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かばん関西歌会

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2025年 10月 22日

葉月歌会報告

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かばん関西八月ML歌会記
          

             
 今回はメーリングリスト(=ML)を利用して歌会を行いました。

◆参加者
雨宮司、大中博篤(所属なし)、小林淳平(所属なし)、佐藤元紀、雀來豆(所属なし)、十谷あとり(所属なし)、州崎悦代、蔦きうい(所属なし)、千葉弓子@ちば湯、西田友和、雛河麦、みおうたかふみ、渡邊千歳、有田里絵
…名前の後に特記事項がない方は、かばん正会員。

◆スケジュール記録

7月24日、左記の通り歌会案内を配信 
兼題「旅」・・・おひとり二首まで。詠み込み指定ありません。実際に行ったことがある場所、いつか行ってみたい場所、どちらでも可。ただし、空想上の場所はナシです。それから、「イタリアのナポリ〇〇公園」「徳島市の◇◇通り」など、具体的にどこの場所か分かるように添え書きをしてください。短歌作品の中にはっきり書かれている場合は結構です。

→ 8月10日、詠草一覧(全22首)を配信 → 8月25日〆切にて各自メールで選歌 → 8月27日、作者発表・選歌結果とコメント集を配信、という流れでした。

 以下は、配信済みの内容から抜粋・編集しております。実際にお会いする歌会では、更に会話が広がって時間いっぱいになってしまうことも。短歌の話を生で体験する新鮮な気持ち!その一端が伝われば幸いです。

◆詠草一覧 兼題「旅」 

新大阪駅
河から海へ出るやうだつた改札機に二枚の切符重ねて入れて            十谷あとり

・二枚重ねだから記憶に残ります。
・ぶわっと世界が広がる感じ、これから大阪という大都会でやっていくんだいう高揚が伝わってきてわくわくしました。
・二枚の切符を入れる改札機には私も最初はとても驚きました。初句、二句はそうした驚きの感情についての比喩なのか、それとも改札の向こうに広がるどこかの街のことを指すのか?私は、後者だといいなと思います。
・新幹線の二枚の切符が、「内側の世界から出る」「外側の世界へ入る」を意味していておもしろいと思いました。「海へ出る」感覚が少し掴みにくかったです。
・「河から海へ」という比喩が狭い改札を出て広がっていく様をよくあらわしていて印象的でした。特急券と乗車券の二枚を同時に自動改札に入れるのですが、在来線への乗り換えの際は乗車券だけ出てくる。それが通行手形のように感じたものでした。
・自分の実感にぴつたりあてはまつた一首。ここから淀川を渡る喜びに大阪に戻つてきたといつもおもふ。無駄のない表現もいい。
・初句七音を上手く使っているだけに、中句が六音でもたつくのが残念だ。内容については着眼点の良さが光る。
・新幹線から直接外へ出たればこそ二枚の切符。


ポンヌフ
オレンジの灯りにたたずむポンヌフを みて「ほんものや」と思ったあれは ほんものやった  
 州崎悦代

国分寺
旅ごとに写真をもらう国分寺、青葉、あおなみ、まもなく夏の           蔦きうい


ウインブルドン
白い鳩がこだまのように飛び去ってウインブルドンセンターコート        みおうたかふみ

・真っ白なスニーカーが似合いそうな場所で、全体的にとてもクリーンな感じがしました。
・今から決勝戦が始まる臨場感が伝わってきます。ウィンブルドンは伝統的に白いウェアでしたよね。鳩もマナーを守ってます。平和の象徴が飛び去った後に戦いが始まる。なんとも象徴的。
・これから始まるであろうセンターコートでの試合の緊張感と余韻が、鳩という視覚的イメージとこだまという聴覚的イメージによってうまく表現されているように感じます。テニスは詳しくないのですが、鮮やかな芝のコートが心に浮かびました。

ストーンヘンジ
髭面のオヤジが一人踊りつつ何かを祈るストーンヘンジ                渡邊千歳


山形へ行く
三叉路の先はふたたび三叉路で飛びゆけさくらんぼうの花柄            雀來豆   

・さくらんぼの絵柄が配置された包装紙とか布地かな。確かに三叉路の連続ですね。山形→さくらんぼの連想で詠まれた歌。なるほど、こういうふうに詠んでも良かったのですね。
・さくらんぼうの花柄、ってのがいいですねぇ。
・実の付き方からの連想か。どうもはっきりしないけれど、三叉路がキーであることは理解できる。
・永遠に続く三叉路の何が苦しいかと言えば、常に二択を迫られるということ。余談だが、桃源郷の語源は山形県に由来します。


