは終わらない歌会参加者たちの真剣な姿勢が感じられた部分でもあった。

UFOを見たって電話は君からで(あっちの空には飛んでるのかな)  杉田抱僕
杉田氏によるSF風味の遠距離恋愛短歌。
 「君がUFOを見たことを信じている、これくらいの受け取り方が気持ちいい」、「あっちの空には飛んでいるのかなと思うところに優しさを感じる」など、その主体(この場合は杉田氏自身と取るべきだろう)の純粋な心に共感する評が集まった。また、「電話のきっかけが欲しくて無理矢理な嘘をついたのだろう」との読みもあって、ほのぼのとした恋愛短歌を楽しませてもらった。

嘘だね、と跳ねた金魚に切り返す言葉うしない静寂が来る  岩井曜
 岩井氏による一首。この歌も歌全体が嘘あるいは虚構の歌と読むべきか。「水槽の中にまで響き渡るような嘘に動物たちは耐えられない」、「上句でかわいらしく始まるのが、下句で静寂、と生真面目に閉じていてアンバランスさも魅力」など、 金魚に図星を指された主体の動揺に多くの票が集まった。
 他方、「言葉うしない」=「静寂が来る」という意味なので、どちらかを省いたほうが静けさが立ったのでは、との意見も出て、複数の読み手によって提出歌が磨かれて行く歌会の魅力も感じさせられた歌でもある。

 以上、春の花舞い散るかばん関西、狂乱の四月歌会記でした。
 かばん関西では関西在住者にかかわらず広く仲間を募集しています。見学も自由ですので、興味のある方は是非、ご近所さまお誘い合わせの上係までご連絡ください。
                         (記/黒路よしひろ)



# by kaban-west | 2017-05-08 14:36 | 歌会報告
2017年 05月 01日

2017年4月 大阪城公園お花見吟行記

かばん関西 大阪城公園お花見吟行記
             

[日時]二〇一七年四月二日(日)午後一時から四時
[場所]大阪城公園近辺
[参加者]有田里絵、十谷あとり(日月)、福島直広

二〇一五年以来二度目のお花見吟行を企画いたしました。午後一時、市営地下鉄大阪ビジネスパーク駅前に集合、大阪城公園の外縁から桃園を散策、筋鉄門跡を経て大川を渡り南天満公園まで歩きました。ソメイヨシノは咲き始めたばかりでしたが、桃、雪柳、蒲公英が花盛りでした。青空の下、日常から離れて、うたのことだけ考えながら散策し、とても平和で豊かな時間を過ごすことができました。
当日の吟行詠は左記の通りです。

◇吟行詠草集◇
                                           有田里絵
あめちゃんでよかったですかちょこなんと川崎地蔵尊に供える
娘なら花より男子なのも良い城ホールにはSexyZone
真直でも曲がっていてもほめられる梅も桜も咲くだけでいい
鴎には出会いましたが灯を点す海里丸はいませんでした
初めての桜の話聞くよりも最期の桜散るときは来る
                                             福島直広
生ビール呑んだろかと的屋を見たら七百円ですかそうですか
迷彩の服のオヤジが堀の端鷹を手なずけ見せるドヤ顔
大川の風の流れに飛んでゆく金平糖に憬れて春
桃園の響きに少しニヤけつつクール装い歩く城郭
ゆらゆらと遊覧船はひしめいて天満の橋をじゅんぐりくぐる

                                            十谷あとり
川はこころをひろやかにする 岸辺より舟に向かつて振る手いくひら
はずみつつ啄む雀子雀の趾【あしゆび】が踏む下萌のあを
ひたぶるに見つめてをれば雀一羽わが眼交にふくらみはじむ
雀の子みるみる膨れわれはちぢむ種漬花の蔭に隠れむ
くじかれぬ夢あるごとく青空に吊り上げらるるくろがねの骨

(十谷あとり/記)



# by kaban-west | 2017-05-01 14:17 | 歌会報告
2017年 04月 15日

2017年3月26日 第2回 かばん地方歌会 歌会記

第二回 かばん地方歌会 歌会記
             
 かばん地方歌会は、毎月行われている東京歌会と同じ形式の歌会を、ほかの地域でも開催していこうという考えのもとで始められた歌会です。出席者は当月のかばん本誌を持参して集まります。
 第二回の会場はイベントスペースとしても利用できるカフェの二階で、電気コードやコンセントカバーがむき出しの不思議な空間でした。板を組み合わせてセットしたテーブルに九人がゆったり座り、佐藤さんの司会による歌会が始まりました。読み進めていく中で特に多くの意見が出た歌を、歌会と同じ順に挙げていきます。

