かばん関西歌会

kabanwest.exblog.jp
ブログトップ
2018年 04月 19日

3月歌会記

かばん関西三月オンライン歌会記

○参加者(敬称略)
雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、戎居莉恵、小川ちとせ、佐藤元紀、雀来豆(未来)、蔦きうい(玲瓏)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ふらみらり、本田葵(かばん/塔)
※注記のない方はかばん正会員 計十二名

有田さん出題、今月は兼題一本勝負です。〈音が「は」から始まって「る」で終わる歌〉。ひとりにつき星三つを持ち星とした持ち星方式での選でした。有田さんはAmazonのレビューを見ていて持ち星方式を思いついたそうです。持ち星方式だと気軽にコメントが書けた気がします。

春野菜ほろほろ茹でる夕暮れの窓そのむこう遠くミサイル  小川ちとせ
はんぺんを「はんぺい」と言ふ祖父なりき細切りにして菜花とあえる  有田里絵

高得点の二首から。
一首目。ミサイルのニュースは時折大きく報道されるけれど、その間も身のまわりではあたりまえの日常が繰り広げられている、その感じが明るさを伴いながらよく詠まれています。読み手の多くに、ナチュラルに自らの日常や実感に引きつけて味わわせたこの歌の説得力は、結句の「ミサイル」まで丁寧に積み重ねた言葉の効果、細部にみられる技術力からくるものでしょう。主張せず「ほろほろ」にこめた素朴で現実的な生活感、どこか崩れそうな心を読み取って評価した人も。下句がこなれておらず説明になっていないかという意見もありました。しかし案外、「そのむこう遠く」というもどかしさのある表現に実感がこもっているようにも読めます。今回の最高得点で、星を二つ使った人も多かった歌。
二首目も高得点でした。実景がさらりと描かれているけれど具体的で、季節感をまとった淡いような眩しいような色合いが美しく目に浮かびます。「辛子醤油でも、生姜醤油でも、酢味噌でもいい。その背後には古臭い御爺様のことばが黴のように潜んでいて、生活をしっとりと潤わせているのです。」という評も。過去の助動詞「き」も効いています。

針供養済ますつもりで買ってきた木綿豆腐は鍋の具となる  雨宮司
はかなくもしょうめんの前髪に光る蜘蛛の糸ふれるくずれるやぶる  とみいえひろこ
腹のなか圧縮するごと息を吐くおしつぶしたもの遠くへ投げる  ふらみらり

一首目。具体的に詠み込んだ単語から穏やかで丁寧な生活の風景が立ち上がってきます。にやっと笑える景の切り取りが好評でした。そういった完璧ではない生活こそが大切なんだという実感をもった読み手も。さりげない詠み方は散文的にも感じられ、とくに「済ますつもりで」の受け取り方に幅が出たりもして、もどかしいところ。
二首目。「しょうめんの前髪」はちょっとヘンなのでは、「私」の前に座っている女の子の前髪では、といったように、上句も下句も読み方が分かれました。お題に対応するため「はかなくも」を冒頭に持ってきたことで、なんとなく主体の心情の説明のようにもみえるという評も。個性的な不思議なリズム、もってまわったような措辞になぜか魅かれるという意見もありましたが、かなの多用はここではあまり効果がないようです。
三首目は「おしつぶしたもの」が読み手の想像を広げました。怒り、不満、自分にとっていらないもの、野球のボールなどなど。合唱指導か何かを詠んだもので、指導者に言われたことを生真面目に反芻している歌なのではという読みも。「抽象的な景なのになにか可笑しい」という評もあり、「腹」や「圧縮」といった硬い言葉、観察に徹した表現が醸し出す不思議な雰囲気を味わいました。

歯ぎしりにすりへりし日々しづしづとかげろふ木の芽春雨ぞ降る  佐藤元紀
羽蟻来れば羽蟻は僕の言葉にも蟻の言葉を混ぜようとする  土井礼一郎
儚しと笑はば笑へわが愛の向かふはひとりこのラブドール  新井蜜

一首目。音のおもしろさや、季節と我が身の対比が評価されました。上句を声に出して読んでいるうちに歯がすり減っていきそうな感覚や、自分のなかで音が響き合ってくる感覚が生まれます。すりへる理由には触れずに「日々」という言葉を用いながら〈歯ぎしり→すりへる→歯ぎしり〉のループが描かれています。すりへる我が身がすりへることのない季節の巡りにのみ包まれているような孤独感が伝わります。道具立ての多彩さがすこし過剰で煩わしくもある、という意見も。
二首目。「羽蟻」「蟻」の連続により、人間である読み手の中にもほんの少し〈蟻世界の言葉〉に近づけたような感覚が生まれたという感想も。わたしにもこんな経験があったのだと思わせてしまう力がある、〈言葉〉自体のつかみどころのなさが読み取れる、という評もありました。「お題を忘れさせてくれる歌」という評も、作品の個性や存在感からくるものでしょう。どうせなら「羽蟻の言葉を混ぜようとする」としてほしかったという意見、また、「混ぜようとする」には「混ぜようとしてきやがって」といった否定的な意識があると読めてしまう点も課題として挙げられます。
三首目は、もってまわった言い方が滑稽でおもしろい、ぞくっとする、などと読み手がぱっと興味をもってこの世界に入っていける力のある歌でした。「儚し」という表現はすこし違うのでは?という評や、しらべに対して漢字が多く視覚的にごちゃごちゃした印象だという評がありました。「いえ、笑いません。(略)ラブドールを愛せる人は、生身の人間をも愛せると思う。」という評も。

はからずも分かってしまう真実が君のメイクが嘘を物語る   戎居莉恵
晴れの日の散歩の犬の足跡に見つからぬようキスをした夜  本田葵
八月の風吹きぬけて鷺池に幻のごと百日紅ふる  雀來豆