東京駅
いつの間にか別の世界ができていた東京ばな奈ワールドという            有田里絵


箱根 芦ノ湖
この村に遊覧船が来る頃にざっと降る雨(これは夕立)                大中博篤


巴里 新橋(ポン・ヌフ)袂
こぬか雨いつまで耐ふる一つのみ咲くおほみそかの寒桜              佐藤元紀


屋久島
ふたたびを来ることは無いふたたびを逢うことはない日焼けした腕    千葉弓子@ちば湯


嵐山にて
吹雪く花に茶を出すようなせわしさに茶筅三本ひとつになろうよ         雛河麦


大和西大寺駅
左右の扉同時に開くこの列車くぐればとほく行ける気がした         十谷あとり


旧・徳島県三好郡西祖谷山村(現・徳島県三好市)
父の郷(さと)ひと山越えて谷筋の道を進めば祖谷(いや)かずら橋                雨宮司
 

札幌の時計台
時計台の隣にある商工会議所 風が涼しいから歩きやすい           小林淳平


ドイツ ケルン マリエンブルグ通り
「ロビンソンクルーソだって僕らより上手に彷徨えなかったんじゃ?」       大中博篤

・迷える愉しみがある、大人のフリーな旅ですね。
・「上手に」「彷徨う」というのが新鮮でした。上手にさまようってどういうことなんだろう?上手にさまよっていたら、もはやさまよっていない?などと考えるのが楽しかったです。
・旅先で道にまよふさまをユーモアたつぷりに表してゐるのがをもしろい。

 以上です。新入会の方のご参加もお待ちしております。

(有田里絵/記)



# by kaban-west | 2025-10-22 22:41
2025年 06月 07日

皐月歌会報告

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かばん関西皐月歌会記          
                 
とき ・・・ 令和七年五月二十五日(日曜日)午後一時から五時
ところ ・・・ 大阪市立あべの学習センター 和室

◆参加者
雨宮司、大中博篤(所属なし)、雀來豆(所属なし)、十谷あとり(所属なし)、州崎悦代(所属なし)、蔦きうい(所属なし)、千葉弓子、雛河麦、渡邊千歳、有田里絵

以上の十名のうち、詠草のみの参加者は千葉さんと渡辺さんです。筆名の後に特記事項のない方は、かばん正会員です。近年の関西歌会では、今回のようにかばん以外の方のほうが多いこともしばしばですが、歌会が始まるとそのことは忘れてしまいます。短歌の話をするために人々が集まっている。それだけで連帯感を得られるからです。

◆歌会の流れ
参加費をいただく → 詠草一覧と選歌用紙を配布 → 披講 → 各自で兼題と自由詠からそれぞれ三首ずつ選ぶ → 十谷さんにより集計 → 十谷さんの司会進行により読み進める → 作者名一覧を配布 → 翌日、有田が選歌結果を配信
 
 披講とは、ひととおりその日の短歌作品を音読することです。当日の席上でどなたかにお願いしています。日常生活の中で声に出して読む機会は意外と少ないものですから、勉強になります。それに、自作の短歌が他者によって読み上げられるのは、ちょっと緊張しますが嬉しいものです。また、もし勘違いや思い込みで音を誤読していたとしたら(初見ではけっこうあります)、その場で修正できます。同時に、披講は問題提起の場になることもあります。例えば「朝」という漢字があった場合、「あさ」と読むのが正しいのか、それとも「あした」なのかは、文字数が合うという根拠だけでは必ずしも判定できません。読者としては、その読み方が作者の意図と合致するかどうかを考える必要があります。作者としては、あえてルビをつけずに提出し、自分の作品がルビを含めて正しく伝わるかどうかを確かめることもできる、ということです。

 今回の詠草一覧をご覧ください。
                
◆兼題「雨上がり」 ・・・ 詠み込み指定はなしです。

雨上がり次第に明るくなる街で木々は今なお涙を抱えて       雛河麦

雨ざらしのツバメ號わたしはこの夏を自転車に捧げようと思う    雀來豆

「清々しいですね、勢いがある」
「フェチですね、これは。捧げるんですから」
いろいろ言いつつも、参加者は総じて爽やかさを受け取っていました。「號」の漢字が視覚的にも端正で、ツバメの印象にもぴったりです。諸事情でしばらく放置してしまった自転車に対面している構図が、すぐに思い浮かびます。
「敢えて、機が熟すまで溜めていたのでは」という意見もありました。

死ぬまでに聞く土砂降りの回数が一回減って外は朝焼け       渡邊千歳

「土砂降りは良くないことの象徴で、朝焼けは逆に良いことの象徴。だから、構造としては四句目までが不幸、結句だけが幸福になっていて、その幸福を軽く終わらせているバランス感覚が良いと感じます」
「うーん、土砂降りって良くないことでしょうか?」←この後、ものすごい悪天候には気分を高揚させる面もあるのでは、という補足があり、稲光の好きな筆者は共感しました。
「それなら、死ぬまでに受け取れる楽しみの総数がひとつ減った、という歌意になりますね」
「起き抜けの時間って、生死の境い目に通じるところがあると思うので、朝の早い時間と死が結びついた歌になったのかなと思いました」