【日時】二〇一七年三月二十六日 午後一時から五時まで
【会場】Social Kitchen 二階(京都市上京区相国寺門前町)
【出席者】雨宮司、有田里絵、河野瑤、佐藤元紀、高柳蕗子、土井礼一郎、とみいえひろこ、森本乃梨子、(ゲスト)泳二

 高柳さんは詠草五首のレジュメを配布してくださいました。評者とみいえさんは次の歌を正選にされました。
A遠をたぐって君が生きるなら僕はB遠を解いて還る  高柳蕗子
 A遠とB遠、たぐると解く、生きると還る、これら三種類の提示がとても大きなものを表している、という声がありました。筆者はカセットテープを連想しました。

ゆするなよ弁当箱じゃあるまいし卵から飛行機孵したいの?  高柳蕗子
河野さんによると日本はアメリカからヒヨコを多く輸入しているそうです。「だから飛行機の底にはヒヨコがたくさんいるんですよ」とも言われていて、複数の読者がいる歌会ならではのおもしろさを感じました。また今回の歌に限らず、高柳さんの作品にはシリアスなテーマが多いけれど歌のどこかにユーモアがあり、そのユーモアが切実さを増しているという意見がありました。

それぞれが心をもってしまっては 箱庭に毛をそよそよとさせ  とみいえひろこ
とみいえさんは、中間色やイメージの中で生きている人だと思います。「箱庭」は通常ならば心理学の箱庭療法のことですが、とみいえさんの場合は「箱庭」という言葉でしか言い表せないものなのです。他の歌で「情」に「ニュース」とルビをふっているのもしかり。心の領域を短歌に詠むと、難解もしくはとらえどころのないふわふわなものだけになりがちですが、箱庭にそよぐ毛はかなりシュールで、「もってしまっては」の後に省略されている気持ち(おそらく主体はいろいろ困っている)を想像させてくれます。

住むことのない街に来て服を買う名鉄に似た赤のカーディガン  有田里絵
 普段なら買わない色の服を出先で買うことへの共感や、この赤の色の良さが伝わるという意見が出ました。他の歌もはっきりとした具象が入っており、説明に寄り過ぎてしまってそのまますぎる印象があります。また、タイトル「着る」から始まって、少しずつ歌どうしがつながりを持っているのがわかり、八首の並べ方に工夫が見られるという意見もありました。

にんげんになるしかなくてミニチュアの心臓を飲み込む胎児たち  土井礼一郎
 この胎児たちは、自分の意志に反していたかもしれないけれど、最終的には人間になることを選び、心臓を飲み込んだ。飲み込むとは受け入れることでもあります。胎児は人とは限らず、これから生まれてくる存在という読み方もできます。「なるしかなくて」という限定的な書き方は歌のテーマを弱めてしまっているのではないかという声もありました。

幾千の受話器の流れつく島にあなたの声を洗う波音  土井礼一郎
 前述した’限定的な書き方’に関して、この歌の「幾千の」についても議論がありました。仮に「幾万」としても少ないと思う、どうせならトンなど数えられない表現を持ってきてはどうか。「あなた」も限定的だと言えるのではないか。・・・などの意見は、現実世界にはありえない情景を詠むときのヒントになりそうな言及でした。

みぞおちの白磁のように定まってとてもながく息をはきだす  河野瑤
河野さんの一首選で一番多くの票を集めた歌。「みぞおちの」の「の」が主格だと理解すると、息を吐き出すことが静謐な行為に感じられてきます。「白磁」は中国の白い陶器で、触れたときの冷たさや硬さ、肩口の曲線などを想像すると、歌の端正かつ柔らかいイメージが深まります。

大声をだす人ばかりすれ違う夜のけがれをコンビニでみそぐ  河野瑤
 コンビニに入ったときのウェルカムチャイムや照明にほっとする経験を思い出します。一首目に京都の北山が描かれているため、与謝野晶子の「清水へ清水へ祇園をよぎる桜月夜こよい逢う人みなうつくしき」を連想する参加者もありました。