一首目。「真実が」は倒置になっており、三句目で切れるとして読むと意味が分かります。「が」が続いているため、そこが気になってしまいます。「分かってしまう」と「物語る」はここでは同じ意味で、「真実」と「メイク」の両方を入れて説明する重たさが感じられるという評もありました。オルタナティブ・ファクトへの揶揄もあるのかな?という読みも。
二首目もロマンチック。どことなくお題の「はる」の中にあってしっくりくる歌です。上句がカギで、文脈を読み込もうとするうちに歌の世界に引き込まれるつくりになっています。描かれていない恋人とキスをしたのだと読むのがここでは正解でしょう。嗅覚から秘めたる恋となっているところがおもしろいという評や、ここでの「晴れ」は「ハレ」の要素も多く含んでいるという読み方も。
三首目。お題「はる」の中に「八月の風」が吹き抜け「幻のごと百日紅」がふりました。鷺池の風景は季節ごとの味わいがあり美しいのだそう。春の桜ではなく、幻を呼び込んだところがおしゃれです。「幻のごと」という表現については、中途半端、いい味を出している、と意見が分かれましたが、ここが歌のキモではあります。百日紅にしては潔くかっこよすぎる修辞が「幻」感を引き出し、鷺池に映り込んだ百日紅の景色が目に浮かぶよう。

(とみいえひろこ 記)
[PR]

# by kaban-west | 2018-04-19 23:05 | 歌会報告
2018年 03月 18日

2月歌会記

かばん関西二月オンライン歌会報告

◇参加者 (敬称略)◇ 雨宮司、 新井蜜(塔)、 有田里絵、 戎居莉恵、 小川ちとせ、 佐藤元紀、 雀來豆(未来)、 十谷あとり(日月、選歌・コメントのみ) 、 蔦きうい(玲瓏) 、 とみいえひろこ、ふらみらり、 本田葵(かばん/塔)◇以上十二名(所属無表記はかばん正会員)
月例通り、兼題の部・自由詠の部の二本立てで行いました。

◆[兼題の部]今回の題は[箱]。雀來豆さんの出題です。左記の十一首が集まりました。

・箱根猫は小箱の上に寝転びて小春日和を琥珀のように  本田葵
・紙パックさえも勝手に喋りだす「たたんでくれてありがとう」って  有田里絵
・踊り子をひとり閉じこめわたくしの小箱は子宮の静けさである  小川ちとせ
・そばだつる枕も空行月【そらゆくつき】さへも遠く眠れる我がワンルーム  佐藤元紀
・リンゴ箱かさね作つた本棚の奥から『卍』取り出して読む  新井蜜
・箱詰の菓子を携え謝罪へと赴く社長苦労は絶えぬ  雨宮司
・キッチンのテーブル高く静寂【しじま】してhi-liteの青き箱ひとつ  とみいえひろこ
・ああこんな夢を見たって一番に(開けても開けても箱がある)話したいけどベッドにはもう  雀來豆
・この箱は奴隷船かも呼吸さえ危うい僕ら職場へ運ぶ  戎居莉恵
・家中の空き箱全部つぶしますこれで退路を断った気分に  ふらみらり
・抱かれたら漣がくる踏まれたら漣あげる箱にくるまる  蔦きうい

牛乳パック、リンゴの木箱、菓子折の化粧箱、煙草の箱、空き箱など、さまざまな箱が登場しました。また、中に空間があり、何かを閉じ込めたり包み込んだりする、といった箱の性質を表現に生かした歌も。個人的には本田さんの「箱根猫」(ことばの使い方がやや強引かとは思いつつ、箱根には確かに猫が似合いそう)、蔦さんの「箱にくるまる」(具体的には何のことか分からないけれども妙に生身の人間の存在が感じられる歌、それにしても箱に「くるまる」のはちょっと無理なのでは)の二首が特に印象に残りました。互選では佐藤さんの「ワンルーム」、とみいえさんの「hi-liteの青き箱」に人気が集まりました。
題詠という詠み方は、時に、題をどう処理するか、題からどれだけユニークな発想ができるかという方向に力が入りがちになる気がします。アイディアを披露しあうことも歌会の楽しみのひとつですし、そこに知恵を絞るのもいい。ただ、単なる言葉遊びや大喜利みたいにはなってほしくない。わたしは、当該の歌会が終わった後、題詠という枠が外れても読み応えのあるような歌と出会えたらうれしいですし、自分もそういう歌を書きたいと考えています。

◆[自由詠の部] 同じく十一首が出詠されました。

・箱庭に林檎の皮を降らすひと泣く前の喉を髪に隠して  とみいえひろこ
・哀しみは背戸の山からやつてきて去つてゆかない用が済んでも  新井蜜
・浄福の光は闇へ射すものか冴え月は明け方には黄色い  雨宮司
・あなたにもきっとあるはず最強のバルスの呪文心の中に  本田葵
・写真見せきらめく瞳で僕に聞くだれがいちばんかわいいでしょう  戎居莉恵
・水蛇に驚いたのか水際で(Red Bull 翼をさずける)娘はクロックスを濡らして  雀來豆
・二人して波間の千鳥ならましを高師浜駅ステンドグラス  佐藤元紀
・屋根裏に写真一枚まだ若い義父笑ってる何年間も  ふらみらり
・「ねえ、ほしい」「なにを?」「さびしさ」逍遥とその後のわたしを海はしらない  蔦きうい
・指遊びしながら雪を追いかける声を立てずに消えゆく者ら  有田里絵
・しんしんと二月の水を眠らせて電気ポットは壊れていたり  小川ちとせ

ほぼ毎月定期的に行われているメーリングリストの歌会に加え、年に数回、会議室等会場に集まって歌を読みあう歌会も継続しています。お花見吟行や忘年会も。かばん関西歌会が、少しでも刺激を得られる場でありますよう、また歌を志す仲間たちが和やかに交流できる場であり続けますよう、と願っています。(十谷あとり 記)

