かばん関西歌会

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カテゴリ:歌会報告( 169 )


2018年 07月 02日

2018年6月 水無月西区民センター歌会

かばん関西 水無月歌会 
とき:二〇一八年六月二十四日(日曜日)
ところ:大阪市 西区民センター 第二会議室

◆参加者 合計十四名
あまねそう(詠草のみ)、雨宮司、新井蜜(塔、詠草のみ)、有田里絵、泳二(ゲスト)、小川ちとせ、久保茂樹、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀(詠草のみ)、塩谷風月(未來/レ・パピエ・シアンⅡ)、雀來豆(未來)、十谷あとり(日月)、福島直広、ミカヅキカゲリ(詠草のみ)
*表記のない方はかばん正会員。当日参加十名、詠草のみ参加四名、司会進行は十谷あとりさんでした。

今月のお題は「水」です。六月十八日に大阪北部を中心とした大きな地震があり、歌会当日はまだライフラインの不都合が続いている地域もありました。参加者の中でお題の持つ意味合いが変わったのか、詠草にも読み方にも、変化が見られたように感じます。水無月とは言いながら、潤いのある日々の暮らしのありがたさを実感する歌会となりました。
 提出する詠草は一人合計二首まで、兼題または自由詠としたところ、提出結果は次のようになりました。
*兼題一首+自由詠一首・・・九名
*兼題二首・・・三名
*自由詠二首・・・一名
*自由詠一首・・・一名
集まった歌は、兼題が合計十五首、自由詠が合計十二首です。抜粋して紹介します。


◆兼題「水」

豪雨明け水軋む音はどこまでも耳障りなまま海まで続く     雨宮司

 梅雨明けはあるが豪雨明けという語はなさそうだという指摘はあったものの、歌の内容には豪雨という濁音の入った言葉は合っていて、「水軋む」「耳障り」との釣り合いはとれている、という意見がありました。造語でも歌全体の意味が通っていて響きが良ければ違和感なく読者に受け止められる場合もあります。

こころざし清しくあれよ水に切るインカの百合の茎のひとすぢ  十谷あとり

 今回の高得点歌です。「インカの百合」という固有名詞が与えるイメージに好感を持つ人が多かったようです。状況はどうあれ、心持ちの清々しさを讃えようとする気持ちが伝わります。視覚的にもカタカナが効果を上げています。あまりに巧みで嵌まりすぎた印象を受ける気がするという意見もありました。


映るものすべていたわる水であり地震の夜を湯舟に満ちる    小川ちとせ

 助詞の使い方について意見が集中しました。「夜を」の「を」を「に」に変えるほうが文脈上は良さそうだが、「湯舟に」の「に」と同じになるから避けたのではという意見がありました。地震のあった夜だから、自分が浸かるための湯ではなくとりあえず非常時用の水を満たした家も多かったということを言いたいのだろうという読みもありました。溜まった水を眺めていると感慨が湧きます。


透明度確かめながら水筒の蓋を閉めゆく もう憎くない     有田里絵

結句の「もう憎くない」は、自分に言い聞かせているようですが実際はまだ憎いんですよね、という声に笑いが起こりました。水筒にお茶ではなく水を入れることへの疑問や、平易な語句なのに歌の真意が掴みにくいという指摘もありました。


灰掃いた夜また噴火する御鉢【おはち】フェロカクタスの根が水を吸う   福島直広

 これも固有名詞が楽しい歌です。「御鉢」は九州の霧島周辺の火山群を指す語であると同時に、一般的な火山を表す語でもあるそうです。それを知らなくても、鉢に継承がついていることで大いなる自然を表しているイメージを受け取ることができました。「御鉢が回る」という慣用句もありますね。初句「灰掃いた」は音読しにくいですが駄洒落のような面白さは「フェロカクタス」との相性も良いです。いろいろあるけれど身近な自然は今日もがんばっているよと励ましてくれているようです。

水走を過ぎれば長きトンネルの彼方はぐれた星のような家   塩谷風月

 「水走」は地名です。「みずはい」と読み、東大阪市にある阪神高速道路の東側出入り口のことを指します。また、古代から中世にかけて河内国で活躍した一族の氏でもあるそうです。地上にある家を「はぐれた星」と表現したのが良い、トンネルの先にある生駒山中腹に見える家々だからでは、という読みがありました。


ほしいままに統辞できない悦びの向かうに流れゐる水      新井蜜

大胆な破調と「統辞」という語が印象的ですが、抽象的でわかりにくい歌でもあります。詠み手の意のままにはならない作歌のおもしろさを提示して、更にその先の手の届かない所には水(到達したい最終目標の象徴)が流れているという読みや、字足らずは気になるが作者には理由があるだろうし決意も感じるという意見がありました。「向かう」はよく読むと曖昧な表現であるという指摘もありました。参加者は、戸惑いながらもこの歌を取り込もうとしていました。


朝、ゆずの木に水をやる一本の木とともに歳をとるということ  雀來豆

 穏やかでやさしい気持ちになれる歌です。生活の中に一本の木が自然に存在していて、歳を重ねるのも悪くないと言ってくれているようです。「朝、」という出だしは、力の抜けた主体の心の在りようを想像させます。子どもが生まれたときに木を植える人もいますね。「短歌を、もうちょっと無作為にやりたい。さらっとしていてもいいのではないか」という意見がありました。
 
平成に馴染まないまま次がくる水森亜土は息災なりや      久保茂樹

 作者は昭和の人で、平成に馴染めていないのだろうという声に、一同はうなずいたり苦笑いしたりしました。水森亜土という選択はちょうど良い、「次がくる」は平易且つ乱暴な表現だけれども水森亜土には釣り合っているという評がありました。「息災なりや」もどこかコミカルで、実際に水森亜土がどうしているのか特に知りたいわけではないのでしょう。飄々とした雰囲気に和みます。


たまきはる救ひあらめや牧水よ甘露一滴とほき我が涯      佐藤 元紀

若山牧水の名前が示すように「甘露の一滴」はお酒そのものを指すのでしょう。自分もお酒を嗜んでいるけれど、牧水がなし得ていたお酒との親しさにはほど遠い自分がいて、さらに自分の忙しない日々はまだまだ続いていく、という読みが参加者の中では主流でした。
梅雨晴れのパーティー素麺を茹でてゴム長靴にお菓子を詰めて  泳二

 ファンタジックな歌です。かわいらしい雰囲気を楽しむ歌だという意見が最初にありました。「梅雨晴れのパーティー」は意味はわかるものの省略しすぎではないかという指摘や、雰囲気を楽しむためにはリズムを最高する必要があるのではという指摘もありました。おそらく作者は新鮮さとわけのわからない感じとが入り混じっているという指摘を予想した上で、きめすぎない歌として提示しているという読みも聞かれました。
 

諍いて靴音遠く聞く夜に蛇口ひねればぬるき水出る        塩谷風月

 「ぬるき水」が心の様子を示していると評価されました。実際は特にぬるいわけではなくごく普通の水道水だったのでしょう。人の心と水は切り離せないものですね。「諍いて」「ひねれば」と仮定に通じる語を使ってある点にはやや甘さも感じるという意見もありました。


水の影素足を揺らし名も知らぬ貝の欠片とつながる記憶     あまねそう

 「水の影素足を揺らし」はとてもきれいで良いという評がありましたが、「名も知らぬ」は何度も目にしてきた表現であり、安直でもったいないという指摘が複数ありました。
記憶については曖昧さを感じる参加者が多数いました。
一、素足を揺らす行為が、貝の欠片の記憶を呼び覚ます
二、貝の欠片が、何らかの記憶を呼び覚ます(素足を揺らすのはたまたましていた行為)
三、きらきらした光が素足にうつっているのを見て、貝の欠片の記憶が呼び覚まされる
など、様々に解釈できます。でも、この「記憶」や「つながり」は当事者にとって重要だと分かるから、中身は漠然としたままでもいいのではないかという意見がありました。



◆自由詠
愛情を負債の側に仕訳して総務課鵜野乃【うのの】さららの春は     黒路よしひろ

なんともすてきな名前の女性が登場します。「仕訳」とクールに言い切ってしまう楽しさが良いです。雨宮さんがあっさりとこの女性はとある歴史的有名人だと種明かしをされて、「知らないほうが面白かったのに」とか「知識が歌を読む目を眩ませる」だという声が上がりました。一応、答えは本文の最後にお知らせします。


「ふくらはぎ、揉んでください、ふくらはぎ」「えっ、おぎやはぎ?」「いや……ふくらはぎ……」  ミカヅキカゲリ

 会話文そのままで、実際になされた会話だろうかと思いながらも二人の関係性を想像してしまいます。このようなやりとりでも気まずくならない関係なら、かなり親しい間柄でしょう。通い慣れた整骨院か病院、家族間などの読みがありました。


落下傘背負った真っ赤なたくさんのタコさんが降る明日の確率   福島直広

 「さん」の音が重なってリズミカルです。「落下傘」「負った」「真っ赤」にもそれぞれ促音便が使われています。この落下傘に兵士を想像する人もいましたが、全体的には明るい童話のような歌意で、社会詠ではなさそうだという意見に賛成する人が多かったようです。

 今回の歌会は満員御礼となり、時間ぎりぎりまで詠草を読み進めました。筆者は十年以上こちらでお世話になっていますが、いまだに意見や評を述べるのは難しいです。でもみなさんの雰囲気に救われながら続けています。自分なりに短歌を受け止める、短歌に近づこうとする、その姿勢を保ちたいです。これからもどうぞよろしくお願いします。
*答え* 鵜野乃(うのの)さらら・・・持統天皇の即位前の名前
                                 (有田里絵/記)



by kaban-west | 2018-07-02 15:23 | 歌会報告
2018年 06月 01日

2018年5月歌会記

✿ かばん関西五月オンライン歌会記 ✿
<参加者>
雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、小川ちとせ、 ガク(ゲスト) 、佐藤元紀、雀来豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、ふらみらり、 本田葵(かばん/塔)
*特に記載のない方は、かばん正会員です。