レジへ出すBL漫画に「グッチョイス」店主がつぶやき雨過の紫(し)の盈(えい)   蔦きうい

雨あがり 膨らみ黒くつややかな 土から漂ううれしい!との香    州崎悦代

「素直な、全てが土のための歌。二回目の一字空けは、なくても問題なさそう」←「つややかな」がかかるのは土ですから、これは賛成です。
「その点も分かった上で、作者なりのリズムを作りたい意図があるのかもしれない」
「自宅の花壇や週末に通う家庭菜園のような、温かみのある場所を想像しました」

雨上がり慣れてる象を拭きながら(虹が昇ってくるのを待った)    大中博篤

 まず、主語がどんな存在かを考えると、現実なら生身の象を拭ける立場の人だから飼育員で、ファンタジーとして読み解くなら一般的な作中主体になるだろう、という意見に落ち着きました。
「慣れてる、ってよく分からないですね。何に慣れている?」
「雨に慣れているのか、飼育員さんか、彼に拭かれることに対して、でしょうか」
「それに、象は動物だから、飼い馴らすの馴という字も連想されますよね」
席上で有力な候補は出ず、括弧の使い方についても作者の意図に辿り着けませんでした。
「象なんて大きなものを扱ってるけど、すごく奥ゆかしい人なんじゃないの」←一同笑い
ここまでの意見を合わせると、全体としてこの歌はファンタジーだとして捉えるほうが読みやすいと感じました。歌会終了前、作者から「実は『濡れてる』のつもりだった」との種明かしがありましたが、それでも「慣れてるのほうがいいなあ」と述べる人もいました。

ワゴン車に眠るをとこを閉ぢこめて雨後の路上に樟の花降る     十谷あとり

ひと晩を共に過ごした傘を干し歩きに行こう川の澄むまで       有田里絵

青嵐が雨後の梢の雫落とす森はかすかに騒がしくなる         雨宮司

みさとさんからみさとくんに変わりたるひとの傘に虹が眩い     千葉弓子

「性転換の歌だと読みました。虹はジェンダーの話題にいつも出てくるし」
つまり、カミングアウトしたみさとくんを見守っている歌ということになります。数人が頷いていました。
「この『みさと』って絶妙ですよね。苗字にも下の名前にもありますから」
「エヴァンゲリオンとか」
 ひとしきり笑った後で、挙手がありました。
「私は、人と人との関係性が変わったという意味の歌だと思いました」
この歌の舞台は学校。みんなの前では男女関係なく誰でも苗字の後に「さん」をつけて呼ぶのが普通だけれど、恋人に発展したから、二人だけでいるときは「くん」と呼べる間柄になった、という意見でした。どの読み方においても、主体は「みさとくん」に対して好意的な立場にいると捉える方向性は共通していました。

◆自由詠

古書店でなだめた雨が鉄塔もきのふのをとこも連れてみなみへ     蔦きうい

口臭が残る餃子は食えないともやし炒めと中ライス頼む        雨宮司

摩耗する私があり、夕焼けの緋があなたを抱きしめている       大中博篤

エッホ エッホ 運ばなきゃ重い荷物を岬へと生きてた頃は軽かりし妹(いも)  千葉弓子

指示待ちの機械となりてごく遅く膝の曲げ伸ばしなど試みる      有田里絵

ワオキツネザルの輪が落ちてゆくようだ夫の名字で呼ばれるたびに   渡邊千歳

停留所と呼ばなくなってもバスはこの短い時間で空を見上げる     雛河麦

近づきて見つはつなつの谷町の寺にジャカランダとををに咲けば    十谷あとり

惑ふときエメラルドハチドリのまだ行つたことなき場所を思へり    雀來豆

「エメラルドハチドリって、南米の鳥というイメージです。そのハチドリが今いる場所ではなくて、更に、行ったことが『ない』場所、というのがいいなと思いました」
「誰にでも未経験のことがある、という意味かも」← これは、井の中の蛙に近い意味合いで、自分の周りに見えているのは結局のところ狭い世界であって、まだまだ知らないことがあるのだ、と述べたい歌なのではないか、という意見でした。「惑ふとき」は不惑のことを指すとも受け取れるため、説得力がありました。ハチドリは、自分が普段暮らす生息地のことしか知らないということ自体を自覚していません。小さな体で、ただ目の前の生に忠実に羽ばたいている姿を想像すると、筆者には、それはそれで美しいものだと思われました。

 今回は、十二畳の和室に、座布団と長机を並べての歌会でした。かなり古い設備でしたが、静かでリラックスできました。ゆったりと時間いっぱい短歌について語り合う歌会を、今後も続けてまいります。

                                 有田里絵/記


# by kaban-west | 2025-06-07 22:52 | 歌会報告
2025年 04月 06日

弥生歌会報告

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かばん関西 弥生歌会記
             
とき  ・・・ 令和七年三月二十三日(日曜日)午後一時から五時
ところ ・・・ 大阪市立生涯学習センター梅田 第八研修室

◆参加者
雨宮司、小川ちとせ、久保茂樹、雀來豆(所属なし)、十谷あとり(所属なし・詠草のみ)、蔦きうい(所属なし)、千葉弓子(詠草のみ)、雛河麦、坊真由美(心の花)、渡邊千歳(詠草のみ)、有田里絵
以上の十一名です。筆名の後に特記事項のない方は、かばん正会員です。

