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かばん関西歌会

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2010年 06月 16日

短歌新聞[新人立論]×十谷あとり

[新人立論]645 「曙覧の歌」  十谷あとり

初めて読んだ橘曙覧の歌は、新聞に引用されていた「独楽吟」のうちの一首だった。

・たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

(何と率直でわかりやすい歌だろう)と思った。江戸時代に詠まれたということがちょっと信じられなかった。歌会の詠草にこの歌が入っていたとしたら、迷わず選歌するだろう。新鮮な驚きだった。二〇〇三年のことである。
 歌を書き始めて三年が過ぎていた。それまでは己が喜怒哀楽を殴り書きすれば歌になると思っていたものが、ふと手をとめて(歌って何だろう)と考え始めた頃だった。歌集を出した後に本質的な問いに突き当たるとは本末転倒もいいところだが、手を動かしてからでないと頭が回らない愚か者なのだから仕方がない。
 和歌――短歌は千年以上の歴史と伝統を持つ文学の一ジャンルである。ならば(歌とは何か)に対する答えは、「古典を学ぶ」ことの中にあるに違いない。おぼろげにそう思ってはいたものの、膨大な遺産のどこから取りついていいのか判らなかった。本棚のない家に育ち、文学の素養も蓄積もない身には荷が重すぎた。
 そこに現れた橘曙覧は、歌の世界から差してきた一筋の光のようだった。こんなに親しみを感じられる和歌なら読んでみたい、と、勇気が出てきた。この歌人の人物像を知りたい。この人の歌から学びたい。岩波文庫の『橘曙覧全歌集』を読む日々が始まった。
 近世和歌をどこまで理解できるのかは、自分でも心許ない。しかし、愚かなら愚かなりに、牛の歩みのようにゆっくりと、一人の作家を読み続けてゆこうと思う。
曙覧の歌に基点を置くとすれば、和歌ははるかに古今集・万葉集にまで遡ることができ、くだれば子規をはじめとする近代短歌の世界が広がっている。曙覧は、自分の歌が和歌の伝統に真直ぐにつらなるものであると明確に意識していた。
その人となりや態度、作品そのもの、また彼の生きた幕末という時代のいずれについても興味はつきない。  〈日月〉

(短歌新聞2008年11月号に掲載。画像がありませんので、テキストで代用いたします。)

by kaban-west | 2010-06-16 21:58 | こんなところに出ました


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