今月の兼題は雨宮さん出題の「みどり」です。表記は問いませんが「みどり」を詠み込むこと、という条件付きです。十首の歌が集まりました。


★風そよぎ柳の花穂の緑散る「すべて散ったらもうすぐ五月」  雨宮司

端正なつくりで、時間の細かな経過も伝わる歌です。上の句と下の句で全く雰囲気が違い、種明かしのようにも取れるためあっさりした印象です。カレンダー上での五月、自然界のリアルな五月、そして主体の感じる五月、それぞれに当然差異があるという意見がありました。


★花を買う余裕なければさみどりの草を束ねて子らと親しむ  有田里絵

優しさを感じる人が多い反面、すらっと読めてしまう平坦さ、アクセントのなさを感じる人も多かった。「余裕なければ」の理由が書かれておらず、経済・時間・気持ちのいずれにも読める。石川啄木の歌を思い出す人もいました。


★遠き汽笛目に夏緑ひろごりて齷齪を出湯に流しをり  佐藤元紀

各自が「齷齪」を調べて、「あくせく」の漢字表記の面白さに惹かれていました。ごちゃっとした見た目が身体を侵食している悪いもやもやのようで、それを流しているという読みもありました。なんとも爽やかな緑の風景がひろがってきます。温泉でもどこでも、行きたくなったらその場所の歌を詠んでしまえばいいのかもしれません。


★きみの蜂鳥のような緑のマスカラが濡れて剥がれて飛んでいったよ  雀來豆

女性のマスカラが落ちるのは泣いたとき。しかも最近の化粧品は高性能ですからまともに泣かないと落ちません。鮮やかな緑のマスカラを使える女性なら特に落なさそう。初句が大きな破調であるため区切れをどう読むか迷いますが、歌意が取りやすいためそれほど気にならないと評する人が多かったようです。スピード感や力強さが出ています。

★高校の指定ジャージは緑色カエルジャージと今も呼ぶらし  ふらみらり

軽やかな、あるあるの歌です。素直におもしろく読めるのですがどうしても表面上で流れてしまい、短歌としての物足りなさを指摘する意見がありました。作者の地元、もしくは母校のことだとは言い切れないと感じるのは、そこに原因があると思います。


★五月雨は朝露よりも意地悪なみどりの瞳した猫の君  本田葵

ちょっと不思議な歌。モチーフから受け取るイメージがきれいで良いと評されているのですが、歌の構造はわかりにくいという指摘が多かったです。不思議な構造を楽しむ歌というのもあるでしょうけれど、読者に伝わってこそなので、この歌はやや盛り込みすぎたのかもしれません。


★光つてるかがみの破片ルージュ引くほそい指さきみどりのよるの  新井蜜

前出の歌と同様、構造に特徴がある歌で、倒置が頭に残ります。「光つてる」は破片にかかるようですが「引く」も断定の形をしているため、ぷちぷちと区切れているように読めます。漢字とひらがなの使い方に対しては読者によって評が分かれました。「みどりのよる」にはミステリアスな要素や不穏な感じを受けます。


★駆け落ちにはいつでも遠くスコールのラベルの緑を照らさせている  杉田抱僕

スコールは「あ、あの飲料だな」と(おそらくかばん関西の人なら)分かるちょうどいい固有名詞です。「駆け落ちは」ではなく「駆け落ちには」と字余りになっています。クリアな緑のラベルにカップルのみずみずしい雰囲気が出ています。


★迫りくる春のみどりのおそろしきヘイセイヘイセイあかるく歌う  小川ちとせ

今回の高得点歌です。元号改正、ジャニーズのグループ、平静を装う、などの連想を呼びました。簡易なカタカナをリピートしてみるという手法は(手法として意識されたわけではないかもしれませんが)、とても参考になります。


★息上がる峠の道をひた行けばみどりに霞む瀬戸の島々(ガク)

この海が見たいなあと思わせてくれる歌です。淡々とした詠み方に好感を覚える人も、物足りなさを感じる人もいました。海の青、空の青、山の緑。自然はそもそも平坦なのかもしれません。街に暮らしているとこのような景色に入っていくこと自体が少ないですし、季節感も曖昧になりがちですものね。こういう場所で歌会を開きたいです。

兼題は以上です。
最後に自由詠の歌を九首掲載します。

【自由詠】
卵焼き崩してしまうルフランの皿の絵柄の赤が見たくて  有田里絵
日の入りの時刻きらきら延びてゆくパジャマはパジャマの匂いのままで  小川ちとせ
運命はたぶんないからきまぐれに書き換えている未来も過去も  ふらみらり 
怪し雨逃れて庭の生垣に飛びこんでゆく目白のみどり    雀來豆
本人も試験問題この時の作者の気持ち正答出来ず 本田葵
密閉しあはせた部分凝視して繊細になる伸し掛かるとき  新井蜜
水ぬるむなんて言っても近頃は川で遊ぶ子とても少ない  雨宮司
宵闇が明るくてでも涼しくていま夏までのモラトリアム  杉田抱僕
くるしくるほし満身創痍の職場からふらふら身裡に闇のとよもす  佐藤元紀

(有田里絵/記)


by kaban-west | 2018-06-01 15:17 | 歌会報告
2018年 04月 19日

3月歌会記

かばん関西三月オンライン歌会記

○参加者(敬称略)
雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、戎居莉恵、小川ちとせ、佐藤元紀、雀来豆(未来)、蔦きうい(玲瓏)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ふらみらり、本田葵(かばん/塔)
※注記のない方はかばん正会員 計十二名

有田さん出題、今月は兼題一本勝負です。〈音が「は」から始まって「る」で終わる歌〉。ひとりにつき星三つを持ち星とした持ち星方式での選でした。有田さんはAmazonのレビューを見ていて持ち星方式を思いついたそうです。持ち星方式だと気軽にコメントが書けた気がします。

春野菜ほろほろ茹でる夕暮れの窓そのむこう遠くミサイル  小川ちとせ
はんぺんを「はんぺい」と言ふ祖父なりき細切りにして菜花とあえる  有田里絵

高得点の二首から。
一首目。ミサイルのニュースは時折大きく報道されるけれど、その間も身のまわりではあたりまえの日常が繰り広げられている、その感じが明るさを伴いながらよく詠まれています。読み手の多くに、ナチュラルに自らの日常や実感に引きつけて味わわせたこの歌の説得力は、結句の「ミサイル」まで丁寧に積み重ねた言葉の効果、細部にみられる技術力からくるものでしょう。主張せず「ほろほろ」にこめた素朴で現実的な生活感、どこか崩れそうな心を読み取って評価した人も。下句がこなれておらず説明になっていないかという意見もありました。しかし案外、「そのむこう遠く」というもどかしさのある表現に実感がこもっているようにも読めます。今回の最高得点で、星を二つ使った人も多かった歌。
二首目も高得点でした。実景がさらりと描かれているけれど具体的で、季節感をまとった淡いような眩しいような色合いが美しく目に浮かびます。「辛子醤油でも、生姜醤油でも、酢味噌でもいい。その背後には古臭い御爺様のことばが黴のように潜んでいて、生活をしっとりと潤わせているのです。」という評も。過去の助動詞「き」も効いています。

針供養済ますつもりで買ってきた木綿豆腐は鍋の具となる  雨宮司
はかなくもしょうめんの前髪に光る蜘蛛の糸ふれるくずれるやぶる  とみいえひろこ
腹のなか圧縮するごと息を吐くおしつぶしたもの遠くへ投げる  ふらみらり

一首目。具体的に詠み込んだ単語から穏やかで丁寧な生活の風景が立ち上がってきます。にやっと笑える景の切り取りが好評でした。そういった完璧ではない生活こそが大切なんだという実感をもった読み手も。さりげない詠み方は散文的にも感じられ、とくに「済ますつもりで」の受け取り方に幅が出たりもして、もどかしいところ。
二首目。「しょうめんの前髪」はちょっとヘンなのでは、「私」の前に座っている女の子の前髪では、といったように、上句も下句も読み方が分かれました。お題に対応するため「はかなくも」を冒頭に持ってきたことで、なんとなく主体の心情の説明のようにもみえるという評も。個性的な不思議なリズム、もってまわったような措辞になぜか魅かれるという意見もありましたが、かなの多用はここではあまり効果がないようです。
三首目は「おしつぶしたもの」が読み手の想像を広げました。怒り、不満、自分にとっていらないもの、野球のボールなどなど。合唱指導か何かを詠んだもので、指導者に言われたことを生真面目に反芻している歌なのではという読みも。「抽象的な景なのになにか可笑しい」という評もあり、「腹」や「圧縮」といった硬い言葉、観察に徹した表現が醸し出す不思議な雰囲気を味わいました。

歯ぎしりにすりへりし日々しづしづとかげろふ木の芽春雨ぞ降る  佐藤元紀
羽蟻来れば羽蟻は僕の言葉にも蟻の言葉を混ぜようとする  土井礼一郎
儚しと笑はば笑へわが愛の向かふはひとりこのラブドール  新井蜜