◆兼題 ・・・ 「歩」詠み込み指定なしです。

10.5センチの靴を絨毯に投げて笑った散歩にいこう            渡邊千歳

 この歌は、今回最も読み方が分かれた歌です。
「靴を投げる、笑う、散歩に行く、と三つの動詞が使われていますね。主語は誰だと思われますか?」
という問いかけが為されました。
「小さい子かなあ。でも、土足の靴を、家の中で、・・・しかも絨毯でしょう、リビングまで持ってきて投げることがあるんかなあと、疑問に思ったんですけどねえ」
「私が思うに、これはファーストシューズという種類のもので、まだ自力で歩けない赤ちゃんの足の保護のための靴です。だから、道路上を直接歩いた靴ではないので、絨毯の上に出ているということもあり得ます。でも、その月齢の赤ちゃんだとしたら、手で掴むことはできても、放り投げる動作まではできないんじゃないかなあ。ぎゅっとにぎることはできても、投げるのって、身体能力が発達しないとできないから。だから、『投げる』と『笑う』の主語はお母さんかな」
「私も、お母さんだと思いますね。あー、もういいか、やることあるけど散歩に行っちゃえ!というやけっぱちな台詞で終わらせている。でも、暗い印象はないですね」
「親子ともども笑ってしまったと受け取りました」
 
ここで、席を見渡しつつ、控えめに手を挙げる参加者がいました。
「あの、私、ぜんっぜん違う読みをしていたんです。私、この10・5センチというのはヒールのことだと思っていて」
「あ、私もそう捉えてました!ハイヒールの高さのこと、って。ただ、10じゃなくて10.5でしょう。0.5刻みで表示されるヒールって、実際あるものなんかなあ、作者に何か意図があるんかなあって、そこは分からないなと思ってるんですけど」
「そうそう、小数点は分からないですね。でも、とにかくけっこうすてきな、それこそお高めのラグジュアリーブランドの靴を、もう!って感じで投げつけてるのかな、って想像してました」
参加者はそれぞれ意外そうな顔をしていました。
例えば、ジミーチュウのエナメルのパンプスを、笑顔で、絨毯に放り投げる・・・、ちょっと怖いような、退廃的な印象で、主体は大人の女性に固まりそうです。しかし、もし恋人が残していった靴を男性が目にしている、という状況であれば、シンデレラのごとき想像も成立しますね。いろいろ思いを巡らせることができます。
「えー、ハイヒール!それは思いつかなかった!」
「男は、履かないから知らないわ」←一同苦笑い
今回、これをハイヒールだと読んだのは二人で、たまたま二人とも女性でした。同じ歌に触れているのに自分とは全く受け止め方が違う人もいます。別の考えを知ると、はっとします。おそらく今まで読み流して気づかずにいたことも、たくさんあるのだろうと思われてきます。短歌に限らず、日々の暮らしの中で素通りしていることはけっこう多いんだろう、と。

ところで、作者にとって、この現象はいかがでしょうか。筆者の考えを述べると、ともかく自分の想定した辞書的意味合いが読者へ伝わることを目指して、作歌に取り掛かります。なぜなら、「読み方に広がりがあること」と、「受け止め方の芯が一本にならない」ということは、イコールだとは言えないと考えているからです。ところが、ごちゃごちゃ詰め込みすぎると読みにくくなりますし、情報が少なすぎると不明瞭になってしまいます。この匙加減の難しさ!

歩きつつ少し話して別れけり月末に職を離るる人と            十谷あとり

右の歌の中での事実とは、「月末に退職する人と並んで話しながら歩き、その後、別々の方向へ行った」という内容です。それは読者に伝わっていました。
「職場から最寄り駅まで一緒に帰ったんでしょうね。でも、話したのは、退職も仕事も関係なく、たわいもない雑談だった」
「特に親しいわけではない。かといって苦手な人ではない、という関係」
「その人がどんな理由で退職するか、本人から聞いたわけではなくて、別の人から『良くないことがあったらしいよ』って知らされていた」
「旧仮名づかいの所以だけれど、『別れけり』の『けり』は、やや強い印象を受ける」
これらは、共通認識の先にある個人の読みの部分です。とはいえ、どの意見にも参加者は頷いていました。もしかすると、歌の中では明かされていないトピックが他にもあるのかもしれません。一首の中で全てのカードを切るのも、そうしないのも、作者の自由です。考え出すと、自分の意識の奥底を掘って蟻の巣ができていくような感覚になります。なんとも不思議です。そして、私にとっては、ちょっと贅沢な感覚です。

 以下、他の歌を順不同にて掲載いたします。

ずいぶんとちいさくなったな母の背を見下ろす遊歩道の段差に       千葉弓子
情けないもう歩けないとこぼすのかこの年寄りの歩みを見てろ        雨宮司
不揃いなハンコの歩みが愛おしいポイントカード一枚だけに         雛河麦

