かばん関西歌会

kabanwest.exblog.jp
ブログトップ
2016年 01月 05日

12月歌会報告

かばん関西オンライン歌会 二〇一五年十二月

【参加者】雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、泳二(ゲスト)、小野田光、ガク(講読)、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、雀來豆(ゲスト)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、東こころ(かばん/未来)、兵站戦線(購読)、福島直広、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)(計十八名)
※所属表記なしは「かばん」正会員。

今回の進行担当・新井蜜さんから出された兼題は「み」から始まり「つ」で終わる歌。前回の「あ」で始まり「る」で終わるに続いての出題ではあるものの、参加者からは今回のほうがずっとむずかしい、特に「つ」が難物、といった感想があいついだ。

身内めく舟につく人送るひと爆竹鳴らせ神酒ふくみつつ  兵站戦線
澪つくし君を思へどわだつみの流るる霧に影は消えつつ  ガク
まずは「つつ」で終わる歌をふたつ挙げる。一首目。長崎の精霊流しを詠んだ歌との指摘多数。「身内めく」について「人を送るという儀式の意味を如実に表している」(小野田)との指摘をふまえれば、なるほど精霊流しの情景にぴったりの表現だとわかる。「神酒ふくみつつ爆竹鳴らせ」を倒置させることで兼題に合わせているが、「下句の倒置によるせわしなさが、歌の雰囲気に合ってもいる」(とみいえ)。二首目。寂しさを端正に詠いこんだ巧みさが推される一方、はかなさの中に「太い芯のようなもの」(雀來豆)が欲しかったとの意見も。また、言いさしになっているゆえの弱さも指摘され、このあたりに今回の兼題のむずかしさが出ている。澪つくしは船の通路を示すための杭で「身をつくし」と掛けているのだろうが、「大阪市のマークの基としても有名ですね」(雨宮)との指摘が出たのはいかにもかばん関西という感じ。

「三毛猫と再婚しました」「ですってね。お幸せにね」「(微笑)」「新居は?」「こたつ」  土井礼一郎
この長い歌も「(微笑)」を一種の休符と考え、音として読まなければ短歌の定型にほぼ収まる。しかし、わざわざ微笑と書かなくとも微笑していることは読者が補完できるのではないか、あるいはそもそもこのような手法は短歌としてありなのかといった意見があいつぐ。また、「三題噺のようなほのぼのとした雰囲気」(ガク)という一方で、「こたつ」と無理にオチをつけることで歌の雰囲気を壊してしまっているという指摘も多い。
ここまでの三首を見ればわかるように、「つ」で終わるという課題に対応するために歌の末尾を操作することで思わぬ効果が生まれたり、あるいはその歌にとっては瑕になってしまう場合がある。当然「み」で始まると規定された冒頭部分に関しても同じことが言えるだろう。

水底を這ういきものの謙虚さで定時に退社していくあいつ  岩井曜
水際【みぎわ】から数えて今日は何番目 深いお鍋でシチューぐつぐつ  ふらみふらり
水面【みなも】割り海辺に次々現れて陸へと消える昏い隊列  雨宮司
「み」で始まるとの指定から水を連想させた詠者も多かったが、「水底」「水際」「水面」とアプローチの仕方に個性があるのは興味深い。一首目は今回の最高得点歌。ふつうは「地を這う」などと表現するのかもしれないが、兼題により「水底を這う生き物」とされたことで「深海魚ってブサ可愛くて大好きなのですが、確かに謙虚というか卑屈というか(略)開き直り感がある」(杉田)、「個人的にはオオグソクムシがいい」(雨宮)など、一気にイメージが広がった。「あいつ」に対する羨望や憎らしさなどがないまぜになった感情をひとことで言いあてた比喩を評価する者がとても多い。今回の歌会の中で、この上の句の人気は圧倒的だった。二首目については、上の句が読み切れない、あるいは上の句と下の句の呼応が不明、との感想があがる一方で、「水際」についてある種の生活の危機を指すものととらえる評者も多かった。「シチューを煮込みながら悶々と抱え込んだうっぷんが蓄積されていく」(黒路)、また、夫婦の危機を暗示するような上の句があるからこそ下の句の「かわいい表現に凄みを感じ」(泳二)るといった意見など。三首目。上陸する何者かについて、ペンギンやウミガメ、カニの上陸、あるいは「外国の軍隊が密かに上陸している様子」(新井)といった具体的な読みの可能性が指摘されつつも、「不気味と異様と恐怖と違和が活写されてゐる。それが何かはわからないといふことがこの歌の眼目」(佐藤)というように敢えてこれがなんなのか考えず、その不穏さを味わおうとする評者も多い。

三日後の保護者面談思いつつネクストバッターズサークルに立つ  泳二
三日目の意地の張り合い飽きたから買って帰ろう肉まん二つ  福島直広
三日月は今夜も泣いたきみのため浄化作用のひかりをはなつ  東こころ
ここでは「三日」で始まる歌を。ひとつめ。保護者面談を待つ主体をネクストバッターズサークルという別のものを待つ場に立たせた巧みさを評価する声が多い。主体に関し、部活動などで野球に取り組む子どもなのか、草野球をたしなむ親なのかで解釈が割れた。これについて歌会後の感想戦では「保護者って入っているから直感的に親ととってしまった」(土井)、「(まだ独身で子どももいないので)今の自分はどう頑張っても保護者視点には読めません」(杉田)など驚きの声が上がる。二首目は「飽きたから」に思わずクスリとさせられてしまう。「『飽きた』などとひねくれたことを言う人だから『意地の張り合い』をしてしまうのでしょう」(小野田)との意見には首肯せざるをえない。こちらも読む者のおかれた立場の差も影響してか、夫婦、同棲カップル、兄弟姉妹など解釈に幅があったようだ。三首目。一見して美しい歌だが、引っかかるところがなくさらりと読めてしまうとか、既視感があるという指摘があった。「浄化作用」の語にはこの歌に似つかわしくない固さがあり、和語にしてみればどうか、あるいは「『浄化作用』は言わずに読者にあずけたい」(とみいえ)といった意見も。