傷あまた負ふとも生くるこそよけれ白樺の声を夜の湯に聴く  佐藤元紀
丑寅の湯に沈む身の深々と絵巻の闇を軸へとたどる  佐藤元紀
タイトル「玄冥」が美しいです。温泉に行ったことを、実に様々な方向性から歌にしていて、「球筋が多くて力を感じる」と評されていました。作者によると蔵書からの引用が多々あるそうですが、抜群の安定感でそれを感じさせません。湯に浸かるうちに夜は更けて、闇は濃くなっていきます。

帰る港を持たない人と贈られた帆船、日常的に揺れていました  森本乃梨子
 歌の中では主語が明確にされていません。揺れていたのは「人」と「帆船」なのか、作中主体なのか、もしくはその両方なのかもしれません。他の歌を合わせて読むと「人」は作中主体の父親であると思われますが、決定打はなく、もどかしさも感じます。また、短歌の定形とはずいぶん違うリズムを持った一連の作品ですが、破調についての指摘は特に出ませんでした。破調であることにも指摘が出なかったことにも、私はこの歌会記を書きながらやっと気がつきました。作者はお父さまの話を思い出して詠んだそうです。参加者はずっと揺らされていたのでしょうか。

屋根ばかり(いえ人間も)流される狼に耐えた家でさえも  雨宮司
 作者は、三月号掲載ということで、いま歌にしておかなければという意識を持って震災を詠んだそうです。昔話の「三匹の子ぶた」を下敷きにしながら、言葉にするのが難しいテーマを(この歌会記の中だけでも、もちろん難しい)、それでも短歌にしておきたいという気持ちが感じられます。

永劫の炎をくべた竈割れ皆解毒剤を捜し求める  雨宮司
 この「竈」が原子力発電所だと分かるのは一連の歌と合わせて読むからです。「永劫」は今回何度か出てきた限定的な書き方ではありますが、人生が激変した人々を思えば「永劫」としか言いようがないのかもしれません。

 歌会語の茶話会では「短歌の身体」について、俳句との違いについてなど、興味深く頭をフル回転させる話を聞くことができました。会場を出る時間には冷たい雨が降っていましたが、見送りに出てくだった店主の笑顔と、咲き始めのユキヤナギが鮮やかでした。
(有田里絵/記)



# by kaban-west | 2017-04-15 14:26 | 歌会報告
2017年 04月 01日

2017年3月歌会記

かばん関西 三月オンライン歌会記
             

【参加者】(敬称略、五十音順、表記なしは「かばん」所属会員)雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、泳二(ゲスト)、戎居莉恵、ガク(購読)、黒路よしひろ(ゲスト)、河野瑤、漕戸もり、佐藤元紀、雀來豆(未来)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、東湖悠(ゲスト)、とみいえひろこ、東こころ(かばん/未来)、ミカヅキカゲリ
余寒厳しきなかで泳二さんは「早春」の題を出した。しかも「春」の字の詠み込みの禁止といふ条件付で。これは各自の早春感が一首に表れるといふ点で実に魅力的な出題であり、実際の出詠も多岐に亙るをもしろいものとなつた。オルガナイザアとしての泳二さんにまづは感謝したい。
以下、その兼題の部の歌を取り上げる。
雲を押す風のにほひと黄水仙新聞紙に包みて呉るる      十谷あとり
終バスも去った団地の街灯に鬼まかり通り花冷えの夜       河野瑤
手袋を外せば風に撫でられて花びらとなりひらひらと手は    漕戸もり
まだ息が白いうちは冬だって笑えば光の差す通学路       杉田抱僕
入試まであと二週間消しゴムのケースの端をぐっと折りこむ   有田里絵
おひなさま古い木箱に仕舞うのを娘の胸で見ているジェニー    雀來豆
絶賛評の嵐となつた一首目。上二句の美しさと早春を象徴する黄水仙の強いイメージに新聞紙の具象性が加はり、風のにほひと黄水仙を新聞紙に包んで相手に渡す、といふ見事な抒情で読み手を魅した。今回の最高得点歌である。二首目も高得点歌。四句目が印象深いとする評が多かつた。抑へた表現と幻想的な情景が胸に沁みる、とも。ただ「花冷え」が早春ではないとする指摘もいくつか見られた。三首目も手袋を外した手を風が撫で、下句との見事な続けがらによつて早春の表象と結びつけられてゐるのが美しいとする評が相次いだ。かういふところへの着目にはつとさせられる。「キラキラしてて、とにかくキラキラしてて」といふ評も寄せられた四首目は、上句に早春を浮かばせて下句の「通学路」に繋げるところが評価された。五首目は共感が続々と集められた一首。早春の風物詩、否、一大事である入試が迫る上二句の切実感と結句の緊張感が絶妙に結びついてゐる。六首目、ジェニーについて人形か別のものか読みがわかれたが、やはりここはタカラトミーの人形としてジェニーを読みたいか。雛人形とジェニーの対比を評価するものが多かつた。
憶良らも旅人も居りし万葉の巻五は楽し梅の宴【うたげ】の    黒路よしひろ
軽くなれ衣とともに心まで陽射しのなかに憂いを溶かす        戎居莉恵
やわらかなパステルカラーの新作がまぶしい二月末のデパート      東こころ
一千万台目のこたつを片づける僕らのおばあちゃんのまばたき    土井礼一郎
三ヶ月歩いた桜並木咲く季節を前にここを去ります            東湖悠
深夜二時 山に登れば雪はまだ見られるだろう コーヒーを飲む     泳二