一首目。音のおもしろさや、季節と我が身の対比が評価されました。上句を声に出して読んでいるうちに歯がすり減っていきそうな感覚や、自分のなかで音が響き合ってくる感覚が生まれます。すりへる理由には触れずに「日々」という言葉を用いながら〈歯ぎしり→すりへる→歯ぎしり〉のループが描かれています。すりへる我が身がすりへることのない季節の巡りにのみ包まれているような孤独感が伝わります。道具立ての多彩さがすこし過剰で煩わしくもある、という意見も。
二首目。「羽蟻」「蟻」の連続により、人間である読み手の中にもほんの少し〈蟻世界の言葉〉に近づけたような感覚が生まれたという感想も。わたしにもこんな経験があったのだと思わせてしまう力がある、〈言葉〉自体のつかみどころのなさが読み取れる、という評もありました。「お題を忘れさせてくれる歌」という評も、作品の個性や存在感からくるものでしょう。どうせなら「羽蟻の言葉を混ぜようとする」としてほしかったという意見、また、「混ぜようとする」には「混ぜようとしてきやがって」といった否定的な意識があると読めてしまう点も課題として挙げられます。
三首目は、もってまわった言い方が滑稽でおもしろい、ぞくっとする、などと読み手がぱっと興味をもってこの世界に入っていける力のある歌でした。「儚し」という表現はすこし違うのでは?という評や、しらべに対して漢字が多く視覚的にごちゃごちゃした印象だという評がありました。「いえ、笑いません。(略)ラブドールを愛せる人は、生身の人間をも愛せると思う。」という評も。

はからずも分かってしまう真実が君のメイクが嘘を物語る   戎居莉恵
晴れの日の散歩の犬の足跡に見つからぬようキスをした夜  本田葵
八月の風吹きぬけて鷺池に幻のごと百日紅ふる  雀來豆

一首目。「真実が」は倒置になっており、三句目で切れるとして読むと意味が分かります。「が」が続いているため、そこが気になってしまいます。「分かってしまう」と「物語る」はここでは同じ意味で、「真実」と「メイク」の両方を入れて説明する重たさが感じられるという評もありました。オルタナティブ・ファクトへの揶揄もあるのかな?という読みも。
二首目もロマンチック。どことなくお題の「はる」の中にあってしっくりくる歌です。上句がカギで、文脈を読み込もうとするうちに歌の世界に引き込まれるつくりになっています。描かれていない恋人とキスをしたのだと読むのがここでは正解でしょう。嗅覚から秘めたる恋となっているところがおもしろいという評や、ここでの「晴れ」は「ハレ」の要素も多く含んでいるという読み方も。
三首目。お題「はる」の中に「八月の風」が吹き抜け「幻のごと百日紅」がふりました。鷺池の風景は季節ごとの味わいがあり美しいのだそう。春の桜ではなく、幻を呼び込んだところがおしゃれです。「幻のごと」という表現については、中途半端、いい味を出している、と意見が分かれましたが、ここが歌のキモではあります。百日紅にしては潔くかっこよすぎる修辞が「幻」感を引き出し、鷺池に映り込んだ百日紅の景色が目に浮かぶよう。

(とみいえひろこ 記)

by kaban-west | 2018-04-19 23:05 | 歌会報告
2018年 03月 18日

2月歌会記

かばん関西二月オンライン歌会報告

◇参加者 (敬称略)◇ 雨宮司、 新井蜜(塔)、 有田里絵、 戎居莉恵、 小川ちとせ、 佐藤元紀、 雀來豆(未来)、 十谷あとり(日月、選歌・コメントのみ) 、 蔦きうい(玲瓏) 、 とみいえひろこ、ふらみらり、 本田葵(かばん/塔)◇以上十二名(所属無表記はかばん正会員)
月例通り、兼題の部・自由詠の部の二本立てで行いました。

◆[兼題の部]今回の題は[箱]。雀來豆さんの出題です。左記の十一首が集まりました。

・箱根猫は小箱の上に寝転びて小春日和を琥珀のように  本田葵
・紙パックさえも勝手に喋りだす「たたんでくれてありがとう」って  有田里絵
・踊り子をひとり閉じこめわたくしの小箱は子宮の静けさである  小川ちとせ
・そばだつる枕も空行月【そらゆくつき】さへも遠く眠れる我がワンルーム  佐藤元紀
・リンゴ箱かさね作つた本棚の奥から『卍』取り出して読む  新井蜜
・箱詰の菓子を携え謝罪へと赴く社長苦労は絶えぬ  雨宮司
・キッチンのテーブル高く静寂【しじま】してhi-liteの青き箱ひとつ  とみいえひろこ
・ああこんな夢を見たって一番に(開けても開けても箱がある)話したいけどベッドにはもう  雀來豆
・この箱は奴隷船かも呼吸さえ危うい僕ら職場へ運ぶ  戎居莉恵
・家中の空き箱全部つぶしますこれで退路を断った気分に  ふらみらり
・抱かれたら漣がくる踏まれたら漣あげる箱にくるまる  蔦きうい

牛乳パック、リンゴの木箱、菓子折の化粧箱、煙草の箱、空き箱など、さまざまな箱が登場しました。また、中に空間があり、何かを閉じ込めたり包み込んだりする、といった箱の性質を表現に生かした歌も。個人的には本田さんの「箱根猫」(ことばの使い方がやや強引かとは思いつつ、箱根には確かに猫が似合いそう)、蔦さんの「箱にくるまる」(具体的には何のことか分からないけれども妙に生身の人間の存在が感じられる歌、それにしても箱に「くるまる」のはちょっと無理なのでは)の二首が特に印象に残りました。互選では佐藤さんの「ワンルーム」、とみいえさんの「hi-liteの青き箱」に人気が集まりました。
題詠という詠み方は、時に、題をどう処理するか、題からどれだけユニークな発想ができるかという方向に力が入りがちになる気がします。アイディアを披露しあうことも歌会の楽しみのひとつですし、そこに知恵を絞るのもいい。ただ、単なる言葉遊びや大喜利みたいにはなってほしくない。わたしは、当該の歌会が終わった後、題詠という枠が外れても読み応えのあるような歌と出会えたらうれしいですし、自分もそういう歌を書きたいと考えています。

◆[自由詠の部] 同じく十一首が出詠されました。

・箱庭に林檎の皮を降らすひと泣く前の喉を髪に隠して  とみいえひろこ
・哀しみは背戸の山からやつてきて去つてゆかない用が済んでも  新井蜜
・浄福の光は闇へ射すものか冴え月は明け方には黄色い  雨宮司
・あなたにもきっとあるはず最強のバルスの呪文心の中に  本田葵
・写真見せきらめく瞳で僕に聞くだれがいちばんかわいいでしょう  戎居莉恵
・水蛇に驚いたのか水際で(Red Bull 翼をさずける)娘はクロックスを濡らして  雀來豆
・二人して波間の千鳥ならましを高師浜駅ステンドグラス  佐藤元紀
・屋根裏に写真一枚まだ若い義父笑ってる何年間も  ふらみらり
・「ねえ、ほしい」「なにを?」「さびしさ」逍遥とその後のわたしを海はしらない  蔦きうい
・指遊びしながら雪を追いかける声を立てずに消えゆく者ら  有田里絵
・しんしんと二月の水を眠らせて電気ポットは壊れていたり  小川ちとせ

ほぼ毎月定期的に行われているメーリングリストの歌会に加え、年に数回、会議室等会場に集まって歌を読みあう歌会も継続しています。お花見吟行や忘年会も。かばん関西歌会が、少しでも刺激を得られる場でありますよう、また歌を志す仲間たちが和やかに交流できる場であり続けますよう、と願っています。(十谷あとり 記)


by kaban-west | 2018-03-18 22:27 | 歌会報告
2018年 02月 01日

2018年1月歌会記

かばん関西 一月オンライン歌会記
             

■参加者一覧(敬称略)
雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、泳二(ゲスト)、戎居莉恵、小川ちとせ、漕戸もり、佐藤元紀、雀來豆(未來)、杉田抱僕(ゲスト)、とみいえひろこ、蔦きうい(玲瓏)、ふらみらり、本田葵 
※注記の無い方はかばん正会員 計十四名

 今回進行役のとみいえひろこ氏から出されたテーマは「百合短歌」あるいは「嘘」の選択でした。初めて挑む人も多かったのではと思われる百合短歌、また、何が嘘で何が本当なのかの線引きが興味深い「嘘」短歌を紹介します。

◆◆百合短歌 片思い◆◆
ひそやかなわたしの想い告げたときアンナの瞳はかすかにゆれた  新井蜜
ユイはなぜアイと行ったの友チョコに黒いハートを練りこんでいる  有田里絵
あこがれと謂われてしまえばそうだろう恋は一色ではないけれど  ふらみらり
あの日々をあなたと思う おそろいのセーラー服を桜と思う  杉田抱僕
恋人のように握ったてのひらの冷たさここは冬の真ん中  泳二
ぼくはきみにきみは彼女にさ よならと 手を振っている三叉路の春  雀來豆

 一首目。瞳が揺れたことから逡巡したことが伺われます。隠微でエロティシズムを感じる歌。愛する人の動きには敏感になるし、そこから過剰に意味を読み取ろうとしますよね。客観視すれば病的なほどに。二首目。「友チョコ」という言葉からローティーンの女の子を思い浮かべました。まだ幼くて、恋愛の疑似体験を同性の友達に感じているような。一番仲のいい友達に対して、少し恋愛感情が入っていて、相手が他の子と仲良くしていただけで嫉妬してしまう。女子のみなさん、覚えありませんか。三首目。自注ですが、同性に片思いだけど、「ただのあこがれじゃないの?」と言われたと考えた歌です。憧れる気持ちもあるけど、それは異性愛でも同じこと。恋する 気持ちは嫉妬も憎しみも純粋な愛情も尊敬する気持ちもぐつぐつ煮詰めてどろどろになったものだと思うので、「あこがれ」一言ですむわけがないということです。四首目。好きな人とおそろいの制服を着ていられたのは期間限定の学生時代だけれども、その閉じられた時間と空間だからこそ、彼女一色になったのでしょう。桜のように今は散ってしまったことを伺わせますが、いつかそのときが来ると当時から悟っていたのか、ただ美しさに酔っていたのか。振り返っても自分のことさえもよくわからないことがあります。五首目。寒さの中で恋人を夢見て手を握ると、ひんやりと冷たく、その冷たさが愛おしく感じるけど、まるで、彼女の心の中を見たようなとまどいがあります。「冬の真ん中」とは底が見えな いような深いかなしみを感じます。六首目。三叉路に三人の人間関係を象徴させています。それぞれに進む方向が違っていて、手を振っても目が合うことがないもどかしさ。無力感が伝わりますが、早春をイメージさせ、じめっとしていなくて乾いた寂しさ。これからの物語がそれぞれにあるんだろうなあと、若さを感じます。