[PR]

# by kaban-west | 2018-03-18 22:27 | 歌会報告
2017年 03月 06日

2月歌会記

かばん関西 二月オンライン歌会記


【参加者】(敬称略五十音順、表記なしは「かばん」所属)雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、戎居莉恵、黒路よしひろ(ゲスト)、河野瑤、佐藤元紀、塩谷風月(未来/レ・パピエシアンⅡ)、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、東湖悠(ゲスト)、とみいえひろこ、ふらみらり、ミカヅキカゲリ

寒さ厳しい二月初め、今回進行役の土井氏から出された兼題は「滅」。
浮遊するAI【えいあい】少女さわさわと滅びのまへのひかりの春を  新井蜜(七点)
この歌の終末思想的イメージ(塩谷)には、筆者も強く共感するところがあった。「『新しい天使』と題されているクレーの絵がある…天使は、彼が凝視している何ものかから今にも遠ざかろうとしているように見える。彼の眼は大きく見開かれていて、口は開き、翼も開かれている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。」ヨーロッパ文明の破局を予感しつつベンヤミン【註1】が書き遺した一節を、この歌に重ねて読むことは容易である。
人工知能が発達するほどリアルな知性や感情は外部に移乗され、ますます我々の実存は希薄になる。おそらく「此の世の終わり」は中枢AI内にストックされた「全イメージの消退(滅びのまへのひかり)」と同義になるのではないか、と遠い予感がする。アルマゲドンは頭蓋(ゴルゴタ)の中で起こる。
「人工知能」と「少女という儚い存在」の結びつき(ミカヅキ)が「さわさわ」とやわらかく(とみいえ)表現されている点にも注目したい。

知らないがときおり点滅をする妻 糸川にまた桜の季節  とみいえひろこ(七点)
初句の読みが「性善説」対「性悪説」にまっぷたつに分かれる一首。
「知らないが」にぶっきらぼうな、むしろ不穏な口調を読み取ってしまうと、たとえば「桜」→「合格」→「資格の取得」→此の「妻」は密かに経済的独立の準備を着々と進めていて、それを夫の無意識がかすかに感受している「糸」のような気配、となるだろうか、「点滅」が危機の予感として読めてしまう。木の芽時の精神状態の不安定(新井)病身か、隠し事か、身近な人の不思議な気配(河野)という読解も同様だろう。
一方で「点滅って携帯電話が受信するみたいにピコン!と光る感じかな。旦那さんも「なんで光る…?」ってあまり切羽詰まらず首を傾げていそう。」(杉田)桜が咲くと川沿いを皆でだらだらと歩きながら、ワインを買って飲んだりする。で妻をふと見ると点滅して=ほろ酔いでけらけら笑って(土井)と「春風駘蕩」を絵に描いたような解釈もあって。読み手のリア充の度合いかな。


片晴月に刺し貫かれ滅諦にとほき己は橋に仆るる  佐藤元紀(三点)
かたわれ月という名称に惹かれた人が多かった。「滅諦」という仰々しい仏教用語もこの歌の「ケレン味」へ貢献しているだろう。「うたの世界とは離れた遠いところへ連れて行かれるような気分」(雀來)、「日光江戸村とかに通ずるつくりこみ感」(土井)といった評に伺えるのは読み手それぞれの快哉だ。

滅相もございませんという顔のきゅうりの輪切りが待つサラダバー  土井礼一郎(十二点)
「へちま」は西脇を筆頭に多くの詩人に愛された植物だが、飄々とした味わいなら「きゅうり」も負けていない。中身が白っぽくてすらっとしているから私なんて大したことありませんという顔をしながら沢山の人が選んでくれる(有田)という韜晦がぴったりだ。
肩の力が抜けきった歌に見えるのに、その実よく練られた語の選択や配置があるのかも(ミカヅキ)という指摘通り、腰から結句に向けてリズムを調律している助詞の用法等実はほとんど隙のない端正な一首。
誰一人返事しない昼ふりむけばセイタカアワダチソウの絶滅  河野瑤(七点)
初句の「誰一人」からか職場やチームでの一場面(東湖)や「生徒の象徴」(とみいえ)と比喩的に捉える意見も多かった。
振り向くことで、それまで気づかなかったパラレルワールドに踏み込んでしまったような、何かを決定的に掛け違えてしまったような、そんな感覚という評(杉田)が出色である。その世界で繁茂しているのは更なる外来種(宇宙種?トリフォドのような)であるかもしれない。

この雪が滅びてしまうその前にあなたが「やあ」と来ればいいのに  雀來豆(六点)
「時の流れは、崇高なものをなしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう」三島由紀夫「奔馬」の一節【註2】だが、筆者はいつも「何が降り積もるのだろう」と間違えてしまう。「雪の滅び」という唯美的な響きをもったイメージを、重厚に過ぎず、さらりと再会への期待につなげていく洒脱に脱帽したのだが、一方で「雪の滅び」=「雪が溶ける、やむ」程度だったらつまらない、不自然だという意見もあった。
人生は雪のようにはかない。雪が溶ければ(主体も死んでしまえば)死んだあなたとも天国で会える、それでもやはり今すぐふらっと帰ってきてほしい、という解釈(河野)も素敵だが「歌謡曲的」という意見もある。愛着の度合いがはっきりと解釈にでる歌だ。