『万葉集』巻五の楽しさを、旅人宅の梅花宴の歌に早春を託し同巻で大活躍する憶良も絡めた一首目は、評価は集まつたが過去を示す「居りし」へのひつかかりと結句の安易さを指摘する声も少なくなかつた。因みに有名な「憶良らは今は罷らむ」は巻三所載である。冬服の重みからの解放を心の解放へと結びつけた二首目は、キャンディーズの「春一番」を想起させるといふ意見があつたが、暖かさを感じさせる下句の抒情に評価が集まつた。早春の百貨店の情景を爽やかに詠じた三首目は、その爽やかさを示す言葉の組合せに物足りなさが感じられるといふ評も一方で目立つた。四首目は強烈なイメージを与へる初句に込められた長大な時間と結句との対比に面白さを見るか一首の内容への戸惑ひを感じるかで評が分かれた。初句の「三ヶ月」がドラマを感じさせて印象深い五首目は、その初句から様々のドラマを読み手に想像させる一方で「桜並木」と「咲く季節」が着きすぎて窮屈になつてゐるといふ指摘もあつた。一字あきが二つ置かれた六首目は、その設定や二句目から四句目までの心情への理屈つぽさや唐突さが気になるものの、そこに思ひつきのリアルさやぶつきらぼうさを魅力として感じるといふ読みも提出されたことが趣深い。
萌え初めしあはき翳りはさやさやとさびしき丘に吹かれゆれをり   新井蜜
葉を揺らす風はさやかに縁側の猫はひねもす夢の彼方へ          ガク
リスタートできる気がして新しい講座に色気今は全能     ミカヅキカゲリ
まだ耳に3.11の風の便りペットボトルが易しく光る       とみいえひろこ
耕したばかりの田へと嫋々と雨降る夜明けつややかな土         雨宮司
須磨塩屋垂水と走る浜風の青めるなかをさゆるさざなみ      佐藤元紀
 早春に萌え始めた翳りといふ感性の冴えが光るモティフが詠はれた一首目は、その独特の感性と表記の美しさに惹かれる評とともに、四句目の「さびしき」が気になるといふ意見も出された。縁側の猫が夢の彼方へ行つてしまふ暖かさが心地よい二首目は、綺麗ながらも常套的・詠みつくされた既視感と題である「早春」の弱さが多く指摘された。上二句に活き活きとした早春を感じさせる三首目は、それが「色気」を経て結句の「全能」へと続いてゆくところに面白さが感じられるが、その表現で解釈に悩んだりその速度にどたばた感を抱いてしまふといふ評もあつた。四首目は点数は別として様々な読みが寄せられた一首。ペットボトルといふ極めて卑近なものと東日本大震災との結びつきへの評価は勿論のこと、「優しく」ではない「易しく」に違和を見るか被災地との温度差を読むか、更には上句の甘さなど、様々な角度からの指摘が相次いだのが印象深い。いきいきとした土の匂ひを感じさせる抒景が好感を呼んだ五首目は、腰の「嫋々と」がその景色にあふかそこに頼りすぎてゐるかといふところで評が分かれた。
今回の題の指定は、古典和歌以来の季題といふ強い縛りの一方で、今日の短歌としてそれぞれの個性をそこに思ひきり込めることで、実にバラエティに富んだ歌が満ち、それに対する読みも実に興味深いものが多く、盛会を導くものとなつた。また、「春」といふ広いものでなく「早春」といふことでどれだけ繊細な季節感を各自が持つてゐるかが問はれたのも確かである。冒頭に記したが、その意味でも泳二さんの今回の題指定は実に絶妙だつた。また、それだけの幅広い読みが提示されることで、自分の読みが如何に粗かつたかを反省させられたのも自分には大きな収穫となつた。今後ともかういふ歌会が活発に続くことで、それぞれの歌の力は確実にあがつてゆくとおもふ。更に多くの方の参加を願ふ次第である。
最後に、自由詠の高得点歌を挙げておく。
まひるまのピラフにスプーン突き刺してきみはきみどりいろだけを抜く   東こころ                 
からからに乾いた冬の街中で目立たず座れそうな月だよ          有田里絵
深夜まで朝刊を置くコンビニで一日遅れて世の息をつく            河野瑶
妣はだんだんひろがつてゆくがらんどう 陶の匙もて苺をつぶす     十谷あとり                              
(記/佐藤元紀)