◆◆百合短歌 ふたりでいるとき◆◆
冷え切ってゆびさきまで悲しみ抜いてこれは君から伝染った生理  とみいえひろこ
みだれがみ梳きあう朝は好悪とかどうでもいいの。罵詈をにれかむ  蔦きうい
私よりまるいかたちに誘われてそっとホックをはずす花咲く  戎居莉恵
重なればこわれる落葉M-1をかさこそ笑いあって観る夜  漕戸もり

 一首目。冷たいゆびさき がとてもつらいですね。ふたりでいるからこそ、自分たちの状況が心に刺さってくるようです。お互いに生理があることの哀しみでしょうか。その哀しみを共有している心情を感じました。二首目。「にれかむ」とは反芻するという意味。「みだれがみ」とは、夜の出来事の証でしょうか。その髪をお互いにととのえあう朝とはなんともけだるげで甘い時間。そして憎しみや罵倒もにれかんだうえで育つのでしょう。表現力に賛同の声が多かった歌。三首目。「私より丸いかたち」ということは自分より胸が大きいということでしょうか。確かに、女性でも大きな胸に触ってみたいという欲求はあり、それが愛する人ならなおさらでしょう。下着をとったときのぱっと花開く感じも、複数の読み手が言及しました。直 前のどきどき感が伝わります。百合短歌らしい、やわらかく、なまめかしい歌。四首目。上句や「かさこそ」という表現から、もろくはかない関係性を感じます。照明を落とした部屋で、テレビの光だけで二人並んでくすくすわらっているような。Mー1という、にぎやかで躍動的な番組を出すことで、二人の秘められた関係が強調されています。

◆◆ 嘘 小さな嘘でも心はざわつく◆◆
「大嫌い」娘がついた初めての嘘がこれです四月一日  本田葵
冬の蝶みたいなうそをつく人だポカリスエットぼんやり白い  小川ちとせ
掛軸にかするる墨のふとぶとと俺を縛れるその一文字  佐藤元紀
吉野川特産鮎の串焼を 嘘こけ今は禁漁期だろ  雨宮司

一首目。四月一日だから嘘と思いたい親心で しょうか。もしかしたらこれは虚構で四月一日ではないかもしれない。エイプリルフールなんて関係なくて、子どもさんの本音かもしれない。何が本当で何が嘘か虚構かもしれない短歌の世界。でも、短歌を詠んだ時点でどこかに必ず嘘が混じりますよね。二首目。冬の蝶とはいかにも弱々しく、すぐに死んでしまいそうな嘘なのでしょうか。そもそも冬に蝶っているんでしょうか。と考えると比喩がすばらしい。ポカリスエットの白さの「ぼんやり」も紗がかかっていて、現実から離れている世界のようです。三首目。兼題から、その掛け軸には「嘘」と書かれているのだろうと推測しますが、「かするる」と「ふとぶとと」は相反する状態だと思いますが、そのかすれた文字が太い縄となって縛るのでしょうか。 嘘という言葉に縛られているのだとしたら、何を信じていいのかわからない。四首目。真冬に新茶ですと出されたような心境でしょうか。料理を前にして思わず出たつぶやきをそのまま歌にしたような臨場感があります。「嘘こけ」という俗語がテンポある歌にしています。
最後に自由詠から高得点の歌を紹介します。

私だけ常識はずれサーモンが鮭だと知った日もそうだった  有田里絵
失ったはずの鰓が動きだすまふゆまよなかバスタブの底  小川ちとせ
新聞にくるまれていて性別がわからないほど小さな夜明け  雀來豆
ペンギンも恐竜も鳥 僕たちは魚を焼いて食べるのが好き  杉田抱僕
                           (ふらみらり/記)



by kaban-west | 2018-02-01 15:12 | 歌会報告
2018年 01月 01日

2017年師走歌会記

かばん関西 師走歌会記
             

【とき】二〇一七年十二月三日(日曜日)午後一時から五時まで
【ところ】大阪市西区民センター 三階和室

【参加者】 雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、泳二(ゲスト)、小川ちとせ、久保茂樹、雀來豆(未來)、十谷あとり(日月)、とみいえひろこ、福島直広
※所属表記なしは「かばん」正会員。

十二月の最初の日曜日、風のない晴れた日、十名が集まりました。会場のあるビルは駅からすぐの場所にあります。隣に建つ古めかしいマンションには、司馬遼太郎さんが一時期住んでいらしたとか。重厚な外観でしたが、十六畳の和室はすりガラスの引き戸がレトロな、ほっとする部屋でした。えび茶色の長机と小梅模様の座布団を並べ、十谷あとりさん司会進行のもと、歌会を行いました。

今回の兼題は「光」です。事前に提出された詠草十首の中から一人三首ずつ選歌しました。以下は詠草一覧の掲載順に紹介しています。二行目は得点と選歌者名です。

幻灯機からきんいろの筒あらはれて掴まうとした指がきつねね  久保茂樹
四点 (新井 有田 とみいえ 福島)

十月入会の久保さんに初めてお会いできました。思い出の美しさや懐かしさを感じるという意見がありました。幻灯機の実物を見たことがない人もいましたが、イメージは伝わっていました。結句の「ね」の重なりのかわいらしさや、ひらがなの使い方に対する評価もありました。


きみの耳はいつもひかりに透けているにっこうぼさつがっこうぼさつ  小川ちとせ
三点 (新井 雀來豆 十谷)

同じく十月入会で初参加の小川さんの歌です。平仮名の多用が効果的であるという評価がありました。「きみ」が具体的に何を指すのかについて、菩薩、赤ちゃん、我が子、気になる女の子などの意見が出ました。下の句は特に意味はなく(実景ではなく)、耳のように「対になるもの」というイメージを付加した呪文のような言葉になっています。いつくしみの対象を柔らかく捉えています。


その地には地獄の業火が拡がったひかりまばゆく炸けた刹那    雨宮司
無点

作者は「その地」がどこを指すのかと指摘されることは想定済みだったかもしれない、と前置きした上で、現在も世界各地で戦争が起きていると言おうとしているのではないかという読みが出ました。言葉は強いが作者は歌の対象物から遠く離れたところにいるように思える、大きすぎるものを読むのは難しいという意見もありました。


光あれと夜の向こうへ飛んでゆく空中ブランコ乗りの兄弟     雀來豆
四点 (泳二 小川 十谷 とみいえ)

サーカスはそれだけでファンタジーであり、舞台の華やかさと同時に常に物悲しさがある、という声に参加者はみなうなずいていました。この兄弟はどんな事情でサーカスにいるのでしょう。テントの中で披露される空中ブランコは、実際に夜の向こうへ飛んでゆくことはできません。それでも今夜も飛び続ける兄弟に、いつか観客の方が置いていかれるのかもしれない、という声もありました。歌の世界観に参加者みんなで触れるという歌会の良さを感じさせてくれた歌です。


三つ星は雄弁なりき落葉のこどものやうに眠る真上に      有田里絵
二点 (雨宮 雀來豆)

三句目以下の歌意が捉えにくいので、語順を整理するほうがよいという指摘がありました。「落葉の」の「の」は主格を表していますが伝わりにくかったようです。作者は「雄弁なりき」の「き」を、過去と継続の両方を表すつもりで使っていました。実景を描写しているとはいえごちゃごちゃしてしまい、不慣れな旧かなづかいはやはりこなれておらず、再考いたします。


飲み干して人は旅人ドトールのカップに光浴びせるままに  とみいえひろこ
一点 (泳二)

まず「しゅっとしてる歌やなあ」という関西風味満載の声に、笑いが起こりました。結句の「浴びせるままに」について疑問や意見が集中しました。文法上は使役に見えるが作者の意図はそれで正しいのだろうか、飲み干すとカップの底が光る、飲んでいる人が席を離れるとカップに照明が当たって光る、などの読みが出ました。「人は旅人」の「人」について、作者はドトールに行ったのかもしれないが歌の中では万人を指すのではないかという意見もありました。


星明り頼りてすすむ畑中のほそき畦道生家目指して        新井蜜
二点 (久保 福島)

地方にある生家に久しぶりに帰る気持ちが伝わる歌です。新井さんは栃木県生まれでいらっしゃるとのこと。星は頭上に輝いているけれど、それ以上に、生家を目指す主体の心こそが輝く光ではないか、という意見がすばらしかったです。実家ではなく「生家」にした効果を実感します。上の句に比べて下の句は助詞が少なく、詰まった感じがするという意見もありました。


裏路地に咲く赤い灯に誘われてコの字に集うダークダックス   福島直広
二点 (雨宮 小川)

この「赤い灯」は街頭で、ダークダックスがスタンドマイクのように囲んで歌っている心象風景ではないかという読みが出ました。これは現実で、赤提灯を掲げた狭い店で飲んでいるという読みも出ました。お客が立ち飲みで過ごすスタイルのことを、実際にダークダックスと称することもあるようです。
また、体言止めについて、固有名詞に寄りすぎているより(「効果としては三角」というコメントに一同大笑い)、サーカスの歌の「兄弟」のように広がりがあるほうが良いのではないか、という意見がありました。


教室のぜんぶの窓が金色に光る角度でとどまる夕日 泳二         
七点 (雨宮 新井 有田 小川 久保 十谷 福島)