別れには理由があったはずなのに思い出せない点滅の赤   有田里絵(五点)
この歌の「赤」「点滅」に、人間の根っこにまで揺さぶりをかけるなにかがあったのか「点滅する赤信号が家の近くにあり、見ているとざわざわして不安になる」(東湖)「いつまでも胸に灯って消えない」(とみいえ)と自身に直結して読まれている評が多かった。「交差点の真ん中に横たわってこれからのことを考えている。というような情景」(新井)という「101回目のプロポーズ」裏バージョン的な解釈も面白い。
失恋を悟った瞬間ほほえんで死守した僕の滅びの美学  ふらみらり(四点)
滅びの美学、なんて「防衛機制だ」「もっと素直になったら」「格好つけてる場合じゃないよ」と評者たちの矢継ぎ早のツッコミが愉しい一首。筆者は「滅び」が「美」として捉えられる感性から同性間の恋ではないかと憶測した。筒井康隆の「カラダ記念日」【註3】であれば下句の「僕」をルビ付きで「舎弟(ヤツ)」と言い換えたいところだ。
菜の花の点滅やまず春原をするする抜けてくるひとさらい  足田久夢(九点)
「抜けてゆくじゃない!抜けてくるだ!こっちに来てる!しかも「するする」なんて、すぐこっちまでたどり着いて…菜の花の点滅は黄色信号を表していたのかと「ひとさらい」まで読んで初めて気づく」そうですよ杉田さん、あっという間です(笑)。
『リア充が滅ぶ』牛丼並盛のボタンの上に貼られたいたずら  杉田抱僕(5点)
押せば世間のリア充が滅んでしまうボタン…押すときは勿論「ぽちっとな」(黒路)とつぶやきたいところ。ところで「ボタン」といえば「牛丼一筋××年」の◎◎家では無いわけで、じゃあ…と牛丼屋トリビアを延々書こうとした自分も当然「ぽちっと」派です。
自由題で高得点だった歌は以下のとおり。
浮かびあがる方法だけは覚えとけ 冬の煙突に揺らぐ太陽  河野瑤(七点)
機嫌よくなるほど昔のことを言う君が笑えば孵化する魚  土井礼一郎(十点)
雨待ちとそっと囁くその声に月を眺める狼をみた  東湖 悠(七点)
会いたいと時折告げる「会いたい」とすこし違うと知りながら 肩へ  とみいえひろこ(七点)
(足田久夢/記)
【註1】ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』(未來社 二〇一五年)
【註2】三島由紀夫『奔馬ー豊饒の海 第二巻』(新潮文庫 二〇〇二年)
【註3】筒井康隆『薬菜飯店』(新潮文庫 一九九二年)

[PR]

# by kaban-west | 2017-03-06 17:38 | 歌会報告
2017年 02月 04日

新春弁天町歌会記

◆◇ かばん関西新春弁天町歌会記 ◇◆

とき:二〇一七年一月二十二日 午後一時から五時まで
ところ:弁天町ORC200生涯学習センター 第三会議室

年の初めの歌会は、大阪市港区弁天町にあるORC200(ORCは大阪リゾートシティの頭文字で、200は建物の高さだそうです)にて行いました。大寒の二日後ということもあり、外はみぞれ混じりの雨が降る寒さでしたが、室内は古めの設備と途切れのない意見交換のため暑いほどでした。

【出席者】
雨宮司、有田里絵、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、十谷あとり(日月)
杉田抱僕(ゲスト)、蔦きうい(玲瓏 選歌のみ)、東湖悠(ゲスト)、福島直広
【詠草・選歌のみ】
新井蜜(かばん/塔)、黒路よしひろ(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、ふらみらり
*表記なしはかばん正会員。複数所属の場合は()内に斜線で区切って記載した。

司会進行の十谷あとりさんから出題された兼題は「砂」です。詠草一覧順に紹介します。

◆兼題「砂」
★鵜のように頭を砂にうずめても眠れぬほどの冬晴れの夜      雀來豆

川鵜は砂に頭を埋めて眠る性質があるの?眠れない鵜を自己のネガティブな投影では?
と当然の疑問が沸きます。冬晴れと夜は釣り合うのかどうか、この砂は実は明るい光の性質を持つものではないか、結局のところ何をしても眠れないのだろう等、詳細な意見もありました。
作者は今回の兼題を見て、鵜が砂に頭を埋めて眠ると聞いたことがあるのをふと思い出したそうです。曖昧さの残る記憶だったものの、あえて真偽を調べずに歌にしてみようと詠んだ歌です、とのこと。

★父親にピストル向けるモノクロな家族写真のここは鳥取     東湖 悠

父親にピストルを向ける子どもはそれだけでインパクトがある。
ピストルを向ける事象は、写真の中で起きているのか外なのかで意見が分かれた。いま実際に鳥取にいるかどうか、ピストルはおもちゃなのか拳銃なのか、もしくは手で真似をしているのか。歌の中の語句はそれぞれ理解できますが、不確定要素もそれぞれ持っており、不確定なままに読むことを良しとする人とはっきりしたい人とでは読みが分かれる歌でしょう。
今回初めてお会いできた東湖さん、「意味はともかく」と前置きし、イメージや雰囲気を大事にする歌への共感について話しておられました。

★やわらかな波に崩されゆく前に壊してやろうか置いて去ろうか  塩谷風月

砂の文字を使っていなくても一読して砂の構造物を詠んだ歌だとわかります。そのことが参加者全員に伝わっていました。上から下までひっかからずにすーっと音読できるリズムの良さがあり、多くの票を得ました。
下の句は両方マイナスの行為ですが、そもそも砂はいつか崩れてしまう存在です。主体は既に孤独な状態に置かれていて、これからさらに孤独感が強まるのかもしれません。とはいえ、砂は崩れても人と人との間柄は崩れないと思いたいです。

★太陽を砂粒に例え愛情の広さ深さを語る教員           雨宮司

上句の比喩は「太陽の大きさを砂粒の大きさだと仮定すると」という意味になる。しかし「大きさ」は「広さ」「深さ」とは対にならず、ねじれが生じているという意見があった。
先生ではなく教員という語をわざわざ使っている点からこの先生が嫌いなんだろうかと想像したり、「実際こんなこと言われても全然わからない」という声があったり。大きなもの、普遍的なものを詠むのは難しいと改めて感じました。