# by kaban-west | 2017-04-01 14:21 | 歌会報告
2017年 03月 06日

2月歌会記

かばん関西 二月オンライン歌会記


【参加者】(敬称略五十音順、表記なしは「かばん」所属)雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、戎居莉恵、黒路よしひろ(ゲスト)、河野瑤、佐藤元紀、塩谷風月(未来/レ・パピエシアンⅡ)、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、東湖悠(ゲスト)、とみいえひろこ、ふらみらり、ミカヅキカゲリ

寒さ厳しい二月初め、今回進行役の土井氏から出された兼題は「滅」。
浮遊するAI【えいあい】少女さわさわと滅びのまへのひかりの春を  新井蜜(七点)
この歌の終末思想的イメージ(塩谷)には、筆者も強く共感するところがあった。「『新しい天使』と題されているクレーの絵がある…天使は、彼が凝視している何ものかから今にも遠ざかろうとしているように見える。彼の眼は大きく見開かれていて、口は開き、翼も開かれている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。」ヨーロッパ文明の破局を予感しつつベンヤミン【註1】が書き遺した一節を、この歌に重ねて読むことは容易である。
人工知能が発達するほどリアルな知性や感情は外部に移乗され、ますます我々の実存は希薄になる。おそらく「此の世の終わり」は中枢AI内にストックされた「全イメージの消退(滅びのまへのひかり)」と同義になるのではないか、と遠い予感がする。アルマゲドンは頭蓋(ゴルゴタ)の中で起こる。
「人工知能」と「少女という儚い存在」の結びつき(ミカヅキ)が「さわさわ」とやわらかく(とみいえ)表現されている点にも注目したい。

知らないがときおり点滅をする妻 糸川にまた桜の季節  とみいえひろこ(七点)
初句の読みが「性善説」対「性悪説」にまっぷたつに分かれる一首。
「知らないが」にぶっきらぼうな、むしろ不穏な口調を読み取ってしまうと、たとえば「桜」→「合格」→「資格の取得」→此の「妻」は密かに経済的独立の準備を着々と進めていて、それを夫の無意識がかすかに感受している「糸」のような気配、となるだろうか、「点滅」が危機の予感として読めてしまう。木の芽時の精神状態の不安定(新井)病身か、隠し事か、身近な人の不思議な気配(河野)という読解も同様だろう。
一方で「点滅って携帯電話が受信するみたいにピコン!と光る感じかな。旦那さんも「なんで光る…?」ってあまり切羽詰まらず首を傾げていそう。」(杉田)桜が咲くと川沿いを皆でだらだらと歩きながら、ワインを買って飲んだりする。で妻をふと見ると点滅して=ほろ酔いでけらけら笑って(土井)と「春風駘蕩」を絵に描いたような解釈もあって。読み手のリア充の度合いかな。


片晴月に刺し貫かれ滅諦にとほき己は橋に仆るる  佐藤元紀(三点)
かたわれ月という名称に惹かれた人が多かった。「滅諦」という仰々しい仏教用語もこの歌の「ケレン味」へ貢献しているだろう。「うたの世界とは離れた遠いところへ連れて行かれるような気分」(雀來)、「日光江戸村とかに通ずるつくりこみ感」(土井)といった評に伺えるのは読み手それぞれの快哉だ。