情景の伝わりやすさと、「ぜんぶ」「とどまる」の平仮名に高評価が集まりました。きれいです。「とどまれ」としても良かったのではという意見があり、泳二さんもああそれがあったか!と反応されていました。この歌の場面に出会えるのはとても短い時間ですから、作中主体がより長く見ていたいという気持ちになるのは自然でしょうね。写真撮影の用語にある「マジックアワー」を思い出しました。

はつふゆの雨滴はわらふ〈くすのきビル〉エントランスの甃の面に 十谷あとり
五点 (有田 泳二 久保 雀來豆 とみいえ)

 漢字「甃」は、この歌では「いし」と読ませていますが一般的には「しきいし」と読み、仏閣などの敷石を指します。「わらふ」について、作者の心情が反映された擬人であるという意見や、兼題「光」をふまえて笑うことは光ることであるとして表現されているという意見もありました。パーレンがあることでこのビルがより高いビルに感じられる、字余りだが「くすのき」が良いので気にならないという評価もありました。

 通常の歌会の後は、今年気になった歌を発表したり、作歌の具体的方法について話したりしました。座布団を勝手に増やして座り、とても和やかな時間を過ごすことができました。

 歌会終了後はなにわ筋辺りへ移動し、福島さんプレゼンツの忘年会を行いました。お店から出てきたとき、向かいのビルの上に見事なスーパームーンが見えました。今年の歌会はマル!と言ってもらえたようで、とてもうれしくなりました。これからもみなさんと短歌を語る機会を持ち続けたいです。
                           (有田里絵、記)



by kaban-west | 2018-01-01 15:06 | 歌会報告
2017年 11月 01日

2017年10月歌会記

[二〇一七年一〇月かばん関西オンライン歌会記]

<今回の参加者 16名>
雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、和泉海風(購読)、戎居莉恵、小川ちとせ、黒路よしひろ(ゲスト)、河野瑤、佐藤元紀、雀來豆(未来)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ふらみらり、本田葵
★所属の記載がない方は、かばん会員。

今回は有田里絵さんの進行。いつもは兼題と自由詠各一首の組み合わせだが、今回は兼題二首で自由詠なし。兼題は名月に合わせて、「丸いもの」と「四角いもの」。興味深い詠草が集まった。

●丸いもの●

 できたての朝日を車輪にからませてまだほの暗い改札めざす  ふらみらり
 全面で支えないのは優しさかニトリで選ぶ円座クッション  有田里絵
 ふたりっきりでオレオつまんだ日を想い怪獣テムラはマンホール食む  土井礼一郎ㅤㅤ

 一首目。健全でエネルギッシュな感じが良い、端正な短歌だが下の句はリアルの表現としては少し弱いのではないか、比喩表現が適正な量、車両やそれをまもる人たちの営みへの一種の愛情を感じる、など、留保付きながらも好評価が相次ぐ。重複を感じる、との意見もあった。二首目。「ニトリ」ならと納得させるところが上手、上句が周囲の誰かのことと感じられる、下句は軽く流した感があって物足りない、等の意見があった。三首目。そう言えばオレオはマンホールの蓋に似ている、という意見、多数。怪獣テムラは創作らしい。「昭和の香りのする名」という意見も。一方で、同じテンションの言葉が並んでいるのが惜しい、という声も。

 ちはやふる神はおらねど白き声 点字ブロックに杖を響かせ  とみいえひろこ
 ドーナツの穴は食べずに取つて置き海の底ひのおまへをのぞく  新井蜜
 「あんまんほどまるいものはないよね」と笑う君とのコンビニ帰り  杉田抱僕  

 一首目。白い声とは白杖が放つ音か、点字ブロックの存在そのものを指すのではないか、等の意見があった。一字空けとカタカナ表記の為に上句と下句の表記が違う様に読めた、という意見も。二首目。知的で余裕があり、こちらが「のぞかれた」ような不思議な不安感、ほのかなあたたかさを持続させてくる、じつはドーナツの穴っていろんなことに使われているのかもしれない、成り立たない条件だからこそ空想としての面白さが活きている、ドーナツの穴は食べられないといふことを逆手にとつた一首、という好意的な評価の一方で、既視感がある、ドーナツの穴の歌には食傷気味との辛い評もあった。三首目。自身の中高生の頃と重ね合わせた評のある一方、上句にひねりがあってもいいのでは、という指摘も相次いだ。リズムのとりにくさを指摘した評もあった。

 ふたりきりふたりきりでも夏の夜をぼくらはまるい輪になって歩く  雀來豆 
 丸い丸い団子をずっと見ていたら総身に剛【ルビ:こわ】い毛が生え始め  雨宮司 
 夕焼けをまあるくつつむレガートがいざなへる宵のハンク・モブレイ  佐藤元紀

 一首目。リフレインがひらがなで、丸い感じを出せている、幼稚園児のような無垢な感じを受ける、輪は多人数でできるといふ観念が猶のこと初句のリフレイン「ふたりきり」を強調する、等の肯定的な意見が多かった。一方で、世界観の甘さが強調されすぎてしまったとの辛口の意見もあった。二首目。不条理短歌、なんか怖くて良い、前川佐美雄ちっくでぐいぐい引っ張られてしまう、等の肯定的評価があった。一方、面白いが結句の言いさしがうまくきまっていない、「剛い」はルビを付けてしまうと「怖い」とのダジャレ感が強調されてしまう、つまりなんなんだろう、等の辛口の意見もあった。個人的には、昔の少女漫画のテイストを採り入れたつもりだったが。三首目。音読すると四句目の字余りがなかなか良い、楽曲を知ったのちに読むと短歌の中にテナー・サックスのベルやトーンホールが光るイメージが浮かぶ、レガートという言葉はとてもまろやかで優しい響き、という言葉が相次ぐ。一方で、「まあるく」がやや甘い、もう少し音楽であることのヒントが歌の中にあればさらに良かった、との意見も。

 ゆさゆさと重たきものを抱えつつ青きひかりに照らされ歩く  橘さやか
 また喋りすぎて悔やんでわたくしは発狂しそうなベレーをかぶる  小川ちとせ
 見つけた!と生鮮売り場ではしゃぐきみ白雪姫のかじる林檎よ! 戎居莉恵

 一首目。まんまるな満月の光だったのでしょうか、という好意的な評もあったが、多くの評は丸いものが何なのかに集中した。イメージが湧かない、青きひかりの正体がわからない、LEDライトの照明か、妊婦の時にお腹に手を添えて歩いたのを思い出した、等、議論百出。ところで何だったのでしょうか。二首目。ベレー帽は自意識の象徴か、発狂しそうなベレーとは何か、繊細過ぎる者にとっては恥ずかしさや悔やみを隠すための必須アイテムでは、しゃべりすぎて自己嫌悪に陥る気持ちはよくわかる、なんだか食い違った感じがまたおもしろい、上句の切実且つ深刻な後悔が速度もて四句目に流れ込むところが出色、等、共感が相次ぐ。措辞はとても面白いが歌の中では何かおさまりが悪く感じる、発狂はなるのも治るのもそんなに生易しいものではない、という意見もあった。三首目。​個人的には面白いとは思うのだが、辛口の意見が相次いだ。誰の言葉か分かりにくい、主体の年齢が確定できない、毒林檎という物騒なものでなぜはしゃぐか、白雪姫の林檎は物語の中にあふれていてそんなに驚けない、等。

 世の中に色んな仕事あるものだ草間彌生の丸を塗るひと  本田葵 
 土曜の朝駅のホームですれ違う君のうなじの大きなほくろ  和泉海風 

 一首目。検索したら本当にいるらしくて感心した、わたしもそんな芸術の一端を支える仕事がしたい、問いかけに対し読み手のイメージを大きく越えているのが好印象、など、好評価が集まる。一方で上句には、「色んな仕事があるものだ」とだけで終わらせるのは惜しい、等、辛い評価が目立った。二首目。うなじのほくろが色っぽい、という意見、多数。土曜は休日出勤で、気だるさと非日常感が混在する時であるのを上手く活かしている、という意見もあった。一方で、いつもほくろ等を注意して見ている人はどうなのか、又、既視感がある、等の意見もあった。

■四角いもの■

 さふ言へば若い人にはポストつて聞けば四角と答へるだらう  本田葵
 鳥の眼で四角い空を飛ぶ俺は四角い扉をいつ開け放つ  雨宮司
 晩秋の銀杏並木の輝きへゆっくりのぼる地下鉄出口  河野瑤

 一首目。視点が面白い、という意見があった。一方で、そのままな印象、そんなに若くない者にもポストは四角いという認識があるからかなり年配の作者か、等の指摘もあった。二首目。空の四角さに納得しない人が多かった。ドローンで録った映像を室内で観ている引きこもりのイメージだったのだが。「いつ開け放つ」に切ない呟きや静かな諦念を感じる者や、お題に合わせて頭の中で作った(間違いではない)と感じる者もいた。三首目。地下鉄出口という空間を見つけた目に感服した、地上の出口が明るく光って見える感じが伝わる、情景がイメージしやすいきれいな歌、地下鉄の出口から銀杏並木の輝きの中へと登って行く美しさ、等、好評価が相次ぐ。「輝き」はぼかして言った方がいいかも、という意見も。

 僕よりもずっとしっかりしているねA4用紙の束をはじいた  有田里絵
 姉さんが資格取るため読んでいた『臨床看護スキル大全』  橘さやか
 雨ばかり降って切手が駄目になる君に手紙を書かない土曜日  杉田抱僕

一首目。A4用紙を「はじいた」とはどういう動作か、意見が集中する。「僕」とA4用紙を比べて自分を謙遜・卑下するのはよく見かける、角が立つ嫉妬の感情の道具となっている、A4用紙の束はよほどしっかりしていそう、等の意見があった。二首目。「四角」と「資格」をかけている、本が四角くて分厚くて重そう、連想が巧み、という肯定的評価の一方、ダジャレ感を何とかした方がいい、姉さんなりの工夫を知りたい、「資格取るため」が説明的、等の指摘もあった。三首目。いまどき手紙はなかなか書かないから一時代前の話と感じられる、どうして土曜日に手紙を書かないのか、毎週の様に「君」に手紙を書いているのか、そもそも定期的に手紙を書いて投函する方がどれほどいるのか、不思議に思う評が多かった。