★壊滅は回避されたね白砂がひかりのように夜空からふる     橘さやか
前半は「壊」と「回」で韻を踏みつつ硬めの漢語を用い、後半はひらがなを使って柔らかな印象を持たせている。フィクションの世界を詠んだのならアニメでラスボスをなんとか倒した後の光景で、リアルなら例えば中東のようだという意見があった。
作中の物語が最終的にハッピーエンドになるかどうかについては意見が分かれた。
「壊滅はしなかったけれども結局は白砂に埋まって死ぬ」とか、「壊滅を避けるために必要な犠牲として、例えば爆発が起きて、白砂が降っている」とか、想像力を発揮した読みがあった。

★真夜中にみづ飲みにいくのはきらひ風が黄砂を運んでくるから   新井蜜

詩的な表現、全体的なきれいさを評価する意見が多かった。
後半は水を飲みに行くのが嫌な理由が書かれているが、この理由については、「明らかに嘘だとわかる理由を述べて、本当の気持ちを察してほしいと願っている」「こんな理由を言ってくれる女性がいたらうれしい」など、活発な声が続いた。
屋外に水を飲みに行くのかもしれない、屋内だが水場にある窓から黄砂が見えるのかもしれないという冷静な読みもおもしろかった。
それにしても、主体が女性だとすると面倒な女だと私は思いますが、みなさんいかがでしょう。

★夕暮れに青い飴玉砂まみれ逆上がりする僕と妹        福島直広

「青い飴」と「僕と妹」にはどちらも存在感があるモチーフで、作者がどちらをより重点的に捉えようとしているのかわからないという意見が最初に挙げられた。
「飴」「僕と妹」「並列」の三種類に分けて挙手をしてもらったところ、「飴」と「並列」が同数で「僕と妹」は少数だった。
読んで意味のわからないところはなく、現実にも十分起こりうる設定で無理がない。用言が少ない上に体言止めの歌なので、視覚的にも音読しても詰まった印象を受けるという指摘があった。

★おし照るや難波の小江に葦蟹が飛鳥へ行くと続く砂跡    黒路よしひろ

オンライン歌会でも登場している葦蟹。万葉集の中の葦蟹を取り入れて柔らかく歌っている。
「蟹は本当にカニなの?難波から飛鳥までカニが歩いて行けるわけないでしょう。」「いや、短歌だから、本当のカニでもいいんじゃない?」などなど、素直に楽しんで読ませてもらいました。この歌一首だけでも成立できそうですが、参加者は自然に続編を待つモードに入っていました。

★冬かげは浅川に差す水底の砂を踏みゆく鷺の背にさす     十谷あとり

静かな冬景色の歌。修飾語の構造が読み取りにくいという意見が最初に出た。
最終的に二句以降が鷺にかかっていくのはわかるが、「冬かげ」は浅川と鷺との両方にかかるのか、鷺だけにかかるのかがわかりにくい。また「差す」と「さす」は用法・意味共にほぼ同じだと受け取れるが、表記を変えてあるのはどんな意図があるのだろうかという疑問が出た。対象が違うので表記を変えた、柔らかさや視覚的効果を考えた等の声があった。
修飾語の構造を読み解こうとするとき、私は、国語の授業でしていたように線や矢印を書き込みます。懐かしい気持ちになると同時に、短歌に関わっている小さな喜びを感じます。

★水を張りほうれん草の根をすすぐ砂を噛むような日も過ぎゆく  有田里絵

上の句は具象的で、下の句は抽象的。「砂を噛むような」は慣用句であり、そのまま使って主体の心情を表してしまうのはもったいないという意見と、上の句で誰にでもわかる細かい具象を提示しているから、その対比としての抽象であり気にならないという意見があった。ほうれん草の根っこの砂を噛むのは嫌いじゃないという声もあった。
ほうれん草は料理中に浮かんだ素材で、「砂を噛む」という動詞化ではなく「砂を噛むような」という形容詞の形にして使うのが主であると知って、句またがりを気にしつつもそのとおり使ってみたのでした。

★ぎゅぎゅぎゅっと砂利がつまってなめらかで足裏たのし月夜を歩く ふらみらり

上から下まで順接になっていてすらすら読める、擬音がとてもリズミカルでおもしろいと評価された歌です。私(人間)がではなく「足裏」が楽しんでいるという点もこの歌にとって効果的。ただ、「砂利」と「なめらか」は相反するものではないかという意見が出た。実景は砂利だったかもしれませんが、ここはお題に沿って「砂」としても確かに文字数は合いますね。
スニーカーの裏の溝に砂が詰まったとか、ウォーキングなどのために車道とは別に舗装された道なのでは等、参加者の中で想像が広がっていた。
夜に歩くのっていいですね。この歌のように、例えば夜桜吟行など、してみたいです。

★アルタ前をフタコブラクダが闊歩する東京砂漠に出る蜃気楼   杉田抱僕

まず、アルタ前という限定された地名に効果を感じるという意見があった。
正午から放送されていた某人気番組に直結する場所なので、遠からず凋落していく何かや絶滅危惧種へとイメージをふくらませた読みもあったが、あの有名歌謡曲に引きずられすぎて歌に入り込みにくい人もいたようだ。
ラクダ、砂漠、蜃気楼と三つの素材が揃いすぎているという指摘や、東京を省いて単に「砂漠」とすればよいのではという声(それなら歌謡曲を離れられる)もあった。
ちなみに作者は新宿に行った経験はなく、歌謡曲についても検索するまでほとんど知らなかったそうです。