御堂筋こえたらあかんもうあかん失くしてしまったんは鍵ひとつ  とみいえひろこ
み吉野の激【たぎ】つ河内にビキニらが散らす水沫【みなわ】の花を眺めつ  黒路よしひろ
ミッキーも落ち込む日くらいあるだろう大将こっちに生中2つ  杉田抱僕
固有名詞を用いることで「『み』で始まる」に応じようとした三首。一首目。歌の意味をとらえにくいという意見も多かったが、失恋のあと御堂筋を超えたあたりで涙がこらえきれなくなりながらも、失ったのは恋人の家の鍵ひとつに過ぎないじゃないかと強がってみせている、とは黒路よしひろさんの解釈。「『あかん』の繰り返しがあたふたした様子を思わせます」(有田)とも。関西弁で韻を踏んでいきながら下の句の句跨りに突入する豊かなリズムが高く評価された。二首目。「み吉野」は現在の奈良県の地名・吉野の美称。換喩を巧みに用いた歌で、ビキニが水沫を散らすと言いつつも、作者の視点はビキニではなくビキニを身に着ける女性にあるのだろう。「古風な感じと現代チックな感じの交じり具合がいい塩梅」(福島)といった感想も。作者によれば、土地を称賛することによりその土地の神々の加護を得ようとする方法で万葉集に頻出する「土地ぼめ」に挑戦したとのこと。三首目。たしかにいつも明るいミッキーだって気が滅入ってしまうことくらいある。ミッキーと居酒屋という組み合わせの意外性を評価する声が多かった。作中主体については、落ち込んでいる自分をなぐさめるためにミッキーのことを思い浮かべている、ミッキーの着ぐるみの仕事(!)をしている人である、ミッキーと一緒に飲んでいる、といった解釈があがった。

見晴るかす冬の荒野に唯一つ黄色く華やぐ煙突が待つ  小野田光
見るべきほどの(濁世の涯の裂け目より風に忤ふ我が)ことは見つ  佐藤元紀
診られゆく乳房ソファーに並びおりだいたいふたつときどきひとつ  有田里絵
一首目。「黄色く華やぐ煙突」を独創的と評価する声が多い。「黄色」から酸化ウラン(軽水炉の燃料)を指すのでは、とか、「煙突が待つ」というからには主体は今からそこへ行こうとしているはずで、ならば銭湯だろう、など評者がそれぞれに空想を膨らませた歌だった。この「待つ」については、力強い歌なのに最後が受動的に終わるのが残念とする声のあがる一方で、煙突が立つ荒野へと主体が足を踏み入れようとする希望に満ちた歌との解釈も。二首目。濁世は「じょくせ」、忤ふは「さからふ」。カッコでくくられた部分を取り除いた「見るべきほどのことは見つ」は平家物語の平知盛の最期のことばとの指摘が複数あり。しかし「あのきっぱりとした台詞に対抗できる内容はよほどのものでないと」(雨宮)といった意見のほか、カッコでくくって「濁世の涯~」を挿入させる効果・意義を問う声があった。三首目。予防を目的とした乳がんの検査、あるいは「ときどきひとつ」というからには術後の検診を詠っているのではないかと、各々の読みに微妙なずれがあった。深刻な題材を感傷的にならずに敢えて即物的に詠むおもしろさがある一方、特に詠み手が乳がんの当事者などでないかぎりは、意図せず読む人を傷つけてしまう場合があるのではないかとの指摘も多かった。

導きの星の役の子伏せ気味の顔は金色に塗られたり幕は上がりつ  文屋亮
嬰児の夢に囚われ少女らは互いの息で恐怖を分かつ  雀來豆
子どもを主題とした対照的な歌二首を挙げる。前者は学芸会の一場面だろうか。歌会が開かれたのがちょうどクリスマスシーズンで、クリスマスの風景として読みとった者も多かったようだ。「導きの星というのがこのクリスマスの季節にもぴったり」(東)、「上句は、もうこれで、一篇の短篇小説の導入部になりそう」(雀來豆)。ただ、下の句の字余りが歌の魅力を損ねているとする声が多数上がったほか、「塗られたり幕は上がりつ」の時系列の混乱も指摘された。二首目。嬰児は「みどりご」と読む。少女らが将来自分たちも子どもを産むという可能性に気づきおののく、あるいは、すやすやと眠る嬰児を「『何だこの小さな命は』と息を呑んで見守っている」(福島)、また、この少女らは嬰児殺しをしたのではないか、など解釈が分かれたが、いずれにしても全体を通して恐怖、孤独、残虐さといった雰囲気をうまく作り上げているとの評価の声が多い。

