かばん関西歌会

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2017年 04月 15日

2017年3月26日 第2回 かばん地方歌会 歌会記

第二回 かばん地方歌会 歌会記
             
 かばん地方歌会は、毎月行われている東京歌会と同じ形式の歌会を、ほかの地域でも開催していこうという考えのもとで始められた歌会です。出席者は当月のかばん本誌を持参して集まります。
 第二回の会場はイベントスペースとしても利用できるカフェの二階で、電気コードやコンセントカバーがむき出しの不思議な空間でした。板を組み合わせてセットしたテーブルに九人がゆったり座り、佐藤さんの司会による歌会が始まりました。読み進めていく中で特に多くの意見が出た歌を、歌会と同じ順に挙げていきます。

【日時】二〇一七年三月二十六日 午後一時から五時まで
【会場】Social Kitchen 二階(京都市上京区相国寺門前町)
【出席者】雨宮司、有田里絵、河野瑤、佐藤元紀、高柳蕗子、土井礼一郎、とみいえひろこ、森本乃梨子、(ゲスト)泳二

 高柳さんは詠草五首のレジュメを配布してくださいました。評者とみいえさんは次の歌を正選にされました。
A遠をたぐって君が生きるなら僕はB遠を解いて還る  高柳蕗子
 A遠とB遠、たぐると解く、生きると還る、これら三種類の提示がとても大きなものを表している、という声がありました。筆者はカセットテープを連想しました。

ゆするなよ弁当箱じゃあるまいし卵から飛行機孵したいの?  高柳蕗子
河野さんによると日本はアメリカからヒヨコを多く輸入しているそうです。「だから飛行機の底にはヒヨコがたくさんいるんですよ」とも言われていて、複数の読者がいる歌会ならではのおもしろさを感じました。また今回の歌に限らず、高柳さんの作品にはシリアスなテーマが多いけれど歌のどこかにユーモアがあり、そのユーモアが切実さを増しているという意見がありました。

それぞれが心をもってしまっては 箱庭に毛をそよそよとさせ  とみいえひろこ
とみいえさんは、中間色やイメージの中で生きている人だと思います。「箱庭」は通常ならば心理学の箱庭療法のことですが、とみいえさんの場合は「箱庭」という言葉でしか言い表せないものなのです。他の歌で「情」に「ニュース」とルビをふっているのもしかり。心の領域を短歌に詠むと、難解もしくはとらえどころのないふわふわなものだけになりがちですが、箱庭にそよぐ毛はかなりシュールで、「もってしまっては」の後に省略されている気持ち(おそらく主体はいろいろ困っている)を想像させてくれます。

住むことのない街に来て服を買う名鉄に似た赤のカーディガン  有田里絵
 普段なら買わない色の服を出先で買うことへの共感や、この赤の色の良さが伝わるという意見が出ました。他の歌もはっきりとした具象が入っており、説明に寄り過ぎてしまってそのまますぎる印象があります。また、タイトル「着る」から始まって、少しずつ歌どうしがつながりを持っているのがわかり、八首の並べ方に工夫が見られるという意見もありました。

にんげんになるしかなくてミニチュアの心臓を飲み込む胎児たち  土井礼一郎
 この胎児たちは、自分の意志に反していたかもしれないけれど、最終的には人間になることを選び、心臓を飲み込んだ。飲み込むとは受け入れることでもあります。胎児は人とは限らず、これから生まれてくる存在という読み方もできます。「なるしかなくて」という限定的な書き方は歌のテーマを弱めてしまっているのではないかという声もありました。

幾千の受話器の流れつく島にあなたの声を洗う波音  土井礼一郎
 前述した’限定的な書き方’に関して、この歌の「幾千の」についても議論がありました。仮に「幾万」としても少ないと思う、どうせならトンなど数えられない表現を持ってきてはどうか。「あなた」も限定的だと言えるのではないか。・・・などの意見は、現実世界にはありえない情景を詠むときのヒントになりそうな言及でした。

みぞおちの白磁のように定まってとてもながく息をはきだす  河野瑤
河野さんの一首選で一番多くの票を集めた歌。「みぞおちの」の「の」が主格だと理解すると、息を吐き出すことが静謐な行為に感じられてきます。「白磁」は中国の白い陶器で、触れたときの冷たさや硬さ、肩口の曲線などを想像すると、歌の端正かつ柔らかいイメージが深まります。

大声をだす人ばかりすれ違う夜のけがれをコンビニでみそぐ  河野瑤
 コンビニに入ったときのウェルカムチャイムや照明にほっとする経験を思い出します。一首目に京都の北山が描かれているため、与謝野晶子の「清水へ清水へ祇園をよぎる桜月夜こよい逢う人みなうつくしき」を連想する参加者もありました。

傷あまた負ふとも生くるこそよけれ白樺の声を夜の湯に聴く  佐藤元紀
丑寅の湯に沈む身の深々と絵巻の闇を軸へとたどる  佐藤元紀
タイトル「玄冥」が美しいです。温泉に行ったことを、実に様々な方向性から歌にしていて、「球筋が多くて力を感じる」と評されていました。作者によると蔵書からの引用が多々あるそうですが、抜群の安定感でそれを感じさせません。湯に浸かるうちに夜は更けて、闇は濃くなっていきます。

帰る港を持たない人と贈られた帆船、日常的に揺れていました  森本乃梨子
 歌の中では主語が明確にされていません。揺れていたのは「人」と「帆船」なのか、作中主体なのか、もしくはその両方なのかもしれません。他の歌を合わせて読むと「人」は作中主体の父親であると思われますが、決定打はなく、もどかしさも感じます。また、短歌の定形とはずいぶん違うリズムを持った一連の作品ですが、破調についての指摘は特に出ませんでした。破調であることにも指摘が出なかったことにも、私はこの歌会記を書きながらやっと気がつきました。作者はお父さまの話を思い出して詠んだそうです。参加者はずっと揺らされていたのでしょうか。

屋根ばかり(いえ人間も)流される狼に耐えた家でさえも  雨宮司
 作者は、三月号掲載ということで、いま歌にしておかなければという意識を持って震災を詠んだそうです。昔話の「三匹の子ぶた」を下敷きにしながら、言葉にするのが難しいテーマを(この歌会記の中だけでも、もちろん難しい)、それでも短歌にしておきたいという気持ちが感じられます。

永劫の炎をくべた竈割れ皆解毒剤を捜し求める  雨宮司
 この「竈」が原子力発電所だと分かるのは一連の歌と合わせて読むからです。「永劫」は今回何度か出てきた限定的な書き方ではありますが、人生が激変した人々を思えば「永劫」としか言いようがないのかもしれません。

 歌会語の茶話会では「短歌の身体」について、俳句との違いについてなど、興味深く頭をフル回転させる話を聞くことができました。会場を出る時間には冷たい雨が降っていましたが、見送りに出てくだった店主の笑顔と、咲き始めのユキヤナギが鮮やかでした。
(有田里絵/記)


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by kaban-west | 2017-04-15 14:26 | 歌会報告


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