兼題は以上です。

続いて自由詠の詠草を記載します。

★自由詠
酒を飲み酔ってばかりの侍がズボラズボラと悪党を斬る       雨宮司

薔薇の花あなたと食べた三月のような海だね気まぐれな鮫     橘さやか

温かくやわらかなキスが欲しくってあなたを鍋でくつくつ煮込む  塩谷風月

えもの待ち乾いた砂によこたはる寝たりはしないこころたかぶり   新井蜜

聞こえます地下室でいま婆ちゃんの酸素の器械がシュウという音   雀來豆

聴診器をあてて眠る暗闇に猫の毛も降る深夜3時に        東湖 悠

大君に召されて行きし葦蟹の誰ぞ知らぬかその後の行方  黒路よしひろ

破魔矢持つ男子神籤の話するその笑顔もて凶退けよ       有田里絵

外国人観光客の討論で聞き取れたのは「スシ」と「スキヤキ」   ふらみらり

窓のない地下書庫はいつもいつまでも昼で天国みたいなひかり    杉田抱僕

パイプ椅子リングに叩きつけながらサムアップ鶴岡現れる     福島直広

パラソルハンガー影ゆるゆると廻りゐる屋上にゐる北風とゐる   十谷あとり

自由詠は以上です。

ご覧のとおり、毎回半数以上がかばん会員以外であるというかばん関西は、今年もバリエーション豊かに活動してまいります。
不定期ながら、お会いして短歌の話をする貴重な機会を作り続けていきたいと思います。
(有田里絵/記)
[PR]

# by kaban-west | 2017-02-04 20:05 | 歌会報告
2017年 02月 03日

1月歌会報告

かばん関西二〇一七年一月オンライン歌会記

【参加者】
雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、泳二(ゲスト)、戎居莉恵、ガク(購読)、河野瑤、黒路よしひろ(ゲスト)、塩谷風月(未来/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、足田久夢(玲瓏/購読)、土井礼一郎、東湖悠(ゲスト)、とみいえひろこ、ふらみらり、ミカヅキカゲリ
*表記なしはかばん正会員。複数所属の場合は()内に斜線で区切って記載した。

蝋梅の花香る新春最初のかばん関西オンライン歌会。
歌会係の雀來豆氏によって提示されたお題は「調味料」。
普段料理をする者、そうでない者、そんなかばん関西の歌詠みたちが厳選した調味料によって調理された短歌の一品を、ぜひご賞味あれ。

■ 骨付きの鶏もも肉にローズマリー一枝添えてオーブンへ入れる  雨宮司
まずは、雨宮氏による調理の過程そのままを詠んだ、あっさりした味付けの一首。
「淡々と結句まで読み切ることの、言わば正しいエネルギーを感じさせてくれる」、「この歌のあとにもう一首続くような雰囲気もあって、その一首を読んでみたい」などの好意的な評があった一方で、「何か一点おかしみやかなしみのようなスパイスが欲しかった」との意見も寄せられた。
全体としてはそのまますぎる印象への物足りなさを指摘する意見が多かったように思うが、「殆どの句を贅沢に使って描写された料理の様子がなんだか仕合せ色な感じ」との評が当てはまる一首と言えるのではないだろうか。

■ ゆずすこを所詮酢入りってだけの柚子胡椒だと嗤われつつ買う  ミカヅキカゲリ
「ゆずすこ」は今話題の新感覚ゆずこしょうソースのことらしい。
ほとんどの参加者がこの歌によってその存在をはじめて知ったようだが、説明がなくともこの歌自体がその解説になっていて、それでいながら説明っぽさを感じさせない作風への好意的な評が集まった。
また、この歌を読んで実際に「早速通販で購入し、摩訶不思議な風味の虜になっている」との参加者も。
一方で、「嗤」という漢字を使ったことに対しては、「強烈な悪意のインパクトを読者に与えることを意図しているのだとしたら、嫌味が過ぎる」との評も。
他にも「嗤」の文字への戸惑いの意見は多かったものの、「じわっと効いてくるおかしさ、二句から三句のつながり、結句のおさめ方、など歌のつくりが巧み」な作品であるように思う。

■ どこまでもさざなみ団地の光あるおおつごもりに醤油たらしぬ  とみいえひろこ
団地という巨大な建造物群からそのなかの非常に小さな部屋の、食事という非常に卑近な行為に視点がズームインしていく、とみいえ氏による魅力の一首。
二句目は「さざなみ」で切れるのか、あるいは「さざなみ団地」との団地の名なのか判断に迷う意見が多かったが、「同じ形の建物が並んでいる様子をさざなみと表現している」、「窓から漏れる光がさざなみのように見える」などの解釈が正解に近いか。
「おおつごもり(大晦日)と醤油の関係性が見えない」ことへの指摘も少なからずあったが、「今年も無事終わった、としみじみ思いながら食卓に向かう光景が目に浮かぶ」などの好意的な票が多く集まった一首だ。

■ 手に余る箱いっぱいの調味料君が残した醤油は重い  東湖 悠
「料理好きだった恋人と別れてしまって、彼(彼女)が買ってきた調味料だけが家に残っている」との状況だろうか。
「昔の自分の失恋を思い出した」などの共感の評が多かった一方で、「手に余る」と「箱いっぱい」など、意味の言い換えになっているところをすっきりさせたほうがもっと存在感の強い歌になるとの指摘も。
「重み」でなく「重い」とした表現の切迫感、「リアルすぎるほどリアルで、重すぎるほど」の結句に、もしこれが「醤油」ではなく「胎児」とか「罪」とかだったら……との想像を広げる参加者もいて、言葉が持つ力の重みをあらためて感じさせてくれる一首のようにも感じた。

■ みづうみも豚と短歌もいぎたなし胡椒をたんと闇鍋に振れ  足田久夢
全体的にポップでコミカルな印象で、それを楽しむ歌と言えるだろうか。
「なんとなく感覚が先に伝わってくる、強いねばりのある歌」との好意的な評があった反面、「みづうみと豚と短歌の関連性がわからない。異物衝突の面白さという感じでもない。」との意見も。
「いぎたない」は、みっともない寝相や、だらだらと寝て起きないという寝る行為へのネガティブな表現だが、「そういう怠惰なものを打ち破るために胡椒を振ってすべてを目覚めさせるのだろうか」との考察などもあった。
そんな「みずうみ」、「豚」、「短歌」、のセレクトの意味が参加者を悩ませた一首だが、みづうみを闇鍋のことと解釈するなら、「まさに、世界には、いぎたない事象が一杯に詰め込まれているのである」との評にも共感できる。