 イチニッサンスコティッシュフォールド滑り込む私が捨てた小さな 空き箱  和泉海風
 腑に落ちぬ話であるがきみのいふことであるから愛は四角だ  新井蜜
 ゆく夏を海を知らずに5インチの液晶モニタを泳ぐクマノミ  雀來豆

 一首目。初句のかけ声と後の展開との関係が読み解けないという意見が続出する。私は「フォー」と掛けているのではと思ったが、少数派だった。スコティッシュフォールドは折れた耳が特徴の猫の品種。小さな空き箱に入るほどだからまだ子猫だろうか。空き箱がティッシュの箱ではないかという推測、多数。二首目。恋愛の四角関係とする読み、多数。四角い紙幣やプラチナカードでないことを願う、という意見もあった。三首目。手堅い作風。「夏」「海」に重複が見られるという意見、複数。クマノミにセンチメンタルな感性をみるのがいかにも歌人的、という意見も。

 トーストにマーガリン塗るジャムも塗る今日を拒んでゆっくり動く  ふらみらり
 幾枚のはんぺん要るかはんぺんを部屋の障子にはめこむならば  土井礼一郎
 ああこれはいつかの夜明けの地平線トーストにマーマレードひろげ て  小川ちとせ

 一首目。毎日のルーチン化された生活を受け止めたくない思いをトーストに託したところが、多くの共感を呼ぶ。「ゆっくり動く」がだるい朝を表現できていていい、という意見もあった。二首目。なぜはんぺんを障子の桟にはめ込むかは不明ながら、大きさがほぼ同じだという意見が複数見られた。「はんぺん」の音の反復がコミカルだという意見もあった。三首目。マーマレードと夜明けの親和性が明確で、その地平線が手の上のトーストに収斂されて主体に認識されてゐる ところがをもしろい、「トーストにマーマレードひろげて」の雰囲気が幸福かつ孤独で、マーマレードの黄色と感触が心に切なく残る、テレビで見た地平線の美しさを思い出した、どこかで見たことがある、等、共感多数。一方で、「の」がやや冗長、見立てか実景か、地平全体が色づき始めはほんの一瞬、主体の感傷が美しい、等の意見もあった。

 祈っても雨がやまないこんな日は深呼吸してブラウニーでも  戎居莉恵
 腰骨に響くアドリブ叫ぶらく“No room for squares【ルビ:お堅い奴はお断りだよ】”  佐藤元紀
 どろどろにビルを染め上げる夕焼け忘れ去るべき秋の話だ  とみいえひろこ

 一首目。雨にも負けず、チョコレートケーキであるブラウニーを食べて気分転換を図ろうとする姿勢に好感を持つ者が多かった。「祈っても」よりも「願っても」ぐらいがいい、という意見もあった。二首目。ハンク・モブレイの曲らしい。「腰骨に響く」に実感があるという指摘、多数。下句のルビの肯定派と否定派にきっぱりと分かれた。三首目。この夕焼けは秋でなければならない、という意見、複数。一般的に美しいと思えるものを「どろどろに」と負の表現をする思いきりに、共感が相次ぐ。

以上である。なお、読んで不快になる者が出た詠草を、作者本人の強い意向で不掲載にしている。個人的には掲載してもいいと思ったが。
かばん関西では、随時、参加者を募集している。垣根の低い活動をしているから、気軽に参加していただければと思う。(雨宮司・記)



by kaban-west | 2017-11-01 15:03 | 歌会報告
2017年 10月 01日

2017年9月歌会記

かばん関西 九月オンライン歌会記
             
【参加者】 雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、泳二(ゲスト)、河野瑤、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未來/レ・パピエ・シアン2)※「2」はギリシア文字、雀來豆(未來)、杉田抱僕(ゲスト)、とみいえひろこ、ふらみらり、本田葵(かばん/塔)、計、十三名
※所属表記なしは「かばん」正会員

九月歌会、題詠のテーマは「残」、題詠の面白さというのは、同床異夢のようなものと言えばいいだろうか。奥行きのある題に、いつも以上に多彩で、面白い詠草が集まった。また、選歌で正選に加えて逆選を採用したこともあり、よりスリリングな評が集まったようにも思う。

糸雨 糸雨 糸雨 残りの月が透かしおりコンビニの白き袋なまやか  とみいえひろこ

えび天の直広も居りき夏の夜の実験塔に月の残照  黒路よしひろ

吹き飛ばす秋の夜すがら野分果てて残りの露を吸ふ閨の窓  佐藤元紀

※まずは、自然の景を詠んだ三首。
雨と月を背景にコンビニの白い袋のなまやかさを詠んだ一首目。「糸雨」の繰り返しが、心を打つ。抒情と抒景の美しい融合、という評も。
 実験塔と月の残照という景を切り取って夏の夜を詠んだ二首目。棟ではなく、塔。どうもこの「塔」のファンが関西MLには多いようだ。その聳えるようなシルエットがこころに響くのだろうか、それとも別の要因があるのか。
 露を吸う閨の窓、という妖しい景を見せてくれる三首目。野分の荒々しさと名残りの雨露を吸う窓という対比が鮮やかだ。「閨」の文字からなまめかしさを感じる、という評も。
 ・・・三者三様、まったく違う景を見せてくれるのだが、同時に、いずれも「残」というテーマが淡く、且つ効果的に詠まれていると感じた。


ああきっと残像 光が強すぎるせいで夏は思い出まみれ  杉田抱僕

息の根を止めそこなった残党が古いコートのポケットにいた  ふらみらり

残量が10パーセントで伝えきり僅かに再起動される息  河野瑤

残菊も電照菊もとりまぜて君の身体【からだ】をうずめていくよ  雨宮司

もう二度と電話は鳴らず真夜中に 残、惨、懺、と窓を打つ雨  塩谷風月

※「残」という文字、「残」を含む語句が持つ力とイメージを巧みに示してくれた五首。
 「残像」という語の持つ強さを生かして夏の記憶を詠んだ一首目。独特の口調と韻律で詠まれた下の句がなかなかのくせもの。果たしてこの思い出に実体はあるのだろうか。実体のなさを感じさせるのが面白いという評も。
 「残党」という語の持つ魅力を歌の中で復権させた二首目。上の句はいったい何の比喩だろうか。これを考えるだけで、ご飯が進む。評者たちも、この歌については多弁であった。
 デジタル世界においては「残量」という言葉が新たなイメージを持ちえることを示す三首目。デジタル用語を連ねたあとに、突然登場する「息」。まさにここで息づかいが聞こえた気がした。
 「残菊」と「電照菊」という似て非なる二つの語を並列し、対照し、衝突させた四首目。告別の刻の光景だろうか。菊に身体をうずめた「君」を見送る切なさが美しいという評も。
 「残」の音を使い、巧みに聴覚を映像に転じてみせた五首目。
後悔の念と重なる激しい雨音。残、惨、懺、と画数が多くなる文字が、読み手にも迫ってくるように感じさせる。
 ・・・「残」という文字、「残」を含む語句が内包することばの深みを改めて感じさせてくれた五首であった。
 

やり直す決意で席を立つ僕のカップの底に残るコーヒー  泳二

戦争はどうして起きる食べ残し片づける手に水は冷たい  有田里絵

残り香にまだまどろみて春の宵ゆらりゆらゆら夢な忘れそ  本田葵

乳白のウェッジウッドに残された口紅の色のやうな憎しみ  新井蜜

ゆうぐれの駅、階段ですれ違う少女が残してゆくビート音  雀來豆

※ありふれた日常の中にふと残されてゆく異質なものを詠んだ五首。
 一首目、「僕」を見送るカップの底に残ったコーヒーを描く。暗く冷めたコーヒーだけが未来を知っているかのよう、という評も。
 二首目、「戦争」と「台所」のあいだにいつも存在する食べ残し。日常と、非日常のはざまでのちょっとした「気づき」の感覚なのだろうか。初句、二句の軽さが、逆にリアルな怖さを感じさせるという評も。
 三首目、春、まどろみの中の「残り香」。この香りは、主体にとって異質なものかそれとも調和を感じさせるものか。あっけらかんな恋の歌か、それともこの先の悲恋を暗示しているのだろうか。
 四首目、カップのふちに残されている「憎しみ」。白い陶器と口紅の対照、口紅と憎しみの対照が、鮮やかな歌。医者の話のように長い長い形容詞も面白い。
 五首目、階段ですれ違い際に残されてゆく音。イヤホンからの音漏れか、あるいは足音とか心音のようなものか。その少女独特のリズムがたしかにあることを感じる、という評も。
 ・・・それぞれの詠草のなかで残されているのは、ありふれたものばかりなのに、そこになにやら畏怖を感じるのはなぜだろうか。そんなことを思わせる五首だった。