歩けないわたしと歩かない犬を冬の星座は迎えに来ない          坊真由美

街はまるでムーンウォークでマイケルでごったがえしで春の雪ふる      雀來豆
★ 自由詠
撫で肩のいしだあゆみは黒船屋の女となりぬ声は知らねど         有田里絵
紅梅のスズメうるさし ひととせのいのちと聞かばうるさきはかなし    久保茂樹
長袖を物干し竿に巻きつけて訪問記録をのこす春風             雛河麦
まめむけば豆むく指先ほろほろと豆のみどりに含まれてゆく       小川ちとせ
退嬰こそ小ぐらいエロスと匂わせた川上弘美のざつなたいえい        蔦きうい
三月の半ばというのに寒いとは今年の春は歩みが遅い             雨宮司
これなる文の続き読みたしを「お父さんは自転車になつてしまひました」 十谷あとり

うまれたひ青い大きな犬が来てこれからをずっとおんおんと泣く      千葉弓子



                             (有田里絵/記)



# by kaban-west | 2025-04-06 23:11 | 歌会報告
2025年 02月 28日

如月歌会報告

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かばん関西如月歌会記
          
とき ・・・ 令和六年二月二十三日(日曜日)午後一時から五時
ところ ・・・ 大阪市中央公会堂 第三会議室

◆参加者
雨宮司、久保茂樹、佐藤元紀(詠草のみ)、沢田二兎(所属なし)、十谷あとり(所属なし)、蔦きうい(所属なし)、千葉弓子(詠草のみ)、雛河麦、渡邊千歳(詠草のみ)、有田里絵
以上の十名です。筆名の後に特記事項のない方は、かばん正会員です。

今回、歌会前半は事前募集の詠草に基づく意見交換を行い、後半は初の試みとなるワークショップに取り組みました。

◆自由詠

事前に募集した詠草十首から、三首選びました。当日は八人参加しており、それぞれの歌について一人一言ずつ意見を述べていく形で進めました。

つつ走るままにスライドと跳んでゆくトミー・ボーリンの叫び       佐藤元紀

「知らない語があってもあまり調べないようにしているのですが、この歌の人名は調べました。ロックの、夭折したギタリストらしいですね。ということは、『スライドと』とは、ギターと一緒に飛び跳ねる、相棒とか分身とかいう意味かな、と。」
「スライド奏法という演奏方法がありますね」
「私は、映像を映し出すスライドを思い浮かべました」
「それぞれの言葉が、同じ方向を向いている。だから勢いがつくと思う」

朝チュンを説明する時「昔はね、雀っていう小鳥がいてね」          雨宮司

「この朝チュンって、性的なネット用語なんですかね」
「近未来の話なのかなあと想像しました。雀の生息地が減っていて、昔はね、と話しているところ」
「これは、子どもに説明をする時の様子を歌っているのでは。何の気なしに子どもが『朝チュンって何?』と聞いてきたから、スズメの話をしてはぐらかしている」
「うーん、みなさんの話で語彙としては理解できました。でもちょっと難しいです。語句が、ではなく、つまり短歌として何を言おうとしているのかが難しい」

生き過ぎた序でに歌を詠みませうきのふののこりあたためなほす    久保茂樹

「序に」の語に意見が集中していました。
「作者にとってはこれが短歌を詠むということのスタイルだということかなと読みました。というに下の句、全て平仮名で書かれていることに目が行きます」
「短歌は、ついでなのでしょうか」←それでいいのかなあというニュアンスもあり、参加者それぞれ頷いたり首を捻ったり色々反応していました。
「ついでかどうかは、人それぞれだと思います。ただ、作者は、自分の中で歌を生み出すサイクルがスムーズにいっていないのかもしれない」

エアコンを切った途端に羽ばたきをやめる模型の胎内にいて       雛河麦

「物の名前が多いから、映像として頭の中で捉え切れないんですね。エアコンを切った後で部屋にこもっているという意味なら、『模型の胎内』と出てくるのは、やや重い印象を受けます」←胎内は、この世に生を受けて出てくる前の特別な環境だから、エアコンの動きとは釣り合いが取れない気がする、という意見であれば筆者も賛成します。
「模型って偽物ですよね。更にその胎内だから、自分はまだ成熟していないという意味かな、と考えました」

縷々とうらみ、すなおに薊はひらいたの。宇宙作戦隊をぬけだす    蔦きうい

「初句は、るると、ですね。アザミは分かります。しかしなぜここで宇宙作戦隊が出てくるのかが分からない」
「ゼレンスキー大統領を連想しました。ずっと恨んでいたけれど、開くのは、降参することを指しているのかもしれない、と」
「私は、衛星の打ち上げ中継をネットで見ることがあるんです。打ち上げて、下の方を切り離して、ジェット噴射する時って、アザミの花の形みたいにぎざぎざの光が広がることがありますから、その映像と繋がりました」
「突拍子もないとは思うんですが、その突拍子もなさが、さっぱりしている」
とはいえ、結局のところ、どういう歌なのかは読み込めませんでした。
「確かに日本語なんだけど、分からないのは、それなりにすごいことなのかもしれない」という意見もありました。