■ まよなかの海に墓石を棄ててゆくようにふたりで刺身をつまむ  土井礼一郎
こちらの歌もまた意表を突く喩えで参加者を迷わせた一首だが、「調味料」のお題で詠まれた歌であるなら「真夜中の海が醤油、墓石が刺身(マグロ)」との解釈が正解か。
「食事の風景をこんなふうに詠めるなんて!」との驚きや、「ことばの選択の仕方によってこれだけのつましさが出せるところに巧さを感じた」との好意的な評が多く集まった。
また、「語られすぎていないところ、刺身の生々しさが余韻を醸す」との意見もあり、選外とした者たちにもおおむね好評な歌だったように思う。
そんな、比喩の難解さによってさまざまの解釈の生まれた歌だが、それぞれの意見を集めることで一人の「読み」ではたどり着けなかった正解へと近づいていける歌会の醍醐味を感じさせられた一首でもあった。

■ 醤油瓶ながしの下で冷えてゆき新月の音聞き分けている  ふらみらり
「新月の音」という本来聞こえるはずのないものを詠って読み手を惹きつけた、ふらみ氏の高得点歌。
「しんとした静寂を詠んでいながら、そこに音という単語を持ってくるのが逆説的でいい」、「醤油瓶の気持ちになって見ることのできない月を音で感じ取ることができるなら、孤独ではない」などの好意的な評が集まった。
「ながし」の平仮名表記については「流し」でもよいとの意見や、平仮名にすることでわたしたちが知っている「流し」とは別物のようなひやりとしたこわさがある、との見解もあり意見が分かれた。
また、上の句については「冷えてゆき」と時間を流すのではなく冷えた今を切り取った方が歌が冴えると思う」との指摘もあった。

■ 蝶と名のる少女と逢ひぬ夕映えの熱塩駅の駅舎の跡で  新井蜜
熱塩(あつしお)駅は、旧国鉄日中線の駅で、廃線後は改修されて記念館として保存されているそうだ。
そんな駅舎の跡での少女との邂逅を詠った一首だが、日本映画のような独特の世界観の静かな魅力でこの歌もまた多くの票を集めた。
「物語のプロローグのような内容に、本篇を読みたくなるが、無い方がいいのかも」との感想や、「いかにも物語が始まっていきそうな思わせぶりさが好き」など、ここから始まって行く展開への想像が読み手を惹きつけたようだ。
一方で、少女が「蝶」と名乗るなどの明らかに作られた物語性への抵抗を感じる意見もあった。

■ きっとみなバルサミコ酢が家にある女子の履いてるヒールの高さ  岩井曜
「女子あるある」的な視点で、男女問わず参加者の共感を得た岩井氏の高得点歌。
「バルサミコ酢という具体的だけれど少し的外れな感じ(現実的に無いだろ、という気持ちと、そもそもバルサミコ酢は少し古くないのか? という気持ち)にリアルさを感じる」など、「バルサ
ミコ酢」のチョイスの秀逸さを評価する意見が多かった。
一方で、「履いて(い)る」の「い」の省略が、口語に寄りすぎて気になるとの指摘もあり、手放しで褒めるだけでない、かばん関西の歌会の魅力もそこに感じた。

■ 永遠をスプリンクラーが塩田に虹を撒くのを眺めつづける  雀來豆
「眺めつづける」対象が「塩田に虹を撒く」スプリンクラーと「永遠」。
そんな意図的な文脈の構成の乱暴さに評価の分かれた一首だが、そこも含めてスプリンクラーが作り出す虹に「永遠」を見つけた作者の感性を評価する意見が集まった。
この歌のなかではモノのほうが見る主体より意志の持ち方が強いように思う」、「製塩の現場では見慣れた光景なのかもしれないが、なんだかやたらと爽快だ」などの好意的な評に対して、選外とした意見はその屈折した表現に対するものであったのもこの歌の特徴をよく表しているだろう。

■ 雑踏の隙間に満ちる寂しさにソースの香り絡みつく夜  ガク
繁華街の夜の、都会の人がたくさんいる中での孤独感をソースを通して表した魅力の一首。
「日常の中での次善の幸福というか、ダメな中での救いというか、そういうものを感じた」など、「雑踏の隙間に満ちる寂しさ」という表現の的確さと着眼点の面白さを評価する意見があった一方、「ソースの香り」が夜に絡みつくと云う表現に少し常套句的なのを感じるとの意見も出た。
ソースを詠ったのは関西の歌会ゆえか、そのソースで孤独を詠む個性が読み手の印象に残った一首のように感じた。

■ 青さゆえ下手なきんぴら食べさせた今ならちゃんと味醂も足せる  戎居莉恵
かつての恋人との思い出を詠った一首だろうか。
味醂(みりん)でスピーディーにそこそこのうまみをそれとなく出せるという、すれた感覚が身に付いたことは、よいことなのか悪いことなのか…
そんな、拙いながらも一生懸命に料理した純情さと、料理が上達することによって失われてしまったかも知れない「何か」を、自身に置き換えて考えされられた参加者もいたようだ。
「下手なきんぴら」も「今ならちゃんと」もリアルで力がある、との好意的な評があった一方で、「青さゆえ」の表現の雑さ、上の句全体の説明っぽさを指摘する意見もあり、味醂の足りないきんぴらの純情さをどう評価するかで意見の分かれた一首だったように思う。