※自由詠(十三首)は、紙面の都合上、詠草と作者名だけを記します。

ローマ法王のトイレの音を知る蟋蟀が鳴くトレビの泉  塩谷風月

雲のわく南の島に帰れない電気クラゲに刺された朝も  新井蜜

簪の頃の記憶を懐かしむ空のかなたにいる赤い薔薇  本田葵

September 折鶴の羽くたびれて。つかまれそうビル映えの夕焼け。 とみいえひろこ

ドアノブを見て思い出すあの人も首を小さく左右に振った  有田里絵

犠牲革命さあれ燃え尽きむ時知らに俺とおまへの斜陽が昇る  佐藤元紀

牛の首なる支流へは立ち入るな言ったは父か亡祖父だったか  雨宮司

夕刊に秒針が降りつもるほど静かな朔に星を奏でて  河野瑤

缶ビールの泳二が去りし公園に佇めばもうヒグラシの頃  黒路よしひろ

立ち食いのうどんを箸でつかむとき隣の男のシンクロさける  ふらみらり
よーいどん!で駆け出す親子に右折車の運ちゃんも笑む夏の夕暮れ  杉田抱僕

学校を休んだ朝のテレビには見たことのないヒーローがいた  泳二

四色で塗り分けられた世界図に銀河のような数のピン穴  雀來豆


以上、かばん関西九月歌会記でした。
かばん関西では関西在住者に係わらず広く仲間を募集しています。ご興味のある方はぜひご連絡ください。

                            (雀來豆、記)



by kaban-west | 2017-10-01 14:58 | 歌会報告
2017年 09月 01日

2017年8月enoco歌会記

かばん関西 八月enoco【えのこ】歌会記
             
[日時]平成二十九年八月二十七日(日曜日)午後一時半から五時まで
[場所]大阪府立江之子島文化芸術創造センターenoco Room6
[参加者]雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、雀來豆(未来)、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、福島直広、ふらみらり(詠草・選歌のみ参加)

残暑厳しき折、おなじみのenoco会場に九名が集まりました。前半は題詠に基づく歌会、後半は最近読んだ歌集の中から気になる作品の紹介・発表を行いました。
事前に進行役の十谷さんから兼題「花」が発表され、十首が集まりました。暑さに負けず短歌の花を咲かせましょうという十谷さんのメッセージに対して集まった歌を、レジュメの掲載順に紹介します。

向日葵が夏の日射しをてらてらと種いっぱいに溜めこんでいく   雨宮司
一読して情景をイメージしにくいところはないものの、「てらてらと」が何にかかるのかはっきりしないという指摘がありました。有田は語感から液体や滴るものを想像し、日射し(のジリジリした感じ)と種(に溜まっていく蜂蜜のような栄養)との両方に掛かると読みました。

路地をゆく青いペディキュアそはそはと朝顔の花の萎れる午後に  新井蜜
「そはそはと」という擬音に意識が集中する歌で、どことなく急いでいる、そわそわしていると受け止められました。また、「ペディキュア」で作中主体が膝から下あたりを見ているとわかり、「萎れる」で時間帯も伝わってきます。花火大会に出かける浴衣の女性、スカートとサンダルの女性、どちらでも当てはまります。路地・青・朝顔の組み合わせに全員が夏らしさを感じました。「ペディキュアが青なのは男性から見てどうですか?」という十谷さんの質問に対して、「夏ならではの色」「(少し艶かしいイメージ」との声がありました。当日私のペディキュアは水色だったので、スニーカーを履いていて良かったと密かに思いました。

まるであの戦争みたいです八月の庭先にヒアフギが揺れ   黒路よしひろ
ヒアフギを知らなくても、「戦争」と「八月」のフレーズが揃えば、火(戦火)を煽るイメージが沸いてきました。「あの戦争」と書いてはいても、作者及び作中主体が実際に戦争を体験しているとは思わない人が多数でした。「みたいです」という口語から、遠くのことを示していると感じられるからでしょうか。「知らないものを短歌の中に持ってくる方が賢く見える、いい歌のように受け止められやすい気がする」と、後から作者のコメントがありました。知らなさが出すぎていては短歌として未完成でしょうけれど、この歌は大方の日本人に不穏な空気を伝えることができそうであるという意味で、成功しているように思います。

ルドゥーテの薔薇を写せばゆびさきに残されてゆく透明の棘    雀來豆
固有名詞のお洒落感に引き寄せられました。何人かがその場で検索していました。ルドューテは十八世紀のベルギー人画家(男性)で、細密な植物画、特に薔薇の絵が有名だそうです。「透明の」刺がどうやって指先に残されるのかを想像しつつ、全体的な美しさを評価する意見がありました。丁寧に模写するうちに指に刺が刺さる気がしてくるほど精密な絵であるという予想が、シンプルで受け入れやすかったです。

鬼灯を染めあげようと太陽が瞼をひらく地蔵盆なり       有田里絵
「瞼をひらく」が独特なので、この句がもったいないという声が複数ありました。地蔵盆で最後をしめたことによって鬼灯と太陽の歌だったのが地蔵盆の歌に変わってしまったのではないかという指摘がある一方、夕方以降の時間帯を示してくれるから地蔵盆でも良いのではと述べる声もありました。太陽はもともと開いているものだから、さらに開くという意味だろうか、という疑問が出ました。曖昧さが表面化してしまいましたね。

隣には隣の流儀 庭に咲く花はどれもわたしを見ない     ふらみらり
ばっさりと切るような潔い詠み方です。後半の字足らずが気にならないほどの勢いがあると評価する声がありました。盛り上がったのは、この花がどこに咲く花か?という点です。一・隣の庭、二・自宅の庭、三・どこかの花ではなく一般的な花、・・・と、主な意見はこの三つでした。しかし今考えると、そもそも花でさえないかもしれないのです。(それぞれがまったくジャンルの違う相容れない存在として、”隣・花・わたし”という三つのモチーフを登場させている可能性もあるのでは。ねじれの位置にある物事は世の中にたくさんあるけれど、私は私である。そういう強さを感じました。

溶けながら月を見上げる実験塔ベランダに咲くにがごりの花   福島直広
今回の最高得点歌です。擬人化された実験塔がどことなくユーモラスで、「にがごり」という名前もおもしろいと評価されました。素直に読めば、作者がベランダにいて塔を見ているという位置関係を想像しますが、塔のベランダなのかもしれないですね。「ゴーヤーの形は月に似ていなくもないし、ゴーヤーの花を小さな星に見立てることもできそうだ」という読みも出ました。そのうち男性陣はビールへの連想に傾いていらっしゃいました。

君はサケ食べるのが下手ボロボロと皿にこぼれる紅の花びら   杉田抱僕
「こぼしたものを花びらに見たてるのは子育て経験からすると難しいかもしれない()笑」という声もありましたが、微笑ましさや瑞々しさを感じる人が多かった歌です。君との関係がどれくらいの深さを持っているのかを示唆してくれる生活感があります。生活感という点では「サケではなく鮭にしてほしい」という意見が出たのは自然でしたね。夜行バス利用で参加してくださった杉田さん、いつも新鮮な風を運んでくだ本さってありがとうございます。

壁一面咲く朝顔の声援を受けて我らがちーちゃんよ行け       泳二
幼い子、小学校低学年くらいの子どもへのエール。作者は「ちーちゃん」の背中を黙って見守っているのですが、朝顔も黙って見ているというところが良いと評価されました。結句まですんなりとひっかかりなく読める心地よいリズムもあります。自分で気がついていないだけで、誰かが見てくれているかもしれないですよね。元気出して行きましょう。
取り毀されてゆくのは記憶 丁字路の塀をこぼるる凌霄の花  十谷あとり
「凌霄【のうぜん】」はノウゼンカズラのことだそうです。どことなく不安な気持ちを感じ、静かに迫ってくる歌です。「取り毀【こわ】す」は「とりこぼす」とも読むことができ、自分の意図に反して壊されるイメージがつきまといます。蔓を伸ばすノウゼンカズラの赤と橙色が頭の中を這うようにめぐり、記憶を留めることができなくなる。具体的にどんな記憶なのかはわかりませんが、太陽に灼かれながら佇む姿を想像します。漢字や植物の豊かな知識に感心するばかりです。
詠草については以上です。

次に、歌会後半で紹介された歌集を挙げておきます。「作者名、著作、出版社、刊行年・・・発表者の名前」の要領で記載しています。
野口あや子 『かなしき玩具譚』 短歌研究社、二〇一五年・・・雨宮
真中朋久 『雨裂』 雁書館、二〇〇一年十月・・・有田
大滝和子 『祭りの言葉』  『短歌研究』二〇一五年十一月号より・・・雀來豆
吉田隼人 『忘却のための試論』 書肆侃侃房、二〇一五年十二月・・・新井
石川美南『裏島』本阿弥書店、二〇一一年・・・杉田
しんくわ『しんくわ』書肆侃侃房、二〇一六年・・・杉田
廣西昌也 『歌集 神倉【かみくら】』書肆侃侃房、二〇一二年・・・泳二
山下一路『スーパーアメフラシ』青磁社、二〇一七年四月・・・十谷

最後のフリートークでは”短歌の私性”に関する問いかけが出ました。「読者になるとき、作品だけではなく、その作者がどんな人なのか気になってしまうのはなぜだと思いますか?」というものです。時間ぎりぎりまで展開がありましたが簡単には終わりそうもなく、再度取り上げたい問いかけでした。次回は十一月下旬に開催予定です。
(有田里絵/記)



by kaban-west | 2017-09-01 14:54 | 歌会報告
2017年 08月 01日

2017年7月歌会記

かばん関西 七月オンライン歌会記
             

【出席者】
雨宮司、新井蜜(塔)、有田里絵、戎居莉恵、黒路よしひろ(ゲスト)、河野瑤、佐藤元紀・塩谷風月(未來/レ・パピエ・シアンII【「II」はギリシャ数字の「2」】)、雀來豆(未來)、杉田抱僕(ゲスト)、足田久夢(かばん/玲瓏)、土井礼一郎、とみいえひろこ、ふらみらり、本田葵