密会と裏切りの糧【かて】、我が庭に流るることのなき乳と蜜  新井蜜
最後に出題者・新井蜜さんの歌。「み」で始まり「つ」で終わるという兼題は新井さんのお名前からではないかと黒路さんが勘繰っておられたが、本人は「密」で始まり「蜜」で終わる歌を詠出。「乳と蜜」を密会すなわち不倫や情事の象徴として読み取ろうとするむきが多く、また、旧約聖書ヨシュア記に「乳と蜜の流れる地」と表現されている約束の地カナンを踏まえているのではないかとの指摘も。

かばん関西オンライン歌会は、年齢も境遇もさまざまな詠み手が集う刺激的な歌会。かばん正会員に限らず、購読会員、またいずれにも当てはまらないゲストの方も多く参加され、交流を広げる大切な場にもなっています。関西出身・在住者にかぎらずどなたでもご参加いただけます。ご興味をお持ちの方は、本誌「掲示板」のページにある、かばん関西のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。

(記/土井礼一郎)
[PR]

# by kaban-west | 2016-01-05 19:59 | 歌会報告
2015年 12月 23日

かばん関西歌会 秋の吟行報告

かばん関西歌会 秋の吟行報告

[日時]平成二十七年十月十一日(日曜日)午後一時、大阪天満宮にて集合

[参加者]雨宮司、新井蜜(かばん・塔)、有岡真里(ゲスト)、有田里絵、黒路よしひろ(ゲスト)、十谷あとり(日月)、蔦きうい(玲瓏)、ふらみらり

十月十一日、大阪天満宮および天神橋筋商店街周辺にて、秋のお散歩吟行を行いました。
当日、本殿で行われていた結婚式や七五三詣での様子を垣間見たり、境内で開催されていた古本市をひやかしたり、商店街でおやつを買い食いしたり……と、思い思いに秋の休日を楽しみながら作歌に取り組みました。時間の都合上選歌はなしとし、ドーナツ屋にて意見交換を行いました。

 あめあがり天満宮吟行 詠草抄

笑おうや繁昌亭の幟立つこの界隈を抜けた辺りで  雨宮司

古本に宿れる神か神さぶる翁がときに見せる微笑み  黒路よしひろ

古本の背表紙なでる頭上では白無垢の親族従え渡る  ふらみらり

阿波鳴門鯛焼本舗阿波鳴門蛸焼本舗あめあがり  蔦きうい

天満宮に掛る大絵馬卯も寅も辰も梅花のくれなゐを翔ぶ  十谷あとり

渇いてるぼくは真昼の空白のページをめくりうたを探した  新井蜜

神様も救えぬことがあるらしいエンゼル書房閉店セール  有田里絵

おさんぽで鳴門たいやきかぶりつき火傷したきみ梅ジャムアイス  有岡真里

二〇一六年も、歌会や吟行、読書会など、実際に顔を合わせて歌を楽しむ集まりを企てていきたいと考えております。(十谷あとり 記)
[PR]

# by kaban-west | 2015-12-23 11:30 | 歌会報告
2015年 12月 13日

11月歌会報告

■かばん関西2015年11月オンライン歌会

★参加者一覧(五十音順)>> 雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、岩崎陸(購読)、泳二(ゲスト)、小野田光、黒路よしひろ(ゲスト)、ガク(購読)、佐藤元紀、塩谷風月(未来、レ・パピエ・シアンⅡ)、橘さやか(ゲスト)、雀來豆(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ(選のみ)、東こころ(かばん/未来)、福島直弘、ふらみらり、兵站戦線(購読/塔)> (計19名)> ※所属表記なしは「かばん」正会員です。

 今回有田女史から出されたテーマは「あ」で始まって「る」で終わる歌。さて、かばん関西のメンバーは何を始まりとし、何で終結させたのだろうか。

アップリケ大きな膝にはずかしさ隠せないまま冬がはじまる  小野田光
 「大きな膝」ということは、大人の人なのだろう。ああ、またこのアップリケズボンの季節かとうなだれる大柄な男性。アップリケは人の手によって施されるものなので、膝の部分に針を通した人(母親?妻?)の存在も浮かび上がらせて、あたたかい気持ちになる。

アンタレスなくなったからきみはもう蠍じゃないよ初めての夜  有田里絵
 アンタレスがなくなって蠍じゃなくなった元蠍って?星座の話なのか、ゲームの世界なのか、初めてとは何が初めてなのか?たくさんの謎を内包しているが、かわいい人にささやいているような不思議な歌。

「あの人はどこへ行ったの」菜園で茄子を掴んだまま、固まる  岩井曜
 あの人とは誰か。そしてこの状況は置き去りにされて深刻なのか、それとも畑で立ちすくむ女性の滑稽さなのか、読んだ印象は人によって異なっていたけれども、奇妙さが味わい深い。読点の使い方で面白いバランスになっている。

あきらめたことひとつあり、白くまのうんちは白くないことを知る  土井礼一郎
 白くまの白いうんちが見たかった子どものかわいい願望と成長の歌という解 釈が多い中で、白いものから黒いものが生み出される不思議さと驚きの歌なのでは、という読み方も。

足音もなくだーれだと目を隠す遊びのようにさよならは来る  泳二
 どういう別れなのかいろんな想像が寄せられた。四句目までの説明のようなひとつながりの表現が、結句のさよならという一語に向かっている。「だーれだ」というあまい言葉遣いに着目(疑問、肯定とも)した読み手が、多数あった。