滅相もございませんという顔のきゅうりの輪切りが待つサラダバー  土井礼一郎(十二点)
「へちま」は西脇を筆頭に多くの詩人に愛された植物だが、飄々とした味わいなら「きゅうり」も負けていない。中身が白っぽくてすらっとしているから私なんて大したことありませんという顔をしながら沢山の人が選んでくれる(有田)という韜晦がぴったりだ。
肩の力が抜けきった歌に見えるのに、その実よく練られた語の選択や配置があるのかも(ミカヅキ)という指摘通り、腰から結句に向けてリズムを調律している助詞の用法等実はほとんど隙のない端正な一首。
誰一人返事しない昼ふりむけばセイタカアワダチソウの絶滅  河野瑤(七点)
初句の「誰一人」からか職場やチームでの一場面(東湖)や「生徒の象徴」(とみいえ)と比喩的に捉える意見も多かった。
振り向くことで、それまで気づかなかったパラレルワールドに踏み込んでしまったような、何かを決定的に掛け違えてしまったような、そんな感覚という評(杉田)が出色である。その世界で繁茂しているのは更なる外来種(宇宙種?トリフォドのような)であるかもしれない。

この雪が滅びてしまうその前にあなたが「やあ」と来ればいいのに  雀來豆(六点)
「時の流れは、崇高なものをなしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう」三島由紀夫「奔馬」の一節【註2】だが、筆者はいつも「何が降り積もるのだろう」と間違えてしまう。「雪の滅び」という唯美的な響きをもったイメージを、重厚に過ぎず、さらりと再会への期待につなげていく洒脱に脱帽したのだが、一方で「雪の滅び」=「雪が溶ける、やむ」程度だったらつまらない、不自然だという意見もあった。
人生は雪のようにはかない。雪が溶ければ(主体も死んでしまえば)死んだあなたとも天国で会える、それでもやはり今すぐふらっと帰ってきてほしい、という解釈(河野)も素敵だが「歌謡曲的」という意見もある。愛着の度合いがはっきりと解釈にでる歌だ。


別れには理由があったはずなのに思い出せない点滅の赤   有田里絵(五点)
この歌の「赤」「点滅」に、人間の根っこにまで揺さぶりをかけるなにかがあったのか「点滅する赤信号が家の近くにあり、見ているとざわざわして不安になる」(東湖)「いつまでも胸に灯って消えない」(とみいえ)と自身に直結して読まれている評が多かった。「交差点の真ん中に横たわってこれからのことを考えている。というような情景」(新井)という「101回目のプロポーズ」裏バージョン的な解釈も面白い。
失恋を悟った瞬間ほほえんで死守した僕の滅びの美学  ふらみらり(四点)
滅びの美学、なんて「防衛機制だ」「もっと素直になったら」「格好つけてる場合じゃないよ」と評者たちの矢継ぎ早のツッコミが愉しい一首。筆者は「滅び」が「美」として捉えられる感性から同性間の恋ではないかと憶測した。筒井康隆の「カラダ記念日」【註3】であれば下句の「僕」をルビ付きで「舎弟(ヤツ)」と言い換えたいところだ。
菜の花の点滅やまず春原をするする抜けてくるひとさらい  足田久夢(九点)
「抜けてゆくじゃない!抜けてくるだ!こっちに来てる!しかも「するする」なんて、すぐこっちまでたどり着いて…菜の花の点滅は黄色信号を表していたのかと「ひとさらい」まで読んで初めて気づく」そうですよ杉田さん、あっという間です(笑)。
『リア充が滅ぶ』牛丼並盛のボタンの上に貼られたいたずら  杉田抱僕(5点)
押せば世間のリア充が滅んでしまうボタン…押すときは勿論「ぽちっとな」(黒路)とつぶやきたいところ。ところで「ボタン」といえば「牛丼一筋××年」の◎◎家では無いわけで、じゃあ…と牛丼屋トリビアを延々書こうとした自分も当然「ぽちっと」派です。
自由題で高得点だった歌は以下のとおり。
浮かびあがる方法だけは覚えとけ 冬の煙突に揺らぐ太陽  河野瑤(七点)
機嫌よくなるほど昔のことを言う君が笑えば孵化する魚  土井礼一郎(十点)
雨待ちとそっと囁くその声に月を眺める狼をみた  東湖 悠(七点)
会いたいと時折告げる「会いたい」とすこし違うと知りながら 肩へ  とみいえひろこ(七点)
(足田久夢/記)
【註1】ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』(未來社 二〇一五年)
【註2】三島由紀夫『奔馬ー豊饒の海 第二巻』(新潮文庫 二〇〇二年)
【註3】筒井康隆『薬菜飯店』(新潮文庫 一九九二年)


# by kaban-west | 2017-03-06 17:38 | 歌会報告