■ 独りだが心配するなと父親は力まかせに調味料ふる  河野瑤
今回初参加の河野氏による一首。
妻に先立たれて一人になってしまった父を心配する子供の図だろうか。
あるいは単身赴任なのかも知れないが、不器用ながらも子に頼らずに自分の力で生きていこう行こうとする父親のがんばりを、料理する姿を通して詠った自然体な詠み口で多くの共感を得た歌だ
一方で、「何の調味料か詠んでほしかった」との意見や、「力まかせに」という言葉だけに寄りかかってしまうのは惜しいとの指摘もあり、勢いだけでは美味しい料理にはならないように短歌にもまたひと捻りの個性を求める意見もあった。

■ 初垂【はつたり】の塩をも漆【ぬ】られ大君【おほきみ】の御食【みけ】となりたり葦蟹【あしがに】我は  黒路よしひろ
万葉集巻十六にある長歌「乞食者の詠」を元にした一首。
自由詠に提出した歌「葦蟹【あしがに】は召されて行きぬ大君【おほきみ】の明日【あした】の御食【みけ】になるとも知らず」と、さらにオフライン歌会の二首(別稿参照)を并て、計四首の一連だが、作者としては長歌「乞食者の詠」の反歌的な歌として詠んだ意図もあった。
ただ、一部の参加者には深い共感を得たものの、繰り返し差し出される葦蟹料理に食べ飽きてしまった参加者もいたかも知れず、その点は申し訳なかったように思う。

■ 砂糖菓子しずかに壊れ気がつけばあなたの町に夕暮れがくる  橘さやか
時間の経過を砂糖菓子に託して詠んだ幻想的な雰囲気が魅力の橘氏の一首。
「砂糖菓子には何とも言えないポエジーがある」、「壊れた砂糖菓子と夕暮れが不思議に照応している」との好意的な評が集まった一方で、逆に「砂糖菓子」のベタさを指摘する意見や、「気がつけば」などの表現の甘さ、わざとらしさが気になるとの意見も出た。
その上で、「さりげなくやがてとりかえしがつかなくなる予感を醸し出している表現の巧みさ」など、詩的な感性によって、選外とした参加者たちにとっても心に残る一首となったようだ。

■ 焼き鮭を何もかけずに食べてみる知らない海に触れてきた皮  有田里絵
「知らない海に触れてきた皮」の発見の秀逸さが群を抜いている有田氏による兼題の最高得点歌。
「素直に食物連鎖の上にいるものから下にいるものへの尊敬、感謝を実感する」、「自分も焼き鮭の皮は食べる派だがそんなことを考えもしなかった」など、着眼点と発想の見事さを評価する意見が相次いだ。
他方では、「上句から下句への想像の飛躍が、ちょっと遠すぎる」との意見や、「上の句の順序立てて詠む表現方法は拙い説明っぽさを感じさせる」との指摘もあったものの、「食べてみる」という行為の神聖で切実な感じがよく出ていて多くの参加者の共感を得たようだ。

■ 入れすぎた砂糖を塩でごまかしたオムレツよりもおいしい笑顔  泳二
四句までをすべて比喩につかわせる「おいしい笑顔」が魅力の一首。
「まっとうにオムレツを作っていたら、笑顔とどちらが美味しかったのだろう」、「料理で砂糖を塩で誤魔化すのは経験上、無理なように思う」との感想もあって、話題が広がった。
また、この「おいしい笑顔」は、オムレツを食べているひとなのか、オムレツを出したひとなのか。あるいは誰にとってのおいしい笑顔なのかと様々な疑問や解釈が出て、読み手を楽しませてくれた一首でもある。
一方で、「おいしい笑顔」にすべてを集約させてぶちっと切るのはちょっと強引すぎるような気分になる、との指摘もあり、もう少し主想をはっきりさせる表現の推敲が必要な歌のようにも感じられた。

■ ぷちぷちと蟻の代わりに味の素つぶせば真昼の悪夢は白い  杉田抱僕
蟻の代わりに味の素をつぶすとの少し狂気じみた背徳感が魅惑の、杉田氏の一首。
味の素をつぶすというふつうに短歌を詠んでいたならありえないくらい細かな視野がおもしろい」、「蟻の代わりに味の素をつぶすなんて考えたことない」との驚きで、参加者の興味を誘った。
「悪夢」については、「味の素をつぶす行為そのものが悪夢」であるとの解釈と、「味の素をつぶす自分の心への恐怖が悪夢」であるとの解釈に分かれたが、そんな解答の見えそうで見えないまぶしいばかりの「何か」の余韻が、なぞなぞのように読む者の心に響く歌となった。

■ ハイミーと味の素を舐めくらべてた昭和四十五年の子供は  塩谷風月
杉田氏の歌と同じく、こちらも味の素を詠ってまたべつの魅力を示した塩谷氏の一首だ。
参加者の中には「ハイミー」を知らない平成生まれもいたが、説明がなくとも味の素に似た製品があったのだろうと解る詠い口も丁寧なように思う。
その上で、「ハイミー」が何であるかを知って読むとシンプルな「昭和四十五年の子供」が俄然生きてくる、との意見もあり、作者の意図とは別に懐かしさと若い世代にとっての目新しさを同時に感じさせてくれる歌ともなったようだ。

ここまで「調味料」のお題で詠まれた十九首の歌の紹介でした。
以下に自由詠の高得点歌も紹介しておきます。

■ 大変な戦争でした中庭にあらゆる歌が埋められました  泳二

■ ひと様にさしだせるようこなごなに砕けちれよと固いわたくし  ふらみらり

■ うんてるでんりんでん雪が降り積もりうんてる舞姫りんでん踊る  杉田抱僕

■ みんな幸せとわかれば年賀状はればれとして翌日捨てる  岩井曜

■ 野良猫が秘密のように舐めている食卓塩の真っ赤なキャップ  雀來豆

以上、二〇一七年一月のかばん関西オンライン歌会記でした。
かばん関西では関西在住者に係わらず広く短歌仲間を募集しています。
興味のある方はぜひML係までご連絡ください。

(黒路よしひろ:記)
[PR]

# by kaban-west | 2017-02-03 20:06 | 歌会報告