かばん関西歌会

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2018年 04月 19日

3月歌会記

かばん関西三月オンライン歌会記

○参加者(敬称略)
雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、戎居莉恵、小川ちとせ、佐藤元紀、雀来豆(未来)、蔦きうい(玲瓏)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ふらみらり、本田葵(かばん/塔)
※注記のない方はかばん正会員 計十二名

有田さん出題、今月は兼題一本勝負です。〈音が「は」から始まって「る」で終わる歌〉。ひとりにつき星三つを持ち星とした持ち星方式での選でした。有田さんはAmazonのレビューを見ていて持ち星方式を思いついたそうです。持ち星方式だと気軽にコメントが書けた気がします。

春野菜ほろほろ茹でる夕暮れの窓そのむこう遠くミサイル  小川ちとせ
はんぺんを「はんぺい」と言ふ祖父なりき細切りにして菜花とあえる  有田里絵

高得点の二首から。
一首目。ミサイルのニュースは時折大きく報道されるけれど、その間も身のまわりではあたりまえの日常が繰り広げられている、その感じが明るさを伴いながらよく詠まれています。読み手の多くに、ナチュラルに自らの日常や実感に引きつけて味わわせたこの歌の説得力は、結句の「ミサイル」まで丁寧に積み重ねた言葉の効果、細部にみられる技術力からくるものでしょう。主張せず「ほろほろ」にこめた素朴で現実的な生活感、どこか崩れそうな心を読み取って評価した人も。下句がこなれておらず説明になっていないかという意見もありました。しかし案外、「そのむこう遠く」というもどかしさのある表現に実感がこもっているようにも読めます。今回の最高得点で、星を二つ使った人も多かった歌。
二首目も高得点でした。実景がさらりと描かれているけれど具体的で、季節感をまとった淡いような眩しいような色合いが美しく目に浮かびます。「辛子醤油でも、生姜醤油でも、酢味噌でもいい。その背後には古臭い御爺様のことばが黴のように潜んでいて、生活をしっとりと潤わせているのです。」という評も。過去の助動詞「き」も効いています。

針供養済ますつもりで買ってきた木綿豆腐は鍋の具となる  雨宮司
はかなくもしょうめんの前髪に光る蜘蛛の糸ふれるくずれるやぶる  とみいえひろこ
腹のなか圧縮するごと息を吐くおしつぶしたもの遠くへ投げる  ふらみらり

一首目。具体的に詠み込んだ単語から穏やかで丁寧な生活の風景が立ち上がってきます。にやっと笑える景の切り取りが好評でした。そういった完璧ではない生活こそが大切なんだという実感をもった読み手も。さりげない詠み方は散文的にも感じられ、とくに「済ますつもりで」の受け取り方に幅が出たりもして、もどかしいところ。
二首目。「しょうめんの前髪」はちょっとヘンなのでは、「私」の前に座っている女の子の前髪では、といったように、上句も下句も読み方が分かれました。お題に対応するため「はかなくも」を冒頭に持ってきたことで、なんとなく主体の心情の説明のようにもみえるという評も。個性的な不思議なリズム、もってまわったような措辞になぜか魅かれるという意見もありましたが、かなの多用はここではあまり効果がないようです。
三首目は「おしつぶしたもの」が読み手の想像を広げました。怒り、不満、自分にとっていらないもの、野球のボールなどなど。合唱指導か何かを詠んだもので、指導者に言われたことを生真面目に反芻している歌なのではという読みも。「抽象的な景なのになにか可笑しい」という評もあり、「腹」や「圧縮」といった硬い言葉、観察に徹した表現が醸し出す不思議な雰囲気を味わいました。

歯ぎしりにすりへりし日々しづしづとかげろふ木の芽春雨ぞ降る  佐藤元紀
羽蟻来れば羽蟻は僕の言葉にも蟻の言葉を混ぜようとする  土井礼一郎
儚しと笑はば笑へわが愛の向かふはひとりこのラブドール  新井蜜

一首目。音のおもしろさや、季節と我が身の対比が評価されました。上句を声に出して読んでいるうちに歯がすり減っていきそうな感覚や、自分のなかで音が響き合ってくる感覚が生まれます。すりへる理由には触れずに「日々」という言葉を用いながら〈歯ぎしり→すりへる→歯ぎしり〉のループが描かれています。すりへる我が身がすりへることのない季節の巡りにのみ包まれているような孤独感が伝わります。道具立ての多彩さがすこし過剰で煩わしくもある、という意見も。
二首目。「羽蟻」「蟻」の連続により、人間である読み手の中にもほんの少し〈蟻世界の言葉〉に近づけたような感覚が生まれたという感想も。わたしにもこんな経験があったのだと思わせてしまう力がある、〈言葉〉自体のつかみどころのなさが読み取れる、という評もありました。「お題を忘れさせてくれる歌」という評も、作品の個性や存在感からくるものでしょう。どうせなら「羽蟻の言葉を混ぜようとする」としてほしかったという意見、また、「混ぜようとする」には「混ぜようとしてきやがって」といった否定的な意識があると読めてしまう点も課題として挙げられます。
三首目は、もってまわった言い方が滑稽でおもしろい、ぞくっとする、などと読み手がぱっと興味をもってこの世界に入っていける力のある歌でした。「儚し」という表現はすこし違うのでは?という評や、しらべに対して漢字が多く視覚的にごちゃごちゃした印象だという評がありました。「いえ、笑いません。(略)ラブドールを愛せる人は、生身の人間をも愛せると思う。」という評も。

はからずも分かってしまう真実が君のメイクが嘘を物語る   戎居莉恵
晴れの日の散歩の犬の足跡に見つからぬようキスをした夜  本田葵
八月の風吹きぬけて鷺池に幻のごと百日紅ふる  雀來豆

一首目。「真実が」は倒置になっており、三句目で切れるとして読むと意味が分かります。「が」が続いているため、そこが気になってしまいます。「分かってしまう」と「物語る」はここでは同じ意味で、「真実」と「メイク」の両方を入れて説明する重たさが感じられるという評もありました。オルタナティブ・ファクトへの揶揄もあるのかな?という読みも。
二首目もロマンチック。どことなくお題の「はる」の中にあってしっくりくる歌です。上句がカギで、文脈を読み込もうとするうちに歌の世界に引き込まれるつくりになっています。描かれていない恋人とキスをしたのだと読むのがここでは正解でしょう。嗅覚から秘めたる恋となっているところがおもしろいという評や、ここでの「晴れ」は「ハレ」の要素も多く含んでいるという読み方も。
三首目。お題「はる」の中に「八月の風」が吹き抜け「幻のごと百日紅」がふりました。鷺池の風景は季節ごとの味わいがあり美しいのだそう。春の桜ではなく、幻を呼び込んだところがおしゃれです。「幻のごと」という表現については、中途半端、いい味を出している、と意見が分かれましたが、ここが歌のキモではあります。百日紅にしては潔くかっこよすぎる修辞が「幻」感を引き出し、鷺池に映り込んだ百日紅の景色が目に浮かぶよう。

(とみいえひろこ 記)
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by kaban-west | 2018-04-19 23:05 | 歌会報告


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