安静にしときなさいと先生に言われた夜に月はまんまる  福島直広
 具合が悪い日の満月。満月だから出かけたかったのだろうか、という読み方もあった。ただ安静にしていた日ではなく、「先生に言われた」という縛りが効果を上げている。

アフォリズム「 安保イズム」はかたすぎる「アホなリズム」ですっと覚える ふらみらり
 リズムは悪くないが歌意がよみとれない、前半の固さに比べて「アホなリズム」がくだけすぎ、俗っぽさが際だっているという意見が出た。「安保イズム」は唐突で浮いているという評も複数あった。

愛なれば八十路の坂も気遣ひて生きたればこそけふのゆるゆる  兵站戦線
 前半のきまじめさに比べて結句のくだけたかんじが面白くて、ふっと心がほぐれる。
他者なのか自分自身なのか、対象を思いやりながら、坂道を上がるように生きてきたから、見晴らしのよいところでゆっくり身体をのばせる「けふのゆるゆる」という意味だろうか。

ありし世のなごりばかりを山風にとざし檀の紅葉しぐる る  佐藤元紀
 百人一首に出てきそうな歌。檀【まゆみ】の木に何かを象徴させたかったのだろうか。
「ありし世のなごりばかり」とははかなげな息づかいを感じる。美しくて幻想的な歌。

あの夜の歌がきこえてしまうから12月だけスクロールする  東こころ
 やはり、クリスマスソングのことだろうか。いやな思い出があるのか、クリスマスソングそのものが嫌なのか。即座に思い浮かぶ条件反射のような連想を跳ね返すぐらいの異分子のような言葉が入れば、もっと面白い歌になると思う。

あてどなく空のまほらで鳥たちは終の棲家を探しつづける 雀來豆 
 飛ぶ鳥たちの姿が目に浮かぶ、情景的な歌。自由を謳ったのか、ゴールのない旅に絶望してい るのか。人生や難民を連想する読み手もいた。手に入らないものを手にいれようとする悲しさでは?という鋭い見方も。ただ、「まほら」とは「すぐれた良い場所」という意味なので、そういう場で終の棲家を探し続けるとは、違和感があるという意見もあった。

あめ玉を口と口とで口移し舐れば君のれもん味する  黒路よしひろ
 「口」という言葉が三回も繰り返されるのは意図的なのだろうか。「口移し」「舐れば」などの気持ち悪さと「れもん味」のさわやかさがあいまって何とも不思議な味わいの歌。

あなたには失望しました。幼児が母に言われて見るアルタイル  塩谷風月
 大人びた幼児だと思う。ただ叱られているのではなく、「失望しました」という言葉を母親 に投げつけられ、漠然と星空を見るのではなくアルタイルという一点の星を凝視している。ただ庇護されているのではなく、思考する幼児の心の裡を読み手に探らせる歌。

あいしてるそれだけでいいナンテコト砂漠のうえ泡のままでいる  岩崎陸
 自分が「あいしている」という事実だけでいいとうそぶく気持ちを、ナンテコトというカタカナでちゃかして、「砂漠の上の泡」のようにはかない自分の存在を客観視している。切ない歌だけれども、芯の強い女性像だと思う。

ありありとあなたの顔が星のない碧い夜空にはりついている  橘さやか
 シンプルで強い気持が伝わる。ただ、憎しみや恨みはないのか、夜空に見える顔はどういう表情かなど、作者と「顔」との関 係に手がかりがあれば、もっと深みが出たと思う。

あなたから離れたくない秋の夜の月の明かりがしんしんと降る  ガク
 「しんしんと」とは雪を連想させるので、雪のように灯りが降り注ぐ様子が浮かんで来る。並び歩く二人も何も喋らず、静寂が二人を包んでいる。

紅い花流されてゆくせせらぎをニーソックスが凝視してゐる  新井蜜
 「紅い花」「ニーソックス」という名詞によって歌の世界に入りやすく、ニーソックスに人物を象徴させて心情を語らせている。つげ義春の「紅い花」を連想する読み手も複数いた。

青空へアルマジロ投げあざとさにああもう嫌とあなたを殴る  雨宮司
 全句が「あ」で始まる不条理歌。もやもやとした言いよ うのない感情を「あ」で始まる言葉を選んでつなげて表現されている。

 わたしはいつもどんな兼題が出るのか、楽しみにしている。そして、テーマのとらえ方が人によって全く違うことに毎回驚いている。そんなかばん関西をこれからもご注目ください。

(ふらみらり 記)
[PR]

# by kaban-west | 2015-12-13 15:32 | 歌会報告
2015年 11月 08日

10月歌会報告

■平成二十七年十月かばん関西オンライン歌会

〈参加者一覧〉あかみ(ゲスト)雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、伊庭日出樹(購読(仮))、岩井曜、岩崎陸(購読)、泳二(ゲスト)、黒路よしひろ(ゲスト)、ガク(ゲスト)、佐藤元紀、塩谷風月(未来、レ・パピエシアン・Ⅱ)、雀來豆(ゲスト)、杉田抱僕(ゲスト)、土井礼一郎、十谷あとり(日月)、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、福島直弘、ふらみらり、文屋亮(玲瓏)兵站戦線(購読/塔)(計二十二名)

