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かばん関西歌会

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2016年 12月 12日

11月歌会報告

◆◆かばん関西11月オンライン歌会 参加者一覧◆◆

(敬称略、五十音順、所属表記なしは「かばん」所属)<参加者>雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、岩崎陸(ゲスト)、うにがわえりも、戎居莉恵、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、東こころ(かばん/未来)、福島直広、ふらみらり、ミカヅキカゲリ

 今回の進行係新井氏より提示された題は「罪」。罪ってよくわかんない、という人も、心当たりのある人も、それぞれ思うところの罪を詠んだ歌を紹介したい。

 肯定も否定もせずに罪なひとわたしはもはや待ってられない  橘さやか
 何もしないし何も言わないというのはいらいらさせられる。しびれを切らして飛び出すの をじっと待っているのだとしたら、確信犯ですね。
 生命に感情に罪あることを無数に走る手のひらの線  とみいえひろこ
 手のひらのしわを見て生きている自分を実感し、生きている限り罪は必ずつきまとうという哲学を感じる。いわゆる性悪説よりも、生きているから人間らしく罪とも無縁にならないという生命賛歌に感じられた。
 方舟が飛び立ってゆくこの夜にぼくらの罪を残したままで  雀來豆
 ノアの方舟がモチーフだろうか。だが、方舟が飛ぶというのはSFのようでライトな読後感があり、聖書のような説教臭さがない。少年達が他愛のないいたずらの後、笑いあいながら光る船に乗り込む様子を思い浮かべた。
 あのひとのこいびとだとは知っていた罪をかさねるた めの抱擁  東こころ
 なぜ罪をかさねようとするのか。背徳感に酔いしれるため?よくないとわかっていることを繰り返す甘い後ろめたさが上手く表れていると思うので、それを強調して、二人の関係性はうやむやにした方が、わたしはもっと惹かれたと思う。 
 罪の子とわたしを呼んだあのひとよいまやわたしはあなたをゆるす ミカヅキカゲリ
 どうしてゆるすのか。「いまや」というかぎりはかつてはゆるせなかったのだろう。その葛藤こそがこの歌の核ではないかと思う。ただ作者が一番主張したいのが「いまはゆるす」ということだろうかと思うと作者の意図とわたしの読みとは違うかもしれない。
 舌先をちらりと見せてカタバミの花なめむとするリタの貞操  新井蜜
 リタのモデルについていろんな意見が出て楽しかった。NHKの朝ドラ「マッサン」の主人公のモデルになった女性、あるいはギリシャ神話、猫という意見もあった。カタバミを舐めようとするぐらいだから、猫なのだろう。わたしははじめは多情なフラメンコダンサーを思い浮かべた。エキゾチックなリタの貞操について気を揉んでいるのかと。
 罪業に気付いた日から銃を捨て緑の指を皆と育む  雨宮司
 緑の指とは、児童文学「みどりのゆび」から、植物を育てる能力をさす言葉として使われているのだろうというコメントが多数あった。争いごとの愚かさに気づいて自然を大切にする理想郷を謳っている。児童文学からモチーフを得ているからか 、押しつけがましさがない。
 過った心の色のそのままに空いっぱいに描けクレヨン  岩崎陸
 間違っているかもしれないなんて考えずに自信をもって突き進めということだろうか。
描く人が大人なら、汚い部分もある心をきれいな色でごまかすな、ととれるし、子どもなら常識や既成概念にとらわれるなという応援歌に読める。過ちも大きく包み込んで背中を押してくれる歌。
 罪知らぬ無垢なる瞳みひらいて謝る人をじっと見ている  ふらみらり
 目をみひらいているのは、謝る人なのか、それを見ている方なのかという疑問がたくさん出た。また、「瞳をみひらく」「じっと見ている」と似た言葉が続くという指摘もあった。作っているときには気がつかない曖昧さに反省しきりで す。
 打ちよせるどちらの罪が大きいか言わない彼と察しない我  戎居莉恵
 二人の視線が合わない緊迫した雰囲気が伝わるが、歌の詠み手「我」が「察しない」と言ってしまうので、つかみ所がない。双方の腹の中をお互いにわかっているけど、わからないふりをしていることをもっと匂わせたほうが、より緊張感のある歌になると思う。
 我が愆【とが】は木立瑠璃草に縛られて迷羊【ストレイシープ】の行方も知らず  佐藤元紀
 なぜ木立瑠璃草を選んだのか、気になって検索すると、花言葉は誠実、とのこと。
誠実であらんとするばかりに身動きかとれなくなって、心が迷うことさえゆるされない悲鳴だろうか。どの言葉も主張が強く、濃い世界観がある。
 罪を得て縊り 殺められし皇子のことなど思ふカフェのテラスに  黒路よしひろ
 カフェでくつろぐのどかな時間と、血なまぐさい歴史上の出来事の対比がとてもいい。想像力をフルに活動させて思い描く妄想の後に、ふっと目の前の現実にもどると、生きているなあ、と実感すること、ありませんか。自分の存在を手づかみで確かめるような。
 もう君がいない世界をまだ君がいると思って生きてしまった  杉田抱僕
 大切な人を失ったことを受け止めきれず、あるいは意識の外に追いやって、日常生活を続けている後ろめたさ。若者らしく、正直で清廉な印象を受ける。
 カツ丼を食べたばかりに泣けてきて西日に染まる灰色の窓  福島直広
 罪という言葉からカツ丼を思いつくのは福島氏ぐらいではないか。たぶん誰も経験したことがないだろうけど、誰もがはっきりこの情景(今や都市伝説となっているが)を思い浮かべることができる。今回の歌会では、罪ってどういうことだろう、自分にとっての罪とは、と、身近に引き寄せたり、掘り下げたり、いろんな角度から考察した歌が集まった
が、ベタな書き割り(それでいて鮮明)のような世界観に着地させた手法は独自だろう。
 今回は得票数がばらけてどの歌にも平均して票が入った。罪のとらえ方は人それぞれちがうということだろうか。

 最後に自由詠の高得点歌を紹介したい。
テーブルに誰かが置いたテキーラのさよならを言いだしそうな壜  雀來豆
すれちがう人たち みんな花火見にゆく夕刻に買うエノキ茸  土井礼一郎
本を読む男と女からっぽのコーヒーカップに虫がとまった  橘さやか
カーテンが陽に透け世界赤くなり戦いの朝わたしはわたし  ミカヅキカゲリ

                               (記/ふらみらり)


by kaban-west | 2016-12-12 11:06 | 歌会報告


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