ゆるしてくださいゆるしてください薄雪の二夜(ふたよ)つづけて見る猿の夢   小川ちとせ

このリズムについて、かなりの破調だが生の声という感じがして音が気持ちいいという声が複数あがりました。筆者も同じで、初見では破調であること自体ほぼ意識していなかったほどです。定型を外れているものの、それが成功していると言えるのではないでしょうか。
「何に対して許してと言っているのかは分からないですね」
「『ゆるして』が二回あって、二夜だから、夜も二回続くんですね」
「映画の、猿の惑星を思い出しました」←賛同する人が複数いました。

夢はわれを地下に伴ひ歩ましむ番号のなき出口を見よと      十谷あとり

「深層心理を詠んだ歌かなあと思いました。次の道を探しなさいと言っているような」
「使役が多いんですけど、最終的に、『見よと』というのは、自分で次の道を決めろと言っているだけで、行け、とまでは言っていないと思う」
「番号がないのは、自分だけの道だから、でしょうか」
実は、筆者は、夢の歌を二首並べて詠草一覧を作成していたことに当日の席上で気付きました。これも深層心理に影響を受けたためだろうか、と不思議な気持ちを抱きながらみなさんの言葉を聞いていました。

隻腕も魔手もおやすみ窓際にゴム手袋をまとめて吊るす       有田里絵

職場の歌であろうということはほぼ全員一致していました。
「隻腕とか魔手とありますが、もっとやさしい素直な言葉でも良いのでは」
「隻腕は、片方しか残っていないゴム手袋で、魔手は、すごく分厚いとか能力の高いもの」
「これは、ゴム手袋ではなくて、本当に手の歌なんですよ。眠っている全人類の手を管理している人がどこかにいるんです。ぐっすり寝てるから、その間は手がなくても、本人には分からない。そういう想像の歌」←この解釈の是非はともかく、考え方、受け止め方として興味深いと参加者は感じていたようです。筆者も、星新一の世界のようだと思いました。

肌掛けを洗う 聖母と毒親の間のどこに私はいるか           渡邊千歳

「子どものお布団を洗っているんでしょうね。肌に触れる、子どもにいちばん近いところにある寝具で、しかも寝ているときだから、気を休めている無防備な状態」
「この、聖母と毒親って、対にならないのでは」←確かに、数学のような対称関係にはなりにくいです。力加減や方向性が異なる印象を受けます。同じ土俵の上には乗せにくい。
「作者にとっては、特に問題ないんじゃないでしょうか。そんなに深く考えていない。どっちかなあ、くらいで。普通の人。だから、肌掛けが良いんですね」
「母としてこれでいいのかなあと悩むことはあるけど、そこまで深刻ではなさそう」←自分のその日の子育てにあれこれ思いを巡らせるのも、長い目で見れば、良い時間である、と言えるようになりそうだなと、筆者も思いました。

◆ワークショップ開催の記録 

二月初めに、次のような案内文を配信しました。
当日、会場に兼題のカードを四十枚ほど用意いたします。その中から好きな題を複数枚選び、それに基づいて最初に文章を書いて下さい。詩のような、ミニエッセイのような、思いつきのメモのような、ざっくりしたもので結構です。
その文章をご自身の声で朗読して下さい。
文章をもとに、短歌を詠んで下さい。

十谷あとりさんがカードを作成、当日持参してくださいました。単語を考えたのは、十谷あとりさんと筆者及び、それぞれの家族です。偏りを防ぐために、普段は短歌と関連がない人にもアイデア出しに入ってもらいました。
机上にランダムに広げたカードを各自三枚選び(目を閉じて手探りする人も)、原稿用紙に向かいました。その書く音は室内に響き渡りました!「学校のテストみたい」と笑い合いました。そして、八名全員がひととおり仕上げるまでにかかった時間は、僅か十五分でした!その後、挙手にてそれぞれ発表しました。紙幅の都合上、短歌作品のみ掲載します。


雨宮司
題:お米 グリーンピース 素数
お米には素数の数の神宿るグリーンピースに神はいますか

小川ちとせ
題:マーマレード バームクーヘン 団長
はじまりはおわりのはじめ二時五十五分におやつを並べておくよ

久保茂樹
題:次第 なりゆき 水筒
ふた色の青にはさまれ呑んでゐる漁船のあとを飛ぶカモメあり

雛河麦
題:嫌い 水筒 針
水筒を忘れたわたしにどうぞって彼女は笑顔でしょっぱい麦茶を

千葉弓子              ← 原稿を事前にいただき、有田が代読しました。
題:箸 グリーンピース 刀
刀鍛冶川を下る船にいて吾子の胸の高鳴りを抱く

蔦きうい
題:球 ポテトチップス ボブ
ボブゆらし人をまどわすあのちゃんの原始のくゆりポテトチップス

有田里絵
題:商店街 マーマレード 素数
トーストの上で見つけた真実をマーマレードで隠して食べる

十谷あとり
題:商店街 はがき 鯨
にんげんのほろびののちのおほみづにくぢらのひれはいういうとゆく


(記/有田里絵)