※所属表記なしは「かばん」正会員。
※伊庭さんの(仮)は購読会員に復帰予定のため。ご本人の希望表記。

 今回は塩谷風月さんの出題で「扉」および自由詠。特選歌一首、通常の選を四首、それぞれ決めねばならない。参加者二十二名の盛会となった。どうなることか、まずは御一読を。

◇兼題「扉」

 閉めないで閉じ込めないで窒息する! 寝汗を掻いた午前二時半  伊庭日出樹
 蟷螂と追憶、きみは待つてゐる黄泉への扉あける時間を  新井蜜
 やわらかな風のあえぎの 影のみがおそらく飛田の暖簾くぐりぬ  とみいえひろこ

 一首目。悪夢を見たという点では皆の意見が一致したが、辛い評価が目立った。下句が説明になっているのか物足りなさが残る、寝苦しそうな状況は分かるが何かもう一捻り欲しい、日記のようで読む側が想像を広げる余地がない、下句ももっとハジけてもいいのでは、等。一方、「窒息する!」の一言があるおかげで一首が見事に輝いたように感じた、夢のなかで部屋に閉じ込められる/夢そのものの中に閉じ込められる二重の風景が見えてきそう、「窒息する」という表現からは部屋の扉というより棺桶のようなもっと狭い場所の蓋を想起させるという意見も。二首目。黄泉への扉をあける覚悟が出来ている様で気持ちがしっかりして落ち着く、絶望的な結果を招きそうな計画が動き出す時刻だったりするのかもしれない、上の句は過去を振り返りながらも未来を切り開きながら進んでいくという事だろうか、一読して気に入ってしまったがなんとなく「死への憧れ」を感じさせる危険な感じがする歌、等の高評価も目立った。一方、蟷螂以外がすべて抽象的な言葉で示され各語のもつイメージが軽くなってしまう気がする、蟷螂が死神のカマのイメージならば黄泉につき過ぎな気がする、等の批判的な意見もあった。三首目。スペースや四句八音のリズム、結句の「ぬ」のどれも入念な選択をしている、という好意的な意見があった。一方、遊郭として有名な飛田を扱いながら曖昧な表現に終始して魅力を引き出せていない、一字空けの意図が解からない、イメージが掴めそうで掴みきれない、等の批判もあった。

 忘れてたこの砂の下埋められているんだったね 夏はまた来る  岩崎陸
 戸を開けよおのづからなる魂の名残の月に青深みゆく  兵站戦線
 第四の扉を開ければ風すさぶ雪景色なり「見てしまったね」  雨宮司
 ドアノブの辺りに浮かぶ年輪は生きただろうか花降る森を  雀來豆

 一首目。「扉」と情景との関連性に争点が集中する。死んで埋めた動物に思いを馳せながらも「扉」との関連性に首をかしげる者、「夏への扉」が埋められているのではと推測する者、「死」という扉だろうかと考える者、地下に遺跡が埋まっているのかと想像する者がいた。一方で、詠み方に作為を感じて抵抗を覚える者、夏への期待なら明るい強さに、悲しい記憶が根底にあるのなら結句は切なくなり、どちらにも取れるのが弱点と指摘する者もいた。二首目。「おのづからなる」が大仰で歌にユーモアを与えている、「魂の名残の月」「青深みゆく」という言葉が冴え冴えとしてかっこいい、という肯定的な意見があった。一方で、「戸を開けよ」は大げさ、「深みゆく」に少し違和感がある、順序立てた筋道の立った詠い方に単純さを感じる現代歌人の苦悩はよくわかるが、意図的な曖昧さを生み出す表現が常にその解決策になるとは限らない、との批判もあった。三首目。『見るなの座敷』に触発された短歌。雪景色と「見てしまったね」の言葉だけで人の気配がないところがより寂しさを感じさせる、との肯定的な意見があった。その一方、少々月並み、日本の昔話に扉は不似合い、四つ目の扉を選んで開けたのか順に開けていったのかが不明確、等の批判もあった。四首目。ドアの木がどんな場所に生きていたのか分かるはずもないにも関わらず「花降る」と詠われることで花の降るなかに立っていたと確信を持って想像される、ドアノブが古木だった頃の情景が花吹雪とともに浮かぶ、「花降る森」とはこの世界が花降る森のようだという感慨だろうか、リアルな情景から結句ひとつだけで幻想的な情景に強引にジャンプするには「花降る森」ぐらい過剰気味の方が活きるのかも知れない、童話の世界のよう、との高評価が目立った。一方、発想がいいが結句が少し甘く感じる、「年輪は生きただろうか」という表現は「そりゃそうでしょ」と思ってしまう、等の意見もあった。

 あをによし寧楽【なら】の京【みやこ】の朱雀門潜れば涼しいにしへの風  黒路よしひろ
 できるだけ優しく扉をノックして 連れ出さないで 横に座って  杉田抱僕
 五万回開けたとなれば碑であろう薄茶色したわが家の扉  有田里絵