今回は題詠の多彩なあそびはひとまず措いて、諸氏の自由詠にその作風を訪ねてみよう。足田と塩谷氏の歌は都合により今回掲載しない。
カラコロと氷とグラスキスをしてダンスしながら夜がはじまる  本田葵
あたかも作中主体が麗しきお相手と逢瀬を愉しんでいるような誤読を誘う、そこに作者の可愛い見栄がある(土井)本田氏は筆者など及びもつかぬ貫禄と抱擁力のあるほほえみのひと、時に意表を突いた折句で歌会を盛り上がらせる。ところが、時に可愛い「あをいちゃん」が憑依して、JKも裸足で逃げるまるっこい言説を弄し、読むものを擽りの刑に処す。この歌にも彼の茶目が見え隠れしているようだ。また、歌全体がグラスの中の「氷のふるまい」を描写しているとしたら、かなりの意欲作だ(塩谷)との声もあった。
ストローの袋でお星さまを折る君のペディキュアが夜を祓う  戎居莉恵
結句の「夜を祓う」から敷衍して「お星さまを折る」が「五芒星を祈る」とも見えてくる(雨宮)可愛いだけではない「魔法」のちからがここにはちかちかと働いているようだ。ストローの袋に式神を招じて闇夜の邪気を祓う(黒路)のだろうか、キッチュなものの積み重ねが「祓う」につながることにじーんとする(とみいえ)という意見にぼくも賛成だ。題詠「顔」でも「味噌パンのふちが好きだと言い合ったシモキタの顔があした消える」と下北沢の名店消滅への「挽歌」に青春のリグレットを重ね詠んでいる、その調べをたいそう切なく思ったものだ。
ぼくの腕やさしくなでて顔のないすずなすずしろ狂ってゆくの  新井蜜
「すずなすずしろ」の語感が圧倒的に愉しい(雀來豆)一首。浦島太郎では「鯛や鮃の舞い踊り」は白身の高級魚→すべすべと白肌のさるべき女性(にょしょう)を連想させるが、この「大根と蕪」の大地母神的な存在の接近にはたしかにひとを狂気に引き寄せる磁場を感じる。瀬戸夏子らのアバンギャルドに競うような、意欲的な実験作も数多く発表されている新井氏だが、本作ではおかしな言い方だが、頭だけでひねったものではない「地に足の着いた狂気」に惹かれてしまう。「正体のないものに撫でられるのが心地よい、狂の世界」(河野)、「撫でる感覚、顔のないことが狂気につながる」(とみいえ)と圧倒的な触感に巻きこまれて顔のない白のなかへ、むしろ喜々として埋没していくような感じ。

ぼくだけの太陽のプールでしばし泳げば時間まで溶けてゆく  雨宮司
世界に取り残されたような感じ、永遠とも思える夏の怠惰なひととき(黒路)を「ぼくだけの太陽のプール」一語から感じられるひともいるだろう。一方で字足らずが韻律に乗っていないこと等リズムの問題について指摘もあったが、それが「退嬰的な夏の印象」の一助となっていることも確かだ。「時間まで溶けていく」からぼくはダリ的な記憶の液化をイメージした。題詠「顔のない背中が俺に告げているあの寡黙なる男の過去を」など剛直に心情を吐露するハードボイルドな雨宮氏の、時折見せる詩情は美しい。
コルセットはリリカじゃなくて僕のもの 星の吐息に甘い疼痛  杉田抱僕
なんというか、かばん関西の森のをちこちに吹きかわすヘルニアンの角笛の多さによろこんでいいものかどうか…みなさん、やっておられるのだなあと感慨を禁じ得ない。ちなみにぼくは「疼痛」なる語は発症前まで抽象的な「とーつー」という音でしかなかったが、へルニア国の住人に登記されて以来、もっとも憎むべき漢字となった。特に「疼」の一字、こいつは許せねえ!まさしく足先だけ真冬のようだ。もっとも、痛みと通院に疲れ切って倒錯(土井)するほどやわな歌人もここにはいないであろうが。
石を蹴る終点の無い美しき夏とゲームに飽きてくるまで  雀來豆
かつてオンライン歌会に出された「窓のない廃駅に棲むわたしと鹿と」連作?を読んで以来、ぼくは雀來豆氏の大ファンである。本作では、美しい夏の「あたらしいかたち」を提示した(杉田)という意見から、ボードレールの「秋の歌」を思い浮かべられた方(佐藤)などもいた半面、「ゲーム」「美しき夏」という抽象語が土台もなくふらふらと立っていて確たるイメージがない、構成に破綻がある等の指摘もあった。だがぼくにはそんな抽象性のゆらぎこそが氏の得難い味わいと思えるのだ。「石を蹴る」というアナログな遊びと「ゲーム」のデジタル要素の並置や、初句は倒置?とも思わせる構成にも読ませるものがある。
プレミアムフライデーなるポスターに「殺せんせー」が紛れ梅雨明け  有田里絵
プレフラのうさんくささ(ふらみ)と、あの黄色い丸顔のスマイルバッジはまことにつきづきしい。思惑のあるものほど屈託のない笑顔をみせてくる。映画館でたしかこのキャラクターが教室の生徒たちを藁の犬のようにほふる様がCGでどぎつく描かれていたように記憶する。結句の梅雨空はさしずめ血潮したたる久作の空であろう。ときに人心をえぐる有田氏の詩歌の刃(やいば)は本作同様、題詠の「紅色の朝顔だけが咲いている女の敵は女とばかり」にも横溢している。ずらりと歯牙のならんだ花弁をふりみだして相食む花弁、ピンクフロイドの実写+アニメーション映画「The wall」では男女の相克を花の争いに見せていたが、この歌では同性だけに凄絶さが一段上だ。どこか百閒文学にも繋がるようだ。 
夏空のいのちにあらできしきしと歯車歯車俺の歯車  佐藤元紀
夏空のいのち、ではない「俺の歯車」。大自然の摂理という巨きな車輪からはずれたニンゲンの卑小な、不自然なロボット的規則性の、千篇一律の繰り返し。それでも「かなりつらいけど、前に進んでる」(ふらみ)と前向きささえ伝わるのはこの歌のリズムのよさ故であろう。俳人ならば「こきこきこき」と缶詰でもきりたくなる風情だ。とはいえ「熱い日中に大汗ぬぐってアスファルトの町中を彷徨」し、或いは「青ざめた顔に冷たい汗を流して徹夜」など等…自然なリズムからは永遠に見放されて不条理な日々の雑事に耐える「俺」は又なんとも頼もしく見えてこないだろうか?
浅夢にうすだいだいをただよわせ浴衣ほのかに西瓜の匂い  河野瑤
ぼくは見慣れない初句「浅夢」を「あさきゆめ(見し)」と読み下してみた。「色は匂へど」いろは歌の趣旨が浮き出てくるように思えたからだ。井上陽水「少年時代」さながらの下句に「きゅんとしました」(とみいえ)等高評価も多かった。西瓜の匂いに漂う稚気と、ひと肌の熱がほのかに匂いたつ艶やかさとともに夏の風情をきれいに三十一文字に封じた一首だと思う。一方で「うすだいだい」という語句は、「肌色」が人種差別的なので昨今そのかわりによく使われている色の名前だ(塩月)という穿った視点からの評もあり、経済状況を反映したビジネスマン詠なども得意とされる河野氏のクリティックな一面を、このロマンティックな小品のなかにも見出そう としているようだ。
逆上がり出来なかったと言えぬまま酒宴は終わるみな立ち上がる  ふらみらり
小学生のころ、ぼくは逆上がりが出来なかった。それが親父に知れると早速特訓だ、というのでぼくは夕暮れの校庭に連れて行かれた。さあ、離すぞ、と父親が言う。もう何度その言葉を背に聞いただろう。次第に怒気を含んで重くなる男の声にぼくの指たちはますます竦んだ。だめだよ、と宣言すると、だめじゃない、と背を支えていた手を離された。プロレスのパイルドライバーという技のように、ぼくは頭部から垂直落下した。だからぼくはこの歌を読んで河野氏のように「みなと違うことが言い出せない、同調圧力の歌だ」などと穿ったことは言えない、ただただパイルドライバーは痛い技だ、としか言えない。「どうでもいいことにずっとひっかかってるひと」(有田)、つまりは「中二病」の歌と読んでもいいのかもしれない。
ランプレセプタクル輪つか作るとき束の間君が見せる輝き  黒路よしひろ
RCサクセションに「俺は電気」という元気な歌があって「ピカッと光ってピカッと消えろ!」と仲井戸麗一がシャウトしていた頃を、この歌はなんだか思い出させてくれた。検索で「電工図」というものを見るとのたくったような配線図の中で太陽のようにくっきりと描かれたⓇがすなわち件のものである。どういうものかは、よくわからない。ランプ、なのだから光るのかな程度である。でもそれでいい。かような特殊用語を読み手に委ねる恍惚と不安を、或いは作者は馥郁と味わっているのだとも思われるので…ともあれ雀來豆氏の言う通り、ここには「言葉が内包するイメージの凄み」がたしかに感じられる。

僕たちの残り時間を確かめるみたいにほうれん草を切る音  土井礼一郎
ポエジーの質の高さでは関西歌会随一だろう。土井氏の作風はゼログラヴィティな想像の浮遊感が持ち味だ。ただ、この歌では、多くの評者がほうれん草を切る音を「ザクザク」とイメージしていたが果たしてそうであろうか、この歌の五分後の世界におひたしが白い小皿に楚々とならぶ情景を思ったぼくは、当然ほうれん草は生ではなくて煮られているものと思って「ぽくぽく、ぽくぽくぽく」と想像した。そのほうが残り時間を刻む音の選びとしてより相応しくはないだろうか?ううむ…ほうれん草を切ったことがないのがばれてしまったか?そして又ぼくたちの「残り時間」はあとどれくらい僅かなのだろうか、或いはまだまだ続くものか?ぼくは「愛し合っているから時を惜しむのだ」と解釈してみたが、果たして皆さんはどう読まれるだろう。
最後に、自由詠を出詠されなかったとみいえ氏の題詠を載せ、報告を終わりとしたい。
頬骨の奥に蛾を飼う隣人を恨み疲れて一日が過ぐ  とみいえひろこ
                         (足田久夢/記)



by kaban-west | 2017-08-01 14:52 | 歌会報告