# by kaban-west | 2025-02-28 21:50 | 歌会報告
2024年 11月 07日

神無月歌会報告

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かばん関西神無月歌会記
             
と き ・・・ 令和六年十月二十七日(日曜日)午後一時半から五時
ところ ・・・ 大阪府江之子島芸術文化創造センター ルーム6

◆参加者
雨宮司、久保茂樹、佐藤元紀、雀來豆(所属なし)、十谷あとり(所属なし)、蔦きうい(所属なし)、千葉弓子(詠草のみ)、雛河麦、渡邊千歳、有田里絵
以上の十名です。筆名の後に特記事項のない方は、かばん正会員です。

◆兼題 ・・・ 「あき」の音を使う
今回は「あき」という音を詠み込むという兼題に挑戦しました。例として、秋、小商い(=こあきない)、サーキット(=さあきっと)、を挙げましたが、この時点で既にかなり頭を使わざるを得ない自分がいました。表記は、平仮名・片仮名・漢字に限り、英字は除外。読み仮名は常用範囲内のみと指定しました。

◆兼題「あき」

木の匂ひまき散らし家が立ちあがる建築家【アーキテクト】になりたかつたな   久保茂樹

「建立でも建てるでもなく『家』が、『立ちあがる』のが、いいですね。それに、兼題に対する答えとして出てきたものかどうかはさておき、アーキテクトというのは響きがとってもおもしろい言葉ですね」
「文字の見た目も声に出して読んだ感じも、どこかかくかくっと、飄々としています。きっと、この人は、偉大な建築家じゃなくて、街の大工さんになりたかったのかなと思いました。でも、強い憧れというよりは、ああそういえば大工さんになりたいって思っていたころもあったなあ、という回想の気持ちを感じます」
「そうですね。親しみやすい大工さんのイメージがしますね」
「匂いって、過去の記憶、追憶と結びつきやすい」

大手メーカーの建売住宅ではなく、注文を受けてから丁寧に作り上げていく姿を想像させます。普段の生活の中で、はっきりと木の匂いがする場所にいることはあまりないのだと気づかされました。「じゃあ、どんな匂いなの?」と問われた時に、具体的に言語化しにくい。その点は短歌にしてみたくなる要因の一つではないかと考えました。

あきらめない心をはかる オリーブの枝を乗せれば傾く天秤       雛河麦

「天秤とありますが、この歌の場合は、オリーブの枝と、もう片方のお皿には何を乗せているんでしょうか」
「オリーブは、旧約聖書にも出てきますし、平和の象徴かなと読みました。そうすると、もう片方には、人の心が乗っている」
「じゃあ、諦めないというのは、争いの多い世界情勢のことを鑑みると、平和を諦めないということかな」
「あの、天秤って、重いほうに傾くんですよね。傾いた方に価値がある。だから、どちらかに傾いたら、もう片方を諦めることになるというか」
「諦めないというのは、作者が、諦めないようにしようと考えているという意味ではないでしょうか。天秤の判定ではどちらかを諦めることになったけど、それでも自分はあきらめない、と。だから、希望を持ち続けることが大切だと言っている」

その他、恋の歌であるとも読めますね。オリーブという固有名詞の引っ張る力が強いためか、平和を求める歌であるという意見が多くを占めました。
 
小商い済ませた晩秋あとはもう片思いだけ偲ぶ余生を          蔦きうい

ああきたよ、人面をした機関車が子どもの手脚をぎゅうぎゅうに乗せ   千葉弓子

秋は夕暮れぼくの知らないうすやみをとどけてくれる人は来たらず    雀來豆

「初句の示すとおり、枕草子が下敷きになっているんでしょうね。ただ、両者の違うところは、枕草子は自力を感じる作品だけれど、こちらの歌は『とどけてくれる』という他力の要素があるな、と」
「『ぼく』は、じっと待っているんですね」
「この『うすやみ』に関してですが、暗闇と薄闇って違うものなんでしょうか」
「暗闇は、あやかし、・・・お化けとか物の怪とかいったものがうごめく場所であるというのが通説かな。対して、薄闇は、何にもないところ」

何もないと寄る辺がなくて更に怖いです。とはいえこの歌に恐ろしい印象を持った人はいなかったようです。そういえば初句はかなり字余りですが、特に気になりません。

秋霧のともに立ち出であゆみださんおまへとその先の先まで       佐藤元紀

「これはけっこう前向きな歌なんじゃないかな。迷って、自問自答して、見えないけれどそれでも行こう、と決めている」
「相手は、どう思ってるか分からないけど」(一同笑い)
「もしかして、アユミダさん、っていう名前だったりして」(更に広がる笑い)
「霧って、前が見えなくなるものですけど、今のこの二人にとっては、ちょっとありがたいものでもあるんじゃないでしょうか。世間の目から、軽く遮ってくれる存在でもあるのかな、と。その意味でも、初句に『秋霧』があるところが良いです」