 一首目。夏の盛りに奈良に遊びに行った時の一陣の風が鮮やかに蘇ってきた、本歌取りの部分と作者独自の部分が無理なく融合されてじっくり味わえる、歴史への謙虚さが読みとれる、等の評価が相次ぐ。一方、門は扉になるのだろうか、きれいだがサラッとしすぎているように感じた、キャッチフレーズみたいでスキッと格好いい、独特な漢字の使い方による風情のみで活かされている歌かもしれない、等の意見もあった。二首目。「優しく」「連れ出さないで」は反語で本当は荒々しく暴力的に攫って行って欲しいのではなかろうか、甘えすぎでわがままなところが面白くて良い、なんてことのない言葉の羅列がその奥の感情の震えを豊かに伝えている、ポップスやワルツの様なリズムがあって工夫されている、結句がいい、等の肯定的な評価があった。一方で、一字空けとひらがな表記のせいかポイントがつかめない、甘いようで制約が多い、どんなに強い人間の心の中にもじつは弱さが隠されているものではないか、「弱っているときにどうしてほしいか」がとても率直に詠われていてグッとくる、等の意見もあった。三首目。日常の無意識とも言える動作と年月の持つ特別な作用への気づきが秀逸、この扉は碑の様に作中主体の家族の歴史を見続けた存在なのだろう、大げさな表現に古くなったわが家への愛着が感じられる、五万回開けたら碑だという勝手な解釈がなんとも面白い一首、「薄茶色」のもとの色はもう少し明るい色だったのだろう、等の肯定的な意見があった。一方、「碑であろう」というのはどういうことだろうか、碑は記念物であって実用性を失くしているから「扉」とはそぐわない気がする、「であろう」がよくわからない、昔ながらの日本家屋みたいに扉が独立してついている家だったら扉を碑に例える気持ちになるのかもしれない、等の批判的な見解もあった。

 自動ドア開き背後の街並みが割れた中へとしずしず入る  ふらみらり
 合羽着た門衛さんに守られる鉄扉の相合傘の落書  福島直広
 転がった携帯電話がドアに見え跪き乞う「連れていって」と  浜田えみな

 一首目。「割れた」の解釈に幅が出た。自動ドアが開き空間が割れたという解釈、「街並みが割れる」という表現がリアルで歌に力を持たせているという解釈、街並みなどなくなってしまえという世界への悪意を感じる解釈。オノマトペ「しずしず」については、効果に疑問を感じる意見が多かった。二首目。雨、門衛、鉄扉という陰鬱な雰囲気と相合傘の落書きとの落差にユーモアやヒューマニズムを感じる意見が多かった。「落書」は「落書き」のほうが落ち着く気がする、「の落書」はなくても通じる、ちょっと説明的な感じもする、という批判もあった。三首目。携帯電話とヒトの結びつきが強固な現代ならではの歌、という肯定的な意見もあったが、辛口の意見も目立った。特に、「携帯電話がドアに見え」がどういう状況なのかついて行けない者が多く、結果として下句の謎も充分に解けずじまいとなった。

 ジム・モリソン突き抜けし闇に閂をかけて余生は納戸に染まる  佐藤元紀
 そこからはお前のとびら 入学式の校門前でそっと手を放す  塩谷風月
 くちびるを尖らせきみはいつだって20の扉を残らずひらく  あかみ

 一首目。ジム・モリソンはドアーズのメンバーで、27歳の若さで亡くなったらしい。硬軟のバランスが巧み、という意見もあったが、多数の意見は「納戸に染まる」がどんな状況を指すのかに集中した。大半は、よく解からないという見解に帰結した様だ。二首目。親心だ、どちらかというと親自身の為に心の中で唱えて手を放したのだろう、こんなことを何回も経て子も親も成長していくのか、という共感が多かった。一方では、「お前のとびら」が「そこからは」とうまく合っていないような感じを受ける、三句目以降の破調は出来ればもう少し定型に近づけてほしかった、等の技巧に関する意見もあった。三首目。作中主体にはできないことをしてしまう強引な「きみ」に憧れている気持ちがあるように思える、二十歳の肉体の扉を残らずひらくことで性行為を詠んでいるととった、「くちびるを尖らせ」や「残らずひらく」など「きみ」のキャラクターが可愛くて好き、等の好評価があった。一方、「20」が何を指すかについては意見が割れた。「20の扉」というヒントゲームもある様だが。

 出戻れば天高き秋亡き母の衣装箪笥を整理しようか  岩井曜
 幾千の扉がならぶ書架に射すひかりオレンジ市立図書館  泳二
 もう二度と開かぬドアが閉じるとき通園バスは光に埋もれ  土井礼一郎

 一首目。亡き母の衣装箪笥だけで秋だと感じる、人生の辛苦を味わったからこそ母の内面が分かる、亡き母の衣装箪笥を整理するのは母との思い出に触れたいとの願いもあったのかも知れない、亡き母と対話するように衣類を広げたりたたみ直したりしながら気持ちに区切りをつけていくのか等、作中主体の内面に言及した評が多かった。その一方、「出戻る」のだとすると「天高き秋」とか「整理しようか」とかアッケラカンとしているような感じがする、「天高き秋」の慣用的な言い回しや「亡き母」の説明的なところが玉に瑕、等の批判もあった。二首目。今回の最高得点歌。漢字やかながおとなしく並ぶ列に突然入り込んでくる「オレンジ」という言葉が不思議でなぜか魅せられた、光がオレンジ色でほっとする空間だ、オレンジは市に係るのか上のひかりに係るのか、「扉」を本の扉と捉えたところが新鮮、沢山の本が並ぶ書架にオレンジの光が射している光景は近未来の人類滅亡後の図書館の光景のように感じられる、上句からヨーロッパの古い図書館の光景を思い浮かべた、作家ボルヘスが好きだから「オレンジ市立図書館」を推す、架空の感じがいい、「オレンジ市立図書館」という固有名詞だと思ったらファンタジー系の児童文学、落ち着いて見返してみれば夕方の図書館の幻影的な風景、等の肯定的な意見が相次いだ。一方で、たいがいの図書館の蔵書は幾千よりもっとある、上の句が説明的で退屈な印象があるのがもったいない、じつは図書館には行ったことがないので書架に扉があるという情景があまり具体的にはイメージできない(!)等の指摘や意見もあった。三首目。通園バスが現役なのか引退する瞬間なのかで話が一八〇度変わってくる、との指摘の通り、読みようによってはホラーじみてくる。二度と開かぬ通園バスのドアは後戻りできない過去の象徴なのか、上句の言い回しは不吉、上句は何か喪失感を感じる、卒園や事故で落命したことが背景にあるのか、上句はこう読んでほしいという意図が見えすぎ、上句の印象が減殺されるのは結句「光に埋もれ」が浄福の効果をもたらしているため、現実に起きた事故や事件を連想してしまうとなかなか選びにくい、「二度と開かぬドア」が象徴するものとこれから扉を開けていくであろう園児の乗ったバスの対比は何を表しているのだろうか、等、各人の意見も割れた。

 もうひとつの人生あらむか夕焼けに輝くドアをまた探しゐる  文屋亮
 シャッターの波に漂う赤提灯木戸を潜ればふるさとに出づ  ガク
 「鳴つてゐるのはわたしかもしれないね」鉄扉に触るる塩谷姉さん  十谷あとり

 一首目。中年の男が疲れや諦めとともに探しているような雰囲気に満ちている、後悔ではないものの過去の岐路で横のドアを開けていたら全然違う人生だったと思う時はある、瞬間毎に輝くドアを選択し開けて暮らして行くのが人生なのかも知れない、ものすごい夕映えを見ると蜃気楼のようにもう一人の自分が暮す町が映っているのではないかと目を凝らす、今まで歩んできた人生を肯定し財産としつつさらにその人生への新しい渇望がある人生に前向きな短歌もできるはずだ、こんな消極的な動機だと再就職先として見つかるものも見つからない、きれいなのだがきれいに流れてしまっている、裏を返せばもうひとつの人生なんて結局ないのだということかもしれない、輝くという表現は過剰な気がする、等の意見があった。二首目。扉は空間を超えるだけでなく時間を超えることもできる、郷里の哀愁とあたたかみが感じられる、「シャッターの波に漂う赤提灯」がすごく目に浮かぶ、等の肯定的な意見も散見される一方、「ふるさと」は木戸の内か外か、わかりやすいがそれゆえに平凡さも感じてしまった、上の句の表現を工夫してもう少し下の句を補足した方がいいのではないか、「シャッターの波」が閉まっている店ばかりの所謂シャッター商店街のことなら波に見えるのか疑問だ、等の批判も出された。三首目。出題者の塩谷さんと同姓の人物が出てくるため、通常以上に読みが白熱した。「鳴つてゐる」のは電話だろうが「わたし」が鳴っているようにも読める、「塩谷姉さん」とは塩谷さんの姉だろうか、「鳴っているのはわたしかもしれないね」とは誰かの携帯電話が鳴ったら日常的によく出るフレーズだがこれだけ取り出すと怖い、身体のパーツが鳴っていると読みたい、「塩谷姉さん」からは飯田有子の枝毛姉さんを思い出す、塩谷さんの「ゲイじゃない」発言を受けての変化球か、塩谷姉さんとは塩谷さんの彼女の事か、内輪ウケっぽいところは好まないが哀しみの情緒や不可解な感情があっていい、ぜひ作者の方の解説を頂きたい、等の意見があった。

◇自由詠

 誌面も尽きてきた。自由詠の高得点歌を挙げてコメントに代えておく。


 制服とクールミントガム十七の君は翳りを見せたがつてゐた  文屋亮  九点

 退屈の入り口として洗いおり三十六度七分のからだ  泳二  九点

 「りんごあめ舐めてるときに刺されたから」天界で舌が赤いままのひと  あかみ  十三点

 遠砧おまへを抱く地下室に水の香のあえかに流れつつ  佐藤元紀  九点

 秋風にホッと息つくマルタイの棒ラーメンに卵を落とす  福島直広  九点

 まだ暗い海に飛び立つ燕らにチャントを贈る玩具の笛で  雀來豆  十点


※以上、十月のオンライン歌会の要約をここに記しました。

 かばん関西は年齢・性別・職業・居住地不問の自由な集まりです。興味を持たれた方はお気軽にメールでお問い合わせください。

(雨宮司・記)
[PR]

# by kaban-west | 2015-11-08 22:23 | 歌会報告
2015年 10月 08日

9月歌会報告

かばん関西2015年9月オンライン歌会記

★参加者一覧(五十音順)
あまねそう、雨宮司、新井蜜(かばん/塔)、有田里絵、岩井曜、岩崎陸(購読)、小野田光、黒路よしひろ(ゲスト)、佐藤元紀、十谷あとり(日月)、杉田抱僕(ゲスト)、橘さやか(ゲスト)、土井礼一郎、とみいえひろこ、浜田えみな(購読)、ぱん子(ゲスト)、東こころ(かばん/未来)、福島直弘、ふらみらり、兵站戦線(かばん/塔)、三澤達世、山下りん(ゲスト)