秋茄子の生姜醤油を八角に少し冷めれば頃合いとなる             有田里絵

熱帯の気だるい扇【ファン】は閑なり中森明菜が爪切る背中           蔦きうい

来年は勝てないだろう父は子とかけっこをする秋の陽のなか           渡邊千歳

「この歌の『勝てないだろう』と思っている主語は誰でしょうか」
この問いに対して三種類の意見が出ました。
「横にいる母が主語で、父である夫と自分の子がかけっこをするのを眺めている」
「全くの他人が、公園を通ったときに遊んでいる親子を見かけた歌」
「父親自身が、来年になったらもう勝てないだろうと思っている」

 他人の歌であるとすれば、自分も同じ経験をしたことを思い出してこの歌を詠んだ可能性に行きつき、ほほ笑ましい心情が深まったのかもしれません。しかし、みんなでしばらく考えた後、「母親の素直な感想の歌」という方向に落ち着きました。なぜなら、『来年は』と初句に持ってきている点に重きを置いたと捉える人が多かったからです。二年連続で勝ち負けを確かめることができるのは親だけでしょうし、「秋の陽のなか」と静かにズームアウトするように目に収めることができるのは、走っている父親本人ではなく母親である、と。でも、お父さん、来年もがんばってくださいね。

秋多弁飽きることなく空き箱をあふれてもなお集める言葉           雨宮司

「リズムが愉快ですね。秋、飽き、空き、と。どことなく淡々としているのも良い」
「それもありますし、『あ』が多用されているんですよね。軽やかな感じがします」
「あの、この歌の出だしは、文字通りなら秋には多弁になるという意味でしょうけれど、秋田県の秋田弁とかけているのでしょうか」
 この点には、他の参加者もほぼ気付いていたようでした。文字入力の際にときどき起こる楽しい誤変換!単に突飛なだけでは再読したときにどうしても鮮度が落ちますが、この歌はじわじわと作者の愉悦が伝わってきます。
「箱がいっぱいになっても、あふれても、まだ更に集めるというのがいいですね」
 短歌を続けていくということは、ずっと、このように自分の言葉を集め続けていくことでもあるのだと思いました。

◆自由詠

こんなんでいいわけないと痛感し田蓑橋から小石蹴とばす            有田里絵

食卓は静物ではない息満ちるピエール・ボナールの室内画を見る          雀來豆

螺旋綴じから一枚ちぎりとるときの……紙の抵抗、指【および】の愉悦     十谷あとり

横切った風の馬車にはキンモクセイ どこかで花の婚礼がある         雛河麦

死はいつも俺の隣に寄り添つて十三夜のぼやけたる月高く          佐藤元紀

秋は白 二階の部屋に風が来て壁に貼られた詩を借りてゆく        十谷あとり

「この歌の最後に『借りてゆく』とあるけど、こういうのって、借りたら返さないでしょう」(一同、頷いたり苦笑いしたり)
「壁に貼ってあるし、カレンダーかなと思いました。生活のひとこまを詠んでいる」
「『秋は白』という漢字の通り、北原白秋を連想します。詩というものが持っているポエジーというか、詩情を、しかも風が借りていくという表現を用いることによって、漢詩のような雰囲気で詠んでいる歌だな、と」
    
夕映えと宵の狭間を地平線めがけて落ちる大彗星よ              雨宮司

正面の山ともけふでお別れかつくつく法師鳴いてゐる山             久保茂樹

「今日引っ越すから家の正面のこの景色を見るのも最後だな、と言っている」
「この二つの山は、別の山かもしれない。擬人化されているとも読める」
「ちょっと古風で端正だけど、気持ち良くて、ほっとする夏の終わりの歌」
「具体的な地名が出てきていないから、日々の生活の中で慣れ親しんできた山なんだろうなと思う。確かに淋しいけれど、またここに来れば、いつでも会えるよ、という感覚だと思う」
「心情に沿ったリフレインとして、二回目の山は出てきたんじゃないかな。出そうとして出したのではなくて、ごく自然に出てきた表現。単なる対句ではなくて、偶然っぽくないリフレインだと感じます」

それぞれの青い球体ハイジャンプ虹の向こうへ「さよならのび太くん」      千葉弓子

(のび太くん の部分に みんな とルビあり)

詠草は以上です。みなさん、いつもご参加ありがとうございます。

今秋、かばん関西の有志にて「リトルKANSAI 街」を作成しました。ひとり三首ずつ「街」に基づく歌を詠み、冊子にまとめたものです。これから新しくお会いできるみなさんにもお渡しできるよう、準備中です。ささやかながら、これからもすてきな短歌の街並みを作ってまいりましょう。

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# by kaban-west | 2024-11-07 20:42 | 歌会報告