今月も前月に続き兼題一本勝負。初の本歌会進行となる岩崎陸さんから出された「石」の題は、かばん関西の面々の技巧を導き出すごとくオンライン上に見事に置かれた。その石を打ち鳴らす二十二首は次の通り。

青丹よし奈良の都に秋の雨賽の河原に石積むいのち 兵站戦線
河原に石を積むという内容が軽やかながら丁寧に表現された一首。言葉がきれいだが力点がわかりにくいという意見も。

目鼻立ちすでに朧ろな石地蔵背負って歩く次の守【も】り番 雨宮司
懐かしい情景が浮かぶ、物語がある一首。説明的な表現がないにもかかわらず、表現以上のものを語っている。

街があり流れゆくことなんだってつぶて言葉と血の合いの子の とみいえひろこ
どこで切れるのかを楽しむことができ、重層的な読み応えも評価された。一方で、意味が取れないという声も。

木津川の河原で拾つた真つ黒な石はわたしの親父ではない 新井蜜
高得点歌。不思議な味わいに魅力を感じたという意見多数。肉親に対する愛憎に思いを馳せる読みもあった。

深海に青いひかりがとどくときわたしは透明な石となる 橘さやか
「深海」に神秘的な魅力を感じる一首。きれいな表現への評価の声がある一方で、作中に決定打がないという意見も。

石ころといえば石ころなのでしょうきみにもらったひかりのかけら 東こころ
高得点歌。透き通ったまっすぐな気持ちが伝わってくる一首。他人にとっては石ころに見えるという冷静な視点も備える。

実家にはいつもの猫が石段に香箱作る帰ってきたよ 有田里絵
「香箱」は猫のうずくまるポーズ。実家に帰ってきた実感が伝わるという意見が多く、あたたかい気持ちになれる。

千六百万年前と五億年前の地層の間【あい】をゆく蟻 三澤達世
写生のお手本という評価もあり、上の句の巨大な年数と下の句のミクロの視点の対比が魅力の一首。

ぶつかって痛い痛いをくり返し残りしものよ君がてのひら 山下りん
しみじみと感じ入るという評価がある一方で、いまひとつ像が結びにくいという声も。

みどうすじウルフクリニック犬田医師、俺の腹から岩を取り出す 土井礼一郎
荒唐無稽の力強さなどからくる楽しさを評価する声が多く、石を「岩」と表現した点にもユーモアを感じる一首。

山道のお地蔵様のなだらかな頬に紫陽花影を落とせり 岩井曜
シンプルにきれいな描写が胸に響く美しい叙景歌。「お地蔵様」の頭、「頬」、「紫陽花」から丸い気持ちになれるという意見も。

熱々の石をまぶたに押し当てて「謎はすべて解けた」と言ってよ 岩崎陸
不思議に惹きつけられるという評価あり。「名探偵コナン」や結句から東直子の「電話口で~」を思い出すなどの意見も。

西よりの風に吹かれて笛が鳴る石焼き芋に夕暮れていく 福島直広
夕暮れの情景がとてもきれいな一首。素直な実景に評価が集まる一方、もう少し表現を整理できたのではという意見も。

台風の後から石売りやって来る今年の石を購いにゆく ふらみらり
つげ義春「無能の人」や寺山修司の虚構を思い出す意見やファンタジーとして評価する声など世界観がポイントの一首。

未通女【をとめ】らが腰掛けてゐし磐石【いはいし】を見ればふやけた顔に見えたり 黒路よしひろ
「ふやけた」に意見集中。固い石との対比に面白さを感じる意見の一方、乙女に失礼だ、スケベ親父の顔だという声も。

手にのせた剥がれて碧い結晶にあなたは地球だったねと訊く 浜田えみな
大きなスケールが手にのせられる発想が評価された一首。映画的な時間感覚だと評する声も挙がった。

家移りの荷に見つけたり曽て子が二上山に拾ひし石鏃【やじり】 十谷あとり
地味ではあるが、石の持つ時間的価値を表しているという評価も。歴史やロマンを想起させる一首。

文明はあるけどなくて限りなく野蛮でだから ”最初”はグー だよ 杉田抱僕
今月の最高得点歌。理知と感覚の巧みな融合で読み手をノックアウト。穂村弘の「驚異=ワンダー」を想起したという感想も。

敷石を一刷毛ほどに濃く染めて通り雨ゆく紅葉修善寺 あまねそう
通り雨が敷石を濡らしていく表現に関して評価の声が挙がった一首。繊細さが秋の修善寺と引き合う。

鉱石のごとおしだまり肩寄せてきみのジョバンニになりたいのです ぱん子
初句がばっちりはまっているロマンチックな一首。「銀河鉄道の夜」という外部作品を持ち込んだだけに、新たなイメージを創る難しさも。

霜降を焼いた河原で胸焼けていよいよ石の丸みに気づく 小野田光
ユーモアがあるのがいい、なんだか面白いという意見の一方で、下の句の意が取れないという声多数。

白砂に石と語りてぽつかりと胸のうつろの秋ぞ深まる 佐藤元紀
言葉の選択が巧みな一首。特に「ぽつかりと」と「うつろ」の響き合いに評価の声が。白砂に枯山水を連想する感想も。

今回も多様な歌が集ったかばん関西は、全世界から参加可能なオンライン歌会を毎月開催中。ぜひ、皆様も奮ってご参加ください。

(小野田光/記)
[PR]

# by kaban-west | 2015-10-08 22:20 | 歌会報告